子ども達に、
「お年玉と荷物届いてるよ。ちゃんと電話してね。」
とお願いした。
長女が、最初に電話して、お礼を伝え、
「妹の○に代わります。」と次女に交代。
次女も、お礼を言って
「弟の○に代わります。」と長男に交代。
長男も、ちゃんとお礼を言って、話をしていた。
長女と次女は小さい時しか逢っていないし、長男は、旦那の親戚に逢っていない。
それでも、物怖じせずに、お礼が言えて、子どもの方が偉いじゃん。
私は、色んなことにこだわってばかりいて・・・・
そんな風に、思ってしまった。
実家にも、同じように電話をして、ちゃんと話をしていた。
「おばあちゃんと話すの嫌だったのに、いっぱい話しかけてくるから疲れたよ。」
私に気を使ったのかな?
長女も次女も、姑に遊んでもらったことは無い。
うちに来ても、テレビを見ているか、新聞を読んでいるし、実家に遊びに行ってもそうだったから。
舅は、自分の子どもは付き合ってくれなかったと私と子どもを連れて、山によく入った。
私は、自然と親しむことが大好きだった。
姑は、一度も付いて行ったことは無い。
私の実家へ帰ると、父と母は、これでもかというくらいあちこちに連れて行く。
特別なところではないけれど、この正月休みも、近くの公園で草すべりをしたり、広いのに、車のいない駐車場で、キックボードを走らせたり、凧を揚げたり、キャッチボールをしたり・・・・
なのに、私には、そうやって外で遊んでもらった記憶が無い。
覚えているのは、叔父の住む自衛隊の敷地内に、よく訪れていたこと。
従姉達とあちこち遊んだことだけ覚えている。
両方の実家へ帰っても、やっぱり従兄姉と遊んだ記憶しかない。
何故なんだろう。とても不思議だ。
でも、子ども達には、楽しい思い出がたくさん残るようにしてやりたい。
皆に愛されて育って欲しい。
私も、子ども達を、見習わなくちゃいけないな。
子ども達が、電話を掛け終わった後、私の胸の苦しさは、すっと無くなった。
「ありがとね」子ども達に感謝した。
「お年玉と荷物届いてるよ。ちゃんと電話してね。」
とお願いした。
長女が、最初に電話して、お礼を伝え、
「妹の○に代わります。」と次女に交代。
次女も、お礼を言って
「弟の○に代わります。」と長男に交代。
長男も、ちゃんとお礼を言って、話をしていた。
長女と次女は小さい時しか逢っていないし、長男は、旦那の親戚に逢っていない。
それでも、物怖じせずに、お礼が言えて、子どもの方が偉いじゃん。
私は、色んなことにこだわってばかりいて・・・・
そんな風に、思ってしまった。
実家にも、同じように電話をして、ちゃんと話をしていた。
「おばあちゃんと話すの嫌だったのに、いっぱい話しかけてくるから疲れたよ。」
私に気を使ったのかな?
長女も次女も、姑に遊んでもらったことは無い。
うちに来ても、テレビを見ているか、新聞を読んでいるし、実家に遊びに行ってもそうだったから。
舅は、自分の子どもは付き合ってくれなかったと私と子どもを連れて、山によく入った。
私は、自然と親しむことが大好きだった。
姑は、一度も付いて行ったことは無い。
私の実家へ帰ると、父と母は、これでもかというくらいあちこちに連れて行く。
特別なところではないけれど、この正月休みも、近くの公園で草すべりをしたり、広いのに、車のいない駐車場で、キックボードを走らせたり、凧を揚げたり、キャッチボールをしたり・・・・
なのに、私には、そうやって外で遊んでもらった記憶が無い。
覚えているのは、叔父の住む自衛隊の敷地内に、よく訪れていたこと。
従姉達とあちこち遊んだことだけ覚えている。
両方の実家へ帰っても、やっぱり従兄姉と遊んだ記憶しかない。
何故なんだろう。とても不思議だ。
でも、子ども達には、楽しい思い出がたくさん残るようにしてやりたい。
皆に愛されて育って欲しい。
私も、子ども達を、見習わなくちゃいけないな。
子ども達が、電話を掛け終わった後、私の胸の苦しさは、すっと無くなった。
「ありがとね」子ども達に感謝した。
最近姉の一歳の子を私の父がオンブしたりして喜んでます。うちの子はもう大きいし、同じ位小さい時は、まったくといってそんな事しませんでした。だけどそんな父が違うのは、定年退職をした事。使う時間や重きをおいてる意識が違うんです。私も小さい頃に父に遊んで貰った記憶はありません。しかし今はうちの子と外で遊んだりしてくれます。また自分の子と違って責任の重さも違うますから。また私を育てた時代とはまた世間も違うでしょうし、親としての考えや気の張り方も違うでしょうね。親も親なりの時間を過ぎていると言う事です。
ねこさんは、あーじゃ無かった、こーじゃ無かったって思う事が多いかもしれないけど、もうあなた自信が親なのだから、親の前で子供の立場でいつまでもいる事から離れて生きましょうよ。少しづつ。
色々な傷はみんなあります。その癒され方も千差万別。
だけど自分自信を許すも許さないのも自分だけです。自分を取り戻すのではなく、自分らしさを作っていくのも自分です。
時の流れが、色んなことを変えていったということもあると思います。
ただ、私の場合は、同じように遊んでもらっているのだと思います。
私が、自然を親しむのが好きなのも、たぶん両親の影響だと思うから・・・・・
でも、記憶に残っていない。
遊んでもらって、楽しかったという記憶が・・・
今の私は、子ども達に色んな体験をさせたいと思って、あちこち連れて行ったりするのだけど、一緒に楽しむことが出来ない。
楽しまなければって思うのだけれど、心から楽しめない。
最近、ようやく子どもの笑顔を見て、楽しいという感情が沸いてくるようにはなったのですが・・・・
私自身が、解放されない限り、本当に子ども達を楽しませてやることは出来ないのではないかなっていうところに引っかかっているのです。
母が、高校生の時に楽しいっていう言葉の意味が判らなかったというように、もしかしたら、私と遊びながら、母も楽しくなかったのかなと思うのです。
行動は、自分の力でコントロール出来るけれど、楽しくないものを楽しいとは思えない。
どうしたら、心から楽しむことが出来るのだろう、楽しむ気持ちが自然に生まれてくるようになりたいのです。
どうして楽しめないのか・・・・そこが判れば、私自身も変わることが出来るのではないかと思っているのです。
年末でしたっけ?お友達と会っていた時、楽しいとお感じになられなかったのですか?
どうしたら楽しいという感情が湧き出るか、なぁんて考えちゃダメです。
楽しくない、で良くないですか?
楽しいと思う事は理屈なしですよ。
理屈を出したら楽しく無くなっちゃう。
自然に思う事が大切だと思います。
そして楽しくなかったという事も、そのまま受け入れて生きましょうよ。
ねこさんが悪いから楽しめない訳ではありません。
みんなが楽しそうにしていたから楽しいはず!でもありません。
そのまんまのねこさんで良いのです。
年末でしたっけ?お友達と会っていた時、楽しいとお感じになられなかったのですか?
自分が友達と係わっている時は、楽しいのです。
でも、子どもとだとなかなか楽しいと感じない。
なんで、子どもと一緒にいて楽しくないんだろうってずっと考えていました。
大好きだという感情や愛しいという感情は沸きあがってくるのに・・・・・
>ねこさんが悪いから楽しめない訳ではありません。
みんなが楽しそうにしていたから楽しいはず!でもありません。
そのまんまのねこさんで良いのです。
ありがとうございます。
なんだか、はなえさんはいつも見守ってくださっているようで・・・・・
夜、寝られていますか??
本当にありがとうございます。