センター試験国語(現代文)を極めたい!

センター試験国語の法則を解き明かすのが目標です(『ヘタレ競輪王のトホホ日記』のエントリも恥の記録として残しておきます)。

2003年 本試験 評論 『世界と人間』 問2

2009-06-01 22:49:05 | センター試験 国語

【おことわり】

 漢字の設問については省略。本文でも漢字に改めてあります。

 では、始めます。本文を一気に引用してしまうと読みづらくなると思うので、適当に区切りながら、合間に問題と解説を入れます。



 1 科学は現在、近代文明社会を根底から支え動かす巨大な力となっている。人間の在り方をも大きく包み込んでいる。我々は気がついた時、既に様々な分野の科学の知の体系ができ上がっていて嫌でもそれらを学ばねばならないようになっている。そのため科学は、越えて行かなければならない山脈のように我々の前に立ちはだかっているので、人間から独立したもののように思われがちである。科学だから大丈夫だとか科学は悪いとか人ごとのようにいわれるのがそれである。しかし本当は、人間を離れて科学があるのではない。科学とは人間の営みであり人間の一つの在り方である。ただし、科学は人間の実存ではない。人間の知性の世界であって存在の世界ではない。人間がものごとを見るある一定の見方を組織したものが科学である。ただ、その見るという客観化の働きの最も徹底したものであるため、科学の知という表現が蛇足になるほど知そのものとほとんど同義語になっている 。
 2 実存として人間から独立し得るほど知としての徹底さを持つ科学といえど、人間の知であるからには人間がものごとを知る意識の働きのなかに基礎を持っている。そこで、意識全体の階層のなかで科学がどのような位置にあるかを確認することが必要であろう。
 3 私(主観)が物(客観)を見るというのは、結果として現れてきた現象である。私という意識は意識されるもの(客観)なしにはありえず、客観も意識するものなしにはない。そこで、人間がものごとを知るという主観と客観の関係の基礎には両者が一体となった状態があり、その原初の世界が分化することによって知るという意識の現象があると見なされなければならない。この意識の根源にある世界は直観の世界であり、古来、主客合一、物我一如といわれてきた。我々が我を忘れてものごとに熱中している時や、美しい風景にうっとり見入っている時のことを考えれば理解しやすい。しかしこの例に限らず、どのような場合にもそのような一体化した状態が意識の根源に存在している。それが分化した時、人間の意識の世界が現れてくる。それは意識するものとされるもの、知るものと知られるものの世界である。これは、主客対立とか主客分裂とかいわれるが、私と私でないものの区別が明瞭となる世界である。


問2 「それが分化した」とは、なにがどうなることか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。
① 人間の主観と客観の混合した直観の世界が、再び主観と客観に区別されること。
② 我々が熱中のあまり我を忘れた状態から目覚め、冷静な自分を取り戻すこと。
③ 私の意識が、意識するものと意識されるものに分裂し、知る働きが現れてくること。
④ 人間の意識の根源にある世界が、見る私と見られる対象の世界に分離すること。
⑤ 私と私でないものの世界が、明瞭に分かれて意識の世界に顕在化すること。


解説

 傍線部(ここでは白ヌキにしてある。以下同)は、「それが分化したとき」であるが、これはあくまでも文の一部分でしかないので、傍線部を含む一文を見てみると、

それ分化したとき人間の意識の世界現れてくる

となっていることに注意。

 単純化すると、

「それ」が先で「人間の意識の世界」が後

だということ。この考え方は結構大事。「因果関係」という言葉に当てはめてみると、

「それ」(黒)が「因(原因)」で「人間の意識の世界」(赤)が「果(結果)」

ということになる。評論を読む際には

因果関係を押さえつつ読む

というのが結構ポイントになる。

 あとは、「それ」の内容。いちおうクソ丁寧にたどっておくと、

それ=そのような一体化した状態

   =主客合一、物我一如

   =直観の世界

   =原初の世界

   =両者(主観・客観)が一体となった状態


である。

 以上のことを図示しておくと、


        →→→→→  主観
それ→→→              }意識の世界
        →→→→→  客観
      分化


となる。

 では、選択肢の①から検討していく。

 ①の「……主観と客観の混合した……世界が、再び……区分される」という記述は、図に示した筆者の「それ」の捉え方に反する。

 まず、「主観と客観の混合した」状態というのは、「主観」、「客観」が「分化」する前から存在することを前提としている。しかしながら、本文の記述によれば、「分化」が起こる前は「主観」も「客観」もないのである。

 さらに、「再び……区分される」という記述も然り。「再び」ということは、「分化」する前にも「主観」と「客観」が分かれていたことになってしまう。

 以上のことから、①は誤りである。


 選択肢の②。

 「それが分化したとき……現れてくる」というのは、

人間に初めて「意識」が芽生えるときのこと

なので、この選択肢の記述も不適。

 「熱中のあまり我を忘れた状態」については、本文に「我々が我を忘れてものごとに熱中している時や、美しい風景にうっとり見入っている時のことを考えれば理解しやすい」とあるため紛らわしいが、これは単に

「熱中のあまり我を忘れた状態」は「分化」する前の「それ」の状態に似ている

ということに過ぎない。だまされてはいけない。


 選択肢の③。

 前掲の図、および、「私(主観)が物(客観)を見るというのは、結果として現れてきた現象である。私という意識は意識されるもの(客観)なしにはありえず、客観も意識するものなしにはない」という記述から、筆者が

〈「それ」の分化 → 意識〉

と捉えていることは明白である。

 本選択肢の記述は、「……意識が……分裂し」であるが、これでは「分化」する前から「意識」があることになる。よってこの選択肢も不適である。


 選択肢の④。

 本文第段落に「……そのような一体化した状態が意識の根源に存在している。それが……」とあるので、

〈「それ」=意識の根源にある世界〉

という言い換えは妥当。

 また、

〈「見る私」=「主観」/「見られる対象」=「客観」〉

という言い換えも妥当。ゆえに、本選択肢の内容は妥当である。④が正解


 選択肢の⑤。

 本選択肢の「……が、……分かれて意識の世界に顕在化する」との記述では、選択肢③と同様、

「分化」する前から「意識の世界」があることになる

ため、本選択肢は不適である。


 ……とりあえず、一問だけ解説してみました。

 おそろしく長ったらしくなり、普通の人にとっては「付き合ってらんないシロモノ」かも知れません。しかしながら、当ブログでは、「普通の人が無意識のうちに処理している過程までも可視化する」ことを目標として徹底解説への道を突き進みます

 受験対策としてはおよそ非実用的なものになるかも知れませんが、この作業をとことんやっていく中で、「センター試験国語の作問の法則」のようなものが浮かび上がってくるのではないか、と期待しています。

 質問等あらば、遠慮なくコメント欄に書き込んでください。レスは遅れるかも知れませんが、誠心誠意返答したいと思っています。

  


久しぶりのごあいさつ

2009-06-01 22:41:35 | センター試験 国語
 どうも、お久しぶりです。

 こちらはずいぶん長らく放置プレイにしてきましたが、このたび、こちらの方で

センター試験過去問の徹底解説

をしようかなぁなんて思いまして。

 あまり実用性にはこだわらずに、とにかくテッテ的に解説したおそうかなあと思っています。なかなか毎日忙しいので、ヒマを見つけての更新になろうかとは思いますが、ヒマな人は読んでみてください。

 DQN校勤務ゆえ、センター試験とガチで向き合うことがなく、「このままでは脳みそが錆ついてしまう」という危機感からの思いつきです。

 相当な不定期更新になると思いますが、よろしくお願いします。

 手始めに、2003年に行われた本試験の評論、『世界と人間』から始めようと思います。