モラルハラスメント・ブログ

モラルハラスメントな夫と壮絶なバトルの末離婚した二児の母のブログ☆モラハラブログリンク集もあります☆

欲しかった愛、もらえなかった愛。

2006年03月08日 09時29分56秒 | モラルハラスメント
元夫の酷い言動を友人や家族に訴えた時、
普通の夫に対する愚痴だと思った人々が、
「多かれ少なかれ誰でもそういうところがある。」だとか
「うちだって、こんな悩みを抱えてる。完璧な人なんて居ない。」と
私を慰めるためにアドバイスをくれた。
心の中で「それは酷い」と思っていても、
「酷いですね」「別れた方がいいんじゃない」などと
逆の立場になればそう軽々しく言える事柄ではないから、
あれは二次被害だったと悲しむよりも、自分の訴え方も
「愚痴レベルだった」から、仕方がないと私は思っている。

事実、脱出前、本当に体も心も限界になったとき、
複数の友人から私は、「まっち~さん、おかしい。変。」と言われた。
と、言われるほど病んでいたのだろうと思う。
さすがにその状況になれば、「離れた方がいい」と皆言ってくれた。

問題は、そうなるまで誰も理解してくれなかったことではなく、
私自身が、どうしてあの男に
あそこまで執着して、傷つけられても傷つけられても、
自尊心を踏みにじられても無視されても、
7年もの間尽くし、捧げ、許し、耐え続けたのかというところにあるのだと思う。

その事に気付いたのは、脱出して数ヶ月経ってからだった。
別居して、結婚生活を振り返って、
元夫との間柄を客観的に見てようやく、
まともな人間関係ではなかったことに気付いた。
「いつかわかってくれる」
「いつか愛してくれる」
そんな根拠のない、願望ではなく、確信があった。
人間は、いいものなんだから、今わかってくれなくても
いつか日々を積み重ねるうち、伝わるし、報われると
信じていた。
元夫のことを、誰より私は信じていた。

そう、何故、あのような傷だらけの日々の中で、
私はあのような男を真剣に信じていたのか。
そのことを私は考え続けた。
40歳を前にして、もう、こんな報われない人生は嫌だと
心から思ったからである。
40歳を前にして、こんな傷つき続ける人生はうんざりだと
心から自分の運命を変えたいと願ったからである。
慣性の法則というのがあって、人はなかなか自分を変えられない。
他人から見て明らかに異常だと思われるような事柄でも、
毎日毎日習慣になっている人にとっては、日常なのだから仕方がない。
慣れていることで、身についてしまっていることだから、
なかなか自分では気付かない。
私は自分の中に答えを求め続け悩み続けたが、どうしても答えは得られなかった。
だから、私は、ネットの中や、書籍の中や、カウンセリングに答えを求めた。
そうしてようやく、「答え」らしきものを得た。
ようやく、自分を客観視することができた。
私のおかしいところは、ここなのだとわかった。

私の尊敬する友人に同級生なのに恵子先生と呼ぶ女性がいる。
彼女は、博学で何でも知っていて、
なかなか人に聞けないことを何でも教えてくれる。
例えば、朝起きてどこからどうやって掃除するとか、
献立のこととか、子育てのこととか、
妹になりきって、何でも思いつくままに聞くと
どんどん的確かつ「ほお~っ」というアドバイスをくれる。
私は157cmと背が低いが、彼女は170cm近くあって
スラッとしていて天海祐希似で男っぽく、
うじうじしたところが一切ない。
そんな彼女に私は憧れていた。

彼女は自分のご主人との間柄も、きっちりはっきりくっきりさせていた。
「私はこういう部分はこんなだから、それは理解して。」
「できることはする、できないことはしない。」
「あなたは、ここまではやって。これ以上は要求しない。」
「こういう私で納得したなら結婚して。納得できなければ、しなくていい。」
彼女は、男に媚びない女性である。
いや、どんな相手に対しても、媚びない女性である。
自分を安売りしないし、どんな相手に対しても、
ニュートラルな立ち位置を確保できる人である。
嫌なことは嫌というし、できないことはできないという。
作り笑いや、愛想笑いはしないが、礼儀作法やマナーは人一倍しっかりしているから
去っていく人はいない。
・・・だから、私は惹かれたのかもしれない。

元夫について私が告白したときに、彼女が言った言葉を
私は今も忘れていない。
「うん。酷いご主人だと思う。私なら耐えられない。
でも、結局はまっち~さん次第だよ。」

私次第?
私次第って言われても。
すべて夫との結婚生活は、なにもかもが夫次第だった。
もともと、自分に自信のない自分が、
「自分」を切り売りすることで、バランスを取りながら生きてきた。
幼い頃から、その場その場でへらへらと人に合わせて、
目の前の人の機嫌を取りながら、
私はこうしたいという欲求すべてを抑制して、
「うん、なんでもいい」と言い続けてきた。
皆の望む自分というものを、演じることこそが、生き方だった。
それが恥ずかしいことだとか、虚しいことだとか、
疑問に思う暇もなかった。
それこそが自分だったから、
そんな風にしか生きられない自分だから、仕方がないと思っていた。
「凛として」生きている人々を羨ましいと思った。
けれど自分にはそんな生き方はできない。
そんな生き方をできる資格のない人間だからと、
自分を低く低く評価してへりくだりすぎて生きてきた。
そうして元夫に出会い、結婚をし、結婚生活を続ける中で、
かすかに残っていた、「自尊心」や、「自信」の全てを
差し出しては打ち砕かれ、引きずり出しては八つ裂きにされてしまった。
だから、脱出前の私には、何にも残っていなかった。
からっぽの自分だった。
空洞化した自分に対してつきつけられた、
「あなた次第」という言葉は、全く意味を持たない言葉だった。

「私」はどうしたいのか。「あなた」はどうしたいのか。
迷っているあなたが、ここを読んで、さらに迷うことになるかも知れない。
それは、自分を失っているから、に他ならないと思う。
あなたには、自分が見えますか。
心の声が聞こえますか。
私には、自分が見えなかった。
心の声が聞こえなかった。
それは、
自分を見ないように、心の声を聞かないように、
毎日毎日鍛錬を続けてきたのだから仕方がないと思う。
いつから、こんな鍛錬を続けてきたのだろう。
なんのために、続けてきたのだろう。

けれど、人生は、そういうもんじゃない。
せっかく生まれてきたのに、自分自身を失っていいはずなんかない。
自分で自分を潰したり、潰すような相手に自分を差し出したら、
生まれてきた意味がない。
たった一度の人生を、そんな風に無駄に過ごしていいわけがない。

モラ男に蔑まれ続け、傷つけられるとわかっていて、
その場に自分を投じても、
自分を自分で封じ込めて、起きたことも苦しい感情も全て水に流そうとしても、
何もいいことなんかないんだ。

恵子先生は、自分を大切にしている。
自分を大切にして、家族を大切にして、友人を大切にしている。
溢れ出すパワーの源は、
自分に対する「愛」から始まっているのだと思う。
妹も、事ある毎に私に、
「自分を大切にしなきゃ」と言ってくれた。

自分なんて、大切にする価値がないなんて、
どうして自分で決めたのだろうか。
なのにどうしても、自分を大切にするという発想が、
腑に落ちない。
何よりも大切なのは周囲の気持ちであって、
自分の気持ちではないと、
そのように思い込んでいるのはなんなんだろう。
「自分が大切」なんて「自分が大事」なんて、思ったことはない。
そんな感情を抱くことさえ、ずっと禁じられていたような気がする。
これはなんなんだろう。

そう考え続けた末たどり着いた結論は・・・、
私は母に、愛されていなかったということだった。
私は本当は、母に愛されたかった。
無条件に、愛されたかった。
母の愛がどうしても欲しかった。
けれど、得られなかった。
しかも、「愛して欲しい」という思いの全てを封じ込めて生きてきた。

愛してください。
愛してくれるなら、何でもします。
ママ、お願い。
勉強も頑張るし、わがままも言わないから。
私の思っていることなんて全部我慢して、
ママのいうとおりにするから、
どうしても、愛して下さい。
何もいらないから、ママの愛が欲しいんです。
「私」なんてどうでもいいのです。
「私」がどうしたいかよりも、ママが不機嫌にならないことが大切なのです。
「私がどうしたいか」なんて、価値のないことなんです。
なんでも差し出します。
だから、お願いだから愛してください。

けれど、・・・得られなかった。
とうとう無条件の愛は得られないまま、この年まで生きてきてしまった。

何よりも欲しかったのは「愛」だった。
私にとって一番大切なのは、「愛」だった。
だから、「自分」なんてどうでもよかった。
「自分」をちぎって売っても、無い物として扱ってもよかった。
ママの「愛」こそが私の一番欲しいものだったから、
自分の感情なんて何でもどうでもよかったのだった。
だから、そうして生きてきたから、
「自分を大切にする」習慣がないし、
「自分を大切にする」という言葉の意味自体が飲み込めなかった。

そんな封じ込め続けた思いを生まれて初めて掘り起こして、
耐え切れずに七転八倒していたら、妹に言い放たれた。
「いい年こいて、ママに愛されなかったなんて、
だからママのせいでダンナのせいで今不幸だなんて、ありえない。前見なきゃ。」
いや、違うねん、と言いかけてやめた。
妹は、母に虐待されていてもずっと、自分を大切にできたのだろう。
生育過程で、守るべきものがあると、気付くチャンスがあったのだろう。
私は、何より大切なもの、守るべきものを間違えて生きてきた。
ずっとそうして生きてきたことが、間違いだなんて。

こんな感情、到底普通の人にはわからない。
欲しかった愛、どんなことをしてももらえなかった愛、
だから、元夫からどんな仕打ちを受けても、
私は耐え続けたのだろう。
私は幸せになりたかった。
幸せになるためには、どんなことだって耐えられると思った。
今度こそ、今度こそ、今度こそと根拠なく思い続けたのだろう。
でも・・・やっぱり得られなかった。
渇望したものは、結婚生活の中にもなかった。

からっぽになって、消耗しつくして、抜け殻になった私は、
その謎が解けてさらに、打ちひしがれた。
なんて、意味のない人生なんだろう。
なんて、報われない人生なんだろう。
ただ横たわり、涙を流していた。
あの部屋で、ずっと涙を流していた。
ここからどこへ向かうべきなのか、考える力すらなかった。
けれど、救いの手を差し伸べる友人が現れて、
私は、立ち上がることができた。

あれから2年近く経つ。
今は心から、自分の感情が大切だと思っているし、
自分の人生を大切にしたいと思っているし、
自分の幸せを、心から願っている。
自分は価値ある人間だと思っているし、
自分らしさも誇れるようになった。
背筋を伸ばして、一人で立っていられるからこそ、
家族を愛せるのだ、と思えるようになった。

長くなったので、続きます。

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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ぱんだ)
2006-03-08 11:14:06
まっち~さん、更新を心待ちにしていましたよ。

おいそがしそうですね。

お引越しは無事終わりましたか。



私もブログ始めました。まだ別居前なので、大々的に宣伝するわけにいきませんが。



いろいろご報告したくてメールしたのですが、メールが返ってきてしまいました



またご連絡できるといいのですが…またgooのほうに出してみますね!
返信する
加害者or被害者 (NoName)
2006-03-08 22:14:46
こんにちは。

初めてコメントします。



うちの旦那は時にDVでモラハラではないかとおもうことも多々あります。

私の父はいつも自分が正しいと思っており自分に反対する者に対して厳しい人でした。

母はそんな父の愚痴、そして自分が大切にされない腹いせを私にぶつける人でした。

私は幸せが怖いみたいです。

幸せ過ぎるとあとに必ずそれと同じだけの不幸が待っている、そんな気がするんです。



話がそれましたが、私は旦那のDV、モラハラに離婚を迷い始めました。

でも考えるほどわからなくなることがあります。

モラハラは、本当に旦那の方なんだろうか…?

もしかして私も、モラハラではないのだろうか?

私がモラハラだから、耐えられない旦那は私を殴り、蹴るのだろうか?



旦那はいつも、DVのあと「お前が追いつめるからだ」と言います。

モラハラの被害者は、時に加害者になることはありますか?
返信する
考えさせられます。 (mai)
2006-03-09 00:06:31
こんばんわ。

私も初めてコメントします。



実は私も今離婚を考えています。

夫は子供が生まれてから変わりました。

付き合っていた頃や、結婚当初の優しかった夫はもういません。

夫がモラ夫に変身してから3年が経ちます。

その頃から浮気もしています。



うちはモラ夫が連鎖する典型的な例です。

夫の父もモラ夫です。しかも同居しています。

私はいつもビクビクしながら暮らしています。

夫も、夫の父も、いつ、何に対して怒りだすか分からないのです。

私のちょっとした返答に対して、自分の思っている答えと少しでも違えば「それは違う!」とキレだし、延々と説教されます。

モラ夫の説教は支離滅裂で意味不明なのですが、私がそれを理解するまで続きます。

ホッとできるのは仕事をしている間と、夫が寝てからの少しの時間・・・。

今の私は、「ここから逃げたい!でも怖い・・・」の繰り返しです。

いつになったら踏ん切りがつくのでしょうか・・・。

私自身、共依存の傾向があります。だからなのでしょうか。

このままだと子供にも影響しそうで怖いです。
返信する
NoNameさんへ (半三本)
2006-03-09 08:42:08
こんにちわ.

私は(自称)モラハラ被害者です.

私もNoNameさんと同じ悩みを抱えております.



「かつてのモラハラ被害者は,将来モラハラ加害者になるか?」

…この疑問については,私も考えているところです.

そして,ある結論に辿り着こうとしています.

私のような若造(しかも未婚の男)でよろしければ,一緒に考えていきませんか?



ただ,そのような議論をこちらのブログのコメント欄で行うのは少々場違いかと思われます.

(まっち~様が許可された場合は別ですが)



議論をお望みの際は,私のブログ内にあるメールアドレスからお便り下さいます様,お願い致します.

返信する
Unknown (由美子)
2009-09-28 18:37:33
私も母から愛されたかった。
ずいぶん大人になって傷つきその気持ちに気づきました。

まだ自分を愛すること
自分を大切にすることが
具体的によく分からないですが、
そこを解決しないと
進めないと知っています。

まっち~さんのブログは、モラ彼とのことに悩み読んでいましたが、
今は生い立ちからの抱えている感情が、自分と答え合わせしてるみたいに
いちいち沁みてます。

ありがとうございます
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