加薬飯

日々雑感 ときどき雑記 愚だくさん

【嫌いなタイプの洒落】

2008年07月30日 | 未分類
「儚」という字は、人の夢と書くんだ。
だから夢ってのは「儚(はかない)」もんなんだ。

人の為と書いて「偽(いつわり)」と読むだろ。
世の為、人の為とか言いながら、実は自分のことしか考えない、
欺瞞に満ちた人のことを言うんだな。


と言ったような、教訓的洒落(もじり)は、どうもタイプではない。
「相田みつを」的というか、「3年B組金八先生」的というか…、
やっぱりキライだなあ。






【キューポラはないけど】

2008年07月29日 | 未分類
お隣のN紡さんの建物が跡形もなく撤去され、整地の進む土地に一本だけ取り残されて聳え立っている煙突を見ていたら、ふと、むかし劇場で観た映画を思い出した。

吉永小百合と浜田光夫主演の日活映画『キューポラのある街』
内容はほとんど何も覚えていないのに、なぜか煙突が林立した街の映像だけが、今も記憶に残っている。




【キューポラ】
鋳鉄用の溶解炉のこと。工場の屋根からは煙突が突き出ている。






【シネプレックス岡崎10】

2008年07月28日 | 未分類
土曜・日曜と二日連続でレイトショーを観に行った。

土曜日に観たのは、ジャッキー・チェンとジェット・リー競演の「ドラゴン・キングダム」。ジャッキーよりもジェット・リーが観たくて行ったのだが、始まって30分もしない内に、左の方の席から規則正しいイビキが聞こえ始め、それは終幕までずっ続いた。ちょっと、映画館で寝るのはいいけど、イビキは遠慮しなさい。

日曜日は「シックス・センス」「サイン」などでお馴染みの、M・ナイト・シャマラン監督の「ハプニング」。こちらは、ある日突然襲いくる「異変」を描いた作品。そんなに期待して出掛けた訳でもなかったが、全篇、居眠りせずに観通せた。イビキも聞こえてこなかった。




【料理用語集 (7)】

2008年07月24日 | 未分類
かんろに【寒路煮】
昨今は、道路交通法による取締りが厳しくなり、ほとんどその姿を見掛けることもなくなった。以前は冬の寒い夜など、あちこちの路地で屋台の店を出していた。いわゆる「おでん」の露店販売のことであり、会社帰りのお父さんの息抜きの場でもあった。

まないた【愛板】
生イタとの誤用に注意。周知のとおり、食材を切るための木製や樹脂製の台であるが、ボウリングにおけるマイボールやマイシューズと同様、プロの料理人は常に自分愛用の板(マイボード)を、さらしに巻いて持ち歩き、時として修行の旅に出たりもする。

おしずし【唖寿司】
現在は差別用語という理由から死語となっているが、戦後まもない頃は、耳の聞えない人(聾)のことを「つんぼ」と言ったり、口のきけない人(唖)のことを「おし」と表現したりする時代であった。本来「寿司」というものは、寡黙に食することを美徳とするという行儀作法のひとつで、そうすることでネタの旨味が口中をグルグルと回り、心ゆくまで賞味できるという理由から、その名がついた。現在は旨味というより、皿が目の前を回っている。





【天然の美】

2008年07月23日 | 未分類
社長の母上が時々やってきては、いろいろと話題を提供してくれるので、わざとからかったりしては楽しんでいる。
昨日は昨日で、
「娘のお母さんが亡くなったので、通夜と葬儀に行かなきゃいけないの」
「娘のお母さんは、あんたでしょうが」
「あ、そうだ。わたし生きてる」

今日は今日とて、
「娘の子供の名前もユキコなの。〝友〟に紀元節の〝紀〟なんだけどね」
つまり、今月入社した新人さんと同じ名前だという話題なのであるが、おっかさん、いまどき「紀元節」って言ったって誰もわかんねえよ。わたしだからいいようなものの、若い人達に対して、「紀元節」だとか「天長節」だとか言わないようにね。四大節(しだいせつ)の時代じゃないんだから。

おっかさん見てると、なぜかわたしの中で「美しき天然(天然の美)」の曲がイメージされるんだなあ。昔、サーカスとかチンドン屋のテーマソングみたいになってた三拍子の曲だけど、これも若い人達にゃわかんねえだろうなぁ。

  そーらにーさえーずるーー とーりのーこえーー





【そうか、勘違いしてんだ】

2008年07月22日 | 未分類
Wakkyさんのブログを覗いたら「しけモク」のタイトル。内容を読むと、どうやら湿気(しけ)ったモク(煙草)との意味で使用しているようだ。違うよおぉぉ、Wakkyさん。「シケモク」は「しけったモク」じゃなくて「しけたモク」だよ。字は一緒(湿気)だけど。つまり、ケチ臭いといった意味のしけた(しける)で、要するに吸い終ったあとの、吸殻のことだからね。

Wakkyさんは若~いから知らないだろうけど、昔は(戦後まもない頃)棒の先に針かなんか付けて、道に捨てられた吸殻を拾い集める、通称「モク拾い」という商売があって、拾った吸殻をほぐして紙で巻き直して再生タバコとして売っていた。それが「シケモク」なんだけどね。

煙草吸いなら誰でも経験があるだろうけど、夜中に煙草を切らしちゃって買い置きもない。わざわざ買いに出るのも億劫だし。そんな時、灰皿に溜まった吸殻の山の中から、ちょっと長めの、まだ吸えそうな吸殻を拾い出し、もう一度火を着けて、しみったれた一服。そういうのを「シケモクを吸う」って言うんだからね。

ああ、やだやだ、ほ~~んと、煙草吸いって、やだなあぁぁ。
…そういえば、そろそろ買い置きの煙草がなくなる頃だっけ。




【料理用語集 (6)】

2008年07月21日 | 未分類
かくしぼうちょう【各死亡帖】
牛も豚も鶏も魚類も、はたまた野菜類でさえも、もともとは生命ある存在である。他の生き物の死によって、人の食生活(生命)が成り立っていることに思いを馳せ、感謝と供養の意味からも、せめて献立ごとに記録に残そうと、江戸元禄期に徳川綱吉によって提唱された。人でいうところの除籍謄本のようなものであり、昭和39年頃までは、
 豚肉 250g 死亡
 玉葱  1個 死亡
 人参  3本 死亡
などと表記していたが、いつのまにか「死亡」の文字が省略され、現在の形となった。また、最近では、食材の死に対して、礼を尽すといった意味合いから、れしぴ【礼死被】といった言葉が生まれ、主流となりつつある。





【バーチャルな時代】

2008年07月19日 | 未分類
わたしが5歳か6歳のころ、同居していた父方の祖母が列車事故にあって死亡した。無残な亡骸を目の当たりにして、生まれて初めて人の死というものを実感として体験したのである。
おなじく6歳か7歳のころに、臨月間近の叔母が里帰りしてきた。自宅で出産(産婆さんにより)するためであり、その時も初めて、生命の誕生の瞬間に立ち会わせて貰った。
多感な幼・少年期に、現実の「生と死」を実体験したことには、それなりの意義があったと思っている。

昨今、様々な事件が報じられるのを見るにつけ、現代の若者の多くは、生れた時からバーチャルな世界の中で成長し、それがある種、歪んだ形で人間形成に影響を与えているのではないか、といった気がしないでもない。




【実は、すべて見えている】

2008年07月18日 | 未分類
業務上のツールとして、簡易メッセンジャー(ライトライン)を個々のPCにインストールしてある。つまり社内ネットワークを通じてメールの遣り取り、或いは必要に応じて複数の相手に同報メールを送ることもでき、自席に居ながらにして人とのコンタクトが取れ、操作も極めて簡便なため結構便利である。直接話し掛けたり電話したりせずに、業務連絡、質問・回答、報告などが行え、人の業務を邪魔せずに済む(作業中においては、時として着信ウインドウが邪魔っけなこともあるが)。

道具というものは与えた以上、その使用法は個人に委ねることになる。性善説か性悪説かは置いておいても、仕事と関係ないところで個人的な遣り取りも可能である。隣の席とか他の部署の人間相手に「無声私語」ができる。

実は今まで内密にしていたのだが、わたしには透視能力があって、公私にわたる遣り取りの、すべてが見えてしまっているのだ…、などというと恐らく信用しない人も居るだろうから、では、全社におけるメッセンジャーでの遣り取りの、すべてのログがわたしのマシン宛に転送されてくる設定になっている、といったら信用して貰えるだろうか。




【料理用語集 (5)】

2008年07月17日 | 未分類
みじんぎり【三人切り】
さんにんではなく、みじんと読む。「三人寄れば文殊の知恵」から来ているという説もあるが、もとはといえば、厨房にての親から子、子から孫への伝承を現す言葉である。母・娘・孫娘の三人が、野菜の切り方について、ああでもない、こうでもないとレクチャーしながら切り刻んでいる内に、原形をとどめぬ程に粉々になってしまったところから、結果的に細かく刻むことをそう呼ぶようになった。現在ではその見た目からも、「微塵切り」の字を適用することが多い。

かいせきりょうり【解析料理】
使用するすべての具材を、形のなくなるまで煮崩れさせて掻き混ぜ、スープ状にして食べる寄せ鍋の一種。数人で囲んで食べるのが基本であり、使用している具材を味覚だけで推理し合う、古くからある食事法のひとつ。地方によっては、ぶんせきりょうり【分析料理】という所もある。

いくら【幾ら】
料理を味付けとか盛り付けとかではなく、価格で判定する評価方式。○○(えんふたつ)とか、○○○(えんみっつ)といった表示形式で採点する。最高点は○○○○○(えんごっつ)である。しかし、金額の多寡のみが基準というのは、あまりにも露骨であるとの批判も多く、最近では味や質、サービスなどを主体に★印で評価を行うミシュランが主流となっている。




【料理用語集 (4)】

2008年07月16日 | 未分類
ちんする【朕擦る】
この言葉の意味を勘違いした初老の男性からの投稿記事が、○日新聞に掲載されたことがある。以下はその引用である。

<…世の人々は臆面もなくそういう言葉を口にして、よく平然としていられるものである。あろうことか公共の電波を使って若い女子アナなどが、なんの躊躇もなく口の端に乗せたりするのを見るにつけ、嗚呼、日本に未来はないと、深く嘆き悲しむものである。加薬飯ブログの『事務用語集(3)』の中に集録されている、ふぁっくす【FAX】にも匹敵するほどの卑語(スラング)であるにも係わらず、既に「ふぁっくす」と同様、日本国中に蔓延してしまっている現状に対して、政府は何ら打つ手のない無策ぶりを露呈している。……>

間違いである。正しくは、宮内庁において使用されていた言葉で、既に崩御された昭和天皇は、殊のほか「とろろ芋」が好物であらせられ、晩餐の献立が「とろろ芋」の時には『朕(ちん)擦る』と仰せられ、自ら「すりこ木」を握られたとのことである。それがいつしか民間に広まり、とろろ芋などを擦り下ろすことを、「ちんする」と言うようになった。





【大和は国のまほろば】

2008年07月14日 | 未分類
たたなづく青垣 山ごもれる 大和し美(うるわ)し

叔父の運転する車で、奈良へ行ってきた。
名目は納骨(分骨)であったが、県外へ出掛けたなんてのも随分久し振りのことである。

山の辺の道、石上(いそのかみ)神宮あたりの風情が好きで、以前は年に数回は訪れていたものであるが、腰痛のおかげで、自分で運転するのはせいぜい三十分から一時間が限度。範囲にして四~五十キロが移動距離の限界といったこともあって、ここ十数年来、遠出をすることには二の足を踏んでいた。

今度、息子を運転手にでも雇って、崇神天皇陵や、桧原神社、大神神社あたりまで、再び足を延ばしてみようか。柳生街道方面でもいいし。
しかし…、万葉の世界にはきっと興味ないだろうな、あやつ。
もっとも、わたしも最近では、万葉ステークスといった方面が主眼になってたりするので、人のこと言えた義理ではないが。




【料理用語集 (3)】

2008年07月11日 | 未分類
さんばいず【sun visor】
外来語である。もともとはサンバイザーであったものが、訛ってサンバイズとなった。調理場の間取りによっては、西日が差し込んで眩しい、といった場合に使用する日除けの類いを言う。簡易式のものを「にはいず」と言うこともある。

つけもの【虚け者】
本来、うつけものであるが、「う」が省略されて慣用語として定着した。手際が悪くて、いざ料理をするにあたって、不器用な人たちの総称である。

すいもの【無粋者】
同じく「ぶ」が省略されて定着した語。どちらかといえば味覚音痴で、味加減にうとかったり、盛り付けにこだわらない類いの人たちを指す俗称。

うらごし【ウラ腰】
原典は、山本リンダが、ウララァ、ウララァ、と腰を振りながら歌い踊るさま。料理分野においても、鼻歌など歌いながら、時にはステップなど踏みながら、明るく楽しく調理することを、こう呼ぶようになった。
用例 : 「あら、今日はやけにウラ腰ねぇ。何かいいことでもあったの?」




【料理用語集 (2)】

2008年07月09日 | 未分類
ちょうみりょう【超魅了】
思わず生つばを呑み込んでしまうほどに、色っぽい女性の料理姿の呼称。下衆な野郎どもの深層意識下においては、裸にエプロン姿というのが定番となっている。

みずきり【見ず切り】
デパートにおける包丁の実演販売の際の高度なテクニックで、目隠しをしたまま野菜の千切りをするパフォーマンスのこと。包丁の切れ味を保証するものではない。

にくずれ【荷崩れ】
読んで字のごとく、そのまんまである。スーパーで食材を買い込み過ぎて、むりやり車の助手席に置いたものの、ブレーキを踏んだときに、フロアに落下して散乱してしまう状態のこと。

おろしがね【降ろし金】
月半ばで食費が足りなくなって、止むを得ず口座から金を引き出すこと。まだ、給料日まで二週間もあるというのに、こんなんじゃやってけないわ、とボヤく前に、一か月間の献立についての、計画性の無さを反省すべきである。






【料理用語集 (1)】

2008年07月08日 | 未分類
かつらむき【鬘剥き】
料理人の神田川俊郎さんは、一見それっぽいとの噂もある。調理場においては、風通しのために、ときどき外してやることを言う。とくに夏場などはムレやすいので、ねじり鉢巻で代用することもある。

めんとり【雌酉】
おんとり(雄酉)に対する、めんとりである。刻を告げるのは、おんとりの方とされているが、親子丼の具材としては、めんとりを使うのが正しい。めんとりが卵を産むのを待って、産まれた卵と産んだめんとりの両方を使って作るのが、正統的親子丼とされている。

かくしあじ【隠し鯵】
この場合の鯵は、鯵の開きを指す。人に食べられてしまわないように隠しておいて、あとでゆっくりアジわって食すこと。類義語として、かくしたら(隠し鱈)、かくします(隠し鱒)などがある。

おとしぶた【落し豚】
豚の角煮をつくろうとして、うっかり豚肉を床に落としてしまう状況を指す。もちろん洗って使えば問題ない。まれに東北地方の「ねぶた」と混同する粗忽者がいたりするが、なんの関連性もない。