加藤敏春ブログ:21世紀の経済評論を語る!

2000年度東洋経済・高橋亀吉最優秀賞等を受賞。地域通貨「エコマネー」提唱者。

小泉総理は靖国神社を参拝すべきか?(その3):「歴史認識」の点から考える

2005-08-11 06:12:14 | Weblog
 靖国神社問題に関しては、過去に不幸な対立があった国家の間で「歴史認識」を共有ことは可能かということも絡んできます。
 この点に関して、2002年から3年がかりで行われた日韓歴史共同研究に研究協力者として加わった木村幹・神戸大学教授の『歴史認識問題は韓国再建の切り札か』(『中央公論』2005年7月号)は、非常に示唆深い論考です。
 共同研究は最終的に双方の議論がかみ合わないまま終わりましたが、その体験を踏まえて木村教授は、次のように議論を展開しています。
 それぞれが自由な研究者として参加した日本側の研究者に対して、韓国側の姿勢はまったく違っていた。彼らは「民族史というストーリーと、民族主義というイデオロギーを共有する、一つの強固にまとまったナショナルチーム」であった。
 その背景には、韓国の人々の特有の世界観がある。彼らは「この世には普遍的な『真理』が存在するという前提ですべての物事を考えている」。そして「異なる真理の存在は、すなわち彼らの信じる真理への冒涜を意味している」。
 これはかつて朝鮮半島で栄えた朱子学の思想、つまり宇宙には絶対的な法則であり規範である「」というものがある、といった考え方に連なると木村教授は見ていますが、いずれにしても、彼らが「民族の歴史」を肯定しなければならない以上、「行うべきは、必然的に他方の側の歴史認識の糾弾」になるのだといっています。

 私は、歴史の専門家たちは過剰なナショナリズムと愛国心の行き過ぎの防波堤にならなくてはならないと思います。双方の歴史専門家がそのような勇気を持つことと、それぞれの政府がそのような環境を保障することが必要不可欠になるのです。
 しかし、現実には日本はともかく、中国、韓国のそれぞれの政府にそれを期待しがたい状況になっています。特に「中国では共産党が歴史や時間を監視する塔となっている」(山内昌之・東京大学教授『歴史と外交』(『外交フォーラム』2005年7月号))のが現実です。
 しかも、今までの政府指導者や議会関係者の不用意な発言が、せっかく創りあげてきた友好ムードに水を差すということもたびたび起こっています。この点において反省しなければならないのは、日本でしょう。
 では希望はないのでしょうか。
 私はそうとは必ずしも言い切れないと考えています。韓国や中国の知識人の主張が「朱子学的伝統」を引き継いでいることは確かですが、最近の「韓流ブーム」などで庶民感覚は非常に接近してきていると思います。中国もイデオロギーはともかく、今や市場経済の国です。
 特に、私はアメリカなどで大学院教育を受け、今後政治、経済、市民活動などの分野で指導者的役割を演ずる20歳代、30歳代の若者に期待したいと思います。私が拙著『アジア・ネットワーク』(1997)で先見の明(?)によりその登場を予測した「アジア型市民起業家」が今数十万人、数百万人の単位で育ってきています。
 私は「近代」のアジアがここ数十年は支配すると考えています。その環境の下では、首相の靖国参拝は継続すべきだというのが私の考えです。しかし、「アジア型市民起業家」が40歳代、50歳代になり、それに次ぐ世代が社会の中枢として登場してきて相互にネットワークを形成したとき、アジアにヨーロッパの中世かな近世にかけて栄えた都市国家のネットワークである「ハンザ同盟」のようなものが出現し(現在進行している各種のEPAあるいは「東アジア共同体」形成の動きはそれを制度的・環境的に保証するものとなるでしょう)、アジアに「新しい中世」の時代が訪れるでしょう。
 私は前掲書『アジア・ネットワーク』でこれを「アジア・ハンザ同盟モデル」と呼んで具体論を展開しましたが、そのときは靖国問題も自然と風化していくのではないかと期待しています。そのときは日本が戦後60年間で形成してきた「市民宗教」(山崎正和)の実績が生きてくるものと考えています。
 では、その「市民宗教」とは何なのでしょうか。次回はそのことについて論じてみたいと思います。