特殊な事情
により、実質「底辺校」といっても差し支えない状態です。
ほとんどマトモに勉強していなくても卒業できるカリキュラムであるため、うちの高校に入ってくる生徒には、以下のような特徴があります。
学力の高い生徒は、全く勉強しません。
高学力であるにもかかわらず、わざわざウチにくるのは、
全く勉強しなくても卒業できるから
、すなわち、高校で遊び倒すためだからです。
一方、真面目に勉強する生徒は能力が低い。
真面目に勉強してきたにもかかわらず、ウチ程度の高校にしか来られないということだからです。
われわれ教師にとって、ハナから勉強する気のない前者のような生徒はいかんともしがたい。
彼らは確信犯ですからね。
問題は後者のような生徒たちです。
彼らをどうやって伸ばしてやるのか?
今の学校に転勤してきて、早くも5年がたとうとしていますが、あれこれ工夫してはいるつもりですが、今ひとつ成果が見えてこないのです。
もちろん、国語は他のどんな教科よりも成果が見えにくい教科だということは分かっていますが、それにしても何の手応えもないのはツラい。
今年一年を振り返って、痛感したのは、
そもそも生徒らがなんにも知らない
ということ。
どれだけ理屈や理論を教えても、具体的な知識が絶望的に不足していてはどうにもならないわけなのです。
それこそ、
ケータイ触ることでしかヒマつぶしのできない
低脳には、教科書なんてクソの役にも立たないということなのです。
こと国語に関する限り、
ストーリーを伴った知識
のストックなしには、どんな授業も実にならないのではないか?
……と、こう思うわけです。
マトモな読書の経験というのは、国語の力をつけるための必要条件(十分条件ではない)です。
それが決定的に不足している生徒相手に何をしたらいいのか?
もはや、従来の国語の授業及び試験の常識を捨てねばならんのかも知れません。
授業の時間に読書させるわけにはいきません(もちろん、部分的に取り入れることはできますが、そればっかりだと試験や評価ができなくなる)。
では何をするか?
ここは思い切って「寺子屋の昔に帰る」というのがよいのかも知れません。
少なくとも高校一年生の間は
ひたすら暗誦
でいいのではないか?
意味が分かるとか分からんとかにはあまりこだわらず、ただひたすらある程度のまとまりを持った国語文を暗誦してゆく。
評論系のものなら、抽象度の高い一節(「人間は、本来無秩序な対象世界を言語によって恣意的に文節し、認識する。対象世界には切れ目などなく、言語が切れ目を創造するのだ」みたいなもの)を。
文学的なものならネタには事欠かぬことでしょう。
特に今の生徒は、文語的表現にほとんど耐性がないので、文語的表現のものを多く取り入れるのもいいと思います。
暗誦文集を選定する作業たるや相当なものでしょうが、生徒らの脳内に国語の具体例がほとんどない以上、こういうところから始めるしかないのかも知れません。