水瓶

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横浜人形の家・平田郷陽から郷土人形まで

2016-02-11 14:39:49 | 横浜人形の家
これ以上、何ひとつ足しても引いてもダメ。完璧とはこういうことを言うのでしょうか。
人間国宝・平田郷陽さんの人形「竹馬」です。
この子は手にペッペとつばをはいて、竹馬をしっかり握ろうとしてるところかなあ。。

横浜人形の家は平田郷陽さんの人形をいくつか所蔵しているようで、
時々入れ替えながら、いつも何かしら見られるようになっているようです。
人間国宝って聞いてるせいもあるけど、素人目にもやっぱり抜きん出た何かがあるなあと思わせられますね。

先週の土曜日に行った横浜人形の家の記事です。
今回は日本のあちらこちらの、新しい人形や今まで気づかなかった人形たちなどです。


これも平田郷陽さんの「獅子遊び」。しかし渋い色合いの着物ですね。
お父さんかおじいちゃんの着物を仕立て直した体?


掘柳女さんの「微風」。なんとなく中国風、それも西域と言われる辺りのイメージでしょうか。砂漠っぽい色合い。
手に燭台、帯には近東風らしき金細工。シルクロードの風が吹く~♪


鹿児島寿蔵さんの「聖徳太子孝養之像」。小さい像なんですけど、ありがたい、かわいらしい感じ。


秋田のなまはげ人形。よくニュースで見ますけど、子どもが本気で恐怖に怯えて泣き叫んでて、
トラウマになるんじゃないかと思いますが。。。wikiによると怠惰や不和などの悪事をいさめる鬼で、
刃物を持っているのは囲炉裏に当たりすぎてできる低温やけどのあとをはいでこらしめるためだそう。ひええ。。。


岩手の附馬牛人形。附馬牛(つくもうし)といえば遠野物語に出て来る地名!
当て字かもわかりませんが、岩手の方では馬も牛も飼ってたんでしょうね。


岩手の鬼剣舞。うーん、多いですねえ、鬼。鬼は西洋の悪魔とは違って、一概に悪い魔物と言いがたい面がありますよね。
季節季節の行事に堂々とあらわれたりするし。神様仏様の使いで罰を与える役目という感じなんでしょうか。
公的権力のお墨付きあり。うむ。


宮城は仙台の福神相撲の堤人形。お餅のようにみょーんとのびた頭に技をかけられながらも、
のっぺりした福々しい顔を見せている福禄寿の顔がツボにはまって、思わず吹き出してしまいました。
でもよく見ると、福禄寿も大黒様の足をしっかりつかんでるので、これは互角の戦いをしているのでしょうか。


埼玉は秩父の機織り人形。家内制手工業!機織機、細かい所までよくできてますね。


千葉のヤキレ人形。ヤキレというのはたぶん矢切の渡しの矢切のことだと思います。
で、民子と政夫というのは、「野菊の墓」の主役ですね。

なぜくわしいかと言いますと、実は森のなかまと結婚してから十年ぐらい矢切に住んでたのです。
矢切の~お 渡あ~し~~~♪ はとうとう乗らなかったな………。
「民さん、君は野菊のような人だ。。」というのは昔聖子ちゃんの主演映画のCMで流れていたセリフです。
えーっと、政夫役は中井貴一だったけかなあ。


東京の人形たち。ぶら下がってる籠かぶり犬は、深大寺と札があったような。。深大寺といえばソバだっけ?
右下の天狗は高尾山て書いてあるかな。左下はなんだろう?山申(やまもうす)みたいなものかも。


神奈川の西瓜天神。調べてみたら、どうも横浜市のようです。
腕をのばした姿がスイカを切った形になってるんですね。へええ、こんな人形があったんだなあ。


岐阜は飛騨高山の籠渡し人形。ひょっとして木材の職人とかが、本当にこういう風に山間部を渡ったりしてたのかなあ、、
と思って調べたら、大体合ってました。ひええ。。
こののんきなひょうきん顔は、恐怖のあまり気持ちがでんぐり返ってしまった顔でしょうか。。えへらえへら。


石川県の御陣乗太鼓。おお、新幹線通った石川県のだね!と思ってちょっと検索したら、
かなり力の入ったサイトを見つけました。詳しくはサイトに書いてありますが、
御陣乗太鼓(ごじんじょうだいこ)とは、かつて奥能登平定のために攻めて来た上杉謙信の軍勢を、
村人たちが恐ろしいお面をつけて太鼓を打ち鳴らし夜襲をかけて追い払ったという伝承に由来するそうです。
強敵を恐ろしがらせて追っ払うという明確な目的のもとに作られたお面だけに、半端でない怖さがあります。
完成度の高い、豊富な幽霊の面々!・・・このお面をつけて海藻の髪を垂らしたりしたそうなので、
そんな姿で夜中に奇襲かけられたりしたらたまりませんね。。。

またまた宮本・網野ルートからですが、奥能登というと民俗学では有名な時国家という旧家がありまして、
ちょっとうろおぼえで書いてしまいますが、江戸幕府の台帳によれば時国家は「水呑百姓」と記載がある。
「水呑」というのは土地をほとんど持たない小作農家ということなんですが、実情はその響きとはかけ離れ、
林業や製炭、製塩、陶器や漆器など幅広く産業を手がけ、また日本国内かなり遠くの地方とも交易をして、
相当豊かな家だったようです。能登は、北前船の寄港地でもあったようですしね。
百姓とは農民にあらず、本来は百のかばね、つまり様々な生業を示すものだと網野喜彦さんがしつっこく訴えていましたが。
これはたしか、時国家の古いふすまの裏紙に、交易の収支をつけた帳面かなんかの反古紙が使われていたのが発見されて、
くわしい内容がわかってきたそうなのです。うーん、ドラマチック民俗~!

そんな具合で、地図でもわかるように日本海にひょっこり飛び出た能登半島というのは、かなり独特の歴史を持っているようで、
さればこそ村人たちが、戦上手と評判も高い上杉謙信勢に夜襲をかけるぐらい向こうっ気が強かったという話もうなずけますね。


同じ太鼓でもこちらは牧歌的、愛知は犬山のでんでん太鼓。なんでしょうこの力の抜けるふざけた顔は。。


高知のしばてん塔。「しばてん」とはなんじゃらほいと調べたら、高知や徳島に伝わる河童に近い妖怪らしいです。
芝天狗、「芝」は小さいことを意味するらしいです。なあるほど。そっか、小さい天狗かあ。
でも日本の妖怪ってやたら相撲を取りたがりますね。昔は娯楽が少なかったのじゃ。


鹿児島神宮のシタタキ・タロジョ。調べてみたんですが、かろうじて玩具らしいということしか。
鳥のように見えますが、尾羽か頭の部分を押し下げるともう一方も連動して下がり、
上に跳ね返ってビヨヨヨ~ン♪みたいな音を出すおもちゃでしょうか。

上にあった深大寺や西瓜天神もそうですが、お寺や神社が郷土人形や玩具の発祥であることも多いんですよね。
昔の庶民の旅といえば寺社参りがメインだったでしょうから、そして大きな寺社の周りには、
寺社の仕事を請け負う職人たちが住まう門前町があったでしょうから、その職人たちが副職や手すさびといった感じで、
こうした郷土民芸品を考え出して作って来たのかなあと想像するんですが。


鹿児島の帖佐人形。武内宿禰と札がありました。こちら姶良(あいら)市のホームページに帖佐人形の説明が載っています。
姶良市の写真にこの武内宿禰とほとんど同じスタイルの人形がありますが、これもやはり武内宿禰?
人形の家の方では何を抱えているのかわからなかったんですが、新しいのを見ると、どうも赤ちゃんのようです。
帖佐人形づくりは一度途絶えてしまったそうですから、古い人形を参考にして、新しく作ったものかも知れませんね。


沖縄のヤンバル船グワー。ヤンバル船で検索すると居酒屋がトップに出て来ますが、有名なお店なんでしょうか。
おお、この機動性の高そうな身軽な船は、ひょっとしてジャンク船というやつかな?


宮崎は延岡の登り猿。これはきっとおさるを上まで引き上げると、カタカタ下りてくるのかな?
いや、登り猿だから上っていくのかなあ。

日本の郷土人形について調べてると、どうも宮本網野柳田氏ら民俗御三家から、
「おいでおいで~」と呼ばれてどんどん脇道に入り込んでしまうようです。きりがないのだ。
でもそうしてイモヅル式に調べてる内に新たに知ることも多くて、面白いんですよね。姶良市って読めるようになったし。

これで先日行った横浜人形の家の記事はおしまいです。ふ~。


                    


※後で思い出して、登り猿が登ってる動画はないかと調べてみたところ、延岡市のサイトにありました。
ここの一番下の動画の1分ぐらいの所で、登り猿が登っている様子が映されています。
なるほど、のぼり幡が風を受けるとお猿が浮き上がって、登っているように見える仕掛けのようです。
へええ、動きがユーモラスで面白い!なんか欲しくなってきたな………。
動画の中では大分大きなお猿も作ってましたけれど、五月の節句の時には、鯉のぼりと同じ竿に飾るんでしょうか。
そういえば宮崎県には海水でおイモを洗うお猿が住む島がありましたっけ。
申年の縁起物に、のぼりざるお一ついかがでしょう?ウッキ~


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