>教育と思想 [小谷野敬一郎]
> 教育は、基本的に思想的なものである。> 現代日本の教育には、思想がない。
そうですね。日本人は元来無哲学・能天気の人間ですからね。その教育にも哲学がない。
>だから、どうしたいのか、どういう子に育てたいのかさっぱりわからない。
そうですね。子供は立派な人に育てるのが良いですね。立派な人とは、序列順位が高い人の事でしょう。その価値観が問題となるでしょうね。
> 多くの教師が、民主教育の名の下に、教育の現場に、思想教育を持ち込む事を、拒否している。 >その結果、雑多の思想が便宜主義的に入り込み、子供達の考え方を汚染している。
考えは人人により違いますからね。各々の教育者の考えで各々の子供が責任を持って教育されることでしょう。
>近代国家は、思想によって成り立っている。 >思想教育を怖れていては、近代国家は、成立しない。 >特に、民主主義は、思想的な国家体制である。
チャーチルの名言 「民主主義は最悪の政治形態らしい。ただし、これまでに試されたすべての形態を別にすればの話であるが。」
>民主主義に対する教育がなされなければ、民主主義国は成立しない。
そうですね。立憲主義、人権、民主主義といった近代憲法の諸概念は、多様な個人の共生を可能にする基礎であり、普遍的なものとして受け入れなければならないでしょうね。 .
> 反体制的、反国家的思想を民主的、自由主義的だと思っている教師を多く見受けられるが、これは、明白な間違いである。
‘
これは権威に対する反骨精神というのですかね。感情の問題ですかね。
> 問題なのは、その国の思想であって、教育上の問題ではない。 >その国が、目的とするところに、反する教育をするのは、国家国民の意思を無視することである。
各人に哲学が必要ですね。 Everyone needs a philosophy. そのうちの最も人気のある哲学者が政権を担うことになるのが良い。
> それは、戦前において全体主義や国家主義、軍国主義に対する反省からきているにしても、国家国民の意思を無視して、その国の子弟に個人的に教育する事は、思想教育としても最も下劣だ。 >反体制や反国家も思想である。
何処の国にも反体制派の人間はいますけれどもね。洗脳教育は良くないですね。
>それを教育の現場で、保護者、国民の了承もなく、個人的に子供達に施すのは、独善であり、一種の独裁である。
そうですね。裏切り行為ですね。大人の社会では通用しない主張だからでしょう。
>全体主義や国家主義、軍国主義に対する抵抗は、公の立場としてするべきであり、教育の現場で、しかも、陰に隠れてするものではない。
‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)
> 今の我が国は、無政府主義が横行している。 > 現在の我が国は、少なくとも制度的には、国民国家なのである。
そうですね。主権在民ですね。
> 民主主義は、思想信条の自由を重んじるので、思想教育するのは、許されないと考えるのは、無知な者である。
子供は自分自身の考えを発展させるべきですね。
>なぜなら、民主主義こそ理念的で、思想的な体制だからである。
一番人気の考えが国の政治に反映されるべきですね。
>思想的なものを無条件に否定することではなく、民主主義の理念を確立し、それを教育の中心に据えることである。
'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。' (カレル・ヴァン・ウォルフレン)
我が国は高文脈文化 (high-context culture) の国ですからね。低文脈文化 (low-context culture) の国々の理念をおいそれと受け入れるのは難しいでしょうね。
[高文脈文化と低文脈文化の比較の例]
《高文脈文化》の特徴: 言葉以外に状況や文脈も情報を伝達する。重要な情報でも言葉に表現されないことがある。/ 曖昧な言語 / 一般的な共通認識に基づく / 双方の合意に基づいた契約でも状況によって柔軟に変更される。/ 感情的に意思決定される/沈黙は不快ではない /
《低文脈文化》の特徴: 伝達される情報は言葉の中で全て提示される。/ 正確性が必要とされる言語 / 言語に基づく / 双方の合意に基づいた契約の変更は容易ではない。/ 論理的に意思決定される / 沈黙はコミュニケーションの途絶として不快 /
出典: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』
.
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます