牧師の読書日記 

読んだ本の感想を中心に書いています。

3月14日(木) 「リバイバル②」 D・M・ロイドジョンズ著

2013-03-14 07:52:51 | 日記

 「リバイバル」は私が一番関心のある事柄である。 本からの引用。「リバイバルとは、定義すれば、神の偉大なる働きであり、神の主権的なみわざなのである。従って、何かに強制されて起こるものではない。人間は何もすることができない。神のみがそれを成すことができるのだ。、、、何らかの説明がつけられるとしたら、そんなものはは奇跡ではない。奇跡とは、直接的、主権的に、即座に起こる、霊的な神の行動であり、説明は不可能である。これがリバイバルの基本的な真実である。説明することなどできないのである。、、、人はそれをコントロールすることもできない。それは突然始まり、突然終わる。」

 そして著者はリバイバルの特徴をこのように記している。「リバイバルの大きな特徴は、この力によって回心した者は、教会に入って来て、男も女も留まり続けるということだ。招きをしたら人々が前に出て行くので、どうやら凄いことが起こっているようだと思ったが、結局信仰に留まったのはそのうちの一割だった、というようなことではない。リバイバルではそのようなことにはならない。」

 リバイバルでは人が本当に生ける神に出会うから、神と教会から離れないのであろう。人が神と教会から容易に離れる理由は、本当には生ける神を体験していないからである。


 次に著者はリバイバルの目的を記している。本からの引用。「神は、外側にして神を知らない者たちに何かをなさるために、リバイバルと祝福を教会に送る。神は地のすべての民の注意を引く何をなさる。、、、、つまり、(リバイバルの)第一の理由は、「地のすべての民が、主の御手の強いことを知る」ことである。第二の理由は、「あなたがたがいつも、あなたがたの神、主を恐れるため」である。リバイバルは、世のためばかりでなく、教会にとっても価値あることであると、私はいつも強調してきた。あなたの神、主をあなたが知るように。いつまでもあなたが主を恐れるように。リバイバルが教会に与えるもの、それは第一に、神の力の臨在に気が付くようになることである。」

 リバイバルの一番の目的は、教会の外側で(この世の中で)神の栄光と力が現れることである。そのためにはまず教会の内側が神の力を体験しなければならない。


 「さて、要約すると、リバイバルによって我々は神を見上げ、見上げ続け、神により頼むようになる。我々が一番必要としていることは、生ける神の、その大いなる力を知ることである。他は何も必要ではない。」

 「リバイバルは、第一に、教会をよみがえらせるため、第二に、男も女も救いに導かれるよう外側の人々の関心を引くために計画されたものであり、素晴らしい、際立った現象である。それは教会での主のみわざを確認するため、また、その民を打ち立て、強め、励ますために、神が下さるしるしのようなものであると同時に、それは外側の人たちへとあふれて、大いなる祝福を与えるものなのである。」

 神の力の一部分を体験したことがあるが、私はまだまだ神の本当の力を知らない。著者が書いているように私に一番必要なのは、生ける神の大いなる力を知ることである。すなわち聖霊の注ぎが必要であるということだ。カトリック教会もリバイバルと改革を必要としている。新ローマ法王が選ばれた。1300年ぶりにヨーロッパからではなく中南米から選ばれたというから驚いた。これは一つの改革と言えるだろう。きっと良い法王なのではないだろうか。いずれにしても、カトリック教会もプロテスタント教会もリバイバル(霊的復興)が必要である。