センター試験国語(現代文)を極めたい!

センター試験国語の法則を解き明かすのが目標です(『ヘタレ競輪王のトホホ日記』のエントリも恥の記録として残しておきます)。

書くことの大切さ

2006-01-15 21:50:39 | 教師ネタ

オレにロッテリアへエビバーガーで食った。

 この文(?)を読んで、どう思うでしょうか?

 恐らく、すべての人が、「異常な日本語」と感じたことでしょう。

 では、どこが「異常」なのか。

 「オレ」、「ロッテリア」、「エビバーガー」、「食った」は「正常」です。

 もちろん、「に」、「へ」、「で」が「異常」なのですが、「に」、「へ」、「で」という言葉そのものはきわめて「正常」です。

 これら三語は、

使い方が「異常」

なのですね。

 俗に「テニヲハ」などと呼ばれる、これらの語が、日本語で文を綴る上で非常に重要なものであることは、誰しも思うことでしょう。

 ここで、もう一度、冒頭の「異常文」

オレロッテリアエビバーガー食った。
 
 コレが誰かの発言だったとして、そして、その人が、下線部を非常に弱く発音したならば、こう聞こえるはずです。

オレ ロッテリア エビバーガー 食った。

 さて、このように聞こえた場合、恐らく、聞き手は無意識のうちに

オレロッテリアエビバーガー食った。



修正して聞き取る

のではないでしょうか?

 つまり、「話し言葉」というのは、日本語として多少(いや、かなり)デタラメでも、

聞き手の善意に支えられて

通じてしまう、ということです。

 冒頭の文が「異常」に見えるのも、「文字」というカタチで保存されてしまっているから、「異常」さが際だって見えるわけなんですね。

 ということは、話し言葉の場合、「テニヲハの異常」、すなわち、

「文の構造上の異常」に意識が行きにくい

ということになります。

 言い換えれば、

「書くこと」によってはじめて「文の構造」に意識が行く

ということです。

 冒頭に挙げたような単純な内容の文なら、構造も単純ですから、別に「書くこと」をしなくても、「破綻のない文」を綴るのは簡単なことでしょう。「単純な計算なら暗算でできる」というのと同じことです。

 ところが、ある程度以上複雑な内容の文になると、それに比例して

文の構造も複雑

になりますから、

アタマの中だけで組み立てるのはほぼ不可能

です。これも、「複雑な計算を暗算しようとすると計算間違いをする」のと同じことですね。

 「複雑な計算」をするときどうするか。

 「筆算」しますね。「筆算」というのは、

計算の過程をカタチにしておくこと

と言うことができます。カタチにしてあるから、間違いにも気づきやすいし、修正もラクなんですよね。

 文を書くときも同じ。とりあえずカタチにしてあると、修正するのはさほど困難ではないんですよ。

① とりあえず、思い浮かんだ言葉をつなげてみる。
② 読み直して、おかしいところを見つける。
③ おかしいところを修正する。

 この繰り返しによってしか、「書く力」は鍛えられないと思います。

 それを思うと、今まで、

後始末が面倒(というか不可能)だから

という理由で、あまり生徒に「書かせる」ということをしてこなかった自分に腹が立ちます