センター試験国語(現代文)を極めたい!

センター試験国語の法則を解き明かすのが目標です(『ヘタレ競輪王のトホホ日記』のエントリも恥の記録として残しておきます)。

この blog について

2222-11-11 11:11:11 | センター試験 国語

 当 blog では、センター試験現代文についての私なりの解説を掲載いたします。

 もちろん、私の解説が完璧なものであるとは思いません。正直なところ、あやふやな部分も多々あります。

 ここで披露する私の解説は、あくまで叩き台。皆さんのご意見を頂戴し、議論をしていく中で、センター試験現代文に潜む法則を暴き出すことができたらなあ、と期待しております。

  ぜひ、忌憚なきご意見をお願いします。

 なお、各年度ごとの問題を .jpg 画像にてうpしておきます。必要な方は、(画像ゆえ不便ですが)お使いになって下さい。(→こちらのカテゴリからどうぞ)

※ 私は、高橋義三先生の読解術・設問解法から多大なる影響を受けています。
  ただし、私は高橋先生の直接の教え子でもなんでもなく、ネット上の情報やかつて高橋先生が
 主宰していらした「パティオ」から購入したコンテンツによって中途半端に学んだ者に過ぎません。
  高橋先生の考えについて、誤解・曲解していることも多々あることでしょう。
  従いまして、高橋先生の元教え子の方、高橋先生の考えを体得なさっている方からのご指摘の
 コメントを大歓迎いたします。もちろん、高橋先生ご自身から教えを賜ることができれば、それに勝     
 る喜びはないのですが……。


【解説】2011年 本試験 問題1『身ぶりの消失』(鷲田清一) 問6

2012-01-07 08:45:12 | センター試験 国語

()

・空間からの働きかけ

・行動

 これがある状態を〈空間に「中身」がある〉ということに関しては、波線Xの前後を通じて一貫している。

 従って、

「議論を中断し……、新たな仮説を立てようとしている」
「これまでの論を修正する……」
「行き詰まった議論を打開するために話題を転換して……」

はいづれも不適。

 以上より、解は

()

 全体を通して、筆者は「青木氏」の意見に反対しているのではない。従って①、④は不適

 ここで、筆者の考えと「青木氏」の考えについて整理すると、

・「原っぱ」、「(アトリエとしての)工場」についての考え(=「青木氏」の考え)

・両者に共通するのは、新たな行為を生み出す「手がかり」があることである(=筆者の考え)

・「文化」というのは、すでにそこにあるモノと人との関係が、成熟し、新たな機能を探る段階のことである(=「青木氏」の考え)

・「木造家屋を再利用したグループホーム」には「文化」がある(=筆者の考え)

となる。

 このことから分かるように、 形式段落⑮・⑯の内容(=「現代の『暮らし』の空間」に関する内容)は、 b 「青木氏」の考えとは関係がない。よって、 a b 両者を結びつけた②は不適

 以上より、解は


【解説】2011年 本試験 問題1『身ぶりの消失』(鷲田清一) 問5

2012-01-06 23:51:54 | センター試験 国語

 形式段落⑮より、

・「住宅」=「『暮らし』の空間」
||
・「複数の異なる行為」が「同時並行でおこなわれる」空間
 〔=暮らしのいろいろな象面がたがいに被さりあっている」空間〕
||
・「濃く」なっている空間

と整理できる。

 一方、形式段落⑯より、

・「目的によって仕切られ」た住宅

・複数の異なる行為が同時並行でおこなわれない空間
||
・「密度」の下がった空間

と整理できる。

 以上より、解は

 なお、選択肢①の中の「他者との関係を作り出」す、というのは、「おしゃべりに興ずる」「子どもたちと打ち合わせをする」など抽象化(一般化)したものである。

 選択肢②~⑤は、いづれも〈行為の重なり合い〉について触れていないので不適である。

 ちなみに、

②では、都市空間を切り分ける、という意味の「ゾーニング」を転用している。
③では、形式段落⑬附近の「使用規則」を転用している。
④では、形式段落⑫の「空間の特性」を転用している。
⑤では、形式段落⑭で筆者が挙げた〈空間の編み直し〉を少し表現を変えて転用している。


【解説】2011年 本試験 問題1『身ぶりの消失』(鷲田清一) 問4

2012-01-06 23:33:54 | センター試験 国語

 傍線Cの直前に、

 文化というのは、すでにそこにあるモノと人の関係が、それをとりあえず結びつけていた機能以上に成熟し、今度はその関係から新たな機能をさぐる段階のことではないか

と、「青木氏」による「文化」の定義が示され、

「そのかぎりで」

傍線Cが成り立つのであるから、傍線C「『文化』」は、「青木氏」の定義に沿ったものである。

 したがって、「青木氏」の「文化」についての考えを整理すると、

・モノと人との関係がある → 成熟した関係になる → 新たな機能を探る
||
・文化

 となる。

 ここで、傍線C「高齢者たちが住みつこうとしているこの空間」とは、選択肢の内容からも明らかなように「木造家屋を再利用したグループホーム」であるので、「……グループホーム」に関する記述を整理すると、

・空間の使用規則や行動基準がキャンセルされていない
・自由が限定されているように見える
・別の暮らしが開始されようとしている
・別のひととの別の暮らしへと空間が編み直されようとしている


となるので、「新たな機能」とは、「別の暮らし」のことであると分かる。

 以上より、解は、

・モノと人との成熟した関係(=「身に付いたふるまいを残しつつ、他者との出会いに触発されて」)

・新たな機能(=新たな暮らし)

という関係を写し取った



 ちなみに、

は、「伝統的な暮らしを取り戻す」が、「別のひととの別の暮らし」(形式段落⑭)に反する。
は、「……設備が整えられている」が、「ほとんど改修もせずに……」(形式段落②)に反する。
は、「空間としての自由度がきわめて高く」が、「空間の『使用規則』やそこでの『行動基準』がキャンセルされていない」(形式段落⑭)に反する。
は、「個々の趣味にあった生活」が「別のひととの……暮らし」(形式段落⑭)に反する。

※ 選択肢①、②、④、⑤は、いづれも部分的に正しい要素を含ませて作った選択肢である。


【解説】2011年 本試験 問題1『身ぶりの消失』(鷲田清一) 問3

2012-01-05 12:38:07 | センター試験 国語

問3

 「空間がそこでおこなわれるだろうことに対して先回りしてしまってはいけない」という「青木氏」が下した判断について、その理由を問う問題。

 高橋義三先生によると、

(判断の)「理由」とは、判断の対象についての認識のことである。

とのこと(細かい用語が少し違うのかも知れませんが)。

 「リンゴは嫌いだ」とAさんが判断を下した場合、Aさんがリンゴを嫌いだと判断する「理由」は、

Aさんにとっての「リンゴ」の属性

すなわち、

Aさんの「リンゴ」についての認識

の中にしかない、ということである。

 従って、この問題の場合も、まず傍線B「空間がそこで行われるだろうことに対して先回りしてしまってはいけない」を、


そこで行われるだろうことに対して先回りしてしまっているような空間は、だめである。

と変形し、しかる後に

〈そこで行われるだろうことに対して先回りしてしまっているような空間〉についての「青木氏」の認識とはどのようなものか?

という問題意識を持って文章に当たることになる。

・そこで行われるだろうことに対して先回りしてしまっている空間
||
・〈初めから何をするかが決まっている空間〉
||
・「遊園地」

であるのは明白である。従って、この時点で①、②は正解でない

 また、

・「遊園地」=「原っぱ」のようでない空間

でもあるので、「原っぱ」に関する記述も追っておく。

 すると、

原っぱでは、……。そこでは、たまたま居合わせた子どもたちの行為の糸がたがいに絡まりあい、縒りあわされるなかで空間の「中身」が形をもちはじめる

とあり、これは、

・そこで行われるだろうことがあらかじめ分かっていない

・たまたま居合わせた子どもたちの行為が組み合わさる

・空間の「中身」ができる

と整理できる。そして、このようにならないのが「遊園地」である。以上より、解は

 なお、「遊園地」、「原っぱ」という例は〈空間の「中身」〉に関する例であり、空間を利用する人に関する例ではないので、空間を利用する人の「主体性」や「興味」について述べた③、⑤は不適である。これらのように、文中で言及されていない論点について述べた誤答選択肢は数多い(当 blog では、このパターンを〔言及なき論点〕と呼ぶことにする)。


【解説】2011年 本試験 問題1『身ぶりの消失』(鷲田清一) 問2

2012-01-05 11:32:51 | センター試験 国語

問2
 傍線Aに流れ込むまでの記述を整理する。

 形式段落②で、

・「軽い『認知症』を患っている……女性」が、「居間」に上がる。

・「……おしゃべりに興じている老人たちの輪にすぐには入れず、呆然と立ちつくす」。

・「なんとなくいたたまれ」なくなる。

・「腰を折ってしゃがみかける」。

・「座布団」のやりとり……

という具体例が挙げられ、

これが形式段落③で、

・「和室の居間で立ったままでいることは『不自然』である」。
||
・「居間という空間がもとめる挙措の『風』に、立ったままでいることは合わない」。
||
・「高みから他の人たちを見下ろすことは『風』に反する」。
(だから)
・「腰を下ろす」。(=「からだで憶えているふるまい」/「ひとりでに」こう動く)

と言いかえられ(抽象化され)、

さらに傍線A

・「からだが家のなかにある」

と言いかえられ(抽象化され)ている。

 このことから、筆者が用いた「からだが家のなかにある」という表現には、

・【空間からの影響】【身体の記憶】【身体の動き】

という関係性が封印されていることが分かり、このことは、傍線A直後の

からだの動きが、空間との関係で……ある形に整えられている
(=空間→からだ→からだの動きの形)

となっていることからも確かめることができる。

 空間(=家)からの影響が、身体に刻まれた記憶を呼び起こすことによって、自然と一定の行動があらわれる、といったことを、「からだが家のなかにある」と圧縮して表現したのである。

 形式段落⑤冒頭には、「バリアフリー」という新出語があり、「バリアフリー」でない「木造の民家をほとんど改修もせずに使うデイ・サーヴィスの施設」との比較対照展開に入っていくことは明らかなので、傍線Aが所属する展開の部品(高橋先生いうところの「鳥かご」)は形式段落④まで

 展開の境界がうっすらと見え、その展開の部品内にある関係性が見えた時点で選択肢に当たるのが良いと思う。

 【空間からの影響】→【身体の記憶】→【身体の動き】という関係性を写し取った選択肢は⑤。ゆえに解は


 ちなみに、他の選択肢についても見ておく。

 「人間の身体が孤立する」というのは、形式段落⑤「物との関係が切断されれば」あたりを参考に創作した表現であろう。また、「身体が侵蝕されている」というのも、同じく形式段落⑤で、

「バリアフリー」空間において、「身体の記憶」が脱落していくさまを表現した語句

である。このように、文中の別の部分を説明するために用いた語句を転用して誤答の選択肢を作ることがセンター試験ではよく見られる(当 blog では、このパターンを〔用語の転用〕と呼ぶことにする)。

 最後の二択で迷ったとき、「確か、こんな語句が文中のどこかで使われていたな……」というとき、その語句の出典(?)を調べればこの手の誤答選択肢に引っかかることは激減するだろう。

 は、「記憶」→「規律」という言いかえを仮に認めるとしても、【空間からの影響】という要素を欠く。ゆえに不適当。このように、文中で述べられた関係性を意図的に誤写することによって誤答選択肢を作ることもよく見られる(当 blog では、このパターンを〔関係性の誤写〕と呼ぶことにする)。

 は、形式段落⑤で述べられている

からだが「『バリアフリー』に作られた空間」に「なじみ」、「住みつく」こと

に対する説明を圧縮したものである。ゆえに不適当。このように、説明としては正しいが説明の対象が設問で問われているものとは異なるという選択肢もときどき見られる(当 blog では、このパターンを〔別対象への正しい説明〕と呼ぶことにする)。

 で述べられている関係性は、文中で述べられている関係性に合わない。

 には、

「人間の身体は空間と調和していくことができるのでふるまいを自発的に選択できている」

とあるが、これでは【身体の記憶】という要素を欠く〔関係性の誤写〕)。ゆえに不適当。


2003年 本試験 評論 『世界と人間』 問2

2009-06-01 22:49:05 | センター試験 国語

【おことわり】

 漢字の設問については省略。本文でも漢字に改めてあります。

 では、始めます。本文を一気に引用してしまうと読みづらくなると思うので、適当に区切りながら、合間に問題と解説を入れます。



 1 科学は現在、近代文明社会を根底から支え動かす巨大な力となっている。人間の在り方をも大きく包み込んでいる。我々は気がついた時、既に様々な分野の科学の知の体系ができ上がっていて嫌でもそれらを学ばねばならないようになっている。そのため科学は、越えて行かなければならない山脈のように我々の前に立ちはだかっているので、人間から独立したもののように思われがちである。科学だから大丈夫だとか科学は悪いとか人ごとのようにいわれるのがそれである。しかし本当は、人間を離れて科学があるのではない。科学とは人間の営みであり人間の一つの在り方である。ただし、科学は人間の実存ではない。人間の知性の世界であって存在の世界ではない。人間がものごとを見るある一定の見方を組織したものが科学である。ただ、その見るという客観化の働きの最も徹底したものであるため、科学の知という表現が蛇足になるほど知そのものとほとんど同義語になっている 。
 2 実存として人間から独立し得るほど知としての徹底さを持つ科学といえど、人間の知であるからには人間がものごとを知る意識の働きのなかに基礎を持っている。そこで、意識全体の階層のなかで科学がどのような位置にあるかを確認することが必要であろう。
 3 私(主観)が物(客観)を見るというのは、結果として現れてきた現象である。私という意識は意識されるもの(客観)なしにはありえず、客観も意識するものなしにはない。そこで、人間がものごとを知るという主観と客観の関係の基礎には両者が一体となった状態があり、その原初の世界が分化することによって知るという意識の現象があると見なされなければならない。この意識の根源にある世界は直観の世界であり、古来、主客合一、物我一如といわれてきた。我々が我を忘れてものごとに熱中している時や、美しい風景にうっとり見入っている時のことを考えれば理解しやすい。しかしこの例に限らず、どのような場合にもそのような一体化した状態が意識の根源に存在している。それが分化した時、人間の意識の世界が現れてくる。それは意識するものとされるもの、知るものと知られるものの世界である。これは、主客対立とか主客分裂とかいわれるが、私と私でないものの区別が明瞭となる世界である。


問2 「それが分化した」とは、なにがどうなることか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。
① 人間の主観と客観の混合した直観の世界が、再び主観と客観に区別されること。
② 我々が熱中のあまり我を忘れた状態から目覚め、冷静な自分を取り戻すこと。
③ 私の意識が、意識するものと意識されるものに分裂し、知る働きが現れてくること。
④ 人間の意識の根源にある世界が、見る私と見られる対象の世界に分離すること。
⑤ 私と私でないものの世界が、明瞭に分かれて意識の世界に顕在化すること。


解説

 傍線部(ここでは白ヌキにしてある。以下同)は、「それが分化したとき」であるが、これはあくまでも文の一部分でしかないので、傍線部を含む一文を見てみると、

それ分化したとき人間の意識の世界現れてくる

となっていることに注意。

 単純化すると、

「それ」が先で「人間の意識の世界」が後

だということ。この考え方は結構大事。「因果関係」という言葉に当てはめてみると、

「それ」(黒)が「因(原因)」で「人間の意識の世界」(赤)が「果(結果)」

ということになる。評論を読む際には

因果関係を押さえつつ読む

というのが結構ポイントになる。

 あとは、「それ」の内容。いちおうクソ丁寧にたどっておくと、

それ=そのような一体化した状態

   =主客合一、物我一如

   =直観の世界

   =原初の世界

   =両者(主観・客観)が一体となった状態


である。

 以上のことを図示しておくと、


        →→→→→  主観
それ→→→              }意識の世界
        →→→→→  客観
      分化


となる。

 では、選択肢の①から検討していく。

 ①の「……主観と客観の混合した……世界が、再び……区分される」という記述は、図に示した筆者の「それ」の捉え方に反する。

 まず、「主観と客観の混合した」状態というのは、「主観」、「客観」が「分化」する前から存在することを前提としている。しかしながら、本文の記述によれば、「分化」が起こる前は「主観」も「客観」もないのである。

 さらに、「再び……区分される」という記述も然り。「再び」ということは、「分化」する前にも「主観」と「客観」が分かれていたことになってしまう。

 以上のことから、①は誤りである。


 選択肢の②。

 「それが分化したとき……現れてくる」というのは、

人間に初めて「意識」が芽生えるときのこと

なので、この選択肢の記述も不適。

 「熱中のあまり我を忘れた状態」については、本文に「我々が我を忘れてものごとに熱中している時や、美しい風景にうっとり見入っている時のことを考えれば理解しやすい」とあるため紛らわしいが、これは単に

「熱中のあまり我を忘れた状態」は「分化」する前の「それ」の状態に似ている

ということに過ぎない。だまされてはいけない。


 選択肢の③。

 前掲の図、および、「私(主観)が物(客観)を見るというのは、結果として現れてきた現象である。私という意識は意識されるもの(客観)なしにはありえず、客観も意識するものなしにはない」という記述から、筆者が

〈「それ」の分化 → 意識〉

と捉えていることは明白である。

 本選択肢の記述は、「……意識が……分裂し」であるが、これでは「分化」する前から「意識」があることになる。よってこの選択肢も不適である。


 選択肢の④。

 本文第段落に「……そのような一体化した状態が意識の根源に存在している。それが……」とあるので、

〈「それ」=意識の根源にある世界〉

という言い換えは妥当。

 また、

〈「見る私」=「主観」/「見られる対象」=「客観」〉

という言い換えも妥当。ゆえに、本選択肢の内容は妥当である。④が正解


 選択肢の⑤。

 本選択肢の「……が、……分かれて意識の世界に顕在化する」との記述では、選択肢③と同様、

「分化」する前から「意識の世界」があることになる

ため、本選択肢は不適である。


 ……とりあえず、一問だけ解説してみました。

 おそろしく長ったらしくなり、普通の人にとっては「付き合ってらんないシロモノ」かも知れません。しかしながら、当ブログでは、「普通の人が無意識のうちに処理している過程までも可視化する」ことを目標として徹底解説への道を突き進みます

 受験対策としてはおよそ非実用的なものになるかも知れませんが、この作業をとことんやっていく中で、「センター試験国語の作問の法則」のようなものが浮かび上がってくるのではないか、と期待しています。

 質問等あらば、遠慮なくコメント欄に書き込んでください。レスは遅れるかも知れませんが、誠心誠意返答したいと思っています。

  


久しぶりのごあいさつ

2009-06-01 22:41:35 | センター試験 国語
 どうも、お久しぶりです。

 こちらはずいぶん長らく放置プレイにしてきましたが、このたび、こちらの方で

センター試験過去問の徹底解説

をしようかなぁなんて思いまして。

 あまり実用性にはこだわらずに、とにかくテッテ的に解説したおそうかなあと思っています。なかなか毎日忙しいので、ヒマを見つけての更新になろうかとは思いますが、ヒマな人は読んでみてください。

 DQN校勤務ゆえ、センター試験とガチで向き合うことがなく、「このままでは脳みそが錆ついてしまう」という危機感からの思いつきです。

 相当な不定期更新になると思いますが、よろしくお願いします。

 手始めに、2003年に行われた本試験の評論、『世界と人間』から始めようと思います。