当 blog では、センター試験現代文についての私なりの解説を掲載いたします。
もちろん、私の解説が完璧なものであるとは思いません。正直なところ、あやふやな部分も多々あります。
ここで披露する私の解説は、あくまで叩き台。皆さんのご意見を頂戴し、議論をしていく中で、センター試験現代文に潜む法則を暴き出すことができたらなあ、と期待しております。
ぜひ、忌憚なきご意見をお願いします。
なお、各年度ごとの問題を .jpg 画像にてうpしておきます。必要な方は、(画像ゆえ不便ですが)お使いになって下さい。(→こちらのカテゴリからどうぞ)
※ 私は、高橋義三先生の読解術・設問解法から多大なる影響を受けています。
ただし、私は高橋先生の直接の教え子でもなんでもなく、ネット上の情報やかつて高橋先生が
主宰していらした「パティオ」から購入したコンテンツによって中途半端に学んだ者に過ぎません。
高橋先生の考えについて、誤解・曲解していることも多々あることでしょう。
従いまして、高橋先生の元教え子の方、高橋先生の考えを体得なさっている方からのご指摘の
コメントを大歓迎いたします。もちろん、高橋先生ご自身から教えを賜ることができれば、それに勝
る喜びはないのですが……。
()
・空間からの働きかけ
↓
・行動
これがある状態を〈空間に「中身」がある〉ということに関しては、波線Xの前後を通じて一貫している。
従って、
①の「議論を中断し……、新たな仮説を立てようとしている」、
②の「これまでの論を修正する……」、
③の「行き詰まった議論を打開するために話題を転換して……」
はいづれも不適。
以上より、解は④。
()
全体を通して、筆者は「青木氏」の意見に反対しているのではない。従って、①、④は不適。
ここで、筆者の考えと「青木氏」の考えについて整理すると、
・「原っぱ」、「(アトリエとしての)工場」についての考え(=「青木氏」の考え)
↓
・両者に共通するのは、新たな行為を生み出す「手がかり」があることである(=筆者の考え)
・「文化」というのは、すでにそこにあるモノと人との関係が、成熟し、新たな機能を探る段階のことである(=「青木氏」の考え)
↓
・「木造家屋を再利用したグループホーム」には「文化」がある(=筆者の考え)
となる。
このことから分かるように、 a 形式段落⑮・⑯の内容(=「現代の『暮らし』の空間」に関する内容)は、 b 「青木氏」の考えとは関係がない。よって、 a と b 両者を結びつけた②は不適。
以上より、解は③。
形式段落⑮より、
・「住宅」=「『暮らし』の空間」
||
・「複数の異なる行為」が「同時並行でおこなわれる」空間
〔=暮らしのいろいろな象面がたがいに被さりあっている」空間〕
||
・「濃く」なっている空間
と整理できる。
一方、形式段落⑯より、
・「目的によって仕切られ」た住宅
↓
・複数の異なる行為が同時並行でおこなわれない空間
||
・「密度」の下がった空間
と整理できる。
以上より、解は①。
なお、選択肢①の中の「他者との関係を作り出」す、というのは、「おしゃべりに興ずる」、「子どもたちと打ち合わせをする」などを抽象化(一般化)したものである。
選択肢②~⑤は、いづれも〈行為の重なり合い〉について触れていないので不適である。
ちなみに、
②では、都市空間を切り分ける、という意味の「ゾーニング」を転用している。
③では、形式段落⑬附近の「使用規則」を転用している。
④では、形式段落⑫の「空間の特性」を転用している。
⑤では、形式段落⑭で筆者が挙げた〈空間の編み直し〉を少し表現を変えて転用している。
傍線Cの直前に、
文化というのは、すでにそこにあるモノと人の関係が、それをとりあえず結びつけていた機能以上に成熟し、今度はその関係から新たな機能をさぐる段階のことではないか
と、「青木氏」による「文化」の定義が示され、
「そのかぎりで」
傍線Cが成り立つのであるから、傍線Cの「『文化』」は、「青木氏」の定義に沿ったものである。
したがって、「青木氏」の「文化」についての考えを整理すると、
・モノと人との関係がある → 成熟した関係になる → 新たな機能を探る
||
・文化
となる。
ここで、傍線Cの「高齢者たちが住みつこうとしているこの空間」とは、選択肢の内容からも明らかなように「木造家屋を再利用したグループホーム」であるので、「……グループホーム」に関する記述を整理すると、
・空間の使用規則や行動基準がキャンセルされていない
・自由が限定されているように見える
・別の暮らしが開始されようとしている
・別のひととの別の暮らしへと空間が編み直されようとしている
となるので、「新たな機能」とは、「別の暮らし」のことであると分かる。
以上より、解は、
・モノと人との成熟した関係(=「身に付いたふるまいを残しつつ、他者との出会いに触発されて」)
↓
・新たな機能(=新たな暮らし)
という関係を写し取った④。
ちなみに、
①は、「伝統的な暮らしを取り戻す」が、「別のひととの別の暮らし」(形式段落⑭)に反する。
②は、「……設備が整えられている」が、「ほとんど改修もせずに……」(形式段落②)に反する。
④は、「空間としての自由度がきわめて高く」が、「空間の『使用規則』やそこでの『行動基準』がキャンセルされていない」(形式段落⑭)に反する。
⑤は、「個々の趣味にあった生活」が「別のひととの……暮らし」(形式段落⑭)に反する。
※ 選択肢①、②、④、⑤は、いづれも部分的に正しい要素を含ませて作った選択肢である。
問3
「空間がそこでおこなわれるだろうことに対して先回りしてしまってはいけない」という「青木氏」が下した判断について、その理由を問う問題。
高橋義三先生によると、
(判断の)「理由」とは、判断の対象についての認識のことである。
とのこと(細かい用語が少し違うのかも知れませんが)。
「リンゴは嫌いだ」とAさんが判断を下した場合、Aさんがリンゴを嫌いだと判断する「理由」は、
Aさんにとっての「リンゴ」の属性
すなわち、
Aさんの「リンゴ」についての認識
の中にしかない、ということである。
従って、この問題の場合も、まず傍線B「空間がそこで行われるだろうことに対して先回りしてしまってはいけない」を、
そこで行われるだろうことに対して先回りしてしまっているような空間は、だめである。
と変形し、しかる後に
〈そこで行われるだろうことに対して先回りしてしまっているような空間〉についての「青木氏」の認識とはどのようなものか?
という問題意識を持って文章に当たることになる。
・そこで行われるだろうことに対して先回りしてしまっている空間
||
・〈初めから何をするかが決まっている空間〉
||
・「遊園地」
であるのは明白である。従って、この時点で①、②は正解でない。
また、
・「遊園地」=「原っぱ」のようでない空間
でもあるので、「原っぱ」に関する記述も追っておく。
すると、
原っぱでは、……。そこでは、たまたま居合わせた子どもたちの行為の糸がたがいに絡まりあい、縒りあわされるなかで、空間の「中身」が形をもちはじめる
とあり、これは、
・そこで行われるだろうことがあらかじめ分かっていない
↓
・たまたま居合わせた子どもたちの行為が組み合わさる
↓
・空間の「中身」ができる
と整理できる。そして、このようにならないのが「遊園地」である。以上より、解は④。
なお、「遊園地」、「原っぱ」という例は、〈空間の「中身」〉に関する例であり、空間を利用する人に関する例ではないので、空間を利用する人の「主体性」や「興味」について述べた③、⑤は不適である。これらのように、文中で言及されていない論点について述べた誤答選択肢は数多い(当 blog では、このパターンを〔言及なき論点〕と呼ぶことにする)。