>就職状況がいいということは、いいことでもあり、具合の悪いことでもある。>なぜなら就職とは、既成の社会組織に組み込まれることを意味するからである。
就職状況がいいと、社会が停滞するということになるのですか。
>その社会に大きな目で見て問題があるとすると、個人はどうすればいいのか。
一朝一夕には行きませんが、個人は ‘考える人’ になる必要がありますね。
>戦前の日本がいわゆる軍国主義に走ろうとしていたとき、国民は何をどう考えればよかったのか。
国民は、座して死を待つしかないのでしょうかね。単純な抵抗勢力となるのか。
>メディアの報道を見ればわかる。>メディアの人たちも、典型的に社会に組み込まれている。>だから結局はその常識で記事を書く。
そうですね。メディアの人達も時流に流されていますね。
>そのことは、戦前の新聞に目を通せば、まさに一目瞭然である。>現代なら、就職状況はいい、保育園の待機児童は多い。>そういう類いの記事になる。
そうですね。
>では就職は人生を全うすることであろうか。
そう考えるよりほかに、仕方がありませんね。
(略)
>保育園の待機児童については、常に思う。>理想的な保育園ができたとして、その時に親はいったい何をするのか。
その時、親は何もしないでしょうね。
>私は言いがかりをつけているのではない。>保育園の理事長も三十年以上はやった。>そこで感じるのは、子育ての問題に現代人は本気のようで本気ではない、ということである。
そうですね。現代人は、’本気のようで本気でない’ ですね。無哲学・能天気ですからね。
>待機児童の存在自体が問題だ。>報道を見ている限り、そう思ってしまいかねない。
そうですね。
>少なくとも政治家は、頭の中では、そう切って捨てているはずである。>切って捨てられているもの、それは何か。>子ども自身の、子どもとしての人生であろう。>結局は万事、親の都合だからである。
そうですね。報道陣も政治家もご都合主義から来る見解を述べているのですね。子供の ‘あるべき姿’ など、どこにも論じられていない。
>子どもに投票権はない。>子どもは大人になることを前提として扱われている。>そういう存在でしかない。>世間から子ども自体としての価値が消えた。>そういってもいい。
そうですね。大人は、子供を世間から厄介払いした。
>だからそれを補っているのがペットである。>少子化になるのも、無理はない。>どこをどう見ても、そう思えて仕方がない。
ペットは、子供の代用品ですか。ペットの数を減らせば、子供は増えるのでしょうかね。
>ローマ人は大帝国を築いた。>しかしやがてラテン語を話す人たちは消えた。>おそらく古代ローマは現代日本と似たようなものだったのであろう。
古代ローマも現代の日本も、ご都合主義に根差していたのでしょうね。
>既成社会はどこに向かおうとしているのか。
‘我らは、どこに向かうのか’ は、我々にとって大切な命題ですね。答えは未来時制の内容になりますから、日本人には答えを出せないでしょうね。
>現在の日本人の常識を変えず、生き方を変えないで、そのまま経過すると、日本社会は消える。
無哲学・能天気では、そうなるでしょうね。日本語使用では、’あるべき姿’ は出て来ませんね。’あるべき姿’ は、’今は無い姿’ である。現実の中に ‘ない姿’ は、わが国では ’嘘’ の内容としてとりあつかわれます。
>どこかでまた人が増え出すというのが、大方の意見である。
相変わらずの希望的観測ですね。他力本願・神頼みか。
>そうかもしれないが、そうでないかもしれない。
May be, may be not.
>就職率がよく、したがって多くの若者が就職する。>ということは、既成社会がさらに続くことを意味する。
そうですね。<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)
>つまり長い目で見ると、日本人が消えることを意味するのではないか。
そういうようなこともあるでしょうね。これは、古代ローマ滅亡の再現か。
>だから私は、現代社会からいわば外れている人たちに注目する。
そうですね。現代社会から外れている人たちは、無哲学・能天気でない可能性がありますね。
>先に挙げたような人たちを見ていると、それが悪いとは思えない。>むしろ世間から外れて当然ではないか、という気がしてくる。>むろん困ったふうに外れている人もいる。>それはいつでもあることである。>だから外れろということではない。
勿論、そうですね。
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