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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

開戦の責任  

2025-04-17 17:56:11 | 文化

現代ビジネス   昭和天皇が側近にだけ明かした「対米開戦の責任」…「憲法」と「平和」の狭間の苦悩   学術文庫& 選書メチエ編集部によるストーリー・   9時間・   

>側近が見た天皇   

>日本という国の現在のあり方を知るためには、その歴史を学ぶことが重要です。   

>とりわけ、近代化を遂げた日本が、なぜ太平洋戦争という無謀な戦いに突入したのか、その戦争のさなかにはどのようなことが起きていたのか、そして、いかにして戦争が終結したかを知ることには、大きな意義があることでしょう。   

>戦時中、国家の意思決定に大きな影響を与えた一人として昭和天皇があげられますが、その昭和天皇が戦中どのようなことをしていたかを知るのに便利なのが、『侍従長の回想』(講談社学術文庫)という本です。   

 

われわれ日本人には意思が無い。意思の無い人間には責任が無い。日本人は責任者捜しに苦労する。    

たとえば【英対する開戦の詔勅】では

洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ

まことにやむをえざるものあり。あにちんがこころざしならんや。

開戦はまことにやむをえないことで、私の本意ではない。   

となる。  

天皇の意思でなければ一体誰の本意で我が国の意思決定が為されたのでしょうか。  

 

>著者の藤田尚徳は、海軍兵学校、海軍大学校を出たあと、海軍省人事局長、海軍省次官などを経て、1944(昭和19)年の8月に天皇の最側近である「侍従長」となった人物です。   

>本書は、藤田が1961年に侍従長時代のことを振り返ったもの。   

>本書では、藤田の目から見た昭和天皇の戦中、戦後の日々がつづられており、そこからは天皇の知られざる姿とともに、当時の政府中枢の動向が見えてきます。   

>たとえば、終戦から1年ほど経った頃、「なぜ天皇はあのような愚かな戦争を始めさせたのか」という世間の声について、自身の思いを語ったことがありました。   

>同書より引用します(読みやすさのため、改行などを編集しています)。   

>〈陛下もまた新聞を通じて、このような議論が国の内外に盛んになってゆくのを知っておられた。   

>そして思いもかけず、私は陛下の御胸中をじかに聞く機会を得たのである。   

>陛下は自然に、さりげない態度で語り出されたことだが、その心境を他人に表明なさったことなど、おそらく陛下の御一生にかつてなかったことではあるまいか。   

>それは先の近衛公の手記、あるいは木戸侯の発言に対する陛下の御回答ともいうべき内容だったが、この大戦争についての陛下の積もりに積もった苦悩の告白といってもよかったろう。   

>苦しみがあってもうったえるべき人のない天皇、グチのやり場もないのが日本の天皇の姿であった。   

 

日本人には意思がない。加害者意識 (罪の意識) はないが、被害者意識はある。だから恨み節だけがある。実に恨めしい世の中である。      

 

>陛下は発言したくても、その意見を公けになさることはなかったわけで、戦争の責任についても、もちろん一言もお述べになったことはない。   

>ただマッカーサー元帥に対して、「一切の責を自分で負う」と表明されただけであった。   

 

ヒットラーは勝算を見込んで (理性判断) 戦争に突入した。

日本人は勝算を見込むことなく (盲目の判断) 戦争に突入した。

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。 

指導を受ける時期というのはどこでもそうですが、日本人は新しい模範とか新しい考え方を受け入れやすかった。あそこでは、基本になる考えを植え付けることができます。日本人は、まだ生まれたばかりの、柔軟で、新しい考え方を受け入れることができる状態に近かったのです。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使のものよりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。だが、日本人は彼が考えるような知恵遅れの民族ではない。日本語文法には時制 (tense) というものが無いのである。待てど暮らせど非現実 (考え・哲学) を搭載する構文は日本人の口からは出て来ない。つまり自己の考えの内容が出て来ない。これが英米人の子供の行く末と違う所である。   

 

>しかし、陛下には陛下のお考えがあり、ああすれば戦争を避けられたのではないか、こうもすれば戦争をなお速かに終結できたのではないかと反省され、苦しまれたことも多かったのである。   

 

後悔先に立たずですね。   

 

>昭和21年の2月のことであった。   

>何かの奏上で御前に出ると、「椅子にかけよ」とおっしゃった。   

>私が椅子に坐ると、陛下は心もち身体を前にゆすりながら、静かな声で語られた。   

>常々陛下は朗々とした声で話をなさるので、耳の遠かった鈴木前首相なども、「御前にでて陛下の話が聞きとれぬと困るが、陛下のお声は大きいので楽だ」と言われていたが、この時はお声も低く、しんみりとした調子であった。   

>陛下は単刀直入に、戦争責任論を口になさった。   

>「申すまでもないが、戦争はしてはならないものだ。   

>こんどの戦争についても、どうかして戦争を避けようとして、私はおよそ考えられるだけは考え尽した。   

>打てる手はことごとく打ってみた。   

>しかし、私の力の及ぶ限りのあらゆる努力も、ついに効をみず、戦争に突入してしまったことは、実に残念なことであった。   

>ところで戦争に関して、この頃一般で申すそうだが、この戦争は私が止めさせたので終った。   

>それが出来たくらいなら、なぜ開戦前に戦争を阻止しなかったのかという議論であるが、なるほどこの疑問には一応の筋は立っているようにみえる。   

>如何にも尤(もっと)もと聞こえる。   

>しかし、それはそうは出来なかった。   

>申すまでもないが、我国には厳として憲法があって、天皇はこの憲法の条規によって行動しなければならない。   

>またこの憲法によって、国務上にちゃんと権限を委ねられ、責任をおわされた国務大臣がある。   

 

日本人には意思がない。意思の無い人間には責任もない。兎角この世は無責任。      

意思の無い人間には意思決定 (理性判断) ができない。だが、恣意 (私意・我儘・身勝手) があるので恣意決定 (盲目の判断) をすることになる。恣意決定にはリーズン (理性・理由・適当) が無いので、説明責任はとれない。   

だから、わが国の戦争責任はうやむやになる。事が起こっても責任者を見つけ出すことは難しい。初めからリーズンを持つ責任者はいないにだから。責任者を出すなが正しい日本人の判断なのであろう。   

 

責任のある者は信頼される。そして尊敬される。

日本人には意思がない。意思の無い人間には責任がない。だから信頼されることはない。一旦事が起これば、責任者捜しのために騒ぎが起こる。日本残酷物語の様な騒ぎになることもある。

肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。

徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)  

 

>この憲法上明記してある国務各大臣の責任の範囲内には、天皇はその意思によって勝手に容喙(ようかい)し干渉し、これを掣肘(せいちゅう)することは許されない。   

>だから内治にしろ外交にしろ、憲法上の責任者が慎重に審議をつくして、ある方策をたて、これを規定に遵(したが)って提出して裁可を請われた場合には、私はそれが意に満ちても、意に満たなくても、よろしいと裁可する以外に執るべき道はない。   

 

日本人には意思がない。意思の無い人間には信頼がない。

民、信無くば立たず。(政治というものは (民衆) の信頼無くして成り立つものではない。) [論語・顔淵]  

 

アメリカ人には意思がある。だから自国を護る戦死者の勇気を称える。

日本人には意思がない。だから供養をする。戦死者の意思を称えることはない。これではアニマルの供養と同じである。   

戦いに意味も無い。敵も味方もない。それで深刻な反省には至らない。そして過ちを繰り返す。        

 

>もしそうせずに、私がその時の心持次第で、ある時は裁可し、ある時は却下したとすれば、その後責任者はいかにベストを尽しても、天皇の心持によって何となるか分らないことになり、責任者として国政につき責任をとることが出来なくなる。   

>これは明白に天皇が、憲法を破壊するものである。   

>専制政治国ならばいざ知らず、立憲国の君主として、私にはそんなことは出来ない」   

>陛下は非常にゆっくりとお話しになった。   

>一語一語、言葉を確かめるように、しかも国民を前にうったえられるような端然とした態度であった。   

>開戦の責任がどこにあるか、陛下としては国民を危機に陥れたことを、決して他の責任にかしてはおられない。   

>自ら一身に引受けることを、マ元帥の前でも申されたとおりであったが、しかしなお国民を困苦窮乏の淵に落さずに済む方策があったかもしれぬと御心痛になっていたのだった。〉   

 

  ちなみに、昭和天皇が送ったとされる手紙の全文はこちらにある。

  『手紙をありがたう しつかりとした精神をもつて 元気で居ることを聞いて 喜んで居ます。

  国家は多事であるが 私は丈夫で居るから安心してください 今度のやうな決心をしなければならない事情を早く話せばよかつたけれど 先生とあまりにちがつたことをいふことになるので ひ かへて居つたことを ゆるしてくれ 

敗因について一言いはしてくれ

 我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである

 我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである

 明治天皇の時には 山県 大山 山本等の如き陸海軍の名将があつたが 今度の時は あたかも第一次世界大戦の独の如く 軍人がバツコして大局を考へず 進むを知つて 退くことを知らなかつたからです

 戦争をつづければ 三種神器を守ることも出来ず 国民をも殺さなければならなくなつたので 涙をのんで 国民の種をのこすべくつとめたのである

 穂積大夫は常識の高い人であるから わからない所があつたら きいてくれ

 寒くなるから 心体を大切に勉強なさい

 九月九日           父より   明仁へ』 

 

 

 

 

 

 

 

 


泥沼化  

2025-04-17 00:53:38 | 文化

>現代ビジネス   >日中戦争はなぜ「誰も望まないのに拡大した」のか? その「謎」にたいする「一つの答え」   >現代ビジネス編集部によるストーリー・   >10時間・   

2025年は「昭和100年」にあたります。   

>昭和史のエキスパートである学習院大学教授・井上寿一さんの新刊『新書 昭和史』は、昭和元年から始まって現代に至るまでの100年の歴史を描いたもので、発売後、早くも話題を呼んでいます。   

>昭和史のプロは、あらためて長いスパンで昭和史を描いてみてなにを感じたか。   

>同書をめぐって、井上さんにインタビューしました。   

>なぜ日中戦争は泥沼化したか?   

>——今回の本が昭和元年から始まって、現代に至るまで100年の歴史をお書きになってるわけなんですけれども、100年という長いスパンで歴史を書いてみて、とくにどこが面白かったでしょうか?   

>井上:日中戦争に至る前のところですよね。   

>誰も中国と全面的に戦争しようなんて思っていなかったのに、戦争になっている。   

>それがどうしてなのかというところは、非常に知的に興味を引くところでした。   

>その点は、以前からずっと研究しているんですけれども、何度やっても惹きつけられます。   

>——日中戦争はそんなに不思議な戦争なのですか?   

>井上:そうですね。   

>もっとも中国と戦争したがっていたのではないかと思えるような軍部……とくに陸軍の仮想敵国はソ連です。   

>ソ連との戦争に備えるためには、中国で余計なことしたくないという軍事合理性がありますよね。   

>それで、ほかに誰が中国と本格的に戦争したいのかっていうと、思い浮かばないんですよね。   

>——とくに戦争を始めたいと中国と戦争を始めたいと思うアクターが見当たらない、と。   

>井上:そうですね。   

>それなのに、なぜあんな全面戦争になったのか。   

>日中戦争拡大の経緯を追ってみましょう。   

193777日の「盧溝橋事件」がきっかけで日中全面戦争になります。   

>まず、盧溝橋事件というのは、諸説ありますけれども、おおむね「偶発的な軍事衝突」という理解が一般的です。   

>「中国側の陰謀だ」とか「中国の中でもさらに共産党の陰謀だ」とか「その背後にソ連がある」とか諸々言われますけれども、実証研究からしますと、偶発的な軍事衝突。   

>「何で日本が盧溝橋にいたのか?」という疑問を呈されることもありますが、1899年の義和団時事件の収拾策のなかで、日本だけではなく列国も共同して盧溝橋の周辺に駐屯していたんですね。   

>そこで近接するところに、両国の軍隊あるいは日本以外の欧米の軍隊もいたなかで、偶発的な軍事衝突が起こったんです。   

>それで、中国側にも全面戦争にする意思はなかったと考えられます。  

>とくに蒋介石からすると、重要なのは、日本と戦うことよりも、共産党との内戦に備えることです。   

>実際、後に内戦が起きて蒋介石は負けるわけですから。   

>そうすると、日本もやりたくないし中国もやりたくない。   

>だから盧溝橋事件の数日後には現地で停戦協定を結ばれているんです。   

>なぜ一度停戦協定が結ばれたのに、戦線拡大したのかというと、今のウクライナ戦争の停戦案にも関わってくると思いますが、停戦協定が結ばれても、それが本当に守られるかどうか、軍隊がそれを監視しないと駄目なわけです。   

>双方が「停戦協定結ばれました」と言ったからとって、お互いの善意に期待して戦いやめるかどうかはわからない。   

>実際に軍隊が出て行って「お互いに手を出さないよな」ということを確認しないといけないわけですよね。   

>それで日本も、停戦協定を中国が守るかどうか、軍隊を増派して確認しよう、と。   

>すると、中国側が「これをきっかけにむしろ戦争する気でいるんじゃないか」「戦争する気でいるんであれば、共産党との内戦よりも先に日本に対応しなきゃいけない」ということで戦争が拡大していってしまうんです。   

>一方でどちらの国も、戦争は早く終えたいという思いがあったので、日中戦争の全部の期間を通じて、様々な和平工作が出る。   

>でも、出ては失敗してしまうんです。   

>それくらいどちらの国も本当はやりたくない。    

>やりたくないけど拡大する。   

>——たしかにそういう相互不信はありそうですね……。   

>井上:ただ、日本国内はすこし状況が違って、戦争の最大の被害者は国民なんだけれども、その国民が戦争を支持するんです。   

 

無知な国民ほど怖ろしいものはない。   

 

>とくに盧溝橋事件が起きて数ヵ月後には相手の首都・南京を陥落する。   

>当時の常識だと、相手の首都・南京が陥落すれば、戦争は終わりです。   

>しかも日本国民は、「短期間で終わって、日本が勝つ戦争」しか知らないですよね。   

 

そうですね。賢い人は「純粋によく観察する」が、そうでない人は「自分の期待したもの」しか見ようとしない。  

 

>日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦。   

第一次世界大戦は4年って言っても、実質的に日本は、ドイツ領の青島をあっという間に占領して自分のものにした。   

>地中海に海軍は派遣されたけど、実際に戦ったわけではないわけですよね。    

>日清戦争も日露戦争も2年ぐらいで終わっているわけで、そうすると、「戦争というのは短期間で終わって、しかも勝つ戦争」ということになる。   

>いま進んでいるのもそういうものなんだという感覚があるんです。   

>しかも南京は陥落している。   

>勝ったんだから、それまでの戦争と同じように、領土の一部を奪ったり、賠償金を取ったりできるよねとなるわけです。   

>ところが政府当局からすれば「いやそんなことしたら、中国は絶対受け入れてくれない」ということで、中国側と国民との板挟みになるわけですよね。   

>板挟みになっているのが、近衛文麿です。   

>近衞という人は、国民的な人気を背景に首相になって影響力を拡大していった人なので、余計「国民が何を求めているのか」というのに影響を受ける。   

 

そうですね。彼は無哲学・能天気ですね。世界観がない。  

 

>むしろ近衞が独裁者だったら、合理的に中国との戦争を終えることができる。   

>けれど、独裁者じゃなくてポピュリズム政治家なので、大衆の要求に押されて和平条件を加重する。    

 

そうですね。彼には指導力がない。   

 

>すると中国側は「こんなのは飲めない」となる。   

>だいたい、中国側は負けている気はしていないので。   

>南京が陥落したら、もっと奥地の方に首都を動かせばいいというだけですから。   

 

そうですね。日中の知恵比べですね。   

 

>日本側は戦争が終わったと思っていたけど、なにも終わってなかったということです。

 

'為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)         

日中戦争が泥沼化したのは政治家の頭の中が泥沼化しているからではないでしょうか。     

 

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