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バラバラ

2019-11-19 11:13:07 | 政治

>348321 バラバラは支配者の思う壺  >上前二郎 19/08/08 PM09 【印刷用へ】 >だから、団結が力になる! >-----------------------------------------
>間違いが暴かれても、なぜそれが放っておかれるのか >リンクから引用
> 無関心は、独裁の味方。

そうですね。有権者が不在のようなものですね。為政者は、勝手気ままにやれますね。

> 間違いが暴かれても国民が怒らなければ、政治家は味をしめる。

国民に批判精神 (critical thinking) が欠如しているからでしょうね。国民は怒る術を知らない。

> 多くの国民が政府の間違いに気づきながらも、無関心を装っている。

‘触らぬ神にたたりなし’ でしょうね。後の祟りが恐ろしいですから。

> 関わり合いになりたくないと思っている。

政治の利権屋とは関わりたくないですね。はてしない政争に巻き込まれます。

> 自分がかわいいというより、みんなバラバラで孤立しているから。

非現実 (考え) の内容で有権者が団結することができれば、無から有は生じますね。現実を変えることもできますね。

> 人を孤立させれば、権力にすがるしかなくなる。

そうですね。自分に政治哲学がなければ、そういう事になりますね。伝統的な神頼みの方法ですね。

> 権力が個人主義を煽るのはそのためである。

個人の考えを大切にするのが、個人主義ですね。日本人は、個人主義 (individualism) と利己主義 (nepotism)の区別があいまいですね。ですから、我々は無哲学・能天気の民族性を容易には克服できませんね。

>みんながバラバラであれば、政治はしやすい。

そうですね。政治音痴ですね。利己主義の国民は皆バラバラですね。今の日本人は、序列で団結している。これをリーズン (理性・理由・適当) の団結に切り替えることができれば、政治音痴は解消します。

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>日韓はおなじ親米国なのに、反発し合うリンクからの引用
> 日本と韓国は同じ親米国なのに、仲が悪い。

そうですね。両国は自分たちの未来社会の内容について語り合っていませんね。

> 戦後70年を経て、仲がよくなるどころか、ますます悪くなっている。

仲を悪くする方向に、お互いに力を入れているようですね。きっと自己利益の方に考えが集中しているのでしょうね。

> 「分割して統治せよ」アメリカの思惑どおりである。

両国が無哲学・能天気ではどうしようもありませんね。両国の関係は、自発的に崩壊し続けていますね。

>アジアはそれぞれがバラバラであったほうがいい。

両国の国民は、ともに楽園 (非現実) を語る習慣がないのでしょうね。非現実の内容を現実の内容に変える知恵があれば、人間だけが持っている創造力を発揮できるのですがね。

>それがアメリカにとって一番いい。

持てる力を発揮できない国民は当てになりませんね。喧嘩ばかりしている兄弟を抱えているようなものかもしれませんね。これは、アメリカにとっても幸福なことではないでしょう。

> 日韓はおなじ親米国だから、反発し合うように仕向けられている。

両国とも、Win-win の関係には興味がないようですね。建設的な態度にはあまり慣れていないのでしょう。

我々は何処から来たか、我々は何者であるか、我々は何処に行くのか、の哲学的命題をじっくりと考えてみると良いでしょうね。

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現実の内容は頭の外にある。それは見ることができる。見ればわかる。考える必要は無い。これは楽ちんである。正解はただ一つである。人々の正解がひとつでなければ、事実関係調べが行われ一つの正解を得る努力をしています。非現実 (考え) の内容は頭の中にある。それは見ることができない。ただの話である。この話を納得する為には、文法に従って文章内容を理解しなければならない。これは骨の折れる仕事である。だから、日本人は通常 ‘理解’ はしない。

全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。矛盾を含んでいない文章は全て正しい考えを表している。人により考えの内容は様々である。だから、だから正解も一つではない。多数ある。矛盾を含んだ文章も、その矛盾を取り除けば正しい考えになる。訂正のためには、対話・議論が役に立つ。これらを活用して正しい考えを多く作ろう。有権者の選択肢が増えます。

非現実 (考え) の内容は、時制 (tense) のある文章で示される。時制のある文章内容は、それぞれに独立した非現実の三世界 (過去・現在・未来) を表すことができる。非現実の内容は、はじめは白紙の状態である。誰しも白紙の状態は、気になるところである。そこで、人は ‘考える人’ になる。自分独自の内容で、空白の部分を埋めて行く。その内容は、その人の世界観 (非現実) となる。その内容は、果てしなく展開することが可能である。自己の世界観を基準にとって現実に内容を批判すれば、その人は批判精神を示したことになる。

英語には時制があって、英米人には世界観がある。だから、彼らには批判精神がある。特亜三国 (日本・中国・韓国) の言語には時制がなく、特亜三国人には世界観がない。だから、批判精神もない。我々には、非現実 (考え) が無くて、ただ現実だけがある。だから、目先・手先の事だけに囚われやすい。


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