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加薬飯

日々雑感 ときどき雑記 愚だくさん

【靄か霞か、はたまた霧か】

2014年03月27日 | 読書・言葉・文字・漢字

雨上がりの朝。新聞を取り込もうと外に出てみれば、辺りの大気が白くモヤっている。今朝は靄(もや)かと思いつつ、道路に出て見れば、視程はおよそ 300メートルほどか。
待てよ、ひょっとしてこれは靄(もや)ではなくて、霧(きり)と言うべきだろうか。いや、それとも霧(きり)ではなくて、霞(かすみ)と表現すべきなんだろうか。

はてさて、靄(もや)と霧(きり)と霞(かすみ)の、厳密な違いって何だろうと言った疑問については、「明日の心だーーっ」な~んて誤魔化してみたところで、小沢昭一さん(故人)知らない人も多いんだろうな。
二十代の頃は「小沢昭一の小沢昭一的こころ」ってラジオのトーク番組の熱心なリスナーだったことを、ふと思い出してしまった。小沢昭一さんの語り口、好きだったなぁ。 それではまた、あしたの心だーーっ。



【午の前・午の後】

2014年01月02日 | 読書・言葉・文字・漢字
ウマ年ということであるが、ウマ年のウマは馬ではなくて午と書く。昔は一日を十二の時間帯に分け、それぞれに、子、丑、寅、卯……と十二支を割り当てて、子の刻、丑の刻……としていた。24 時間制にすれば二時間単位で刻(とき)が移行することになる。

午の刻(うまのこく)というのは現在の時間にすると、11 時~13 時の二時間であり、それより前つまり午の刻より前が午前で、午の刻より後が午後と考えれば解り易い。ちなみに、午の刻の中間点は昼の12 時であり、真昼のことを正午というのは午の刻の中央というところから来ている。

ところで、午(うま)という字は、牛(うし)という字によく似ている。午と牛の違いがお解りだろうか。つまりは角(ツノ)の有る無しなのである。ほら、午の字に角を生やせば牛になる、なんてね。でしょっ…。


【テキパキと】

2013年12月13日 | 読書・言葉・文字・漢字
やらなければならないことが同時に4つも5つも重なると、頭の中では同時進行できているつもりでも、手の方は(物理的に)ひとつずつ順に片付けていくしかない。
実はヒマな時よりもこういった状況の時の方が意識は高揚して頭も冴え渡ったりする。すべてがスムーズにテキパキと片付いた後には、達成感も得られるというものである。

ところでテキパキってどんな漢字をあてがうんだろうと思って調べてみたんだけど、どうやら漢字表記はないようなのである。テキは適宜とか適切といった意味の「適」かな?といった気がしないでもないが、じゃあパキの方はどうなんだろ。ただのパなら(巴とか)ともかく、パキって発音からしても、確かに該当する漢字はありそうもないと言った気がしてくる。そもそもの語源はあるんだろうけど。ハキが訛ったとか?

まさか、忙しい時には適当に破棄しちゃえってなもんで、適破棄な~んてことは…、ありえませんっ!


【落ち着かないとき】

2013年11月23日 | 読書・言葉・文字・漢字
普段はとっても温厚で思慮深くて控え目で優雅で落ち着きのあるわたしである。もちろん電話やFAXによる異議申し立ては一切受け付けない。ましてや、いつもの如く口頭によるコメントも差し控えて頂きたい。
そんな人類の鏡のようなわたしであっても、無性に落ち着きを無くしてしまう時がある。それはどういった状況かというと、読む本がなくなってしまった時なのである。

常に枕元に未読の本が置いてないと、安心して眠りに就けない繊細な神経の持ち主であるわたしとしては、読む本が底をついてしまうと、もう居ても立ってもいられなくなる。よく持って一日。それ以上はとても持たない。そうなったら最後、兎にも角にも本屋へ行くことだけで頭の中が一杯になってしまって、それこそ競馬の予想どころではないのである。 
…えっ、明日はジャカンパック、じゃなかった、ジャパンカップ? 予想を優先せねば!



【ひつじだと言っても羊のことではない】

2013年10月18日 | 読書・言葉・文字・漢字

既に稲刈りの終わった田んぼのあちこちで、刈り取った後の株から、またぞろ稲の新芽が再生して来ている。これを禾偏に魯と書いて(一文字で)禾魯(ひつじ)と言う。そういった状態の田んぼを禾魯田(ひつじだ)と言って、俳句の世界においては秋の季語となっている。

初めてこの言葉に出会ったのは遥か昔、S籟俳句会の原稿を文字入力している時だった。複数の人の作品の中に頻繁に出てくるのを見て、季語との想像はつくものの、哀しいかな何と読んでいいのか解らない。解らなければ入力変換のしようがない。
そこでやむなく手書き入力して該当漢字を探し、読み方を確認してから今度は辞書で意味を調べと、たったひとつの漢字に、そこそこ時間を費やした。お陰でしっかりと脳裡にインプットされたのである。
ちなみに(禾魯)は Unicode でないと表示されない。



【博打と印刷業の共通項】

2013年09月04日 | 読書・言葉・文字・漢字

母方の祖先をほんの三代も遡れば、どうやら博徒(任侠)だったらしいのであるが、博徒(ばくと)すなわち博打(ばくち)を生業とする者である。博徒といえば丁半博打であって、丁半博打とは二つの賽子(サイコロ)を振って丁か半かで勝負する賭博である。
わかりやすく言えば、丁とは二、四、六、八など割り切れる数(偶数)で丁度の丁である。対して半は、三、五、七など割り切れない数(奇数)で、半端の半だと思えば良い。

それと印刷・製本と何の係わりがあるのかと言えば、まあ、何の係わりもないのだけれど。しかし、敢えて共通項を見出すとすれば、それは丁である。
つまり印刷・製本あるいは出版業界においては、紙の裏・表(2頁分)のことを丁と呼ぶ。書籍の編集・組版などで用紙を改めることを改丁といい、製本工程で用紙が欠落することを落丁という。丁合、乱丁なども同じことで、丁に関わる言葉なのである。


【熱中時代】

2013年08月26日 | 読書・言葉・文字・漢字
二十四節気でいえば処暑の頃か。処暑とは簡単に言ってしまえば、暑さが終わるという意味らしいが、夏はもう終わるのだろうか。それともまだまだ終わらないのか。後半にきて結構暑さが身に堪えている今日この頃ではある。

ところで「熱中症」という言い方がされるようになったのは、いつ頃からのことなんだろう。10年前位だろうか 20年前位だろうか。昔は確か「日射病」とか「暑気あたり」とか言っていた筈であるが。
「熱中時代」っていうのなら、確か30年前位にあった。水谷 豊 主演の学園ドラマだったような。そうだ、やはり水谷 豊の「熱中時代」で刑事ドラマもあったんだ。

なので初めて「熱中症」という言葉を目にしたときには、何かに熱中してしまう症状(依存症?)のことなんだろうかって思ってしまったもんなあ。ホントに。




【花村萬月】

2013年08月25日 | 読書・言葉・文字・漢字
約束の時間までにはまだ間がある。ということで、時間を潰すために立ち寄った本屋で、パラパラと飛ばし読みをした本どもをその場で即決購入。花村萬月の「ワルツ」上巻・中巻・下巻の三冊と、他に岡崎琢磨と東野圭吾と池井戸潤の本を各一冊ずつ。

花村萬月は好きな作家の一人である。氏の描く人間性には恐ろしいほどの生々しさがあって、ついつい引き込まれていってしまう。「ワルツ」はカバーの惹句(じゃっく)を読む限りにおいては、終戦直後の新宿を舞台に、三人の(だからワルツか?)男女が織り成す人間模様を描いた大河小説のようである。まだ読んでないので詳しいところは何も解らないが。
上・中・下巻と三巻合わせての総頁数は 1,500 頁くらいか。これから毎夜寝しなに読むことになるだろうが、没頭しすぎて寝不足にならねばいいが。



【読み残し】

2013年08月19日 | 読書・言葉・文字・漢字
盆休みの間に読もうと文庫本を十冊ほどまとめ買いしたのであるが、結局、島田荘司の 『 写楽 ・ 上下巻 』 二冊だけは読みきれずに、休みが終わってしまった。最初の予定では、一日二冊ずつ読破すればいいだろうくらいに構えていたものの、考えてみれば、それは二十代の頃の読書ペースであった。

何よりもかによりも、視力が衰え過ぎてしまって、昼間であっても活字にピントが合わず、遅々として読み進められないのが、一番の原因ではある。
むかし母親が、老眼鏡を掛けて、更に虫眼鏡を手にして新聞を読んでいた光景を思い出す。今となっては、それがしみじみと実感できるのである。



【皆が皆、冗談が通じる訳じゃないぞっ!! とか言いつつも】

2013年08月07日 | 読書・言葉・文字・漢字
社長のブログ本『伝道バイブル』が売れている(らしい)。実はわたしは何冊売れているか知っていたりする。そして更には、現在の在庫数も知っているのだ(ふふ)。

近頃社長は不在が多い。今日も今日とて朝から不在である。と、そこへS村女史が『伝道バイブル』を購入したいと言ってやってきた。何でも、知り合いの某名士に贈呈したいのだとか。
ついでに社長にサインを入れて貰おうとの目論見を持ってやって来たのだが、不在を告げると、とにかく今日渡したいので、代わりにわたしにサインしろと言う。

「何を言ってるか。そんなことできるか」と言うと「ジョークとして面白いじゃん。書いて書いて」と執拗に迫る。「渡す相手にそんなジョークは通用せんだろが。どうしてもってんなら自分で書け」と更に京子に、いや強固に抵抗するも、「いいからいいから、ジョークで書いて。ダメだったら取っ替えに来るから」って、…あのなあ。

すったもんだと5分余りの押し問答の末に、結局、1,575 円の売上に負けて渋々サインして渡してしまった。まぁ、社長とイニシャル一緒だからいいかっ! とか思って。 筆跡は全然違うけど…。

某名士さんへ
2013. 8. 7
社長代筆
Y.O.



【新の期間が解らない】

2013年06月24日 | 読書・言葉・文字・漢字
これほど人によって基準の異なる言葉もないのではないかと思うのである。果たしてどれほどの期間を指すのだろうかとの疑問は今もって解消しないままである。つまり、新の期間についてなのであるが。
新とは要するに、新鮮、新車、新築、新婚、新人などの言葉における新なのだが、この新の指す期間に、果たして定義といったものは存在するのだろうか。人によって、それぞれ捉え方が違うのだとすれば、もともと曖昧な概念なのだと言えなくもない。

例えば、新鮮という言葉は、食品に与えられる賛辞の最たるものかも知れない。人はこぞって新鮮な野菜や新鮮な魚介を買い求めるが、わたし流の解釈においては、店頭に並べられている時点で、もう既に新鮮じゃないだろって思ってしまったりもする。
或いは、新車を購入して1年も2年も経つのに、シートのビニールを付けたまま乗ってる人を見掛けたりするが、その人にとっては恐らく永久に新車って意識なんだろう。わたしなんか、新車買って一週間後にボデーに擦り傷付けた時点で、あぁもう新車じゃなくなったなと思ってしまうけれど。

もっと極端な意見を吐かせて貰えば、新婚期間なんてせいぜい2週間だろって思ってるから、結婚して1年経とうが2年経とうが、仲睦まじくイチャイチャベタベタといった夫婦を見たりすると、羨ましくも嘆かわしくも莫迦らしくも、尊敬の念すら抱いてしまうな。
新人(新入社員)も、これまた極めて見解の分かれるところではなかろうか。いったい何時の時点で新人じゃなくなるのだろうか。新築もまたしかりではある。


【ひこばえを漢字で書くと】

2013年05月22日 | 読書・言葉・文字・漢字
 であるが、画数が多くて(20画)とても覚えられない。
なのでわたしは、もうひとつの書き方である「孫生え」の方を使うことにしている。
孫を「ひこ」と読ませて「孫(ひこ)生(ば)え」であるが、もともとこちらの表現の方が理に適っている。

木の根元や切り株から出る若芽を孫に見立てて「孫生え」なわけで、親から子、子から孫へと言った世代交代のイメージそのままである。つまり孫生えを成長させて元々の株を根元から切ってしまえば、木を若返らせることができるのだ。写真はわが家の金木犀の切り株から出た孫生え。



【背中の下で揉みくちゃに】

2013年05月20日 | 読書・言葉・文字・漢字
夜は活字を読まナイト (ここ駄洒落ですから) 眠りに就けない習性が身に付いてしまっている。概ね文庫本であるが、要するに活字はわたしにとっての睡眠薬代わりなのだ。

ベッドに仰向けに寝て、枕を高めにして首の後ろにかってから、両手で本を開いて読書体勢に入る。大体3~4頁も読むか読まないかの内に、徐々にまどろみが襲ってきて、顔の上にバサッと本が覆い被さる。そんな事を4~5回繰り返して後、そろそろだなと、おもむろに本を閉じ、傍らのナイトテーブルに本と眼鏡を置き、電気スタンドを消して眠りに落ちるのを待つ。

基本はそうなのだが、時々は、本が顔の上にバサッという部分の記憶もないまま、無意識の内に眠りに直行してしまう事もある。そんな時は朝目覚めると、電気スタンドは点けっ放しで眼鏡も掛けたまま。背中に何やら違和感を覚えて身体を起こしてみれば、見るも無残に本が圧死してたりするのである。



【分別には分別が必要】

2013年05月17日 | 読書・言葉・文字・漢字
何のこっちゃと思ってはいけない。大事なことである。何がって、分別と分別である。一緒じゃないかって? いや一緒ではない。つまり「ぶんべつ」と「ふんべつ」という別の言葉なのだ。漢字は一緒だけど。
分別(ぶんべつ)は種類によって区別・区分することであり、分別(ふんべつ)は物事の道理をわきまえ、諸々の事柄の善悪や損得などを深慮・識別することである。

昔はゴミはゴミだった。なんでもかんでも一緒くたにゴミとして扱っていた。しかし今のご時世そうはいかない。ゴミもカテゴリー別に、きっちり分別しなくてはならないのだ。お上の厳しいお達しなのである。そしてそれが我々市民に課せられた尊い義務なのである。

プラゴミ、ペットボトル、紙ゴミ、可燃ゴミ、ビン・缶、不燃ゴミなどを真摯な態度で分別を持って分別し、併せてくれぐれも各カテゴリー毎の、ゴミ出しの曜日を間違えてはならない。そして出がけに、ゴミ捨てーションにゴミを置いて行くのは、お父さんの仕事なのだよ。



【楸即ち赤芽柏】

2013年05月15日 | 読書・言葉・文字・漢字
木に春と書いて椿(つばき)。或いは、木に夏と書いて榎(えのき)。更には、木に冬と書けば柊(ひいらぎ)で、ここまでは極めて一般的に知られた漢字と樹木。

春・夏・冬とくれば当然ながら秋もあるのだが、惜しむらくは、あまり馴染みがない。木に秋と書いて何と読むかといえば楸(ひさぎ)。ひさぎと言うのは赤芽柏(アカメガシワ)の別名であるが、このアカメガシワというのが又、あまりピンと来ない。

春(椿)や夏(榎)や冬(柊)に比べて、秋(楸)だけが些かマイナーなのが、ちと寂しい。自分の名前に秋の字が使われているだけに、贔屓したくなるという訳でもないが。