センター試験国語(現代文)を極めたい!

センター試験国語の法則を解き明かすのが目標です(『ヘタレ競輪王のトホホ日記』のエントリも恥の記録として残しておきます)。

底辺校での国語教育

2009-02-23 21:17:54 | 「国語」ネタ
 今の勤務校は、世間的には「底辺校」と見なされておりませんが、ある

特殊な事情

により、実質「底辺校」といっても差し支えない状態です。

 ほとんどマトモに勉強していなくても卒業できるカリキュラムであるため、うちの高校に入ってくる生徒には、以下のような特徴があります。

 学力の高い生徒は、全く勉強しません。

 高学力であるにもかかわらず、わざわざウチにくるのは、

全く勉強しなくても卒業できるから

、すなわち、高校で遊び倒すためだからです。

 一方、真面目に勉強する生徒は能力が低い。

 真面目に勉強してきたにもかかわらず、ウチ程度の高校にしか来られないということだからです。

 われわれ教師にとって、ハナから勉強する気のない前者のような生徒はいかんともしがたい。

 彼らは確信犯ですからね。

 問題は後者のような生徒たちです。

 彼らをどうやって伸ばしてやるのか?

 今の学校に転勤してきて、早くも5年がたとうとしていますが、あれこれ工夫してはいるつもりですが、今ひとつ成果が見えてこないのです。

 もちろん、国語は他のどんな教科よりも成果が見えにくい教科だということは分かっていますが、それにしても何の手応えもないのはツラい。

 今年一年を振り返って、痛感したのは、

そもそも生徒らがなんにも知らない

ということ。

 どれだけ理屈や理論を教えても、具体的な知識が絶望的に不足していてはどうにもならないわけなのです。

 それこそ、

ケータイ触ることでしかヒマつぶしのできない

低脳には、教科書なんてクソの役にも立たないということなのです。

 こと国語に関する限り、

ストーリーを伴った知識

のストックなしには、どんな授業も実にならないのではないか?

 ……と、こう思うわけです。

 マトモな読書の経験というのは、国語の力をつけるための必要条件(十分条件ではない)です。

 それが決定的に不足している生徒相手に何をしたらいいのか?

 もはや、従来の国語の授業及び試験の常識を捨てねばならんのかも知れません。

 授業の時間に読書させるわけにはいきません(もちろん、部分的に取り入れることはできますが、そればっかりだと試験や評価ができなくなる)。

 では何をするか?

 ここは思い切って「寺子屋の昔に帰る」というのがよいのかも知れません。

 少なくとも高校一年生の間は

ひたすら暗誦

でいいのではないか?

 意味が分かるとか分からんとかにはあまりこだわらず、ただひたすらある程度のまとまりを持った国語文を暗誦してゆく。

 評論系のものなら、抽象度の高い一節(「人間は、本来無秩序な対象世界を言語によって恣意的に文節し、認識する。対象世界には切れ目などなく、言語が切れ目を創造するのだ」みたいなもの)を。

 文学的なものならネタには事欠かぬことでしょう。

 特に今の生徒は、文語的表現にほとんど耐性がないので、文語的表現のものを多く取り入れるのもいいと思います。

 暗誦文集を選定する作業たるや相当なものでしょうが、生徒らの脳内に国語の具体例がほとんどない以上、こういうところから始めるしかないのかも知れません。

裁判員制度

2009-02-22 23:22:50 | 教師ネタ
 公立高校の生徒が犯罪を犯したとする。

 で、警察に逮捕され、拘留されたのち、例えば保護監察処分か何かになって、シャバに帰ってきたとする。

 ここで、校長が懲戒として退学処分を言い渡す……。

 ……というようなことは現実にはありえません。

 書き間違いではありませんよ。

 上記のようなことは

あ り え な い

のです。

 なぜか?

 上記のようなことが実際に起こったとして、校長が退学処分を言い渡した場合に保護者がその処分を不服として裁判所に訴えて出たとしたら、確実に学校側が負けるからだそうです。

 「よほどの凶悪犯罪でもないかぎり、

逮捕&処分ごとき

では放校できない」というのが

偉大なる判事様

の判断なのです。

 もちろん、根は善良なのに、何かしら追い詰められて犯罪に手を染めてしまった者もおりましょうが、高校生にもなれば、そのほとんどは確信犯的な、たちの悪い者である場合が多い。

 そんなことぐらい常識で分かりそうなものです。

 そして、そのような悪質な生徒が復学した場合に学校という組織がいかに破壊されてしまうか、こんなことも常識に照らせば想像するに難儀はせぬことでしょう。

 しかしながら、そういった悪質な生徒の復学を認める、というのがわが国の司法関係者なのです。

 「一般市民の常識を裁判にいかす」という趣旨で裁判員制度を導入するのであれば、凶悪犯罪の裁判なんかではなく、教育関係の裁判にこそ、裁判員を関わらせるべきではないのでしょうか。

 それほど、教育現場が絡む裁判には不可解な判決、判例が多いような気がします。

一年を振り返る

2009-02-19 23:01:22 | 「国語」ネタ
 こちらではえらい久しぶりの更新。

 年度末の試験も近づき、今年度の授業もほぼ終わりつつある。

 一言で言うと、今年はさんざんだった。

 3年ぶりに二年生の授業を受け持ったのだが、まるで何もできないうちに終わった感じだった。

 特に古典の授業は悲惨だった。

 ゆとりカリキュラムの煽りで、かつて3単位だった授業が2単位になったのだが、その変化に対応できぬまま年度末を迎えてしまった。

 わづか1単位の減だったのだが、その削られっぷりは予想をはるかに上回っていた。

 前に二年生を受け持ったときにできたことがほとんどできなかった。情けない限りである。成績も、伸ばすどころか現状維持すらできず、ジリジリと下がるのを食い止められなかった。

 授業の成果が反映されにくいため目立ってはいないが、現代文の授業も、何の手応えもなく終わりそうだ。

 この一年、いったい何をしていたのだろう。

 今振り返ってみても、何の成果もない一年だった。

 明らかに気力が萎えている。授業が惰性になっている。

 これではだめだ。

 なんとか打開しなくてはいけない。

 今の生徒たちに欠けているものを見誤っていたのではないか?

 そのことに気づいたことが、今年度の唯一の収穫かもしれない。

 まだ、どうすれば現状を打破できるのか、さっぱり分からない。

 教員生活10年目にして、最大の危機を迎えているのかもしれない。