加藤敏春ブログ:21世紀の経済評論を語る!

2000年度東洋経済・高橋亀吉最優秀賞等を受賞。地域通貨「エコマネー」提唱者。

「愛・地球博」のテーマ「自然の叡智」の真の意味を考える(その6):知力、創造力から文化力へ②

2005-08-31 00:59:21 | Weblog
 私たちが目指すべきものは、リチャード・フロリダがいう「創造的階級」を一歩も二歩もすすめた「文化的階級」だといえましょう。
 2002年以降、アメリカでは、日本のアニメ、音楽、建築、ファッションから和食にいたるまでの文化的かっこよさ「ジャパニーズ・クール(Japanese Cool、“Cool”とは「かっこいい」という意味)」と表現しはじめ、いまや世界の評価にもなりつつあります。日本の文化は新たに開花し、それが世界から求められる日がやってきているのです。そのことの予兆のひとつが、宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』のオスカー賞受賞だったでしょうし、世界から絶賛された村上隆などのポップアーティストの誕生だったといえると思います。

 これからの文化創出を考えていくうえでは、文化が持つ発展のベクトルを掴んでいかなければならないでしょう。それは以下の3つに要約できると思います。
 まず、グローバルなベースでは、知識・価値の交流が進み、他方では文化面の差異、違いにもとづく意味の創出、想像力の発揮、デザインの開発などが活発に行われることになります。したがって、普遍化し、均質化した情報は、価値の減少を招くでしょう。
 また、多様性のある社会であればあるほど、異なる情報・文化の衝突が新しい文化を生むという現象がスパイラルな動きとして続きます。
 さらに、経済技術水準の違いを超えた地球規模での文化交流が活発になればなるほど、国や民族のアイデンティティの確立と民族固有の表現が必要になります。このようにして生み出される文化は、一定の方向に収斂することはなく、常にローカルでありグローバルであるという両義性・二重性を有するでしょう。
 資生堂の海外商品開発戦略はこのことを物語っています。
 資生堂は中国市場進出に当たり、欧米や日本ですでに愛用されている商品を持ち込むという方法を取らないで、中国女性の肌質や嗜好を丹念に調べ、「中国女性に手の届く国産の最高級品」を独自に開発しました。83年から北京市に対してへ商品・トイレタリー製品製造の技術協力を続け、ようやく94年に中国専用の化粧品ブランド「オプレ」として販売を開始し、現在では中国国内のデパート約400店にまで広がり、国民的ブランドとして愛用されるに至っています。
 資生堂の池田守男社長は、「モノには文明が他の商品と文化型の消費があるといわれる。機能や利便性で語られやすいものを文明方商品、人の心や感性に訴えるものを文化型商品という。化粧品は後者に当てはまる。スピードや大きさといった共通の尺度は存在しない。何を美しいと感じるか、何を心地よいと感じるかは、その地域の文化や風土に深く根ざしており、世界共通の価値軸で判断することはできない」と語っています(7月4日付朝日新聞11面「時流自論」より)。
 イラク戦争以降、「21世紀は帝国の時代だ」といわれますが、アメリカ的民主主義、市場主義というひとつの価値体系が支配する時代ではなく、多様な価値体系が並存し、緩やかな連合や統合がすすんでいく時代ではないでしょうか。
 たとえば「クレオール」という文化的多元主義は、その典型的な例です。フランスの作家であるラファエル・コンフィアンとパトリック・シャモワゾー、言語学者であるジャン・ベルナベの三人は、カリブ海に浮かぶマルチニク島をはじめとするアンティル諸島で、非常に多様な文化の共存と融合の姿を見て、1988年「クレオール礼賛」を宣言しました。アンティル諸島は、17世紀にフランス人、イギリス人の入植が本格化しましたが、先住民のカリブ族が疫病の流行で壊滅した後、アフリカから奴隷として黒人が連れて来られました。奴隷が解放された19世紀以降になると、今度はインドや中東から多くの労働者が移民として流れ込みました。
 多様な民族が暮らすようになったアンティル諸島では、お互いの言葉が通じないため、島民は必要最低限の会話のために単純な文法のクレオール語を誕生させました。その場で育まれた民話には、アフリカの魔術師の物語から中国の故事やアラビアン・ナイトまで、世界各地の文化が詰め込まれています。こうした島の特異な文化は「クレオール」と呼ばれて世界に知られるようになりました。
 このような「クレオール」現象が、二一世紀においては世界各地で進展するのではないでしょうか。そのなかで日本文化は、その特性をフルに発揮することができるでしょう。西洋文化と日本文化を対比させてみると、西洋文化の特性は、合理性、普遍性を追求するものです。これに対して日本文化の特性は、一定の方向に収斂することはなく、常に両義性・二重性をもっています。
 たとえば、世阿弥が『風姿花伝』で説いている「幽玄と花」の世界にそれを求めることができるでしょう。「幽玄」とは、優雅さ、柔和さ、典麗さであり、「花」は快楽性、楽しさを指しています。この「幽玄」と「花」は、文化の両義性・二重性そのものです。
 また、日本の文化の両義性・二重性は、「侘び」や「さび」の伝統にも内在しています。 「侘び」は一般に無の美学と解釈されることが多いのですが、その美意識のなかには、優れて装飾的なもの、華麗なものが隠されているといえます。谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』はそれをよく表わしている作品で、陰翳そのものだけが礼賛されているのではなく、金色の豪華絢爛な装飾との対極をなす状態として「陰翳」が描かれているのです。
 このような両義性は、松尾芭蕉の美意識であった「さび」においてもみられます。弟子の向井去来がまとめた『去来抄』によると、「さびは句の色なり、閑寂なる句をいふにあらず、たとへば、老人の甲冑を帯し、戦場に働き、錦繍を飾り、大御宴に侍りても老いの姿があるがごとし。賑やかな句にも、静かなる句にもあるものなり。今一句をあぐ。花守や白きかしらをつきあわせ。 去来」とされ、華麗な錦と老いたる男を対比させることにより、美意識を創造するのが「さび」であると指摘しています。
 こうした両義性・二重性の文化は、日本人の世界観に深く根ざしているものであり、今後「文化的階級」を創出するうえで、大きな基盤になっていくことは間違いありません。

「愛・地球博」のテーマ「自然の叡智」の真の意味を考える(その5):知力、創造力から文化力へ①

2005-08-30 00:53:18 | Weblog
 ところが、面白いことに、シリコンバレーにも弱みはあるのです。何かといえば、じつはコンテンツ企業がシリコンバレーでは発達しないのです。
 シリコンバレーは私の「第2の故郷」であるサンフランシスコの南、車で一時間ほどの距離に位置し、中心にはスタンフォード大学があります。そこで主としてつくられているのは、ソフトウェアであり、ソフトの上に載っている映像といったコンテンツではありません。ソフトウェア企業はたくさんありますが、コンテンツ企業はほとんどないのです。つまり、ハード、ソフトというところまでは得意中の得意なのですが、その先の日本でいえばアニメーションといったコンテンツ、あるいは文化というところにいくと、なぜか企業が生成発展していかないのです。
 この点をどう見るか考えたところ、シリコンバレーはまだ左脳だけで考えており、右脳の思考がないという結論にたどり着きました。つまり、シリコンバレーモデルそのものが左脳モデルであって、右脳モデルではないということです。
 右脳モデルといえるのは、サンフランシスコのダウンタウンの倉庫街に、「マルチメディア・ガルチ」というコンピュータグラフィックスの産業クラスターを生み出した地域でしょう。そこは人の密集した場所ですが、早くからインターネット芸術などが芽生え、いまでは有名な映像コンテンツ拠点になっています。
 サンフランシスコという都市は、西アメリカ海岸では少し文化度が高く、オペラ劇場もあり、バレー団もあり、交響楽団もあります。また、全米で一番ゲイの多い都市でもあります。自由で、芸術家、作家、演出家などもたくさん住んでおり、環境的に右脳的な世界があるといえます。このことは、リチャード・フロリダ(カーネギー・メロン大学教授)もアメリカの「創造的階級」で明らかにしています。
 フロリダは「創造的階級」の指標をつくるに当たり、ハイテク度、イノベーション度(人口当たりの特許数)、ゲイ度(人口に占めるゲイの割合、多様性に対する地域の許容度)、自由奔放度(地域に占める芸術家、作家、演出家の比率が全国平均をどの程度上回っているか)などに注目しました。そして、アメリカの「創造階級」が全労働人口の30%に相当する3800万人にのぼることを明らかにしました。さらに、創造階級の都市ごとのランキングを行った結果、第一位はサンフランシスコだったのです。
 ある意味で、それは都市に帰着する問題でしょう。シリコンバレーの街は整然と道が走り、街並みもじつに清潔です。いっぽうサンフランシスコは、ボヘミアン名雰囲気の下で整然としたものと雑然としたものが混ざり合っています。都市にも固有の文化があり、それが企業発展の基礎になっているのです。サンフランシスコに、ソフトウェアなどが結びついていけば、シリコンバレーの次の産業クラスターができることは容易に創造がつきます。
 このように都市固有の文化と産業クラスターが連関していると考えると、都市クラスターごとの展開という方法がひとつのヒントとして得られます。
 じつはアジアの他の地域に比べ日本の都市は多様性に富んでいます。
 日本は全国各地、画一的だといわれるものの、じつは非常に多様性があることを、2002年の通商白書が明らかにしています。たとえば、シンガポールにしても上海にしても、都市のつくりは似ており、画一性をもっています。おそらく東南アジアの沿岸部の都市は、アメリカなどで発達した都市工学を輸入してつくられたからでしょう。それに比べて、東京と大阪では街づくりの気質がまるで異なっています。こうした見解は最近、クルーグマンなどが提唱する「空間の経済学」によっても支持されています。
 フロリダのように都市の創造階級に着目すれば、日本の都市はそれだけの潜在力を秘めているということができるのです。

「愛・地球博」のテーマ「自然の叡智」の真の意味を考える(その4):知力、創造力の向上

2005-08-29 00:40:14 | Weblog
 アマーティア・センがいうように、今後の経済は「利得のゲーム」から「共感(シンパシー)と使命感(コミットメント)のゲーム」へと向かいます。「カネ」から「チエとバ」へのパラダイム転換です。そこではウサギの瞬発力ではなく、カメのスローイズムが創造性の開花、文化の生成・発展に結びつきます。
 21世紀においてわれわれがまず必要とするのはイノベーションを起こす「知力」ですが、そのためには「創造力」の担い手が必要です。そのために最も重要なことは、「移動型知識」から「埋め込み型知識」へという流れが起こることを適確につかむことです。マニュアルなどで移動の容易な「移動型知識」の多くは、製品や図面のなかにパッケージ化されるか、数式やデータなどで明確に表わすことができるため、ネットワークのなかを簡単に移動することができるようになります。そのとき貴重になるのは「埋め込み型知識」であり、これが21世紀の企業価値を決めるといっても過言ではありません。

 ところで、「埋め込み型知識」の移動は企業の枠を超えて起こりますが、その移動はつねに人間を介して行われます。したがって、ネットワーク上で「移動型知識」を瞬時にやり取りするのと異なり、つねに時間と距離の制約が伴うものです。また、「埋め込み型知識」の移動は企業の立地特性に大きく影響されます。時間と距離の制約の下で「埋め込み型知識」の移動をスムーズに行うためには、企業がクラスター(房)状に高密度に立地していることが必要になります。
とすると、こうした「埋め込み型知識」の問題は、世界のハイテクのメッカともいうべきシリコンバレーではどのように扱われているのでしょうか。
 まず産業クラスターを有効に機能させる上での必須の要素は、柔軟な分業システムの下でメンバーの組み合わせが需要条件に応じてダイナミックに切り替わっていくことです。さらに、メンバー間の調整にかかる取引コストが上昇しないように、メンバー間で信頼関係が構築されていることが不可欠です。
 シリコンバレーの産業クラスターは、もちろん需要条件に応じて自在な組み合わせができますが、日本の産業クラスターとはっきり違う点があります。そこでは既存の企業間の組み合わせだけではなく、新規企業が次々と参入し、より自在な組み合わせができる環境になっています。どういうことかといえば、新しい企業が次々と誕生し、それを既存の取引先やメーカーに、ベンチャー・キャピタルがすべてつなぐという構造になっているのです。つまり、ベンチャー・キャピタリストたちがネットワーカーとして機能を果たしているわけです。
 シリコンバレーのベンチャー・キャピタリストは「ハンズ・オン」、東海岸のボストンのベンチャー・キャピタリストは「ハンズ・オフ」だという表現がなされます。東海岸の「ハンズ・オフ」は、リスクマネーを供給するものの、あれやこれや起業家の面倒は見ないということを意味しています。
 ところが、「ハンズ・オン」であるシリコンバレーのベンチャー・キャピタリストは、リスクマネーを供給するだけにとどまらず、ネットワーカーやカタリスト(触媒)としても機能します。シリコンバレーでは、新しい企業が次々と生まれるときに、技術や販路の開拓といったいろいろな結びつきをしたり、ビジネスのアイデアを融合させたりする必要があるわけですが、それをベンチャー・キャピタリストたちが「ハンズ・オン」で手伝うのです。これが、私が従来から指摘してきた「シリコンバレーモデル」なのです。
 そのようにしてシリコンバレーを眺めると、その仕組みが、地域全体を会社のような存在に仕立てているということができます。シリコンバレーのなかに、技術部門としてのベンチャー企業、金融部門としてのベンチャー・キャピタル、あるいは研究部門としてのスタンフォード大学、それをネットワーク化したり、触媒として機能したりする「知創部」のような事業部門などがあり、全体として組織であり、会社のようなものになっているわけです。しかも、そこではダイナミックな組み換えが行われ、かつ信頼関係も安定しており、伝統的な産業クラスターとは一味も二味も違っています。 

「愛・地球博」のテーマ「自然の叡智」の真の意味を考える(その3):もののあわれの感性

2005-08-28 00:45:18 | Weblog
 日本人の「もののあわれ」の感性は、『古今和歌集』を編纂した紀貫之において成立し、『源氏物語』の紫式部によって発展され、『新古今和歌集』を編纂した藤原定家によって完成された伝統的な美意識ですが、江戸時代においては近世流に消化され、絆の感情、すなわち連帯感情としての「もののあわれ」となりました。ここに世界大交流の場である「愛・地球博」のテーマである「自然の叡智」との共通性があります。
 「愛・地球博」のテーマである「自然の叡智」は、21世紀における最大の課題である「持続可能な社会」(sustainable society)の形成にいかに世界が連帯して取り組むかという問題設定でテーマとして取り上げられました。EXPOエコマネーは、一人一人ごとの努力では達成困難なライフスタイルの変革、それによるCO2排出削減という課題に「連帯」(solidality)による解決という有効な回答を提示するものです。
 日本の近世における「もののあわれ」を昇華させたのが、井原西鶴の『好色一代男』、『西鶴置土産』、近松門左衛門の『出世景清』、『曽根崎心中』などの作品です。
 この江戸時代に培われた「もののあわれ」の感性は、明治以降も森鷗外、泉鏡花を経て、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫らへと受け継がれてきました。

そして今、自然との共生を目指す新しいライフスタイルの模索が始まり、21世紀の扉が開かれました。そこで21世紀初の万博として開催されているのが「愛・地球博」なのです。ここで『奥の細道』での芭蕉の感性を追い、日本人の「もののあわれ」の感性の変遷をご紹介したのは、それが「愛・地球博」のテーマである「自然の叡智」の真の意味を考える上で大きなヒントを与えるものだと考えたからです。
 私は、自然との「共生」のほか「連帯」という2つの要素を融合化させた日本人の「もののあわれの感性」を世界にアピールすべきだと思っています。ちょうど、ワンガリ・マータイさんが「MOTTAINAI」(もったいない)を資源を大切にする言葉として世界共通言語として普及させようと努力し、それが内外で浸透し始めているのと同じように・・・・。 
 ただし、このことは日本の江戸時代=近世の「もののあわれ」の感性をそのまま復活させることを主張しているのではありません。私たち人類は「近代」という時代を経て、その「近代」の遺産を引き継いでいます。近代が目指したのは自立する人間像です。自然を克服するという自然観も一体となっています。
 21世紀においては、個人の自由の確立を前提として、自然との「共生」と世界市民の「連帯」を実現していかなければなりません。「愛・地球博」のテーマである「自然の叡智」は、このような問題設定でなされたものと理解しています。
 江戸時代で私たち祖先が実現した純が他社会、エコライフを21世紀においてよみがえらせ、自立した個人を形成するとともに、新しい色彩を帯びて光り輝く文化を創造していくために、どのように「持続可能な社会」(sustainable society)を形成していくか。また、エコライフの実現を支える新しい連帯をどのように設計するのか。こうした課題に答えることを求められているのが「愛・地球博」なのです。

「愛・地球博」のテーマ「自然の叡智」の真の意味を考える(その2):エコマネーの原風景

2005-08-27 01:31:37 | Weblog
 実は、エコマネーの原風景は芭蕉が「一つ家に遊女も寝たり萩と月」の句を詠んだ私の故郷にあります。このことを、私のことを特集した朝日新聞2000年4月22日朝刊2面『ひと』の欄を引用しながら、ご紹介したいと思います。
 『ひと』の欄は、次のように書いています。

 特定地域で通用する「エコマネー」の導入を提唱している。住民のボランティアや環境保全活動などを主宰者が評価し、「金券」に換えて相互交流を図る。昨夏講演して回った北海道栗山町は、今冬、全国で初めて本格的な試験導入をした。滋賀県草津市の民間グループをはじめ、約30の環境や福祉団体が、各地で導入を検討中だ。
 本職は、通商産業省サービス産業課長。約10年前、大型店と地元商店街の共存を図る特定商業集積法を立案。説明のため年間35都道府県を訪れた。地域の人たちと接する中で、街づくりをライフワークにしたいと思うようになった。
 出向で1992年から3年間、外務省へ。サンフランシスコ総領事館に勤めた。現地のシリコンバレーでは、地域づくり運動が非営利組織(NPO)の手で始まっていた。地区の学校をインターネットで結ぶ工事に、保護者と企業の従業員ら何千人ものボランティアが集まってきた。
 「企業人がNPOの活動に参加するなんて、私の常識では考えられなかった。住民が中心となり、営利企業がその周辺で動く。21世紀の地域づくりの姿だと思った」
 その後、金融監督庁の設立準備室に出向。北海道拓殖銀行や山一証券の破綻に遭遇したことが、エコマネーの発想につながった。「別の価値体系の『お金』もつくらないと、人がつくったマネーの世界に人とが飲み込まれてしまう」
 親不知・子不知で知られる新潟県青海町の出身。目指す社会をエコミュニティと表現するが、人々が助け合い、自然の豊かに残る故郷が、イメージにある。
 昨年5月、連絡団体「エコマネー・ネットワーク」を設立し、間もなく1年。手応えは格段に違ってきたが、「ムードだけで終わらせたくない。根付かせるため、これからが正念場です。

 またエコマネーの着想について、私は拙著『エコマネー』(1998)の中で次のように述べています。

 「私は96年末から約1年半の期間、金融監督庁設立準備室に出向し金融の大変革を垣間みる機会を得た。おりしも不良債権問題、山一證券・北海道拓殖銀行の破綻、アジア通貨危機などの大きな波乱が起こる中で、98年4月外国為替の完全自由化により「日本版金融ビッグバン」がスタートし、日本は金融の荒海の中に漕ぎ出した。この間私が感じたのは、金融のダイナミズムとともにその先にどのような世界があるのかという不安であった。変化の激しいときにこそ、21世紀の日本のビジョンが必要ではないか、それは現在グローバル・スタンダード化しているアングロサクソン・モデルを基盤としつつも、欲望だけではなく理性や感情もあわせ持った、画一性だけではなく多様性も追求したもう少し“人間臭い”ものではないのではないか、そう考えた。
このような問題意識が、従来私が関心として持ってきた情報ネットワーク社会のあり方、まちづくり、サステイナブル・コミュニティ、地球環境問題等と結合して、いつしか金融とこれらを総合化させたトータルなビジョンをつくりたいと思うようになった。金融ビッグバンに象徴される「マネー経済化」の流れと、地球環境問題に代表される“環境主義”の流れという矛盾する(?)両者のトレンドを調和し、21世紀の全体像を示そうと考えた。“エコマネー”という新しい世界を提示したのは、そのためである」

「愛・地球博」のテーマ「自然の叡智」の真の意味を考える(その1):『奥の細道』に相通ずるもの

2005-08-26 00:43:00 | Weblog
 松尾芭蕉の『奥の細道』を通じて「愛・地球博」がテーマとする「自然の叡智」の意味を考えてみたいと思います。
 私は、今まで『奥の細道』を何回も読み返しましたが、『奥の細道』のなかに挿入されている芭蕉の句でも最も秀でていると思う句は、私の故郷である新潟県青海町(現糸魚川市)の市振で呼んだ次の句です。
 「一つ家に遊女も寝たり萩と月」
 この点に関して俳人の山口誓子は、『奥の細道』の秀句として次の3つを選んでいます。
 「閑さや岩にしみいる蝉の声」
 「五月雨をあつめて早し最上川」
 「荒海や佐渡によこたふ天の川」
 そして、その中で最高の秀句は「荒海や・・・」であるとしています。山口誓子の解説を聞いてみましょう。
 「”閑さや”は山形県の立石寺で、”五月雨を”は山形県の最上川で、”荒海や”は新潟県の出雲崎で作られた。いずれも表の太平洋側ではなく、奥羽山脈を横断してから作られた句である。・・・・『奥の細道』の旅が、歌枕を自分の眼で見て、和歌に詠まれた古人の心に触れようとした旅であった・・・・芭蕉の訪れた歌枕は西行の歌が多かった。芭蕉は西行を和歌の代表作家として崇拝していたから、特に西行の歌枕を訪れたかったのだ・・・・ところが奥羽山脈を越えてからは、歌枕が少なくなったので、名所では古人の心を思い出さずに、風景とがっちり取り組んだから、秀句を作れたのだ。そのことに付け加えたいことがある。
 表の太平洋側と浦の日本海側の風景の比較である。その比較を、芭蕉は『奥の細道』の「象潟」の條で発表している。「松島は笑うが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり」、太平洋側の風景は明るく、日本海側の風景は暗い感じがするというのだ」
 芭蕉は鼠の関から越後に入り、越中の国境の市振に至る9日間は暑さと雨に悩まされ、健康を損ねる旅でした。出雲崎はその道程の途中にあり、
 「そこで日本海を見、佐渡の島を見、天の川を見た。芭蕉はこの3つの結合に感動し、推敲した上で、”荒海や”の句を直江津で発表した」と山口誓子は解説しています。
 しかし私に言わせると、その芭蕉の心境がクライマックスに達したのが市振で詠んだ「一つ家に・・・」の句です。『奥の細道』の中に女性が登場するのは、この市振のくだりだけです。
 陰暦7月12日(陽暦8月26日)、難所を越えた安堵の気持ちで寝ていると、若い女の声が聞こえ、女らは遊女で伊勢詣の途中と知ります。翌日遊女たちが同行を頼むのを芭蕉は断ります。行きずりの、悲しい運命に生きる人々との別れです。虚構により別離の情を導き出していますが、私はその前の夜に詠んだこの「一つ家に・・・」の句に日本人のエロチシズムを感ずるとともに、くっきりと咲く「萩」と墨絵を光らせたような「月」を対比させたところに日本人の「もののあわれ」の感性を感じます。

ポスト「愛・地球博」と中国ナショナリズム:上海万博へどうつなげるか?

2005-08-25 00:17:13 | Weblog
 以前「愛・地球博」の成果を2010年に開催される「上海万博」に引き継ぐようにすべきだと主張しました。2010年の上海万博の前の2008年には北京オリンピックが「緑色競技」として開催されます。
 そこで今回は、2008年から2010年にかけての日中関係を展望して見たいと思います。

 北京北部の「オリンピック公園」。数年前まで並んでいたレンガの家々は消えて広大な芝地となり、中央に9万1000人収容の巨大なメインスタジアムの建設が進んでいます。
 北京オリンピックは、中国がアヘン戦争以来の屈辱の近代を乗り越え、「世界のヒノキ舞台への登場」(北京オリンピック組織委員会幹部)を宣言する歴史的なイベントとして位置づけられています。
 今官・民の資金が集まる北京は、猛烈な再開発の波に洗われています。北京オリンピック会場整備だけで31箇所。さらに幹線道路十数本、地下鉄4路線の建設が進んでいます。市の中心部にあった工場は郊外に移転し、跡地に高層マンション、オフィスビルが次々と姿を現しています。
 上海万博の舞台となる上海でも巨大なプロジェクトが動いています。観客動員目標は7000万人。広大な会場予定地では、278の工場、1万7000戸の引越し作業が進行中です。上海世界博覧会事務局の周漢民・副局長によると「上海のインフラ整備は万博開催で10年早まった。地下鉄は現在の3路線、総延長約157キロが2010年には13路線、約643キロになる」とのことです。
 中国のこうした経済発展を背景に、人々は中華民族としての自負心を強めています。その象徴がオリンピックと万博なのです。
 
 こうした自負心の向上の中で、北京オリンピックが開催される2008年は中国と台湾との関係が再び緊張する可能性があります。それは2008年に台湾では、憲法改正と総統選挙が行われることになっているからです。
1996年3月台湾で始めて総統選挙が行われたとき、台湾海峡に極度の緊張が走りました。このとき中国軍は、台湾自立化の動きを強めた李登輝氏らが出馬する選挙に合わせ、台湾海峡で大規模なミサイル演習を強行し、台湾に強烈な圧力を加えました。
 これに対し、米軍はインディペンデンスなど空母2隻を中心とする機動部隊を派遣し軍事力で威圧。中国は演習を中止し、米国に空母の撤収を求めざるを得ませんでした。
 中国はこれ以来「臥薪嘗胆」の思いで軍事力の増強に努めてきました。ロシアから対艦攻撃能力の高いスホイ30戦闘機,高速対艦ミサイル搭載のソレメンヌイ級駆逐艦、探知されにくいキロ級潜水艦などを買い入れてきました。
 こうした中国の軍備増強の目的は、近代化した海空軍力に戦略ミサイル舞台を加えた部隊で対米抑止力を強化し、台湾海峡での局地戦に勝利することにあるといわれています。米国防総省がこの7月、「中国の軍事力は公表の2~3倍、約10兆円に上る」と非難したのも、軍事力増強には米国に対抗する意図があると見ているからです。
 2004年11月、中国海軍の漢級原子力潜水艦が、沖縄の日本領海内を潜行したまま航行し、日本側が強硬な抗議を行ったことも記憶に新しいことです。
 ただ、この自負心は、過剰なナショナリズム、民族主義に噴出にもつながる危険性をはらんでいます。昨年8月、サッカー・アジア杯決勝で、中国敗戦に怒った観客が暴徒化した事件がその可能性を示唆しています。

 北京オリンピック組織委員会は、新聞などを通じ「観戦マナー教育」に乗り出し、「英語を学ぼう100万人運動」もはじめていますが、一方中国政府はは、その後も2019年の建国70周年、2021年の中国共産党創設100周年などのイベントを用意しています。
 2010年に開催される「上海万博」のテーマは“都市、生活をさらに美しく”(城市、譲生活更美好、Better City,Better Life)となっており、必ずしも「環境」を前面にすえたものとはなっていません。前にも述べたように、私はそれでも粘り強く「自然の叡智」をテーマとした「愛・地球博」の成果を上海万博に繋げるための努力をすべきだという立場ですが、そのためには乗り越えなければならない障害が幾重にもあることを正確に認識しておかねばならないと考えています。

雪舟の絵に見る平明さのさきがけ

2005-08-24 00:43:46 | Weblog
 今回はコラムです。
 東京の根津美術館では「明代絵画と雪舟」が開かれています。7月下旬久しぶりに「浩然の気」を養うべく、根津美術館を訪れました。
 今年は日本の水墨画を代表する室町時代の画僧、雪舟等楊(とうよう)が亡くなってほぼ500年になります。「明代絵画と雪舟」は、明時代の絵画60点と雪舟の晩年の作品「慧可断断碑図(えかだんぴず)」(国宝)を初とする雪舟作品10点を比較展示しています。
 雪舟は応仁元年(1467年)に遣明使節に加わって入明して以来、足掛け3年にわたって中国大陸に滞在しました。この時期、明時代中期の画壇の中心は、長有声、李在(りざい)などの宮廷画家でした。これらの宮廷画風の特徴は、濃密な描写です。雪舟はこれらの宮廷画家に相随って画法を学んだと晩年述べています。
 しかし、雪舟の作品はこのような濃密な描写というよりも、当時蘇州で台頭してきた呉派文人画の祖とされる沈周(ちんしゅう)の影響も強く受けたようです。
 今回の比較展示を企画した東京大学の板倉聖哲(まさあき)助教授は「平明さを主張するかのごとく見えるのである・・・・晩年になるにしたがって筆触があらわになり、その傾向は顕著になっていく」と述べています。
 さらに板倉助教授によると、その後の東アジア絵画の先駆的なものと捉えることもできるようです。
 「そうした雪舟画の鋭意を日本的とみなすこともできる。のみならず・・・・筆触の効果、平面性を考えれば、東アジアにおいて、雪舟画を先駆的なものと捉えることもできるだろう」

「愛・地球博」:「地球の愛し方:アピール編」に出席して

2005-08-23 00:14:46 | Weblog
 8月2日「愛・地球博」の市民パビリオンで開催された「地球の愛し方:アピール編」に出席しました。コーディネーターは、小川たくのり・市民プロジェクトプロデューサー、出演者は私のほか、竹村真一さん(「地球回廊」設計者、京都造形芸術大学教授)、中村隆市さん(ナマケモノ倶楽部主催)です。私はいろいろな顔を持っているのですが、今回はEXPOエコマネー提唱者、クローバルダイアローグ構想推進者としての立場で出席しました。
 トークショーでしたが、竹村さんは「地球回廊」の設計者として、一人一人の人が地球を身体感覚で感知できることの必要性や、グローバルウィンドゥで世界の人々とインターネットの映像を通じて顔をあわせて会話することにより生まれる友邦としての感覚をとき、中村さんはスローライフライフの必要性やすべてを電気化するのではなく電気がなくとも人力で動く家庭器具を考える「有機工業」の考え方、そしてエクアドルのハチドリの逸話「私は私にできることをやる」(森林火災が起こったとき、くちばしに一滴、一滴の水を含み火災の消火に当たっていたハチドリに対して、他の動物が「そんなことをして何になる」と問いかけたときにそのハチドリが答えた言葉)のことを話されました。
 私は竹村さんのプレゼンに対して、シリコンバレーによって生み出されたインターネットは「対抗文化」というメンがあり(パソコンを発明したアラン・ケイやオープンソースを主張するリチャード・ストールマンが典型)、アラン・ケイは今子供たちの「創発性」を高めるためのソフトである「スクイーク」(squeak)の開発を進めているが、シリコンバレーのインターネットの文化にも限界がある、それは「身体知」を含めた「5感のインターネット」を創造できないことだ、その点に関しては花鳥風月に美を感ずる日本人の感性に新しいインターネット文化を生み出す力がある、というようなコメントをしました。
 私がポストEXPOでチャレンジしたいと思っている「グローバル・ダイアローグ」構想は、世界市民の間に「気遣い」(20世紀最大の心理学者であるユングが言ったSorge)を起こさせる対話(ただし、ドイツのフランクフルト学派の哲学者であるユルゲン・ハーバマスのような知識人の対話ではなく、一般の人々を対象にした生活者の対話)を「身体知」を含めた「5感のインターネット」を創造することを狙っており、すでにコンセプトメーキングはできて準備に入っているとも付け加えました。
 また中村さんのプレゼンに関しては、EXPOエコマネーはまさにエクアドルのハチドリを「楽しくてお得で、かつ、環境に優しい」という感覚で最先端の情報ネットワーク技術を使いながら実現させているもので(ただ情報ネットワークの複雑性は利用者には一切感じさせることのない様にヒューマンインターフェイスを最大限工夫したものであること)、最初は一般に人々には認知度が低かったが7月31日に30万人を突破し、最終的には50万人もの人が参加し、レジ袋自体などの環境動を会場外で1億回・会場内で200万回起こり、レジ袋1億袋ル路の削減・1万トンのCO2が排出削減される(これは瀬戸会場の建設・供用時に排出されるCO2の3.3倍のCO2を相殺することになる)、EXPOエコマネーを取得した人が広葉樹植林への寄付を選択した場合はその広葉樹1,500本を公募により「EXPOエコマネー記念植樹」として全国の小中学校に提供し、子供たちの環境学習にも役立たせていただくという大きな効果を発揮できる見通しになっている、ということをご披露させていただきました。
 このEXPOエコマネーやエクアドルのハチドリの逸話をベースに中村さんが広げようとしている「ポトリ」の運動(NPOサステナ代表のマエキタさんが進めている「ポコ」の運動と共通するもので、CO2100(レジ袋1袋あたりのCO2削減量)=1ポトリ・ポコ)として、わかりやすく日常の生活でのCO2削減を進めようとするもの)は、今年1月26日東京都が地球温暖化防止の緊急対策を打ち出すときに使われた次のキャッチフレーズとも共通するものであると思います。

  『明日世界が滅びるとしても、今日あなたはリンゴの木を植える』
 地球温暖化を阻止するためには、世界全体での取組が必要です。
 そのためにも、都は、志を持つ都民、企業、団体の皆さんと連携し、自分たちの手でリンゴの木を植えていく行動を東京から開始していきます。

 最後の発言を求められたとき、私はエコミュニティのホームページ掲載してある歴史の波動表(http://www.ecommunity.or.jp/al01-003.htm)をお示しし、「『愛・地球博』は21世紀のおかげ参り、『EXPOエコマネー』は21世紀の山田羽書」という自論をご紹介しました。これは日本はこれから本格的な人口減少社会、高齢化社会、GDPは伸びない社会となり経済的には「定常状態」(ジョン・スチュアート・ミル)となるが、一方では学問、思想、文化が発展していく社会となるというものです。小川さんを含めほかの3人の方から、その歴史の波動表に記載してある三浦梅園の思想・哲学に話題が集中し、4人の共通基盤を確認してトークショーを終えた次第です(三浦梅園の思想・哲学に関しては、エコマネーと共通することが多いので、別のシリーズで取り上げてみたいと思います)。
 終了後この4人で今後のポストEXPOについてもアソシエーションを結成しようということになりました。今その話を進めつつある段階ですが、私の「グローバル・ダイアローグ」構想の一端は、23日の「愛・地球博」との連携シンポジウム(http://www.ecommunity.or.jp/ev20050823.htm)でご披露したいと思っています。

「愛・地球博」は歴史に新しいページを残せるか?(その8):「子供たちが語り継ぐ」ようになっているか

2005-08-22 00:02:03 | Weblog
 「愛・地球博」は夏休みに入り、大勢の家族連れでにぎわっている。その中には1970年の大阪万博を訪問した両親や祖父母の世代とともに初めて万博を経験する子供たちも多くいます。期待を胸に訪れる光景は大阪万博と重なるようですが、人気アニメ映画から生まれた「サツキとメイの家」や1万8000年前の冷凍マンモス、ロボットショーなど娯楽性の高いパビリオンばかりに人気が集中し、長蛇の列ではゲーム機に熱中する子供の姿が目立っています。
 私はこのような光景を見るにつけ、大人たちがかつて見たときのような夢や未来を、子供たちは感じているのだろうか、という疑問を持ちます。2003年ノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんは少年時代親に連れられて富山市から大阪万博の「月の石」を見て将来への夢を膨らませたといいます。
 確かにみんなが同じ未来を夢見た高度経済成長期とは時代背景も目指す未来像も変わっています。多様性が大事なことは勿論です。基本的には、各自がそれぞれの価値観で意味のあるものを探せばよいと思います。
 ただ、大人にはそのことは容易にできても、子供にはそうたやすいことではありません。「愛・地球博」にはいろいろな体験の仕掛けがあります。夏休み期間中の子供たちにとって会場は巨大な教室であり、パビリオンは生きた教科書でもあります。1日で世界旅行ができたり、過去を行ったり来たりすることもできます。このようなせっかくの機会を活かすには大人の手助けと子供たちとの対話が必要です。
 この意味では、長久手会場では舞台裏を支える最新環境技術を見学する「バックヤードツアー」がお勧めです。ツアーは「循環型システム」と「エネルギー」の2コース。循環型では、万博150年の変遷氏や環境対策の位置づけについて解説を聞いたのち、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の新エネルギープラントや水の浄化施設などを2時間かけて見学します。
 会場内のレストランから出る生ゴミを発酵させて発生するメタンガスを使ったり、ペットボトルや廃木材を粉末にして高温で分解して水素を取り出すなど、燃料電池だけで3種類の発電施設があります。「500ミリリットルのペットボトル1本分の粉末(約25グラム)で、30ワットの蛍光灯が90分間点灯できる」などは、子供たちにとって驚きの情報であるに違いありません。
 小学5年生から中学生が対象の「キッズエコツアー」は、ボランティアスタッフの説明を聞きながら、太陽光発電パネルや火力発電所の石灰灰をリサイクルしたレンガなど、会場内の10施設を約1時間かけて回るものです。
 私は、子供たちに伝え、何かを感じてもらえる場として瀬戸会場がお勧めではないかと思っています。大規模間が集中する長くて会場とは異なり、瀬戸会場は市民中心の運営で。親子での森林探索や工芸教室などを通して、身近な自然の大切さを学ぶことができます。
 瀬戸会場に隣接する森では、森の案内人「インタープリター」と里山を歩くツアーが穴場だと思います。ツアーは、谷筋を散策したり、森の中で遊ぶなど45~75分の5コースあります。そのうち「山の小径コース」は、75分かけて約1頃メートルの山道をゆっくり歩きます。ムササビの食べ散らかした落ち葉やリスの巣を見たり、蜂に出会ったときの対処法、里山で生計を立てた昔の人の生活ぶりなどを学びます。鳥や虫の音に耳を澄まし、間伐材で作った高さ12メートルの塔から会場の森を眺めます。万博の人ごみとは別世界です。
 人気や話題性だけにとらわれず、子供たちが何を感じ、何を発見したいのか。目的と好奇心を持って瀬戸会場を見れば、満足のいく体験ができるはずです。

「愛・地球博」:「国際赤十字・赤新月パビリオン」訪問記

2005-08-21 00:09:43 | Weblog
 先日4回目に「愛・地球博」会場を訪れた際、「国連パビリオン」の後に「国際赤十字・赤新月パビリオン」を訪問しました。70分待ちでしたが訪れて心から良かったと思いました。
 パビリオンのメインショーであるマインドシアターは、「国際赤十字」(Red Cross)が世界各地で慈善活動を行っている、貧困、飢餓、エイズ、地雷などの問題を20分ほどで流している映像です。リゾートビーチを押し流す津波や地震で倒壊した瓦礫に埋まった悲惨者の姿、紛争で銃撃される人や銃を手にする少年兵。そうした「脅威」に多くの人が「平和」や「生きること」、「幸せ」について考えさせられました。
 最後に「対人地雷」で片足を失って杖を突きながら歩いていく母親のスカートのすそをつかみ、カメラのほうを向きながら歩いていく3歳くらいの男の子の表情が忘れられませんでした。この母子の映像を見るのは2回目です。前は確か、NHKの「対人地雷」撲滅のために日本のハイテク企業の協力を得ながら戦っている日本のNGOの活動の特集番組で見た記憶があります。
 この子供の表情を見たとき、「あの子は今どうしているのだろうか」、「母子ともども生活できているのだろうか」という気遣い(Sorge)がこみ上げてきて、恥ずかしい話ですが、涙がほほを流れました。
 マインドシアターに入る前、以下のような貼り紙がしてあります。

 「人間は
 右の手で戦争をして人を殺し、
 左の手で赤十字を作って人を助ける
 あなたは、その両手で何をしますか」
(On the one hand,human beings have brought on war and have taken the lives of many people,
On the other hand,they have created the Red Cross and have saved a lot of lives,
If the human beings are so,how would you like to use your both hands?)

 映像を見た後、書き留めていたこの一文を改めて読み返しました。本当に考えさせられる一文でした。

 マインドシアターを出たときにメッセージ・ボードがあります。感動、共鳴した人々が自発的に紙でメッセージを貼っていきます。私の隣では、赤ちゃんとともに来館した夫婦がその赤ちゃんの写真を貼って、「この子の笑顔がいつまでも続く世界でありますように」と書いていました。私はメッセージは、情緒的ですが「One World One Love,Foreever!」でした。
 なお、7月10日には来館者が25万人を突破し、どんどん増え続けているそうです。

「愛・地球博」は歴史に新しいページを残せるか?(その7):「新しい美術」の創造」はできるか②

2005-08-20 00:02:20 | Weblog
 「環境」という言葉の流布は、大阪万博に集合した美術家や建築家に多大な影響を及ぼした一人の人物に多くを負っています。もと丹下健三の右腕であった浅田孝がその人です。戦中海軍に属していた浅田は、広島に原爆が投下された直後に調査のために爆心地に入り、救助活動に当たった経験を持っています。
 そこで浅田が目にしたものは何であぅたでしょうか。都市や建築物はおろか、人命の痕跡に至るまで一瞬にして焼き尽くす、一種の人類史の終焉であったことは確かだと思います。その浅田が「環境開発」というとき、それは根本的に焼け跡からの復興と、いつ全面的な破壊がもたらされるかもしれない核への恐怖と隣りあわせであったことは容易に推測されます。
 浅田に影響された建築家や美術かが、今ある「環境の保全」よりも「環境の開発」を第一義とし、そのために抜本的で実験主義的なプランの数々を提出したのは、ある意味で当然でした。環境が丸ごと喪失しまえば、保全も何もないのです。
 大阪万博では潜伏していた「環境」という概念の背景には、ずっと大きな危機感に根ざした出自を持っていました。さらに遡れば、この「環境」という言葉は、戦時中に日本が南方に進出する際、生態系の異なる「内地」と「外地」を統合するための新たな建築様式の概念として見出されたという経緯があります。西洋の建築概念の根底にあるのが石組みに象徴される「人口構造物」だとしたら、「内地」と「外地」を統合するための建築は、人口構造物ではなく、形なき「場」として存在するというのが基本理念でした。
 実は、そこには大阪万博を主導した建築家、丹下健三も深くかかわっていました。環境を統合的な「場」として考えるこの方向性が、後の「お祭り広場」に引き継がれ、大阪万博の核となる部分をなしたことは言うまでもありません。今回「愛・地球博」の総合プロデューサーをつとめる泉真也は、大阪万博に参加した経験を持つだけではなく、もともと、浅田孝が仕掛け、後に大阪万博を主導することになる建築家、デザイナーのグループ「メタボリズム」の一員であり、浅田の薫陶を直接受けた人物です。また浅田自身は、1987年から1990年までトヨタ財団の専務理事をつとめ、環境問題に関する積極的な提言を行ってきました。
 「愛・地球博」には、環境を巡って対症療法的な「保全」に終始せず、一歩踏み出して、「場」の「形成」としての観点から、抜本的な環境の再構築をして欲しかったというところが、私の偽らざる心境です。
 私は、今からでも遅くないと考えています。前々回ご紹介した8月23日のシンポジウムのテーマを、「『市民力』を『環境力』・『文化力』へと発展させて、いかに国際的ムーブメントを創造するか」としたのも、今回「市民参加」という要素をはじめて取り入れた「愛・地球博」が閉会後も会場外の各地域の市民、企業、行政などと連携した活動を展開したとき、新たな希望が生まれてくると確信しています。
その意味でも、皆様にはできる限り多くの人が参加していただきたいと念じております。

「愛・地球博」は歴史に新しいページを残せるか?(その6):「新しい美術」の創造」はできるか①

2005-08-19 00:37:18 | Weblog
 今回は、「愛・地球博」は「新しい文化」の創造はできるかの延長線として、「新しい美術」の創造できるかということを考えてみたいと思います。
 「愛・地球博」会場に対しては、3月20日の内覧会に訪れて以来今まで4回訪れていますが、この万博には「美術」(アート)に相当するものがほとんどないことをいつも不思議に思っています。わずかな例外は、「幸福のかたち」と名づけられ会場7ヶ所に設置された野外作品展示くらいです。
 それとて実情は、作品の所在そのものがプレートなしには探し出すことは困難で、「多くの困難な問題に直面する私たちが生きるこの時代における幸福のかたちとはどのようなものか?」としたキュレーター(岡田勉・ワコールアートセンター)自身が、この問いかけに方向付けすら与えることができないような様子と見受けられます。
 パビリオンの中で、名古屋市パビリオンの藤井フミヤがデザインした「大地の塔」はギネスブックが公認する世界最大の万華鏡の入っている構造物ですが、大阪万博における岡本太郎の「太陽の塔」とは比べ物にならないくらいのものです。岡本太郎の「太陽の塔」にはまぎれもなく、対極主義や近代建築との対決という美術としての理念がありましたが、藤井フミヤの「大地の塔」には、それをエンターテインメントではなく芸術たらしめる理念、メッセージが乏しいように思います。
 そもそも「美術」という言葉は、明治政府がウィーン万博に参加した際、日本語には適当な言葉がなかったために、ドイツ語の「die sconen Kunste」を直訳する形でつくられた官製の言葉でした。このような背景からすると、「」とは、博覧会に参加することによって一等国足りたいという願望とともにわが国に誕生した信仰の概念であり、日本が欧米並みの近代国家たらんとするときに、どうしても必要不可欠な初期設定だったのです。
 大阪万博では、官製の初期設定として生まれた「美術」が変貌を遂げ、本当の意味で美術家の手になることを示したものでした。大阪万博には、戦後の日本で前衛をもってならした芸術家、美術家が集合し、自己主張を展開したからです。思いつくままあげても、①美術界から岡本太郎、イサムノグチ、堂本尚郎、山口勝弘、横尾忠則、②建築界から丹下健三、前川国男、菊竹清訓、黒川紀章、磯崎新、③音楽界から黛敏郎、武満徹、一柳彗、高橋悠治、小杉武久、④文学界から遠藤周作、三浦朱門、安部公房、谷川俊太郎、小松左京、さらには、⑤映像作家の勅使河原宏、松本俊夫、漫画家の手塚治といった、そうそうとした顔ぶれです。

 「愛・地球博」においては、「美術」の代わりに会場のどこからも聞こえてくる言葉があります。「環境」です。しかしそこで語られている「環境」は環境保全という消極的な意味においてであり、「愛・地球博」のテーマである「自然の叡智」を具体化するような自然と人間との共生の「場」と創造しようという積極的な意味で使われることはほとんどありません。
 日本中の芸術家、美術家が集合した大阪万博でも、開催前から「人類の進歩と調和」という表のテーマとは別に、裏のテーマとして「エンバイロンメント」があり、芸術家、美術家の人選のための一つの基準でした。ただ、この「エンバイロンメント」という言葉は、冬至にあってはエコロジー的なニュアンスはまったくなく、むしろテクノロジーの進展に伴い、かつての絵画や彫刻といった伝統的な美術表現に変わって、音や光、映像といった多様な素材を組み合わせていかに新しい「場」を形成するかという意味で使われていました。その点では、今で言う環境保全というよりも、環境を根本的に作り変える未来主義的なニュアンスが強く、場合によっては環境破壊につながるような環境因子が少なからず残存していたのです。

「愛・地球博」:「中部千年共生村」訪問記

2005-08-18 00:44:11 | Weblog
 「愛・地球博」のパビリオンでは比較的地味であまり注目されていないのですが、私の好きなパビリオンに「中部千年共生村」があります。私は今までこのパビリオンを3回訪れています。
 このパビリオンは「生物の力を活かした、中部の知恵と技が一堂に」がテーマで、次のような中部9県が各コーナーごとに出展しています。
ー滋賀県
 水と人の物語
ー三重県
 里海と里山の循環
ー愛知県
 木のプラスチック
ー静岡県
 人の健康
ー岐阜県
 人・自然環境とロボット
ー長野県
 土壌、15センチの奇跡
ー福井県
 人を豊かにする繊維
ー石川県
 生物工芸品「漆JAPAN」
ー富山県
 グリーンバイオ「水と緑のいのち」

 このパビリオンのプロデューサである赤池学さんは、以下のように述べています。
 「石油がなくなるまで、あと60年、天然ガスは120年、石炭は400年・・・・
地下資源がなくなる千年先の未来で、
私たちの子供たちはいかにして暮らしているのでしょうか?
使い続ければ、いつかはなくなってしまう地下資源。
しかし、この地球には、千年先にも存在する資源があります。
それは生物という資源を生み出し続ける資源です。
植物、動物、昆虫、微生物、そして空らを支える自然の恵みを、
私たちは千年先の子供たちに引き継いでいく責任が
あるのではないでしょうか?」

 ただ、このパビリオンを3回訪れていつも感じるのは、問題意識と展示はあっても、ではこの先どうするのかという回答がないことです。これもポストEXPOへの課題ということいなるのでしょうか。

「愛・地球博」は歴史に新しいページを残せるか?(その5):「新しい文化」の創造」はできるか②

2005-08-17 04:20:49 | Weblog
 私は、堺屋太一氏は今でも20世紀的な文化にこだわっており、「愛・地球博」の真価を見落としているのではないかと考えています。まず、堺屋太一氏が言う「新しい文化の創造」とはどのようなものなのか、それを見て見ましょう。

ー大阪万博では、どんな文化を生み出したか。
「大阪万博では、岡本太郎の太陽の塔、丹下健三の独創的な建物、森英恵の個性的なコンパニオンファッションなど、固有名詞で呼べるものがたくさんあった。愛知万博には固有名詞で呼べるものがごく少ない。文化というからには固有名詞がギラギラと存在していなくてはならない。・・・・・・
 それまで仕事着=外出着と部屋着という2種類しかなかった着服の文化に、カジュアルウェアという存在を認識させた。カジュアルウェアというものが広く行き渡るのは万博以降なのです。また、食べる姿は人様に見せるものではないという意識を劇的に変化させ、ガラス張りの店で食事をするというファーストフードの文化を発信し、定着させる端緒となった・・・・」

 ここで強調されているのは「固有名詞」のエリートが創造する文化と一般大衆の「大量生産、大量消費に、そして大量廃棄」の”文明”です。これは明らかに20世紀的文化や文明を「新しい文化」として堺屋太一氏が思い描いていることを象徴しており、そこには、21世紀の文化の創造主体である「市民」や「持続可能な環境文化の創造」といった視点が欠落しています。また、20世紀末から21世紀にかけて急速にわれわれに生活に浸透したインターネットに関する言及も一切ありません。
 ここで私は、地球温暖化防止、レジ袋削減などの環境保全、持続可能なまちづくり等の21世紀における課題に関して、21世紀初の国際博覧会である「愛・地球博」において壮大なる実証実験が行われている市民プロジェクト、地球市民村、EXPOエコマネーなどの「市民関連プロジェクト」の意義、成果に着目したいと思います。この「市民関連プロジェクト」こそが、堺屋太一氏の言う20世紀的な文化ではなく、これからの21世紀的な文化を騒動する先駆けであると確信しているからです。
 残念ながら首都圏における「愛・地球博」への関心度は低く(ちなみに「愛・地球博」への入場者のうちおよそ8割は中部3県の人々)、「愛・地球博」における様々な催しやプロジェクトのうちでもこの「市民関連プロジェクト」の意義や、真価を評価している人は非常に少ないのが実情です。

 そこで私は、8月23日(火)14:00-18:00、東京御茶ノ水において、(財)2005年日本国際博覧会協会・(特)エコミュニティ・ネットワーク・明治大学地域人材開発研究センター主催、経済産業省、(独)中小企業基盤整備機構、東京新聞など後援で、「愛・地球博」との連携一大イベントを企画いたしました。8月23日のシンポジウム(8月2日には市民パビリオンにおいて、先行して「地球の愛し方:アピール編」を開催)では、「愛・地球博」の開催意義と今後の展開についての基調講演とともに、市民プロジェクト、地球市民村、エコマネーなどの関係者によるパネルディスカッションを行い、さらに最先端の映像コミュニケーション技術を活用して万博会場と東京会場を結び、対話(日中学生交流を含む)を実施することとしております。
 テーマは、「『市民力』を『環境力』・『文化力』へと発展させて、いかに国際的ムーブメントを創造するか」です。関連情報はhttp://www.ecommunity.or.jp/ev20050823.htmにあります。入場無料ですので、皆様の参加を期待しております。