福井県立大学水産経営学研究室のブログ(教員)

福井県立大学の水産経営学研究室(小浜キャンパス)のブログです。

被災地2 根性の稲穂

2011-10-28 17:47:36 | Weblog

仙台空港の周辺を津波がおそう画像は、

何回もテレビで流れたので、ご記憶のかたは多いでしょう。

仙台市から仙台空港へ南下し、さらに国道6号で福島県へ南下する途中、

海側は道路脇まで被災し、家が流され漁船がころがっているのに、

山側は何事もなかったかのように家が立ち並んでいました。

そんなところで、まっすぐ海側へ伸びる道路があったので、

とにかく、行けるところまで行ってみました。

 

1kmくらい進むと、まもなく道路は土手にぶつかり通行止め。

土手に登ると海岸線がみえ、足下の土手は駅のホームだったことに気がつきました。

駅前だったのに、周囲にはなにも見えない。

しかし、土手をおりてよくみると、

住宅の土台の中に、小さな立て札が二枚あり、

「**鮮魚店跡、**へ避難しています」とのこと。

もう一つの立て札には、「命の柱」ならぬ「根性の稲穂」の文字。

震災後、流れ着いた稲が1株、稲穂をつけて倒れていました。

あとで調べたところ、宮城県亘理郡山元町、

県境に近い常磐線の坂元駅前でありました。

なお「命の柱」は9月11日付け当ブログより。 (T・K)

 

 

 


被災地 福島県相馬原釜港にて

2011-10-28 17:04:38 | Weblog

おくればせながら、あれから6ヶ月以上をへた10月21日に被災地を訪問しました。

福島県相馬市の相馬原釜港と仙台空港のある仙台平野周辺です。

相馬原釜港は、私が研究対象としてきた底曳き船の根拠地の一つで、

太平洋側ではめずらしく、ズワイガニもとれるのです。

パソコンで津波がきたときのビデオ画像をみた限り、

壊滅的な被害をうけているはずです。

 

やはり、新しい港の施設は壊滅的な被害をうけていました。

漁港施設は、市場の屋根を残して、すっかり消滅していました。

しかし、驚いたのは旧港へ移動したときです。

底曳き船約30隻が、旧港に整然とならび、

多数の乗組員が集合して、出港を待っているかのようにみえたからです。

よくぞ無事で。

ところが、まもなく、乗組員たちは船の前で集合写真をとりはじめ、

あっというまに退散していきました。

 

あとで気がついたのですが、

船は残ったけれども原発事故で操業できず、

休漁せざるをえない状況について証拠写真をとっていたのですね。(T・K)