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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

幸福

2020-06-13 13:30:58 | 文化

>357614 日本人が「幸せ」を外国人より感じない根本理由 
>匿名希望         20/06/13 AM02 【印刷用へ】
>多くの人が「幸福」を追求しているわけですが、そもそも「幸福」とは何なのでしょうか。 >収入の多さや社会的地位の高さ、配偶者の存在などは、どれほど人間の「幸福」に影響を及ぼすのでしょうか。 >昨年の幸福度ランキングにおける日本の結果を振り返りつつ、『幸福の意外な正体』について解説していきます。リンク
>■年々下がる日本の幸福度
> 昨年(2019年)の世界156カ国を対象にした調査結果では、日本は前年より4つ順位を下げ58位でした。ここ数年の日本の順位の推移を見てみると、5年間で46位から58位へ、そして今年は62位と徐々に順位を切り下げています。 

序列順位を下げることは日本人の恥になるのでしょうかね。

> 最新の2020年版の幸福度ランキング上位を見てみると、1位フィンランド、2位デンマーク、3位スイス、4位アイスランド、5位ノルウェーと北欧諸国が多く並んでいます。
> 幸福度ランキングの上位に並ぶ北欧では、社会保障がしっかりしている点が理由として上げられることが多いです。

北欧のような厳寒の環境の中では、生活の失敗は許されませんからね。安全が第一、保障が必要ですね。

>■“高い社会階級に身を置くことのよさとは、所得とは無関係の何か別の要素”
>生活を自分で管理できる機会が与えられて初めて、人は幸せを感じることができる。 >所得が低くても、自分で自分の生活を管理できる道があれば、やはり幸せだと思えるのです。 >自分の行動を自分で決めるという自由度についても満足度を上げる要因になっています。 >では、日本での自由度はどうでしょうか?  

自由とは意思の自由の事である。だが、日本人には意思がない。そして、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。恣意の自由は ‘自由の履き違え’ となって何処の国でも認められていない。だから、’不自由を常と思えば不足なし’ の状態にいつも置かれている。

>■いつの間にか表現の自由が損なわれつつある
>昨今の報道番組を見ていると、どの番組も同じ情報ばかりで、番組独自の見解や専門家による辛辣なコメントも以前より少なくなっているように感じます。 

無哲学・能天気な人間には自分自身の考えというものがない。だから、受け売りの専門家になっている。
イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。
評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)

(略)
>■日本人はボランティアをする人が少ない
>2019年、内閣府は「『満足度・生活の質に関する調査』に関する第1次報告書」を発表しました。 >調査結果として以下のようなポイントを挙げています。 >①総合主観満足度の平均点は 5.89点  >②女性の方が満足度は高い 

女性はおしゃべりでいつも楽しそうにしていますからね。

>③年齢別では「谷型」(45~59歳が最も低く、60歳以降で最も高くなる) >④世帯年収・資産別では「山型」(年収2000万~3000万円、資産は1億~3億円で頭打ち。それ以上は満足度が低下)>⑤健康状態がよいほど満足度が高く、悪いと満足度は下がる >⑥頼れる人・ボランティア活動が増加するほど満足度が高い  

他人のためにしたことは満足度が高いですね。

>⑦趣味や生きがいがあると満足度が高い >2020年の世界幸福度ランキングでも62位という結果になり、年々順位を落とす日本。 >この順位を上げるためには働き方だけではなく、「幸福とは何か」についても考えていく必要があると思います。

そうですね。’幸福とは何か’ をあなた自身は考えましたか。‘他力本願・神頼み’ では期待薄ですね。意思のあるところに方法 (仕方) がある。日本人には意思がない。仕方がないから無為無策でいる。意思は未来時制の文章内容である。ところが、日本語の文法には時制というものがない。だから、日本人には意思がない。私は健康で暮らすのが良いですね。


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本音

2020-06-13 11:06:55 | 文化

>357609 コロナ問題でわかった「日本人のホンネ」(2) 
>―――休校が続いています。今後、日本の教育はどうしたらいいでしょうか。
(略)
>  日本では、先生に呼ばれて初めて、うちの子の成績が良い(悪い)ことがわかります。 >学校と親がオンラインでつながり、双方で学習状況をしっかり共有していないからです。

そうですね。日本人には意思がない。だから、意思疎通 (相互理解) もありません。

>コミュニケーションの手段が変われば、親も子どもの変化を追いかけられます。 >学校は、「親に迷惑をかけてはいけない」「親は忙しい」と考え、親の負担を軽減しようとする意識をもっているので、コミュニケーションが取れません。 

そうですね。

>そもそも「親が子どものことを考える暇もないほど忙しい」という現状には、疑問があります。

雇い主は、使用人がわき目も振らずに働いてくれることを期待していますね。

>  また「子どもが2週間家にいただけで親が大変」という声をよく聞きますが、親がわが子とじっくり1~2週間、一緒に過ごせない状況がつくられていることに、非常に驚きました。  

‘貧乏暇なし’ ですね。

>日本は、子どものことで親が仕事を休んでも、国や自治体または会社が全面的に補償する制度になっていません。 >休んだ分、損をするとなれば、子どもを育てるお金がなくなるのだから仕事をしなくてはいけない。 >そういう社会だから、わが子との向き合い方がわからない親が増えていると思います。 >この機会に社会のあり方を変えていくべきです。 

そうですね。

>―――学力低下を心配する声もあります。
>  学力とは、2週間学校に行かないから低下する程度のものなのでしょうか。 >  ヨーロッパやアメリカ、アフリカなどでは、夏休みが2カ月の国もあり、場合によっては子どもたちは宿題もないので家でダラダラして過ごしている。 >その中でも、子どもたちはものごとを観察し、考え、賢くなる。 

そうですね。暇は我々に考える時間を与えてくれますね。詰め込み教育から逃れるだけでも助かりますね。

>人生100年の時代に、子どもが一定期間、学校での勉強をしなくても、学力においては大して問題にならないはずです。 >  親は、子育てにおいて自分たちの立ち位置がわからないのではないか。 

そうですね。

>学校に任せ、学力が上がるかどうかも全て学校のせいにしています。

日本人には意思がない。だから、能動がなくて受動ばかりの生活ですね。加害者意識がなくて被害者意識ばかりがある。実に恨めしい日本の社会です。  

>学力を低下させたくなかったら、子どもと新聞を読む練習をしたり、ニュースを見て議論したり、外に出て自動販売機で算数の計算をしたり、自然に触れて経験や思い出を話したり、いろいろな方法を試みればいいわけです。

そうですね。正解は一つではない。幾らでもある。

>―――私たち一人ひとりは、何をすべきでしょうか。
>  今回の事態で、日本人の本音に触れた気がします。

本音とは恣意 (私意・我儘・身勝手) の事ですか。

>冷静に見えて他人へのいらだちを募らせていたり、堅い職業の人が、歌舞伎町やパチンコ店でこっそり気分転換したり、表と裏の二面性がある。 >プレッシャーの強いストレス社会なのでしょう。

そうですね。堅い職業の人は、序列メンタリティの下で虚勢を張って生きているのでしょう。’頑張って’、’お疲れ様’ の連続生活をしていますね。

>また「自分ではない誰かがしてくれる」気持ちが強い。

日本人には意思がない。意思の無いところには方法 (仕方) がない。誰かがしてくれる。これが切実な願望ですね。

>サービスが整いすぎているのが日本の弱さで、知恵や能力を使う機会がなく、自ら考えて動くのが苦手で他責傾向がある。

日本人には意思がない。だから、能動が無く受動ばかりの生活となっている。だから、整ったサービスが必要です。
意思がないのであるから、意思の内容を考えることは苦手になっています。ですから、問題があれば他人のせいにします。  

>ただ、わかっているのは、この問題は誰かが解決してくれるものではないということです。 

そうですね。’神は自ら助くる者を助く’ (God helps those who help themselves) ですね。  

>  私たちはこの先もウイルスと生きていかなければならず、それに対応する強い社会基盤をいかに持つかが重要です。

そうですね。日本人は、日本語と英語の両言語を良く学んで、自己の意思の表現力を獲得し、自己の世界観を説明しなくてはなりませんね。さすれば、強い社会基盤ができます。

>この機会に、他人がやってくれないことを前提に個人の能力を上げ、自分自身や地域でやる覚悟を決めて、人と連帯感を持つしかないと気づけば変わっていくでしょう。

意思を持つことができれば、意思疎通 (相互理解) も可能になります。だから、人との連帯も可能になります。我々の言語の習得が突破口を与えてくれます。



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ホンネ

2020-06-13 03:59:38 | 文化

>357608 コロナ問題でわかった「日本人のホンネ」(1) >匿名希望        20/06/12 PM10  
>アフリカ出身・京都精華大サコ学長 コロナ問題でわかった「日本人のホンネ」リンクより
>世界的に感染が広がる新型コロナウイルス。 >アフリカのマリ共和国出身で京都精華大学学長を務めるウスビ・サコ氏に、新型コロナウイルスがもたらしたさまざまな問題点を語ってもらった。 >今回の事態から私たちは何を学んだらいいのか。>日本の社会や教育のあり方について提言する。
(略)
>―――日本政府や自治体の対応についてご意見をお願いします。
>  日本は政府の決断が脆弱で、どこまで責任を持つのかはっきりしないため、国民が迷っています。

そうですね。
日本政府には意思決定の難しさがありますね。
日本人には意思がない。だから、責任もない。
意思は未来時制の内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので日本人には意思 (will) がない。
意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人は仕方がないから無為無策でいる。

>何かあったときに「お前のせい」と言われることを恐れ、動けない。

自分には責任がないのであるから、’お前のせい’ と言われるのは困りますね。
イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について述べられています。
、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。、、、、 (引用終り)  

>この不安定な状況は、政府の決断能力と意思決定プロセスに関係しています。

そうですね。日本人には意思がないので意思決定 (理性判断) ができない。その代わりに恣意決定 (盲目の判断) をすることになる。

>  今の政治家の一部は現場感覚や想像力に欠け、市民生活を考えれば当然必要な休業要請と補償をセットにしていません。>ほかの国のように半年間、光熱・水道費や税金をゼロにするなどの有効な方法も取らず、政策がインパクト重視でポピュリズム的と言われても仕方がないでしょう。

そうですね。日本人には現実直視が欠けていますね。その代わりに歌詠みが盛んですね。

>「いかに有権者にいい顔をしながら期待される決断をするか」という意図だけが伝わってきて、結局は自分たちが損をしない範囲のことしかしないとわかってしまったため、国民の気持ちが離れています。 

そうですね。政府は ‘きれいごと’ に終始していますね。

>  問題になった安倍首相が犬を抱いてお茶を飲む動画も、自国民が何百人と感染すれば眠れないほどの悩みになるはずで、国民への気持ちはその程度だと宣言したようなものに思われてしまった。 >本当に国民を思うなら、自分のクビが飛んでもいいくらいの覚悟で大胆な政策を発表してほしいと、国民は期待しているはずです。 

日本人は小心者ですからね。自分の考えに自信がないのです。  

>  政府と地方自治体の権限の範囲や意思決定も複雑です。>国には、決めたら責任を持たないといけないという意識が働き、自治体は、国より先に勝手に決めると責任を持てないと考える。 

兎角この世は無責任。

>国の決断を待たずとも責任と強いリーダーシップで決められる権限を地方に与えるべきです。

そうですね。実質的な地方自治が必要ですね。日本人は、自主・独立の精神を見習うべきです。  

>  興味深いのは、日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っていることです。 

‘他力本願・神頼み’ は、昔からの仕来りですね。日本人には世界観がないから、この世の ‘あるべき姿’ (things as they should be) もない。政治音痴である事に変わりはありませんね。

>アフリカも政治不信は同じですが、まだギリギリ地域共同体が機能し、地域の動きを政治家が利用してサポートする例が見られます。 

それは幸いなことですね。

>昔の日本は、京都の地域住民が国に先駆けて小学校をつくるなど共同体の力がありましたが、今は自治会レベルでも国の決断を仰いでいる。 

日本人には意思がないから、他力本願・神頼みになりやすいです。国家の規模で序列制度を確立すると、民は速やかに自主・独立の気風を喪失します。

>共同体が壊れ、相互扶助もできなくなっています。

今は、村の制度が破壊され、コミュニティーだと言っている。序列制度が破壊されると、日本人の序列による協力も失われます。外国に移住した日本人のような暮らしになります。

(略)

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