とある掲示板にて、藤井寺在住の方のこんな投稿をハケーン!!!!!
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>>球場に関しては2年後に取り壊し、3年後の四天王寺学園の小学校が開
>>校、そして土地はすべて四天王寺学園が買った訳ではなく、野球記念館構
>>想もあるようです。
これが本当だったらうれしいっス!!!!!
今日、出版社の営業の人が来ました。
あいにく、本日のオイラは、授業が詰まっていたので挨拶をした程度なのですが、時間があれば、出版社に言いたいことは山ほどありました。
一言で言えば、
もう少し使える教材を作ってくれんか?
ということです。
国語科の教材というやつは、まあ作るほうも一生懸命やっているんだろうけど、とにかく
使えんヤツが多過ぎ!!!!
なんですね。今日は忙しいので、どう「使えん」のか、について詳しく述べることはできませんが、たとえば教科書ひとつ取っても、入学試験や入社試験等の会場に、他の教科の教科書を持っていくことはあっても
国語の教科書を持っていくヤツはいない
というところに国語科の教材のダメっぷりはじゅうぶん表れていると思います。
今日、営業の人がオイラの机に置いていった教材の数々を見ても、そのほとんどは十年一日のごとくぜんぜん進歩していません。
教材の出版社とてプロの集まりのはずだから、本気になれば画期的なアイディアの一つや二つや三つや四つ、簡単に出てくると思うんですが、全然そうなっていない。
これは、出版社のスタッフがスカタンなワケじゃなくて、
国語はセンス。
とか、
国語なんてどうせ勉強してもムダ。
という偏見に毒されているからじゃあないのかなあ、と思ってしまいます。
「国語力」というものについて真剣に考えていないから、いい加減な教材ばかりが跳梁跋扈するんだと思うんですよ。
今度、オイラの手が空いているときに営業の人が来たら、いろいろオイラの考えを提案してみようと思います。
職場で教師相手にこんな話をする機会がないので、
非常に楽しみです。
※ 一つだけ例を挙げておきますね。
たとえば、漢字の教材。
どこの出版社のヤツも、ひたすら読みと書き取りの問題を垂れ流しているだけ。
この問題集の作り方には、一つ重大な視点が欠けています。それは、
漢字が書けないヤツが陥っている悪循環
です。つまり、
① 漢字が書けない。
② 従って、漢字を使う機会がない。
③ だから、書けるようにならない。
④ ①に戻る。
ということですね。
この悪循環にハマっているヤツが、漢字の問題集なんかやってもムダなんですよ。
自力でできない
んですから、フツーのヤツは途中で投げ出すでしょうし、真面目なヤツでもせいぜい何も考えずに答えを写すのが関の山でしょうね。そんなので力がつくはずないでしょ?
漢字を覚えるために必要なのは、
① どんな漢字を使うか考えること
② その漢字を正しく書くこと
この2点に尽きるわけなんですよ。これさえ積み重ねたら誰でも出来るようになるんです。
だのに、現在市場に出回っている漢字の問題集で、この点に配慮しているものなんてあるんでしょうか?
オイラならこうします。(っちゅうか、実際にやってます)
① フツーの漢字問題集を用意する。
② 解答欄の余白に、使用するすべての漢字をランダムに並べた「漢字群」を付ける。
たったコレだけ。
20年ぐらい前なら、「すべての漢字をランダムに並べる」のは難儀なことでしょうが、ワープロのカット&ペーストを使えば、オイラみたいなローテク人間にも簡単に出来ます。
実は、全然漢字の書けない生徒たちでも、「だいたいこんな感じの字を使うよな」程度のことはけっこうできるんです。現に、この方式で漢字検定2級の問題をさせると、書き取り中心の「裏面(110点満点)」で、ほぼコンスタントに平均75%ぐらい取るんですよね。(因みに、ウチの生徒の漢字検定2級合格率は、果てしなく低いんですよ。希望者だけが4000円も払って受けているのにもかかわらず。)
っちゅうことは、生徒たちのほとんどは、
おぼろげながら漢字は知っているのに
正確に書けない
という状態なんです。
だったら、彼らに必要なのは、
正しく書く機会を増やす
ということだけなんですよね。そうすれば、例の「悪循環」を脱出する生徒も出てくるはずなんですよ。
オイラがやっている方式だと、まず、生徒は、どんな漢字を使うのか漢字群から必死で探します。頭を使うわけです。んで、後は間違わないように写す。
だから、一応、「自分の頭で考えて、正しく書く」、つまり自力でやることになっていますよね? この方式をはじめてから、徐々にではあるけれど、確実に平均点は上がってきてるんで、効果はあるんだと思っています。
どこの出版社でもいいから、こういう発想で教材作りをしてくれんもんかなあ……。
最近の愛読書です。
『週刊ポスト』誌で連載されていることはずいぶん前から知っていましたが、中身を読みもせずに
どうせ世の中の不景気に愚痴こぼしてるだけやろ?
とタイトルから勝手な決め付けをして、読んだことはなかったんです。ほら、「メタルカラー」って、なんか「灰色」っぽいじゃないですか。
ところが、この間、本屋をうろついていたときに文庫化されているヤツを発見。
パラパラと立ち読みしていると、
お、面白いではないか!!
即買いしました。
内容は、著者と、工業技術の世界で活躍する人(こんな人のことを著者は「メタルカラー」と呼ぶ)との対談です。
技術的に不可能とされていることを可能にしたオッサンたち、
最高にカッコいいっス!!!!
技術者同士が鎬を削って、不可能を次々と可能にしていく……。
こういうことって、どの業界にもあり得る話だと思うんですが、悲しいことにオイラたちの業界には
ほとんど見られないことです!!!!
まぁ、「学習指導法」に関して、こういう建設的な議論なり、会議なりがなされることはたえてありませんね。あ~、情けない。
「学習指導法」とて、一つの「技術」なワケですから、
プロのプライドを持った男(いや、女でもいいんですけどね)たちが叡智を結集して
不可能を可能ならしめる……、
って、カッコいいと思うんだけどなあ……。
ま、もっと一般的な「指導法」レベルの話だったら、全国大会レベルの運動部の指導者同士ならけっこうやってますよ。
しかしながら、「新技術の開発」というどこの業界でも当たり前のことをしている人が、そういう「一部の特殊な人たち」に限られてしまっているところが、我が業界の恥ずかしいところなのであります。
ぜんぜん今日の話題には関係ありませんが……。 →クリック
monkeyさんや、トモヒロさんへの賛成の意ということで。
monkeyさんにコメントをいただいて、
のぼせ上がったので、
即更新です。
相変わらず単純な競輪王です。
さて、イベント事なんかの一発勝負の授業(講座)と違って、平生の授業で行うことに関しては、実にさまざまな制約があります。
① すぐにネタが準備できないといけない。
いくら面白い学習活動でも、すぐに手詰まりになるようではダメなわけです。イヤでも何でも、授業は週2~3回、ほぼ確実に回ってきますから。
② 後始末が短時間でできるものでなくてはならない。
生徒から回収したブツを、次の時間(下手すりゃ翌日)に生徒に返却できないようではダメなわけです。
③ 何らかの学習効果が見込めるものでないといけない。
「あ~、楽しかった」で終わってはイカンわけです。
④ 短時間で準備できるものでないといけない。
わずか50分の授業のために、4時間も5時間も費やすようではダメなわけです。
などなど。今パッと思いついただけでもこれだけの制約があるんですね。
で、オイラは、大体の授業を「小テストとその解説」方式で組み立てています。どうも今の学校の生徒たちは、「懇切丁寧に説明してもらう授業」に慣らされていて、「自分で考えて答えを出す」経験が、絶対的に不足しているように感じていたからです。
しかしながら、一つだけ、この方式が取れなかった科目がありました。
現代文です。
国語の教師でなくても、おそらく「国語(現代文)の試験の採点って大変そう」と思っている方は多いんじゃあないでしょうか。
国語という「自然言語」を扱っている以上、一つの内容に対して、表現の仕方が複数存在するわけで、実際、記述現代文の採点というのは困難を極めます。まあ、「困難を極める」というのはオーバーだとしても、「一つの問いに対して答え方が複数存在する」というだけで、一筋縄では行かないだろうという点はご理解ください。
つまり、普通に現代文の授業に記述問題の小テストなんかを盛り込むと、手間が掛かりすぎて早晩破綻する、ということです。上記②の「後始末に手間が掛かりすぎる」というヤツですね。
今まで、オイラはこれが怖くて、現代文の授業には小テストを導入できずにいました。
当然、生徒たちは、「自分で考えて書く」ということをほとんどしなくてすむことになります。「自分で考えて書く」ということをしていないわけですから力もつきませんね。
そうと分かっていても、毎時間記述問題を作成し、それを評価する、ということには莫大な手間とヒマがかかりますから、「これじゃダメだ」と思いながらも、ごまかしごまかし、現代文の授業をやってきたわけです。何のためになっているんだかよく分からない授業を。
そんなある日(って、最近なんですが)、ふと思いつきました。
穴埋め問題の逆をやったらエエのと違うか?
と。
よくありますよね、穴埋め問題。
たとえばこんなやつ。(テキトーに作ったので、内容は不正確かも知れません)
>> ( )は、( )という形で( )と直接的に結びつくことによって、( )の影響力を排し、
>>( )の権威を確立することに成功した。
>> 空欄に当てはまる語を、次の語群から選べ。
>> 朝廷 御家人 鎌倉幕府 源頼朝 御恩・奉公
これを、次のようにするわけです。(国語の問題ですから、本文があると想定してください。)
>> 本文の記述によると、源頼朝が成し遂げたのはどういうことか。60字以内で答えよ。ただし、解
>>答に際しては、語群に挙げる語を、漏れなく、順序どおりに用いること。
>> 語群 御恩・奉公 形 御家人 直接的 結びつく 朝廷 影響力 排し
>> 鎌倉幕府 権威 確立
これが「穴埋めの問題の逆」というヤツです。
上の普通の穴埋め問題は、知っていればできます。知識さえあれば、特に考える必要はないわけです。
ところが、下の場合、知識に関することはすべて語群に書いてあります。
ただ、語と語の関係については、本文を読んでよく考えないと、ちゃんとした日本語になりません。
実際やってみると分かると思いますが、コレ、結構難しいんですよ。
「源頼朝」と「御家人」の関係(「御恩・奉公」という「形」で「結びつ」いている)とか、
「鎌倉幕府」と「朝廷」の関係(前者は後者の「影響力」を「排し」ている)とか、
「『鎌倉幕府』の『権威』」の根拠(「朝廷」の「影響力」が及ばないこと)
についてきちんと考えられていないと、まともな日本語として成立させ得ないんですから。
だから、「語群」にほとんど答えが書いてあるように見えますが、ちゃんと国語の問題としては成立するわけなんです。(あと、「確立」という言葉の用法についても分かっていないとまともな日本語になりません。)
しかも、語群の語を「順番どおりに用いる」という制限がかかっているため、
採点も非常にラク
です。これだと、毎時間でもできるんです。
まあ、問題を考えるのはやっぱり大変ですが、これとて普通の記述問題を考えるのに比べたらずいぶんましです。通常、記述問題を作るときは、解答が拡散し過ぎないよう(あまりにも多くのバリエーションが生じないよう)に、周到に作る必要があるのですが、使用語彙を決めておくことでその手間が大幅に省けるからです。
この方式をはじめてまだひと月ほどですが、飲み込みの早い生徒は、既に変化の兆しを見せています。最初まったくデタラメな文を書いていたのが、ずいぶんマシになってきているんです。
なんでこんな簡単なことに今まで気づかなかったんだろう……。3年生の授業は残りあとわずかとなりましたが、最後まで続けてみるつもりです。
【解答例】 御恩・奉公という形で御家人と直接的に結びつくことによって朝廷の影響力を排し、鎌倉幕府の権
威を確立すること。
やっぱり
「書くことは考えること」
なんですね。
「話す」ことは、考えなくてもできる。だけど、「書くこと」は考えないとできない。
「分からないから書けない」というのは当たってるようだけど違う。
「考えていないから書けない」
んですね。考えることができていれば、分かってなくても書くことはできると思います。
何も「文章」レベルの話に限らずとも、ものを考えられていないときは、まず
まともな文が書けない。
こんな簡単なことに、最近気づいた。
このことは、また詳しく述べてみたい。
ゆうべは、Bs応援団からお招きを受け、大阪市内某所にて、
真紅と蒼の宴2005
に参加してきました。
今まで、観戦といっても内野席中心で、外野の応援団とは縁がなかったオイラですが、今年は足しげくライトスタンドに通った甲斐があって、応援団の方からお誘いいただいたわけです。
ま、何せこういうのは初めてだったので、とりあえずレポということで。
① 飲み食い
② 2006年度版ライトスタンド仕様特製Tシャツのお披露目&申し込み
③ 応援団バンドによるライヴ演奏
④ MEGA STOPPER登場
⑤ ガガガSP前田&山本と応援団のセッション
⑥ 応援団、M・S、ガガガ全員での演奏
⑦ 紅牛会のリードによるチャンスメドレー熱唱
①はともかくとして、②は、この場でしか注文できない限定版。1枚3,000円とやや高価ですが、ここでしか手に入らないとあっては……。
デザインは、白地に、袖が赤のヴァージョンと青のヴァージョンがあり、赤ヴァージョンは近鉄の旧ユニフォームを髣髴とさせるものでした。んで、胸に「Cow Boy」、背中にチャンス1(丑男)の歌詞がプリントされています。
オイラは赤青各1枚を注文しました。
③は、正直、「……」でした。「こんなところでバファローズと何の関係もない曲を延々やられてもなあ……。」ってな感じでした。内輪では結構盛り上がっていたようでしたが。
③でややぐったりとなっていたオイラでしたが、④で俄然燃えました。なんと、球団応援歌「Sky」や、「プレイボール(だっけか?)」でおなじみの
MEGA STOPPER キタ━━━(・∀・)━━━!!
演奏のほうはさっすがプロ。特にサックスのおねいさんがよかった(←何が?)っス!!!!
何といっても、球場でよく聴き、歌った曲が目の前で聴けたワケですから、燃えました。
はい、⑤。ガガガのコザック前田さん。よく球場でも見かけましたが、翌日姫路でライヴ(学園祭)を控えているというのに、来てくださっていました。MCによると、今年は53試合も現場観戦なさったそうです。
⑥は省略(←オイ!)
ホイ! ⑦。このときは、合併した両球団の球団旗が登場。
近鉄チャンステーマで盛り上がりました。
んで、このとき、オイラのすぐ隣にガガガの前田が!!!!
「スンマセン、写真撮らしてもらっていいっすか?」という、
田舎モン丸出しのオイラの申し出に
笑顔で応じて下さいました。ええ人や~。
レポートは以上。
んで、Bs応援団の方針は、
過去を思いっきり引きずりながら
オリックスバファローズを応援する
ことだそうです。
オイラもコレには賛成。ムリに新色出す必要はないと思ってます。
さて、実は教師歴の浅いオイラ。オイラが今のところ一番やってて楽しいのは「古典」の授業です。
「古典」というヤツは、一般的に「わけわかんねーよ」度の高い科目ですので、ほとんどの生徒から嫌われています(ただし、オイラは、学力上位校に勤務したことがないので、学力上位校ではどうなのか知らないのですがね)。
ただ、「古典」が得意な人なら分かると思いますが、「古典」という科目の基本事項、すなわち古文の文法とか、漢文の句法というやつは、実は
分かってしまえばメチャクチャ簡単
なんですね。オイラも高校のときは英語であれ、古典であれ、文法がらみのことにはずいぶん悩まされたクチだったんですけど、大学に入ってから急に理解できるようになって、
へ? たったこれだけのことだったの?
と、悔しく思ったものです。
文法というヤツは、「数さえこなせば、誰でもできるようになるもの」なんです。そもそも簡単なものなんですから。巷に文法嫌いが多いのは、「分かる前に数をこなすことを放棄したor数をこなさせてもらえなかった」だけの話なんだと思います。
オイラは、とにかく生徒が嫌がろうが、分かっていなかろうが、とにかく淡々と数だけはこなさせます。生徒が初歩的なことを理解できていなくてもとやかく言わず、とにかく経験をたくさん積ませるわけです。
今、オイラは3年生の授業を担当していますが、毎回やる小テストに、必ず高1、高2レベルの文法問題を出題しています。ただ出題し続けます。生徒が分かっていなくても、ひたすら出題し続けます。解説なんてろくすっぽしません。
そうすると、面白いことに、一人、また一人、と、分かってくるヤツが出てくるのです。オイラは、去年の途中からずっとこのやり方を続けているのですが、今ではほとんどのヤツが初歩的な文法事項はマスターしています。
この間、オイラは説明らしい説明をほとんどしていません。
生徒が勝手に理解した
んです。
で、先にも書いたように、文法の基本事項なんて、実は簡単なものですから、いったんマスターすると、
まず忘れることはありません。
だから、今の生徒たちは、学力低位校の生徒にしては、異様に学力が高くなっています(ただし、あくまでも古典だけ。他はまあ見るも無残な……)。現に、進研模試なんかの全国模試でも、オイラの受け持ちの生徒たちの古文の平均偏差値は、軽く50を突破しています(たかが50……、かも知れませんが、学力低位校では驚異的なことです)。オイラが受け持ってから初めての模試のときには平均40チョイだったんですから、生徒たちの伸びっぷりはスゴいと思います。
「古典」という科目は、初歩的な文法事項と、ある程度の単語をマスターすれば、それだけで結構模試なんかでは点が取れるようになります。目に見えて成果が出るわけで、指導者として楽しくて仕方ないんです。
えらく前置きが長くなってしまいました。やっと本題です。
文法の指導に関しては、「目先の生徒の理解度にとらわれずに、とにかく経験を積ませる」ということで、ある程度の成果を挙げているんですが、どうしてもダメなことがあります。
それは、
「『文章を読んでわかる』という感覚を、どうやって教えるか」
ということです。これ、コトバで説明するのがものすごく難しいんですが、よくあるでしょう? はじめは何の話かよく分からなかったのに、読み進めていくうちに、あるきっかけからもつれた糸が一気に解けるように「ああ、こういうハナシなワケね!」となることが。
うまく言えないのですが、この「ああ、こういうハナシなワケね!」という感覚が分かっていないと、まず長文問題はできるようにならないと思います。長文を読むっていうのは、「ああ、こういうハナシなワケね!」となる瞬間を捜し求めることなんですからね。古文に限らず、漢文、英語、みなそうだと思います。
この感覚をどう教えるのか……。オイラの短い教師歴の中で、最大の難問であります。
この感覚、多分、幼少期から「お話」にたくさん接している人にとっては、当たり前のように身についているものだと思うんです。ところが、生徒たちの多くには、この感覚がないとしか思えないんです。長文を読ませたら、信じられないような誤読をする生徒が、これまた信じられないぐらいいるワケです。
オイラは、
これも経験の不足によるものだ!
と仮説を立て、
ならば経験を積ませれば イイ(´∀`)!!
と、新しい試みを始めました。(オイオイ、やっと本題だよ)
今、ひととおり教科書の内容を終えた(ま、終えただけですが)3年生の生徒に、毎時間、高1レベルの長文問題を4題ずつやらせています。教科書復習の小テストをやった後、30分足らずで4つの長文問題に取り組ませます。
長文問題とはいえ、所詮高1レベル(しかもかなりやさしい方)ですから、それほど長くもなく、きっちりとオチがつく話です(このへん、うまく言い表せません。一言で要約できる話、といえばいいでしょうか)。
で、やり終った者から、口語訳のプリント(問題の正解は載っていません)を渡し、残った時間、「大筋がつかめていたか」、「設問に正解しているか」を自分でチェックさせます。
私は、回収した答案に正式にマルつけをして返すだけ。解説をする時間はありません。このペースでいけば、20題収録の問題集一冊を、5回の授業(一週間と2回)で終えることができます。
これを繰り返すことで、「長文を読むときに、何を読めばいいのか」をつかむ生徒が出てきてくれればしめたものなんですが……。果たしてうまくいきますかどうか……。
あ~あ、前置きばっかり長いヘンテコリンな文章になっちまったよ……。
昨日の記事に、珍探偵ジナンさんからコメントをもらい、
うれしかったので、
調子に乗って「勉強篇」いきます。ただ、今日は昨日以上に時間の余裕がないため、昨日以上にあっさり系でいきます。
「勉強せざるを得ない状況」をどう作るか? もちろん、コレにはいろんな次元があるのですが、今日のところは、「小テストレベル」の話をします。
小テストをやっている教師は、それこそ全国にゴマンといるでしょう。そして、そのやり方も人それぞれ、いろいろあると思います。
オイラのやり方は、
① 小テストにしては異様に範囲が広い。
② 同じ範囲で違う問題の小テストをかなりひつこくやる。
③ 結果を公表する(ただし点数だけ)。
④ 成績には加味せず、そのかわり、定期テストの範囲にする。
です。
まあ、要点だけを挙げるなら、以上の4点ですね。
それぞれのポイントについて、解説しますね。
まず、①について。「小」テストなのに範囲を広くするのは、「真面目な生徒」が上位を独占することを防ぐためです。「えっ?」と思われるかもしれませんが、「絶対評価」などという、およそ人間の「業」というものを無視したシステムを導入したため、現在の学校教育現場は、「真面目な生徒」ばかりが浮かばれる、非常に硬直化したものになっています。(この「絶対評価」については、言いたいことが山ほどあるのですが、それはまた別の機会に……)
狭い範囲で、真面目に問題と答えさえ覚えていれば、アタマを使わずとも満点が取れるような小テストばかりやっていると、真面目な生徒が(多少アホでも)常に上位独占、不真面目な生徒は(多少思考力はあっても)常に下位を独占、という状態になります。
こんな不健全な状態では、集団全体のレベルアップは望めません。
範囲を広くしておけば、「ただ単に真面目なだけ」では通用しませんから、集団内の階層の固定化は防げます。
次に、②について。これは①とも関わるのですが、あまり真面目に勉強しない生徒でも、同じ範囲でずっとやってれば、「コツ」がつかめる場合があります。いったん「コツ」をつかむと、さすがは若人、飛躍的に成績が上がることがあります。
まあ、そんなことは滅多に起きないのですが、「奇跡が起こる余地」を残しておく、という意図でこうしています。
③について。これは単純に、「競争をあおるため」です。大人、子供を問わず、実はみんな競争が大好き。口に出すか、出さないかの違いだけだと思っています。まあ、完全に階層が固定化している集団内でコレをやってもあんまり意味はないと思いますが、①、②のようにやっているおかげで、結構大逆転劇が起こっているので、点数の並び順を黒板に書いておくだけで、結構生徒は意識してくれます。
最後に④について。毎時間小テストをやっているので、定期考査が来る頃には、試験範囲がものすごい広さになっています。
当然、一夜漬けなんて不可能。これがいいんです。①のところでも述べましたが、「単に真面目なだけ」では通用しない、というのがポイントです。
「アタマをつかって、コツを会得したヤツ」が、成績面でおいしい思いをするわけです。ですから、「階層の固定化」をさらに完全に防ぐことができます。実際、オイラが実施する試験では、毎回、劇的な順位変動が見られます。
さて、このように小テスト(さらに定期テスト)を実施していると、面白いことに、集団のレベルは必ず上がります。個人レベルで見ると、かえって成績が下がるヤツ、なんてのもいますが、全体のレベルは確実に(科目によっては面白いぐらい)上がります。
階層の固定化はほとんど見られませんから、ほとんどの生徒が、成績の(結構大幅な)アップダウンを経験することになります。これが
勉強せざるを得ない状況
です。よほどのアパシー(無気力)に陥っていない限り、成績が下がれば焦るものです。とくに、
集団から取り残されかかっている生徒
は、どんなにやる気のない生徒でも
ぶっちぎられない程度には
努力するものなんです。
まあ、上記のような好循環を作り出すまでが、実は結構大変だったりするんですけどね。長くかかるクラス・集団だったら、軽く一年近くかかっちゃいますから。目先の結果に一喜一憂していては無理です。
オイラの場合は、結果が出ることが分かっているから、目の前の生徒たちがどんなに酷い状態でも、このやり方を貫くことが(今のところ)できています。
あっさりのはずなのに長くなってしまった……。明日の授業の準備、早くしなきゃ……。
うれしかったので
早速書きます。あまり時間に余裕がないので、あっさりと、ではありますが(こってり篇はまたの機会に……)。
具体的な例を出します。
「チャイム着席」ということがよく言われます。授業開始のチャイムを生徒に守らせる、ということですね。まぁ、どこの業界でも時間を守ることは基本でしょうから、学校でも「チャイム着席」は指導項目のうちの一つなわけです。
で、これをどうやって守らせるか。やり方はいろいろあると思います。
オイラの場合は以下のようにやります。
まず、毎時間、授業の最初に小テストをやる。ま、このぐらいならやっている教師は多くいるでしょう。ただ、オイラは実施方法をホンのちょっと工夫しています。
チャイムが鳴る3分ほど前に教室へ行き、休み時間の間に小テストを配っておくのです。それだけで、7~8割の生徒は着席します。
残りの1~2割の生徒もまず教室内にはいます。私は、授業への遅刻をかなり厳しくとるからです。チャイムの鳴り始めに教室内にいなければ遅刻にします。これは、生徒が泣こうがわめこうが、年度当初にかなり徹底してやります。
さて、チャイムが鳴ったら、小テスト開始。自分の席に着いていなかった生徒も、この時点であわてて自分の席に着いて、小テストに取り組みます。チャイムが鳴り終わるころには、教室内はシーンとしていますので、私はゆっくり落ち着いて出席を確認し、先に黒板に書いておいたほうがいいようなことは、生徒が小テストをしている間に黒板に書いておきます。
授業の最初に「キリーツ、レー!」というようなことはしません。あんな儀式、まずすぐに形骸化しますし、形骸化を止めようと思ったら、途方もないエネルギーがいるからです。
よく、「始業の礼をしないとケジメがつかない」と言う人がありますが、「始業の礼」をしている他の教師の教室と、オイラの教室を見比べたら一目瞭然。「始業の礼」をしていないオイラの教室のほうが、よっぽどケジメがついています。
酷いときなんて、オイラの教室が、生徒の着席、出欠の確認、小テスト、小テストの回収、返却、とすべてが終わったころに、同じ授業の隣の教室でやっと小テスト開始、なんてことも。
閑話休題。始業のチャイムから小テストの回収が終わるまで、オイラはほとんど、「静かにせい!」とか、「席に着けい!」とか、「小テスト始めるぞー!」といった「指導」はしません。
2~3分ほど早めに教室に行って、小テストを配っておくことによって、
席に着かざるを得ない状況
を作っているので、そんな必要がないんです。
オイラは、一番前の席に列の人数分の小テストを配ったら、一旦教室から出て、廊下をほっつき歩いています。そして、始業のチャイムが鳴ったら、小テストのプリントが後ろまで行き渡っていようがいまいが
関係なしに
時間を計って、小テストを実施します。年度当初、開始のチャイムの時点で立ち歩いていた生徒たちも、他の生徒に迷惑がかかるので、早めに席に着くようになります。
これも、
席に着かざるを得ない状況
なんです。
今回は、なるべく分かりやすい例、ということで、勉強以前のことを取り上げましたが、勉強に関しても基本は同じです。
勉強せざるを得ない状況
を、いかにこちらが準備できるか? そこのところで、オイラは目下
試行錯誤中
であります。
デジタルリマスター
というのがCD売り場を席捲していました。
たぶん、LED ZEPPELIN(というよりジミー・ペイジか)がリマスター盤で
巨万の富
を築いたことによって、
「デジタル・リマスター再発は儲かる!!」
となったんでしょうね。
オイラはバカだから、QUEENとかKISSとか、RAINBOWやDEEP PURPLE、JUDAS PRIEST、もちろんLED ZEPPELINも、ほとんど全て
買いなおした
んですよ(金なし芳一のくせに、ね)。
KISSにしてもZEPにしても、まあ、代表者が商魂たくましい方ですから、まんまと乗せられたワケです。
ところが、ジーン・シモンズやジミー・ペイジなんかと
同じぐらい商魂たくましいハズ
なのに、未だにリマスター再発していないバンドがあるんですよね。
GUNS N' ROSES と、
METALLICAです。
まあ、GNRの場合は、メンバー間のゴタゴタがあって、たぶん権利関係なんかも
4×4ルービック・キューブ並みにややこしい
でしょうから分かるとしても、
なんでMETALLICAが旧譜を再発して儲けようとしないのか、不思議でなりません。
頼むから、
”RIDE THE LIGHTNING”と
”MASTER OF PUPPETS”と
”...AND JUSTICE FOR ALL”だけでもいいから
リマスター再発してほしいのう……。(無理かのう……)
こんなん見つけました。
ただでさえ覚えやすい千葉ロッテの応援様式なのに、公式サイトがここまでしてくれてるんですから、うらやましい限りです。
球場に行ったときに、「外野席の応援に参加したいんだけど、やり方がよくわからんし、初心者が下手に入っていくのも気が引ける……」という理由で、
傍観者
になっている人って多いんじゃないかしら。
よほど熱心なファンの人でない限り、現場観戦なんてそうそうしょっちゅうできるもんではないでしょうから、フツーのファンにとって、観戦前に
応援様式の予習ができる
っていうのは、かなり重要なファクターではないかと思うんですけどねぇ……。
近鉄方式の応援なんて、予習なしでマスターしようと思ったら、相当球場に通いつめないとムリなんじゃあないでしょうか……。
とりあえず、オリックスよ、
ロッテを見習え!!
……と言ってみる。
今日は、「進研・駿台共催マーク模試」の監督でした。
本来二日間でやるものを、強引に一日でやるので、朝8時前から、最終18時前、などという
デタラメ極まりないスケジュール
でした。
まあ、試験を受ける生徒も大変ですが、監督するほうも大変です。
10時間以上拘束プレイ
されるわけですからね。
午前中はまだいいんです。試験時間が80分とか、110分(英語。時間短縮のため、リスニング30分と筆記80分を休憩なしのぶっ続けという力技を用いています)と長いため、結構こまごまとした仕事を済ませることができますからね。
問題は午後。60分というチマチマした時間の試験が続くので、おちおち仕事もしてられません。
とにかく、問題配布→監督→答案回収の繰り返し。はっきりいって、
ヒ マ
です。
あまりにもヒマなので、やってみました。
英語(筆記)を。
ガチで。
いや、今のセンター模試って、凄いですね。
問題の量が。
たしか、オイラは現役のころ、英語なんてサッサと片付けて、のこり20分ぐらい
寝てた
ような記憶があるんですが……。
80分、いっぱいいっぱいかかりましたよ。
最後のほうなんて、長文二題残してのこり15分。
マジで!?
と思いましたよ。ま、長文は結構簡単だったので、なんとか最後までできました。
んで、自己採点。
ダメですね。前半の設問で間違いまくってます。後半立て直したものの、結果は200点満点で……、
ホイ!
129点でした。
せめて7割は取れると思ったのですが……。orz
それにしても、マーク式の試験の自己採点って、×が4つぐらい続くと、
結構ヘコみますね!!!!
久しぶりにあの情けな~い感覚がよみがえってきました。
ちなみに、生徒たちの中では、オイラは3位でした。
最近、つくづく感じていることがあります。
「教えたいことがあるなら、教えてはいけない」
ということです。
なんだか、禅問答のようですが、つくづくそう思います。
「教える」とはどういうことか? 「教える」とは、「教えたいこと」が「教える相手(オイラの場合は生徒ですね)」に「伝わる」ことです。どんな形であれ、「教えたいこと」が「教える相手」に「伝わ」れば、「教える」という行動は成功したことになります。
「教えたいこと」を「教える相手」に「伝」えるためには、いろいろなやり方があります。
「教える」と聞いて、誰もが思いつくやり方は、「ひたすら説明する」というやり方でしょう。オイラも教師になりたてのころは、そう思っていました。もちろんコレが間違っているというワケではありません。
ただ、この方法のマズいところは、
素人でもできる
という「指導法としてのレベルの低さ」なんですね。
「教える」というのが、文字通り「教える」だけでいいのなら、誰も苦労しないわけです。ああしろ、こうしろと言ってりゃ済むわけですからね。でも、実際指導的な立場に立ったことのある方なら分かると思いますが、
ああしろ、こうしろだけでは人は動かせない
んですよね。
さて、それではどうするか。
せざるを得ない状況をつくる
わけなんです。まぁ、当たり前のことなんですが、これを具体的な場面で実行するには、かなりの工夫、そして、指導者としてのセンスが必要になってきます(教える内容についての深い洞察が必要なのは、言うまでもないですね)。
んで、今、オイラはここの所で日夜試行錯誤しております。
ただ……、現場で見る限り、こういう方向性でやっている教師は少ないと思います。なんか、「教えれば伝わる。伝わらないのは生徒が悪いから」と考えている教師が多いように思います。オイラはそんな教師のことを、
アホ教師
と心の中で(そう、あくまでも心の中で)呼んでいます(「ヘタレ」ですから!)。この「アホ教師」のアホっぷりは、また別の機会に具体的に述べることにします。
その中で、みうら氏は、「身の回りのすべてを『プレイ』とみなす」ということを言っておりました。
「失恋プレイ」、「不倫プレイ」、「受験失敗プレイ」、「リストラプレイ」などなど。とにかく、「日常生活の中のネガティヴな出来事を、すべて『プレイ』とみなして楽しんでしまおう」というワケです。
オイラは、最近、みうら氏のこの教えを実践しております。
とにかく、対生徒でストレスが溜まりそうな局面を、
すべて「ネタ」として
楽しもうとがんばっています。
生徒に注意・指導を行う場合、たいていの生徒はこういうのを嫌がりますから、正攻法で行ったらコチラにも相当ストレスが溜まります。
だから、いろいろなやり方を考えて、「プレイ化」します。
たとえば……
<<だらしない服装の男子生徒を注意する場合>>
(上着の外にシャツがはみ出ている生徒に向かって)
「オイ! 内容物がハミ出ておるぞ。病気か?
私が治療してやろう。 私のオペは一級品だぞ」
こうすることによって、「変態医療プレイ」が可能です。
(このとき、脳内でKISSの"I Love it Loud"を鳴らしておくと、スティーブ・ウイリアムスな気分が味わえます。)
<<だらしない服装の女子生徒を注意する場合>>
「オイ! そんなに胸元をはだけるでない。 いやらしい。
おじさんには目の毒じゃ。 どれ、おじさんがボタンを留めてやろう。
二人羽織の要領で後ろから。」
こうすることによって、「変態セクハラプレイ」が可能です。
この場合、女子生徒が「セクハラ!」と言ってくる場合があります。まさに、
「痴漢冤罪プレイ」です!
そんなときは、こう切り返します。
「何を言うか。これは『セクハラ』ではない。単なる『ハラ』じゃ。」
ユーモアの通じない保護者には見せられない場面です!!