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加薬飯

日々雑感 ときどき雑記 愚だくさん

【東西南北支離滅裂】

2013年05月14日 | 読書・言葉・文字・漢字
洋風とか洋式といった言葉がある。そしてそれは取りも直さず、西洋的つまり西洋風、西洋式という意味で使われる。対するは和風や和式である。本当にそうか。それでいいのか、ええっ?(威張ってどうする。)
何も西洋だけじゃなくて、東洋だって南洋だって北洋だってあるじゃないか。しかるにどうして西洋だけが「洋」の字を我がもの顔に独占使用できるのだ。東洋を馬鹿にしてるのか、おいっ!(怒ってどうする。)

じゃぁ洋風と言わずに、いっそ西風としたらどうだ。そうすりゃ東風だって南風だって北風だって仲間に加われるじゃないか。えっ? そうなの。いやそうじゃないな。風向きの言葉とダブってしまうではないか。
東風(こち)、南風(はえ)、西風(にし)、北風(きた)という風向本来の言葉が既に商標登録されてしまっている以上、勝手に使うことは許されない。ま、いっか。黙ってりゃ分からないし。(分かるって。)
あれ、ちょっと待てよ。どうして東風と南風は「こち」とか「はえ」とか別名があるのに、西風と北風は「にし」とか「きた」とかって、そのまんまなんだ。手抜きじゃないのか。差別だ。責任者でてこい!

はっきし言って何の良識も見識もないオヤジの頭の中では、常にこう言った疑問がグルグルグルグルと渦巻いているんだよ。悪かったな。(開き直ってどうする。)結局なんの話がしたいんだ。

    


【揚げ雲雀】

2013年05月06日 | 読書・言葉・文字・漢字
あげヒバリである。ただし間違ってもヒバリの唐揚げのことではないので念のため。
揚げ雲雀とは空高く舞い上がる雲雀のことで、俳句の世界においては春の季語となっている。

雲雀の声というのは実に喧(かまびす)しくて、直ぐにそれと判る。犬を連れて田圃の中の道を散歩していると、ふいに頭上から雲雀の鳴き声が聞こえてくることがある。その所在を確かめようと空を見上げてみても、声はすれども姿は見えずで、なかなか直ぐには見つからない。
目を凝らしてグルグルと空を眺め回してやっと見つけても、その姿はポツンと小さくて、何とか視認できる程度である。その羽ばたき方も鳴き声と同じく、実に忙(せわ)しない印象を受ける。

鳴き声が聞こえたからといって、いつも見つけられる訳でもなく(特に眼の悪いわたしにしてみれば)、どこだろうと空を見上げて探している内に首が痛くなってしまって、つい探すのを止めてしまうこともままある。

雲雀(ヒバリ) : スズメ目ヒバリ科の鳥。
体は褐色で黒い斑があり、頭頂に短い冠羽をもつ。鳴き声はピーチュクピーチュクと聞こえるが、そういえば熊本民謡の『おてもやん』に「ピーチクパーチク雲雀の子」という歌詞があったっけ。



【烏か鴉か】

2013年03月15日 | 読書・言葉・文字・漢字
お隣の畑に舞い降りたカラスが、嘴であちこち土を突付き回している。蒔いた野菜の種でも穿り返しているのだろうか。

ところでカラスは、一般的には「烏」と書く。もともと鳥という字は象形文字であるが、烏はこの鳥の字の上の方の、白の部分の真ん中の横棒(一)が一本無いだけである。
烏は全身が黒くて、ちょっとみ、どこに目があるのか判らない。そこで鳥と言う字の目の部分にあたる横棒を一本取り除いて、烏としたわけである。

他方、牙の鳥と書く「鴉」という字もあるが、偏の(牙)は太い嘴といったようなことを表わしており、ハシブトガラス(嘴太烏)などには鴉の字を当てたりする。




【さんだんと言えば】

2012年11月15日 | 読書・言葉・文字・漢字
正月のおせち料理の広告をチラホラと見掛けるようになってきた。三段重(さんだんじゅう)ともなれば結構な値段がするが、もともとわが家はおせち料理などとは無縁なので、いっさい興味をそそられることもない。

「さんだんじゅう」と言って思い出すことがある。たしか小学生の頃だったと思うのだが、テレビのニュースか何かで「さんだんじゅうで撃たれて……」といったような内容の言葉を聞いて、わたしは「三段銃」という漢字を頭の中でイメージしていた。三段の銃ってどんな銃なんだろ…みたいな。
後にそれが「散弾銃」のことだったと知ることになるのであるが。

今もっとも身近な「さんだん」を漢字で表すとすれば「算段」ということになろうか。年末に予定している車の車検費用をどう捻出しようかと、日々算段に余念がないのである。
(馬券購入資金は別枠なので、競馬で儲けた金を回すつもりは更々ないのだ)



【蟲】

2012年10月17日 | 読書・言葉・文字・漢字
庭のどこかにいるのだろう。雨蛙の鳴き声が連続的に聞こえてくる。窓を全部閉めきった状態であっても、その音量はかなり大きい。恐らくあと 10 ℃も気温が下がれば冬眠に入るのだろうが。
雨蛙は愛嬌があって見ていて微笑ましく、ポケットにそっと忍ばせておきたいと思う程に、可愛らしい生き物である。実際わたしは時々ポケットに雨蛙を忍ばせていたりするので、蛙が嫌いな人は迂闊にわたしに近づかないほうがよろしい。

ところで蛙は両生類なのに何で虫偏なのだろうとの疑問を抱いたことのある人も、少なからず居るのではなかろうか。ふつう虫というとどうしても昆虫類をイメージしてしまうので無理からぬ話ではある。
しかし、昆虫類だろうが爬虫類だろうが両性類だろうが、考えてみればみんな虫偏なのである。蜻蛉(とんぼ)、蟷螂(かまきり)、蜘蛛(くも)、蚯蚓(みみず)、蜥蜴(とかげ)、蠍(さそり)、蛇(へび)、蛙(かえる)といった具合に。
いや、それだけではない。もっと身近なところで、蜆(しじみ)、蛤(はまぐり)、蝦蛄(しゃこ)、蛸(たこ)、蝦(えび)、蟹(かに)など、貝類や甲殻類や軟体動物まで、漢字で現せばすべて虫が付くのである。

もともと漢字は中国からの伝来であり、そもそも虫という字は蛇(マムシ)を象(かたど)った象形文字からきている。古代中国では人類は別として、魚類(魚偏)、鳥類(鳥偏や隹「ふるとり」)、獣類(けもの偏)以外の生き物はすべて虫という総称で分類されていたことに由来する。
そう言えば空の虹も虫偏だけど、これも虹が天に住む竜(大蛇)と考えられていたからと聞けばなるほどと肯ける。虫、いや無視できない話でしょ。



【無と有は同じこと】

2012年09月22日 | 読書・言葉・文字・漢字
今年もあと一週間ほどで十月の声を聞く。更に二か月もすれば師走である。一年の過ぎるのは何と早いものかといった感慨は、歳を重ねるごとに深まっていく。

十月は旧暦でいうところの神無月(かみなづき)。
俗説によれば、十月は全国の神々が出雲大社に集るため、諸国に神がいなくなるから神無月であり、逆に出雲国(島根県)においては神有月(かみありづき)と呼ばれるとか。
しかし、この場合の無は、「の」を意味する格助詞「な」であるとする説が有力であり、神無月はつまり「神の月」と解釈される。
同様に六月の旧暦である水無月(みなづき)も、水の無い月ではなく「水の月」ということになる。

旧暦で思い出すのが井上陽水の曲。
「神無月にかこまれて」とか「水無月の夜」とか、よく口ずさんだものである。
全然関係ないけど最近では、ものまねタレントの神奈月も結構好きだな。



【訓読みはできても音読みとなると】

2012年08月23日 | 読書・言葉・文字・漢字
鯉、鰻、鱒、など一文字だけを読むとすれば、普通は、こい、うなぎ、ます、と訓読みするであろうし、誰でも当たり前に読めるのだろうが、それぞれ頭に養の字をくっつけて、養鯉、養鰻、養鱒、などとすると、途端に音読みとなる。
漢字の場合、かなりの割合で旁(つくり)の部分の音読みと合致するケースも多く、鯉の旁は里(り)、鰻の旁は曼(まん)、鱒の旁は尊(そん)で、それぞれ、ようり、ようまん、ようそん、と読むことになる。

ただし養鶏は、鶏(にわとり)の旁が音読みで鳥(ちょう)だからと言って、ようちょうと読んではいけない。あくまでも鶏の音読みである「けい」をそのまま当てて「ようけい」となる。そもそも、鯉、鰻、鱒の場合も、音読みはそのまま、り、まん、そん、なのだから同じことである。

先だって、しらすうなぎ高騰のため一年間の休業を決意した一色の養鰻業者が、鰻の代わりに鯰(なまず)の養殖にトライするといったニュースを目にした。ところで、養鯰て言葉もあるんだろうか。


なまずの写真がないので、なますの写真を載っけてみた。



【紫であって赤や青】

2012年06月26日 | 読書・言葉・文字・漢字
つまり紫が(紫で)蘇ると書いて紫蘇。紫蘇とは紫蘇の葉のことだが名前の由来は知らない。調べれば解るんだろうが、とりあえずはメンドクサイ。

ふつう紫蘇と聞くと、直ぐ思い浮かぶのが梅干である。昔は祖母や母親がよく家で梅干を漬けていて、その時に梅と一緒に紫蘇の葉を入れていたのを思い出す。つまり梅干の色付けのためのものであり、紫蘇の葉すなわち「赤紫蘇」のことを意味していた。
それとは別に、天婦羅や刺身のつまや薬味などにして食べる紫蘇は「青紫蘇」であるが、青紫蘇の事を「大葉」と呼ぶことを、わたしは三十歳を過ぎる頃まで知らなかった。まるで別物だと思っていたのだ。

今では「大葉」の方がメジャーな名称として定着してしてしまっている感があるが、わたしは子供の頃から「赤紫蘇」「青紫蘇」と言って育ってきているので、当時は「大葉」と聞いても大葉久美子くらいしかイメージできなかったのだ。……違った。コメットさんは大久美子だった。
家のプランターに青紫蘇と赤紫蘇の両方が植えてあるが、ただ植えてあるだけで恐らくは収穫して使用することはないものと思われる。仮に使うとしたら、せいぜい刻んでソーメンの薬味にするくらいのことだろう。



【ふくら】

2012年04月17日 | 読書・言葉・文字・漢字
朝ゴミ出しをしようとして表にでると、やたらチュンチュンと雀の鳴き声がする。見ればフェンスの上に、全身の羽毛を膨らませ、まるまると太ってみえる雀が一羽とまっている。

確かこういう状態の雀のことを、膨ら雀(ふくらすずめ)って言うんだっけな。膨ら雀の季語は冬。春とは言っても、まだまだ早朝の空気は冷たいのである。

確か女性の髪の結い方で「膨ら雀」ってのがあったような気がするが、「ふくら」と言えば、どうしてもわたしなんかは「アワビの脹ら煮」といった方向に気持ちが飛んでいってしまう。
食べてみたい。いや雀じゃなくて、アワビの脹ら煮の方。



【切なくもあり、ほろ苦くもあり】

2012年04月02日 | 読書・言葉・文字・漢字
昭和30年代後半に、小学校1年生~4年生までの間を東京・府中で過した惟朔少年の日常を描いた作品で、花村萬月の少年期における自伝的作品ともいわれる「少年曲馬団(上・下巻)」を読み終えた。

貧困、母子寮、不登校、思慕、リンチ、などを軸に、惟朔少年の心のありようを中心に描かれる時代背景は、まさに昭和を色濃く甦らせる。
はたしてノスタルジーといっていいかどうか解らないが、自身の少年期と重ね合わせる部分も多く、しみじみと作品の中に埋没していったのであった。



【ここ一週間は読書三昧】

2012年01月27日 | 読書・言葉・文字・漢字
久しぶりに面白い本に巡り合えた。
今じゃ気が向いた時にしか書店にも赴かないし、買うものも廉価な文庫本で、読んだあとは処分してしまう(蔵書を廃止した)というスタイルに変更して久しい。

最近は長時間集中して本を読むことができなくなってきているので、毎日数十頁くらいずつしか進まない。栞を挟んでおいて、日々続きから読むということを繰り返しているのだが、読み始めのときは登場人物やストーリー展開が一瞬繋がらなくて、戸惑ったりすることもある。それでもまぁ、読み進む内に既読部分も鮮明になってはくるのだが。

なによりも、上・下巻に分かれた本を買うなんて、本当に何年ぶりだろう。



【健忘症候群といえなくもない】

2011年11月28日 | 読書・言葉・文字・漢字
言葉が思い出せない。正確には、熟語が思い出せないといった方がいいかも知れない。

ふと思いついてブログを更新しようとPCに向かっているときなどに、途中で止まってしまって先へ進めないことが多くなってきて、結局やめてしまったりする。
つまり文章を入力していて突然言葉が浮かんでこなくなってしまって、そこで中断してしまうのである。

これを表現するのに適切な熟語が、ええっと、あれ、何て言ったけかな、確か、う~ん、知ってるはずなのに思い出せないぞ。あれじゃなくて、これでもなくて、ああーイライラするなぁ、といった感じで、あまりにも思い出せないと、結局何を書こうとしてたんだっけ、ということになってしまって、気が抜けてしまうのである。

これも健忘症候群の一種かも知れないなあ、と自己診断してみるのだが、ひとつ気付いたことは、思い出せないことと覚えられないことは、セットになっているということである。まあ、ある程度の年齢に達すれば、大抵の人は思い当たるのだろうけれど…。