Not in Employment, Education or Training
の頭文字をとって、
N E E T !
ということは、字義通りに解釈すれば、
自営業の人もニート
やな。だって、雇われてもいないし、教育や訓練受けてるワケでもないっしょ?
……このところマジネタが続いて、アタマを使いすぎたので、こんな変な考えがふとアタマをかすめた。
おやすみなさい。
前回、前々回の記事に、たくさんのコメントをお寄せ下さり、ありがとうございました。
なんちゅうか、その、教育関連の記事に対するコメントは、
皆さん、熱いですね!!
ブログのコメント欄とは思えないほどの濃ゆい内容に圧倒され、コメント返しをするのにメチャクチャ時間かかってしまいました。
それだけ、「教育」には皆さん関心が高いということでしょうか。
いろんな立場の人からご意見をいただくたび、オイラも自分の仕事について考え直すことになるので、非常にありがたいっス。これからもよろしくお願いします。
さて、前回、前々回のネタともチョイ関連するのですが、今日のテーマは「評価」です。
まず、
「生徒をさまざまな観点から、多面的に評価する」
と聞いて、みなさんはどう思われるでしょうか?
実は、オイラはこの考え方には
大反対
です。
もっと言えば、「教師が生徒を評価するには、テストの点数だけに基づけばいい」ということです。
きちんと説明します。
そもそも、「人が人を評価する」というのは、非常に畏れ多いことだと思います。
ある程度以上の規模の会社組織なんかだと、人を評価するためにわざわざ専門の部署、「人事部」を設けます。このことは、「人を評価することの難しさ」を裏付けているのではないでしょうか?
しかるに、学校というところでは、一人の教師が、当該科目について、「指導計画の立案」、「指導内容の決定」、「指導方法の開発」、「教材作成」、「評価」を丸抱えしていることが少なくないのです。
教師は「全知全能の神」などではありません。「神」どころか、下手をすれば、一般人以上にだらしなかったり(オイラはコレだな。ははは)、能力が低かったりすることもある、「フツーの人間」です。
どだい、「完璧な評価などムリ」なんですね。
ところが、「生徒をさまざまな観点から、多面的に評価する」という発想の根底には、間違いなく「完璧な評価」を志向するナニモノカが潜んでいます。
コレ、恐ろしいことだと思いませんか?
「『多面的な評価』によって、『ダメ』と評価された生徒」というのは、言い方を変えれば、
「あらゆる角度から見て『ダメ』と判定された生徒」
ということになります。
はたして、たかが「いち教師」が、そこまで言い切る資格あるんでしょうか?
オイラは、ないと思うんですよ。「多面的な評価をする」なんてオコガマシイんです。
だから、オイラは、生徒の評価については、テストの点数だけに基づいて、機械的につけています。
(実は、オイラのこのやり方は非常に危険なやり方でして、今までのところはさしたるモメ事もなく来ていますが、いざとなるとヤバイなあとは思っています。なんで「ヤバイ」のか。それは、「ある種の人々」が原因です。実は、学校が教師に「多面的な評価」を求めるのも、「ある種の人々」の存在があるからなんですね。この「ある種の人々」が、「教育の崩壊」を招来していることには、激しい怒りを感じているので、また別の機会に述べることにしましょう。)