牧師の読書日記 

読んだ本の感想を中心に書いています。

3月20日(水) 「神に用いられる人」 オズワルド・スミス著  いのちのことば社

2013-03-20 08:56:56 | 日記

 私が読書で一番影響を受けた大好きな著作家は、牧師であったオズワルド・スミスであると思う。彼の主著は『魂への情熱 リバイバルを求めて』(この本は何十回読んだか分からない)ではないかと思っているが、今回は『神に用いられる人』を久しぶりに読んだ。著者は1986年に召されました。

 ロイドジョンズ師が『リバイバル』で書いていたようにオズワルド・スミス師もリバイバルは絶対的に神の主権であることを認めているが、人間の側でするべきことがあることをも認めている。それがこの本のテーマであると思う。人間の側でするべき大事な一つのことに「きよめ」があると書いています。「きよめ」は神に用いられるための必須条件である。神は汚れた人を用いることはできない。

 本からの引用。「神がご自分の分を果たされる前に、人間は自分のなすべきことをし、自分自身をきよめなければなりません。私はまた、きよめには三段階があると言いました。最初の二つは人間の果たすべきことであり、第三のものは神がなしたもう部分です。この三段階を、簡単な言葉で言えば、(1)分離 (2)献身 (3)満たし です。第一は、分離すること、第二はささげること、第三は満たされることです。きよめは分離することだけでなく、ささげることを意味しています。分離は消極的側面であり、献身は積極的側面です。きよめに関して、人間の側には二つの部分があるのです。あなたがあなたの分を果たすならば、神もまたご自分の分を果たされるでしょう。この第三の段階は、「満たされる」ことです。この段階は、神の側に属するものです。多くの人が祈り訴えているにも関わらず「満たされる」ことをむなしく待っているのは、神の要求される二つの段階を踏まないためであり、第三の段階はこの二つの段階に依存しているのです。」

 この世の価値観から自分を分離し、神に身を捧げ、きよめられ、聖霊によって満たされ、神に信頼され用いられる人になりたい。