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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

無意思の圧力

2020-06-15 11:00:13 | 文化

>357657 自分の頭でモノを考えられない順応回路→絶滅種⇒どうする? 
>宮田一郎         20/06/14 PM09 【印刷用へ】
>>生物には、順応回路があり、これは「決められたことに従う」と言う規範回路だが、その大半「いい生活を手に入れる⇒そのために私権(地位や財産)を獲得すること」「選択肢が広がる」などの騙し観念で構成されている。
>>そして、強制圧力と順応回路は、本能課題などを封鎖していく。
>>内発エンジン[本能]を封鎖したので、エネルギーが出ず、どんどん活力が低下し約五分の一にまで低下していく。
>>それだけではなく強制圧力、順応回路は自分にどんどん収束していく。
>>[自我]だから最終的には、外圧捨象にまで行き〔外圧捨象しすぎて自分の本能回路を封鎖していく。〕自分には「どうでもいい」などと捨象していく。
>>更に、五分の一だったのに、約十分の一にまで低下していく。(353809)
>加えて、強制されたことや決められたことに従って生きるだけでは、自分の頭でモノを考えることが出来ず、追求力が全く形成されていない。
>外圧に適応すべく作られた本能を封鎖している以上、危機に瀕しても自分で考えることが出来ず、まったく対応できない。それではこの先生きていけない。

そうですね。日本人には意思がない。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制というものがない。だから、日本人には意思がない。  
意思のあるところに方法・仕方がある。日本人は仕方がないから無為無策でいる。生きる力が不足している。
' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず'  山本五十六 (やまもと いそろく)

> 現代人の大半はこの順応回路に冒されているように思える。

日本人は自己の意思がないから、事の次第と成り行きに従って行動を開始することになる。この方法は他の動物と同じであるが、これでは人間らしい動作が得られない。このことは、明治以前から外国人にも知られていた。フランク・ギブニー (Frank Gibney)  氏の著書 <人は城、人は石垣> には、日本人の意思決定に関して次のようなことが書かれています。

ペリー提督は、日本人はアメリカ人のように敏速に行動しないと注意された。それは、このように説明された。数人の日本人が黒船を訪れたいと思って集まったとする。一人が「いい日だな」という。これに二人目が「なんという気持ちのいい日だ」と調子を合わせる。三人目が「波も見えないぞ」という。最後に四人目が「船に行ってみようじゃないか」と提案する。  ニューヨーク・デイリー・ニューズ (1854年6月13日) (引用終り)

> 主犯は私権の強制圧力と、学校の強制圧力だが、とりわけ成長期に詰め込まれる学校教育の影響は甚だしい。

日本人には意思がない。だから、能動無く、受動・受動の毎日が続くことになります。強制しようがしまいが、圧力なしではどうにもならないようになっています。

> 「決められたことに従う」順応回路は、秩序化本能=適応本能さえも封鎖し、強制圧力によって形成された社会規範や社会共認に収束してしまうことを意味している。

圧力など存在しなくても日本人の行為は社会規範や道徳に仕方なく落ち着きますね。
日本に作用するこの力は、独裁政権があってそこからくり出されてくるのではありません。それは日本の社会環境のあらゆる場所から発現する無意思によるものです。この力こそが、多くの日本人が身をおく境遇に対して唯一、適当な対応は「仕方がない」とうけいれることだと思わせるのであります。  

> 今回のコロナ騒動を見ても、自分の頭で考えることもせず、マスコミの垂れ流す情報に惑わされ、学者やマスコミによって作りだされた偽の社会共認に従い、挙句の果てはその社会共認に背くものを取り締まるものまで出現する始末。

そうですね。意思の内容も無く、考える内容も無い。

>このような状況でも、コロナ騒動によって多くの人々の意識が変わり(考え始め)、さらにベーシックインカム(AI)導入により私権社会からのパラダイム転換が実現すると考えていたが、順応回路を考えるにつれ怪しく思い始めてきた。>少々の所得保障くらいでは何も変わらないような気がする。

そうですね。お変わりのないことが何よりなことです。

> 突破口は本能封鎖を解くこと、自分の頭で考えることだが、もう一つ考えなくてはならないのが社会共認の行方。 >社会共認の潮流や方向性を捉え、従う方向に順応回路で舵を取ると思われるため、学者やマスコミの作り出す意図的な支配共認に違和感を感じられるかどうか、そして真っ当な社会共認を形成していくこと。

その意思がなければ仕方がないということでしょうね。ごまめの歯ぎしりになるのでしょうか。


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ものを考える 2/2

2020-06-15 04:34:29 | 文化

>あなたは「自律自走人材」になれるか? 

それは我が国の伝統との戦いですね。

> 「自律自走人材」になるためには、まず、自分自身が何者なのかを深く見つめて、人生の目的や意味を再発見し、自分の「志」を結晶化して、チームと共有することだと宇佐美 [潤祐] 氏は言う。 

‘我々は何処から来たか’、’我々は何者であるか’、’我々は何処に行くのか’ といったような哲学的命題を考えてみる必要がありますね。我々日本人は、無哲学・能天気の民としてとどまるわけにはいきません。

> 個人の「志」は、青臭くて気恥ずかしいものだが、それを互いに共有し合えば、チームとしての「志」を持つ個人の連帯が生まれ、強い絆で状況変化にも臨機応変に対応し、全員で立ち向かえる組織になるという。

青臭くて気恥ずかしいとは、青雲の志 (高位・高官の地位に至ろうとする志) のことですか。  

>ここでふと、もともと終身雇用制がとられていた伝統的な日本企業ならば、社員は会社に高い忠誠心や愛着を持ち、絆も強いのではないかと考える。 >だが、そのようなイメージはもはや過去のものだという。

序列社会に序列人間がいなくなったのですね。  

>2011年から2012年にかけて行われた調査によれば、日本で「会社と強い結びつきを感じている」と答えた人の割合は、たったの7%。  

日本人の自己の序列に対する帰属意識の衰退ですね。

>他国を見ると、アメリカ30%、オーストラリア24%、イギリス17%、ドイツ15%で、日本は先進国中、最も低い数字だった。 

欧米には序列社会 (上下社会・縦社会) はありませんからね。彼らは序列以外の関係で会社に結びついているのでしょう。

>ただし、宇佐美氏の主張は、決して「欧米企業並みになろう」というものではない。 >そこには行きすぎた個人主義のわなが潜むと考えるからだ。

‘個人主義の罠’ とは何ですか。

>あくまでも、会社やチームに重きを置く本来の日本人・日本企業ならではの特質を生かして、個人を「自律自走人材」に育てることで、欧米企業にはまねのできない強いチーム能力を生み出すようになるというのが「リード・ザ・ジブン」の目的なのである。

自律自走とは、’自主独立の気風’ と ‘能動的な活動’ を指すのですかね。 

> 宇佐美氏の手法は重層的で、個人の深層心理へと掘り進みながら、地中深くに眠っていた情熱の間欠泉を掘り当てるような激しさも伴う。 >まずは、自分の人生を振り返り、イベントごとのモチベーショングラフを記入した人生曲線を描くことで、自分の持つ要素や、価値観などを言語化し、熟考する。 [motivation: 動機付け]  >次に、この人生曲線をチームメンバー数人でシェアする。
>同僚や部下は、毎日顔を合わせていても、実は知っているようで知らないところがあるものだ。

個人の考え (非現実) の内容はまちまちですからね。全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。矛盾を含まない文章は、すべて正しい考えを示している。だから正解は一つできない。

>だが人は、お互いの物語を知れば知るほど、多面的に理解することができ、好感度や親密度が高まるという。 >絆づくりには大切な作業なのだ。 

なあなあ主義かな。‘なれ合い’ にならないと良いですね。なあなあ主義とは、真の意味での検討や意見の交換などはせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

>人生曲線をシェアしてフィードバックし合うことで、自己肯定感が高まる効果もあるという。

それは幸運なことですね。

>もちろん厳しい意見も出るが、自分自身すらあまり振り返って来なかった自分の人生に対して、他人が注目してくれることは、貴重な体験となる。 

そうですね。

>宇佐美氏は、この自己肯定感こそが、自分にも「志」を実現できるのではないかという自信を醸成することにつながるという。

自己否定からの脱却ですね。成功を祈ります。

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ものを考える 1/2

2020-06-15 04:05:22 | 文化

>357653 自分の頭でものを考えるとは  >匿名希望        20/06/14 PM07  
>自分の頭でものを考えるとは。> 圧力の順応する回路だけ、与えられた課題、決められた課題だけやるでは悲惨なことになる。 

そうですね。受け身の姿勢だけでは悲惨ですね。能動的な活躍が必要ですね。

> 日本企業が没落した理由 >リンク より引用
> 「リード・ザ・ジブン」は、ありきたりなリーダー目線の采配論でもなければ、個人の単なる自己啓発に終始するものでもない。 >まずは個人の「志」と、会社としての「ありたい姿」を削り出すところからはじまり、この2つをシンクロさせることがカギとなっている。 

志は恣意 (私意・我儘・身勝手) ですか。

>自分の「志」と、会社の「ありたい姿」がどう関係しているかが理解できると、自分の日々の仕事に意味を感じられるようになるのだ。 

そうですね。’ありたい姿’ とは、’あるべき姿’ (things as they should be) の事ですか。

> 上から押しつけられた「あるべき姿」では絵に描いた餅に終わるが、それが「自分事化」できて腹落ちするものならば、社員は誰かに言われるのでもなく、自分の思いをベースに行動することのできる「自律自走人材」に育つという。 

受動的な活動は適当ではなく、能動的な活動が良いということですね。

> 「自律自走人材」は、会社の「ありたい姿」を共有する一員でありながら、個人としての「志」も両立できる。 

自律自走とは、’自主独立の気構え’ と ‘能動的な活動’ の事ですね。 

>つねに脱皮し続けることで「過去最高の自分」を求めて成長する存在でもある。 >それは、チームとしての能力を強くすることでもありながら、同時に、個人の人生を豊かな手応えあるものに作り上げていくことでもあるというわけだ。

なるほど、一挙両得の方策ですね。個人も会社 (チーム) も共に助かりますね。  

>なぜ「自律自走人材」が必要なのか? >そこには、グローバル化により、不確実で予測不能となった事業環境に、日本企業が対応できていないという課題がある。 

そうですね。序列社会の老舗に頼る経営では立ち行かなくなったのですね。  

> 平成元年、世界の企業の時価総額トップランキングは、NTTを筆頭に日本企業がトップ10社に名を連ねていた。 >それが今や、上位はアップル、アマゾンなどGAFAに代表される企業群や、アリババ、テンセントなど中国の新興企業群に独占され、日本はかろうじてトップ50にトヨタが入っているだけだ。 

日本人には意思がない。意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人は仕方がないから、無為無策でいる。だから ‘生きる力’ に欠けている。
意思は未来時制の文章内容である。しかるに日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから日本人には意思 (will) がない。
自己の意思を示せば当事者・関係者になる。意思を示さなければ傍観者にとどまる。日本人には意思がない。だから、力を合わせる友達ができない。孤高の人にとどまっている。

> 予測不能の事業環境に置かれているということは、過去の経験が無価値化することもありうるという意味でもある。

そうですね。暗記力だけでは切り抜けられませんね。  

>今後は、過去のデータを分析して正解を導き出すようなバックミラー型経営や、会社の論理を社員へ下ろすだけの流れでは難しく、市場にいちばん近い現場にいる社員こそが、変化の兆しを察知して自ら考え、課題設定を行い、解決していくことが必要になる。

我々日本人は、’考える人’ (the thinking man) になる必要がありますね。

>ところが、日本企業では、これまで個人よりも会社の論理が優先される風土があった。 >経営者が下ろす課題を、ひな鳥のような社員が所与のものとして受け取り、効率よく解決していくことこそが是とされてきたために、個人の自律性も自走能力も養われていないのである。

そうですね。わが国には個人主義がありませんね。


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