水瓶

ファンタジーや日々のこと

大岡川をさかのぼり(後編)

2016-06-01 07:41:28 | 横浜の町
なつかしのアーケード商店街、今でもにぎわってる所けっこうあるんですよね。
ああうなぎ、もう何年も食べてない。

先週土曜日にさかのぼった大岡川のつづきです。
横浜についてなんやら調べると、ほぼ毎回のように行き当たるはまれぽの記事。
ちゃんと現地におもむいて取材してるので、ローカルな内容ながら読み応えがあって、リンクリンクでけっこう読みました。
へええ~、無料のWEBマガジンにもこんなにしっかりしたつくりのあったんだなあ。


旭橋の次には黄金橋。横浜大空襲で一番被害がひどかったのが黄金町の辺りだそうで、
以前この辺りで材木問屋を営んでいたというおうちの方から、ガード下に空襲で亡くなった方のご遺体がぎっしり積み上がっていたという話を聞いたことがあって、黄金町駅のことだったのかと思い当たりました。


最近、こういう景色がやけによく見えるんですよね。。。新旧入りまじりのごった煮みたいな街角が。
これが、ある時期いっせいにできたような区画の街並だと、きちんときれいだけど、面白くはないわけです。
ちょっとずつ新陳代謝してゆくのが理想的な町なのかな。




ミニストップの先に雪をのせたような木の並木が見え、あっ、ヤマボウシ!とその通りへ向かいます。
ヤマボウシ、街中でも見かけますね。ハナミズキと似てるけど、時期がちょっと違うんです。


脇道をのぞけば小さな飲み屋が並んでたり。




大岡川沿いに多いもの。スナック、交番、そして質屋。質屋の看板よく見かけるなあと思ったら、やっぱりこんな記事が。

日ノ出町駅周辺に質屋が多いのはなぜ?

ようは近くに繁華街や歓楽街、場外馬券売り場などがあったりしたから。なるほど質屋の需要が高そう。
そういえば先日行った石川町のやきとり屋さんも、元質屋の蔵を利用した建物でした。
ちなみに写真のかぎやさんも老舗の質屋さんで、かの桂歌丸師匠も昔よく利用していたそうで、
質屋組合のポスターにのる仕事を引き受けてくれたりしたそうです。
そういわれてみれば質屋の宣伝って落語家が一番適役かも知れない。
歌丸さんについては後にも出て来ます。横浜の影のボスとは歌丸師匠のことだったのか…?


なぜにこのESSOのスタンドのある街角が、こんなにおもしろ美しく見えるのか。
小津映画を見てから脳内麻薬みたいなもんがばんばん分泌されてるんだろか。ランナーズハイならぬ街角ハイ。


末吉橋。もともと横浜には、もっと沢山川があったそうなんですが、JR根岸線や市営地下鉄工事のため埋め立てられ、
今ある何本かの川にまとめられたそうです。
かつては、沖合に停泊した大型船から荷などを運ぶはしけ(小型の運搬船)や、
客を乗せる曳き船や小型の漁船などがさかんに行き来する、運河と水運の町だったんですね。浅草辺りと色々似てるなあ。

 
あれ?交番の建物の上になんかある……と思って近づいたら、ワシのような???
実はこれ、「イセタカ君」という伊勢佐木警察署のキャラクターなんだそうです。託された仕事はけしてゆるくないのだ。


大きな壁画アート。




太田橋。川幅がだいぶ狭くなって来ました。


向こうに栄橋をのぞんだ所で、この日のさかのぼりはおしまい。
川沿いをそれて、久しぶりにイセザキモールの方へ行ってみようとなりました。
イセザキモールには以前、珍しいハーモニカ専門店があって、森のなかまとよく行っていました。
今は閉店してしまいましたが、店のおじさんはまあまあ元気です。
しかしこんなに近いのに、こっちの方へは来てなかったんだなあ。。もったいない。


薬局の軒にあったのぼり。このおじさんの顔が深刻なようなおかしいような。
でも、ずっと眠れなかったら、疲れもとれないし、笑いごとじゃないですよね。。


ちょっと一息入れたいねー、と喫茶店を物色。
今は大手コーヒーチェーン店以外の喫茶店て少なくなりましたが、ここにはけっこうあります。
新しめのメニューのあるちょっとお高めの喫茶店、古くからある感じのリーズナブルな喫茶店。ちょっと迷って後者のお店へ。

ついでに、イセザキモール関内側の入口(横浜スタジアムのある方))からすぐ右に折れた所に、南蛮屋さんというコーヒー豆曳き売りのお店があって、そこで豆を買ったら、お店にある豆から選んでその場で一杯サービスで飲ませてくれました。
何かおすすめの珍しいのを、ということで、コンゴというのを頂いたんですが、おいしかった!
普段飲んでるのは大体近所のスーパーで売ってるK○Yコーヒーなんだけれど、ちょっと高いだけあってやっぱ違うよなあ。。。


コーヒーで一息入れてから、イセザキモールを進む前に、アーケードがある!と目星をつけていた所に戻ります。
知る人ぞ知る横浜橋商店街。手前を左右に走っている道路の辺りは新吉田川だった場所で、
かつては商店街のある岸へ渡るように横濱橋という橋がかかっていたんだそうです。


ちょうどこの辺りが橋だったろうか。アーケードの下を歩き始めたら


ん?歌丸師匠???

歌丸師匠はこの辺り真金町の妓楼がご生家、今も近くにお住まいで、横浜橋通商店街協同組合の名誉顧問なんだそうです。
歌丸師匠のwiki見たら、まさにこの横浜の下町を戦前から生きて来られた典型みたいな方で、へえええーーー
落語家っていうと、林家こん平さん以外はなんかみんな浅草上野の墨田区台東区出身みたいな感じに思ってたら。。
それで質屋さんにも通ったりしてたわけなんですね。


商店街の並び、お店に挟まるようにしてここにもちんまりと交番が。

ガイドブックによればこの近くに酉の市で有名な金刀比羅・大鷲神社(ことひら・おおとりじんじゃ)があるはずなんですが、、
アーケード内の地図を見たら、紳士用服エドヤ脇の道を入った先とあります。えっ、こんな細い路地の先に?


・・・ありました!商店街のすぐ裏に。思ったより小さかったけど、とても横浜らしい由縁のある神社なんです。

現在の横浜スタジアム内にある横浜公園の辺りに岩亀楼という有名な遊郭があって、
そこの主が讃岐の金比羅山から神社を勧請して祀った神社で、そこから高島町に遊郭が移転した時に神社も一緒に引っ越して、
次もまた同じようにして高島町から今の真金町(まがねちょう)へ来たんだそうです。


神社の中にあったすし塚。神奈川県内のお寿司屋さんの希望で建立されたそう。
上野不忍池の弁天島にもこういう供養塚いっぱいありますね。・・・供養碑を建てたくなるぐらい寿司たべたい。


金刀比羅神社からイセザキモールへ戻りがてら、アーケード内のお店でスリッパと枕カバーを購入。安い!
八百屋魚屋お惣菜、衣料品にドラッグストア、日用品。
日常生活に必要な物が大体揃ってて、散歩がてらぶらぶら歩いて品定めするのにピッタリ。
今は総合スーパーみたいなお店が街中からどんどん減ってるし、イ○ンは郊外ででかすぎるし、
かといってまい○すけっとにはない物も多いんだよう。ここいいなあ。近くに住みたいなあ。


消防署。かなり歩いてお腹も減って来ました。


この辺まで来るともう馬車道はすぐ近く。


ここのベンチで一休みしながら、ガイドブックでご飯を食べるお店を物色。

「なんかお上りさんみたいだよね」と森のなかま。
「だってこの辺あんまり知らないし、お上りさんじゃん」。

ほんとは野毛の辺りでなつかしの洋食を食べたかったけれど、そちらへ戻るにはちと遠すぎるし足も痛い。。。
というわけで、なじみのある馬車道の方へ向かい、生香園で中華にすることにしました。まちがいない味。


大通り公園。ここを流れていた新吉田川を埋め立ててできたので、川のような細長い形の公園になっています。
ちょうどこの下を市営地下鉄が走ってるんだそうです。

ある何かが、いつどんな風にして始まったかって突き止めにくいことが多いけれど、横浜の下町は、
十七世紀半ばに埋め立てられて新しく出来た土地が多いから、どんな事情からそれが始まって、どんな風に変わっていって、
どういうきっかけで消えていったか、終わっていったかが、追いやすかったです。ちょうど川の流れのようで。

大岡川、あっつい夏になる前に、今度は上流にある京急弘明寺駅の方から攻めてみよう。
日によって、朝晩気温が激しく上下するので布団の調節が難しいですね。さあ、今日から六月だ!


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