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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

天木直人氏 2

2020-06-03 18:36:29 | 文化

>352064 大学入試制度の混乱の茶番と文部省の大きな責任>孫市 ( 43 会社員 )  19/12/20 AM10 【印刷用へ】
>天木直人のブログ より転載します。>リンク
>大学入試制度の混乱の茶番と文部省の大きな責任
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> 英語試験の民間委託から始まった大学入試制度の混乱は、大学入試制度そのものの問題にまで発展し、そして挙句の果てに、問題の根深さが露呈して、何の解決のめどもたたないまま終わることになりそうだ。

根深い問題の原因が解明されていないですね。それを真剣に考える必要がありますね。
日本語には階称 (言葉遣い) というものがあります。ですから、日本人は世俗的な上下 (序列) を常に判断する必要にせまられているといえます。
‘人を見損なってはいけない’ という想いが、世俗的な上下感の探求を執拗なものにしています。偏差値は、その答えに最も近いものと深く信じられています。

>  なぜこんなバカげた騒動になったのか。

原因の追究が疎かなためでしょうね。

>  それは、学歴主義からくる悪しき受験制度の根本問題に触れる事無く、大学入試制度の不備が政局の具にされたからだ。

そうですね。言語は伝える手段であると同人、考える手段でもありますね。日本語は日本人の思考に枠組みを与える手段ともなっていますね。

>  何度も書いて来たとおり、私は受験制度そのものに反対である。

そうですね。受験制度をなくして聴講したい人が聴講したら良いですね。  

>  しかし、学歴主義が国民の意識からなくならない限り受験制度をなくすことは出来ない。

学歴主義は序列主義の言い換えにすぎませんね。そしてその序列感覚は、深く日本語の階称に根を下ろしていますね。 

>  本来ならば、誰でも好きな大学に入学できる代わりに、卒業試験を難しくして、毎年卒業できる学生を定員数に限定すれば、その大学の能力に満たない者はいつまでも卒業できなくなって、おのずから入学希望者が限定されていく。 

そうですね。

>  そういう制度にすればいいのだろうが、現実はそうもいかない。 >  だから大学入試制度は必要悪であり続ける。 

そうですね。

>  それならば、入試試験はかつてのように、大学の自主に任せておけばよかったのだ。>  実際のところ私が受験したころはそうだった。 

大学には自由が必要ですね。

>  自分の入りたい大学の過去の試験をしらべて対策を練ったものだ。 >  入試制度の不備も、その運用・管理も、すべて大学の自主、自己責任に任せればいいのだ。

そうですね。’自由と責任’ は車の両輪の関係にありますね。

>  それでも入りたい受験生は納得ずくで受験する。 >  それが本来の姿だろう。

そうですね。

>  とろこが、いつの間にか、大学共通一次試験制度なるものが導入され、それがいつの間にか大学入試センター試験に変わり、そして再び大学入学共通テストだという。 >  とんでもない迷走だ。

そうですね。目標が明確化されていないですね。だから、迷走を繰り返します。

>  その間に、偏差値という差別用語が当たり前のように語られるようになった。 

偏差値は、没個性の数値ですね。

>  この迷走の原因は文部官僚にこそあると私は思っている。> かつて文部官僚と仕事上でやりあった外務官僚の経験から、私はそう独断している。

文部大臣の責任ですね。官僚には政治責任は無いですね。彼らは為政者のしもべです。

>  思いつきでゆとり教育が導入され、それが教育のレベルを落としたとして批判されてもとにもどったことがあった。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。ところが、日本人には意思がない。だから、自分自身の責任で行動に出られない。仕方がないから事の次第と成り行きに従って行動に踏み切ります。他のアニマルも同じです。優柔不断・意志薄弱に見えます。

>  学歴主義とその結果としての受験制度に手を付けないで、ゆとり教育を導入したところでうまくいくはずがないのに、この迷走だ。

そうですね。学歴主義は、序列主義ですね。受験者の成績により人間の序列を作るのが目的です。没個性の励みはゆとりどころか時間貧乏になる励みであります。

>  今度の大学入試制度改革をめぐる迷走を報じるメディアの報道姿勢は政治部が主導しているから安倍政権批判がらみの報道ばかりだ。

日本人には批判精神がない。だから、メディアは政権の内容をただただ垂れ流している。

>  しかし、その急先鋒である朝日や毎日は、それぞれの週刊誌で、毎年春の恒例行事のよいうに大学入試の特集記事を組んで受験競争を煽り、売り上げ増を狙っている。 

相変わらず金儲けには熱心ですね。

>  自己矛盾も甚だしい。

マッチ・ポンプか。

>  大学入試制度改革に関する今度の迷走に関してはメディアの責任もまた大きい(了)

そうですね。メディアはあらゆる制度改革の選択肢を掲げて国民にその可能性を知らせるべきですね。

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>(転載おわり)


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偏差値 3/3

2020-06-03 11:42:49 | 文化

>そこに大学入試改革が実を結ぶかどうかの鍵があるように思います。 

個人・個性に焦点の合わせられない改革は失敗に終わるでしょうね。

>■今後は学歴が持つ価値が変わっていく
>大学入試改革にはじまる日本の教育全体の改革が進めば、「これからの社会で求められる人材」が育つことになるでしょう。

わが国の社会には、個性のある人材が必要ですね。個人的な興味に従って追及の努力を高められるようにすると良い結果が得られるでしょうね。

>ただ、わたし自身は、これからは学歴は万能ではなくなると思っています。

そうですね。一芸に秀でていることが大切ですね。天才もそうですね。熱中が自己実現の最短距離ですね。人生に成功する最短距離でしょうね。

>もちろん、これからも学歴はある程度の武器にはなるでしょう。 

英米流の高等教育機関で哲学を学ぶことが必要となるでしょうね。これは実を求める勉強になりますね。

>でも、「あの大学を出るくらいのポテンシャルを持っている人なんですね」という程度の評価基準になるのではないでしょうか。 

そうでしょうかね。いわゆる教養のある人物の指標になるでしょうね。英米人と議論・対話のできる人ですね。
 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。'  (カレル・ヴァン・ウォルフレン)
‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)  

>それよりも問われるようになるのは、先の欧米の大学入試ではないですが、その人自身がなにをしてきたか、なにができるのか、なにをしたいのかといったトータルの人物像でしょう。

そうですね。わが国には個人主義が必要ですね。個人の個性に着眼することが大切ですね。

>そう考えると、今後は、自分自身の人生の「目的」をしっかり考えることがより大切になります。>たとえば、なんの目的も持たないままに東大に行ったところで、東大で過ごす時間はただの無駄でしかありません。

そうですね。日本人は無哲学・能天気であるから、わが国に設置された英米流の大学は本来の機能を果たしませんね。入試地獄の激しさは学問の興隆にはつながらず、処世術のしのぎ合いに成り下がっていますね。  

>それよりも、自分の人生の目的をしっかり見据え、その目的のために必要な大学に行くこと。 >必要なければ大学には行かずに目的に向かって最短距離で進んでいく。

各人が自己実現の最短距離を選ぶときが来ていますね。

>あるいは、必要になったときに行く。 >そういった柔軟な考え方を持つことが大切です。 > 大学は単なる通過点にすぎません。

暇ができたら高等教育を受けて知的な人間になるように努力すると良いでしょうね。大学において正しい考え方 (哲学) を学べば、学士、修士、博士へと進むことも可能です。

>その先を見据えて自分の生き方を考えることを、ぜひお子さんに伝えてほしいと思います。

我々は、’考える人’ (the thinking man) になる必要がありますね。各人に哲学は必要です。Everyone needs a philosophy.  歴史に関する考えは歴史哲学になる。宗教に関する考えは宗教哲学になる。政治・科学に関する考えは政治哲学・科学哲学になる。人生に関する、、、、、などなど。


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