加薬飯

日々雑感 ときどき雑記 愚だくさん

【胡瓜に何が起こったか】

2012年08月30日 | 自然・生物・植物・園芸
植えてあるのは、ただの胡瓜。つまりキュウリである。普通に考えれば、キュウリの木にはキュウリの実が生るというのが、正しいキュウリの在るべき姿なのではなかろうか。
ところがどっこい。ある日突然、どこからどう見てもキュウリとは似ても似つかぬ実が生ったとしたらばなんとする。これはもう驚くしかないではないか。「なんじゃ、こりゃ~」ってなもんである。

これがどんな実かと言うと、白い産毛に包まれた、つまり正に冬瓜(トウガン)をそのまま小さくしたような形の実なのである。いくらわたしが疲れていると言えども、よもやキュウリの実を見紛うことはない。謎である。摩訶不思議な現象と言わざるを得ない。

しかし不思議がってばかりもいられないので、ここはひとつ、聡明なるわたしの知識・知力を総動員して原因究明に当たることにする。まずもって第一に考えられることは、家内がキュウリの苗と間違えて、他の果菜類の苗を買ってしまったのではないかということである。トマトの苗と間違えてスイカの苗を買ってくるようなヤツであるからして、充分考えられることではある。
ところがここで疑問が生じる。考えてみれば今までに散々キュウリの実が生っていたのである。実際に収穫して食してもいる。つまり家内の購入間違いという線はアッサリ消しとなる。

そこでハタと気が付いた。つまり購入したものが接木苗だったのではないかということである。果樹や果菜類においては、しばしば接木という手法が用いられる。接木をすることによって土壌病害に対して強くなるなどの理由によるものであるが、一般的にはカボチャや他の瓜類の台木にキュウリ(穂木)を接いだりする。

そう言えば最近は接ぎ穂キュウリとの親和性が高いトウガンが台木としてよく使われるとか。そう考えれば問題は一気に解決するではないか。家内が買ってきたのは、トウガンを台木とした接ぎ穂キュウリであり、何らかの加減で穂木であるキュウリに取って代わって、台木であるトウガンが出現してしまったのだ。そう結論付けて改めてその実を眺めてみると、これはもうトウガン以外の何ものでもないではないか。一件落着である。それにしても枯れかけて弱り切った葉を見る限り、どうやら萎凋(いちょう)が発生しているようである。





【とりあえず写真ありき】

2012年08月29日 | 生活・飲食・家族・飼犬
普段から気が向くと、適当にデジカメのシャッターを押したりする。被写体は何でも構わない。特に意図があるわけでもない。
その後一旦パソコンに取り込んで、順次撮った写真を眺めてみる。ほとんどの写真はその時点で、そのままゴミ箱に移動することになる。

多少なりとも気に入ったものがあると、ひとつブログにでも載っけてみようかという気になったりする。
特にこれといった意図もなく撮った写真なので、その時点では文章はなにもない。写真を眺めながら、適当に後付けで文章を入力することになる。
(なるべく写真と関連付けられるような内容を探り出しながらではあるが)

ここ最近のわたしのブログに、ありがちなパターンである。




【別に他意はないけどね】

2012年08月28日 | 仕事・社会・地域・交通
世の中、車というものが市販されているので、欲しい(必要な)人は金を出してそれを買う。買った人はどこでも自由に走らせることができ、極めて便利な道具であるが、排出ガス(二酸化窒素や浮遊粒子状物質)による大気汚染や、事故による死傷者の発生など、副次的な問題をも包含する。

要は、ひとたび使用方法を誤れば、何の関係もない人々が巻き添えとなって命を落としたりもする、まさに走る凶器としての側面をも併せ持つのである。

だからといって、車に乗るのはやめましょう。どうしても乗りたい人はサーキット(周回路)など、クローズドエリアのみで乗りましょう、といった理論展開にはなり難い。当たり前であるが。
そして嫌煙を声高に叫ぶ人たちにしてみても、車に関しては素知らぬ顔をして、自分本位な運転でもって、他人さまに迷惑を及ぼしつつ乗り回していたりする。



【わが人生の残懐となりしか】

2012年08月26日 | 乗馬・競馬・趣味・道楽
購入して30年以上もの時を経て朽廃した物置を、思い切って新しいものに買い換えた。と言ってもわたしではなく、家内が自分のヘソクリで買ったのであるが。
古い物置に入っていたものは一旦、家内がすべて外に出して庭に放置してあったのだが、そのまま放置しっ放しという訳にも行かず、畢竟わたしが片付けることとなる。

その諸々の中に、埃にまみれた乗馬用の長靴があった。結婚を機に一旦中断してしまった乗馬ではあるが、いつか再開することを期して、意識的にとっておいたものである。
思い起こせば、乗馬を始めて最初に購入したレディ・メイドの乗馬靴は、3年ほどで両脚の脹脛(ふくらはぎ)の内側が擦れて穴が開いてしまい、二足目として、名古屋の乗馬靴専門店(馬具店)で、脚に合わせてオーダーメイドしたものである。

馬に明け暮れた青春時代を懐かしみながら、試しに片脚を突っ込んでみたら、何と脹脛から上が入って行かない。単に腹だけでなく、身体全体がブヨブヨと太くなってしまっているのか。嗚呼、なんたる不覚。
このまま人生の残懐として終わらせないためにも、再び馬の背に跨ることを目指さねばならない。何が何でも今一度、乗馬靴が履けるようにしなくてはならないのだ。ドーナツなんぞ食ってる場合じゃない!



【タダじゃ文句は言えないし】

2012年08月25日 | 雑感・思考・追憶・回想
わたしが利用しているのは無料ブログである。
そもそも何かにつけてシンプルを旨としているので、ブログを始める時も、ビジュアルにこだわってロゴや写真でゴチャゴチャと飾り立てようなどといった気は毛頭なかった。
文章表現さえできればそれで充分と、相当数用意された既製のテンプレートの中から、極めてシンプルなものを選んだのも、その辺りに起因する。敢えて意識するとしたら、さりげなく大人のブログたらんとすることくらいか。元々タダのものに多くを望むべくもない。

ところがここ最近、ブログを更新すると、勝手に広告が表示されるようになってしまった。
以前は表示・非表示が自分で設定できた筈で、画面が鬱陶しいので非表示設定にしておいたのだが、いつの間にやら、有料サービスに加入しないと表示・非表示の設定ができないように変更されたようである。
まあ、どう変更されようとも所詮はタダのブログであるからして、何の文句も言えないのである。ましてや、わざわざ金払ってまでカスタマイズしようなんてほど、気合入れてないしねぇ。



【寄る年波には勝てないってか】

2012年08月24日 | 生活・飲食・家族・飼犬
ここ数か月ジワジワと、日増しに膝の痛みが増してきているような。つい「膝が痛い」と口に出そうものなら、家でも「病院に行け」と言われ、会社でも「病院に行け」と言われ。
根っから病院嫌いのわたしとしては、それらの忠言を右から左へと聞き流し、代わりに湿布やサロンパスをベタベタと貼って、お茶を濁しているのだが、今度はサロンパスの匂いが臭いから傍へ来るな、ファブリーズを頭から掛けるぞ、あっちへ行けと、SのM子や縞子に虐げられ。

わたしより一歳後輩のコーイチも最近同じように膝が痛いと言っているし、聞けば縞子の親父さんも膝が悪いらしい。SのM子の親父さんに至っては腰が悪くて入院しているというではないか。
みんなそこそこ同年代であることを思えば、正に加齢というは然にあらんと言うことなんだろう。斯くなる上はサロンパスの枚数を倍にして、部屋中にサロンパスの匂いを充満させてやる。



【訓読みはできても音読みとなると】

2012年08月23日 | 読書・言葉・文字・漢字
鯉、鰻、鱒、など一文字だけを読むとすれば、普通は、こい、うなぎ、ます、と訓読みするであろうし、誰でも当たり前に読めるのだろうが、それぞれ頭に養の字をくっつけて、養鯉、養鰻、養鱒、などとすると、途端に音読みとなる。
漢字の場合、かなりの割合で旁(つくり)の部分の音読みと合致するケースも多く、鯉の旁は里(り)、鰻の旁は曼(まん)、鱒の旁は尊(そん)で、それぞれ、ようり、ようまん、ようそん、と読むことになる。

ただし養鶏は、鶏(にわとり)の旁が音読みで鳥(ちょう)だからと言って、ようちょうと読んではいけない。あくまでも鶏の音読みである「けい」をそのまま当てて「ようけい」となる。そもそも、鯉、鰻、鱒の場合も、音読みはそのまま、り、まん、そん、なのだから同じことである。

先だって、しらすうなぎ高騰のため一年間の休業を決意した一色の養鰻業者が、鰻の代わりに鯰(なまず)の養殖にトライするといったニュースを目にした。ところで、養鯰て言葉もあるんだろうか。


なまずの写真がないので、なますの写真を載っけてみた。



【さりとて食用ともならず?】

2012年08月22日 | 自然・生物・植物・園芸
どういう風の吹き回しか知らないが、突然娘がゴーヤの苗を買ってきて、家のトイレの外壁の前に置いてあったプランターに植えたのが2か月ほど前のこと。園芸など、何の興味も知識もない娘にしてみれば、極めて珍しいことである。
「そんなもん植えてどうすんだよ」
と訝るわたしに対して、娘答えて曰(いわ)く。
「グリーンカーテンじゃん」

グリーン(緑の)カーテンとは、朝顔や胡瓜や、ゴーヤやパッションフルーツなど、蔓性で葉のよく繁る植物を植えて、建物の温度の上昇を抑制することを目的とした省エネ手法である。多くの場合、窓などに差し込む陽射しを遮る位置に植栽したりする。
「ばーたれが。そんな場所に植えたって何の効果もなかろうもんに」
と、わたしは鼻で笑ってやったのであるが、
「別にいいもん。ゴーヤが成ったら収穫して食べるんだもん」

家族は全員ゴーヤが大好きなのだが、わたしひとりだけゴーヤは一切受付けない。好き嫌いのないわたしにも、例外はあるのだ。(それって好き嫌いあるってことじゃん)
やがて蔓が伸び葉が繁り、ネット全体を覆うほどに成長し、これまでに数多くの黄花を次々と咲かせてはいるものの、一向に実をつける気配などなく、グリーンカーテンとしての用も成さず、さりとて実も付けなければ食用にもならずと、収穫に関しては娘も殆ど諦めムードではあった。

ところが今朝ゴミ出しのついでに、ふと覗いてみたら、葉陰に小さなゴーヤの実がひとつぶら下がっているのを見つけた。よくよく見れば他にも成長しつつある極小の実を発見。ひょっとしたら、これから徐々に実が成ってくるのかも知れない。
たとえ僅かであろうとも、野菜や果物を栽培して、それを収穫するということには、何ともいえない感動が伴うものなのである。でもやっぱりわたしはゴーヤは食べないけど。





【歯・目・マ○】

2012年08月21日 | 生活・飲食・家族・飼犬
昔から男の老化現象(症状)を現す言葉として「ハメマ○」というのがある。
つまりは、歯、目、○ラであるのだが、そのままの順序で老いて行くのかと言えば、必ずしもそうとは言い切れない。要は、人によって様々なのであろう。

わたしの場合、若い頃から目が悪かった。もともと近視で乱視だったところへ、今では老眼も加わり、近くも遠くもまともに見えない。なのでわたしは心眼でモノを見る術を会得しているのだ。
片や歯に関しては、子供の頃には「良い歯のコンクール」に入賞するほどであり、綺麗な歯並びと虫歯ひとつない頑丈で健康な歯が自慢であったのが、今では随分と老朽化してきている。

先日折れてしまった奥歯に関しては、歯茎に残っていた根っこの部分を抜かれてしまい、そのまま欠損したままで構わないかと医師に問うたところ、それは極めてマズいと言われてしまった。そのまま放置すればドミノ倒しのごとく他の歯がズレてきて、歯並びなどがガタガタになってしまうとのことである。
入れ歯、ブリッジ、インプラントの3種類の方法があるとの事で、それぞれにメリット・デメリットがあるらしいが、医師の口からは「インプラントだと一本30万くらいです」なんて言葉が、いとも簡単に出てくるのだ。

冗談言っちゃいけねぇや。たかが歯一本に何十万も掛けられっかよ。こちとら自慢じゃねぇが、貧乏人でぇ。せめてブリッジとかってやつにしとくんなよ、と今度提案してみようと思う。

最後のマ○に関しては、まあ色々と解釈の仕方もあるのであろうが、男は60、70にもなってくると、7割近い人が前立腺肥大の症状を訴えるようになるらしいが、まあ、それらしい症状は随分以前から自覚してるわけで、他の方面については…、特に語るべきこともなし! であるわな。


【たまにはじっくりピッツァ作り】

2012年08月16日 | 生活・飲食・家族・飼犬
二日連続でみっちりと庭仕事をした。いったい何リットルの汗をかいたんだろうという位に、着替えても着替えても衣服はすぐにビショ濡れになる。流石に三日目ともなると気力体力ともに限界を覚え、一旦キリをつけることにした。

もともと読書でもしている時以外は、ジッとしていられない性分とあって、今度は久し振りにピッツァでも作ろうかと、娘どもに声を掛けて参加を要請する。
生地を醗酵させている合間に、近くのスーパーまで行き、トッピング材料を買い揃えるのはわたしの役目である。当然出費もわたし持ちということである。

手作りピッツァの良さは、自分流に好きな具材を好きなようにトッピングして、焼きたての熱々が食べられるということに尽きる。ちなみにトマトとバジルは自家栽培である。





【思い立ったが吉日】

2012年08月13日 | 生活・飲食・家族・飼犬
久し振りに高速に乗った。目指すは焼津IC。つまり極めて衝動的に、焼津さかなセンターに行こうと思い立ち、東名高速に車を乗り入れたのである。

ここんところ、奥歯は折れるわ、親指は怪我するわ、膝は痛いわ腰は痛いわで、どうにも気勢が上がらず、気息奄奄(大袈裟か)として過していた。体の不調と暑さのせいで何もやる気が起こらず、ときどき思い出したように、「あぁ、冷えたビールが飲みてぇ~」とひとりごちるのみの体たらく振り。
でもって、「ビールを飲むには肴が要るわな。肴は何がいいだろう」なんぞと思いを巡らしている内に、「そうだマグロだ。マグロのかぶと煮だ」と突然閃き、「よしっ、焼津さかなセンターまで買いに行こう!」と、相成ったのである。

高速料金を払い、往復何時間も掛けて買ってきたマグロのかぶと煮は、それでも頗る美味であった。こってりとタレの絡まった頬肉といい、トロリとした目の周りのゼラチン質といい、わざわざ出掛けた甲斐があったというもの。何せこればっかりは、一色さかな広場では手に入らぬゆえ。