今までとは別の切り口として「日本企業は何を目指すべきか?」という問題を取り上げたいと思います。
資本主義の第3段階において、企業価値を測る指標はROE(株主資本利益率)やEVA(経済付加価値)でした。そして企業買収で活用された指標はPBR(株価純資産倍率)でした。ROEやEVAは、要するに株主の持分であるエクイティに対するリターンを最大化するというものです。
ROE至上経営は、えてして工場の閉鎖、人員の合理化、そしてウルトラCは研究開発費のカットにまで及びます。コダックやゼロックスは、ROE至上経営ゆえに研究開発費の削減まですることになり、先行きに暗雲が垂れ込めている企業です。
また、PBRは株価を1株あたりの純資産で割って算出するものであり、PBRが1であれば、株価と1株あたりの純資産が釣り合っているから、万一会社が解散しても、投資額だけは回収できることになります。これに対してPBRが1未満の会社は、株価よりも1株当たりの純資産が大きいため、買収の危険が高まります(ちなみに日本の場合、東証1・2部上場の約2200社のうち、500社以上がPBR未満となっている)。
日本企業のこれからの経営は、これと違ったところを目指すものではなくてはなりません。拙著『安心革命』(2003)は、以下のように指摘しています。
「企業という組織も、いま大きく衣替えをする時期にさしかかっています。
日本は90年代からいまに至るまで、一貫してアメリカ型の企業モデルを追求してきましたが、これが木に竹を接いだ「形」になっていて、一向に功を奏しません。終身雇用型、年功序列型組織を破壊するところまでいき着いたことはよしとしても、その先はというと、まったくの袋小路です。何かがおかしいといわざるをえません。
私がいう資本主義の第3段階、これは高度経済成長期に象徴される時期ですが、この段階の企業は、株式の持ち合いによって市場の影響力を極力排除しようとしてきました。この持ち合いは1970年代以降、株式の時価発行のさいの株価維持策としても機能してきました。その後に、バブルが発生したわけで、こうしてみると不良債権が発生し、バランスシートが悪化するのも道理といえます。
こうした日本の企業モデルに対する批判が沸き起こり、アメリカモデルへの憧憬が「株主主権論」として日本にも定着します。企業のガバナンス手法として、執行役員制、カンパニー制が相次いで導入され、従業員評価にも成果主義が採りいれられます。また、2002年4月には商法が改正され、アメリカ型の企業モデルを後押しすることになりました。
しかし、「まずは形から」とばかりにアメリカモデルを移入したものの、企業の成長という面では効果が上がっていないのではないでしょうか。
たとえば『日本企業変革期の選択』(伊藤秀文編・東洋経済新報社)によれば、2000年3月から2001年3月にかけて上場企業13社のトップにストック・オプション、社外取締役、執行役員などについてヒアリングした結果、「単に見せかけのものだとして、その成果を疑問視する声が多かった」とあります。また、神戸製鋼では、九九年から執行役員制度を導入しましたが、業務執行の責任を持たせないと取締役がうまく機能しないため、2006年6月よりその数を増やしたところです。そもそもアメリカ企業ですら従来の経営手法の見直しをすすめており、マイクロソフト社はストック・オプションを今年9月に廃止し、代わりに自社株を無償で支給することを7月に発表しました。
そもそも表面上の変化ではなく、本質的な変化を見極めることが必要で、株主のカネにと株式市場によって会社をガバナンスする時代は終わっています。市場でガバナンスするアメリカモデルは、資本主義の第3段階でこそ機能しえたものであり、いまその「カネ」のパラダイムは過ぎ去りつつあります。その意味で、日本の企業は、無用な過去のモデルであるアメリカ型を、まだ追いかけているといえます。
アメリカ型のコーポレート・ガバナンス問題は、1932年にバリー&ミーンズ『近代株式会社と私有財産』で問題提起された「所有と経営の分離」を出発点としています。それ以来、経営者の義務は善管注意義務と忠実義務であり、それをもってはじめて「信認(fiduciary)」されるものになりました。
加えて、M&AやLBO(レバレッジド・バイ・アウト)による企業の乗っ取りを防ぐために、経営者は自社の株式価格を維持することが必要です。それが株式市場によるコーポレート・ガバナンスとして働くとしていました。
しかし、そのメカニズムはコーポレート・ガバナンスの否定につながってしまいました。エンロンやワールドコムの事件がそれを端的に物語っています。結局、株主になった経営者は、粉飾決算をしてまでも株高を演出し、自分だけは高値で持ち株を売り抜けるというモラルハザードが生じたのです。ブッシュ大統領は「腐ったりんごがいくつかあるが、それを取り除けば問題はなくなる」と強弁しましたが、そのときアメリカモデルへの信頼は完全に失墜したといえます。
日本の企業がこうしたアメリカモデルの後追いをする必要は、もはやどこにもありません。じっさい、このデフレ不況期においても、日本的経営を実践し、目覚しい成果を上げている企業が数多くあります。
資本主義の第3段階において、企業価値を測る指標はROE(株主資本利益率)やEVA(経済付加価値)でした。そして企業買収で活用された指標はPBR(株価純資産倍率)でした。ROEやEVAは、要するに株主の持分であるエクイティに対するリターンを最大化するというものです。
ROE至上経営は、えてして工場の閉鎖、人員の合理化、そしてウルトラCは研究開発費のカットにまで及びます。コダックやゼロックスは、ROE至上経営ゆえに研究開発費の削減まですることになり、先行きに暗雲が垂れ込めている企業です。
また、PBRは株価を1株あたりの純資産で割って算出するものであり、PBRが1であれば、株価と1株あたりの純資産が釣り合っているから、万一会社が解散しても、投資額だけは回収できることになります。これに対してPBRが1未満の会社は、株価よりも1株当たりの純資産が大きいため、買収の危険が高まります(ちなみに日本の場合、東証1・2部上場の約2200社のうち、500社以上がPBR未満となっている)。
日本企業のこれからの経営は、これと違ったところを目指すものではなくてはなりません。拙著『安心革命』(2003)は、以下のように指摘しています。
「企業という組織も、いま大きく衣替えをする時期にさしかかっています。
日本は90年代からいまに至るまで、一貫してアメリカ型の企業モデルを追求してきましたが、これが木に竹を接いだ「形」になっていて、一向に功を奏しません。終身雇用型、年功序列型組織を破壊するところまでいき着いたことはよしとしても、その先はというと、まったくの袋小路です。何かがおかしいといわざるをえません。
私がいう資本主義の第3段階、これは高度経済成長期に象徴される時期ですが、この段階の企業は、株式の持ち合いによって市場の影響力を極力排除しようとしてきました。この持ち合いは1970年代以降、株式の時価発行のさいの株価維持策としても機能してきました。その後に、バブルが発生したわけで、こうしてみると不良債権が発生し、バランスシートが悪化するのも道理といえます。
こうした日本の企業モデルに対する批判が沸き起こり、アメリカモデルへの憧憬が「株主主権論」として日本にも定着します。企業のガバナンス手法として、執行役員制、カンパニー制が相次いで導入され、従業員評価にも成果主義が採りいれられます。また、2002年4月には商法が改正され、アメリカ型の企業モデルを後押しすることになりました。
しかし、「まずは形から」とばかりにアメリカモデルを移入したものの、企業の成長という面では効果が上がっていないのではないでしょうか。
たとえば『日本企業変革期の選択』(伊藤秀文編・東洋経済新報社)によれば、2000年3月から2001年3月にかけて上場企業13社のトップにストック・オプション、社外取締役、執行役員などについてヒアリングした結果、「単に見せかけのものだとして、その成果を疑問視する声が多かった」とあります。また、神戸製鋼では、九九年から執行役員制度を導入しましたが、業務執行の責任を持たせないと取締役がうまく機能しないため、2006年6月よりその数を増やしたところです。そもそもアメリカ企業ですら従来の経営手法の見直しをすすめており、マイクロソフト社はストック・オプションを今年9月に廃止し、代わりに自社株を無償で支給することを7月に発表しました。
そもそも表面上の変化ではなく、本質的な変化を見極めることが必要で、株主のカネにと株式市場によって会社をガバナンスする時代は終わっています。市場でガバナンスするアメリカモデルは、資本主義の第3段階でこそ機能しえたものであり、いまその「カネ」のパラダイムは過ぎ去りつつあります。その意味で、日本の企業は、無用な過去のモデルであるアメリカ型を、まだ追いかけているといえます。
アメリカ型のコーポレート・ガバナンス問題は、1932年にバリー&ミーンズ『近代株式会社と私有財産』で問題提起された「所有と経営の分離」を出発点としています。それ以来、経営者の義務は善管注意義務と忠実義務であり、それをもってはじめて「信認(fiduciary)」されるものになりました。
加えて、M&AやLBO(レバレッジド・バイ・アウト)による企業の乗っ取りを防ぐために、経営者は自社の株式価格を維持することが必要です。それが株式市場によるコーポレート・ガバナンスとして働くとしていました。
しかし、そのメカニズムはコーポレート・ガバナンスの否定につながってしまいました。エンロンやワールドコムの事件がそれを端的に物語っています。結局、株主になった経営者は、粉飾決算をしてまでも株高を演出し、自分だけは高値で持ち株を売り抜けるというモラルハザードが生じたのです。ブッシュ大統領は「腐ったりんごがいくつかあるが、それを取り除けば問題はなくなる」と強弁しましたが、そのときアメリカモデルへの信頼は完全に失墜したといえます。
日本の企業がこうしたアメリカモデルの後追いをする必要は、もはやどこにもありません。じっさい、このデフレ不況期においても、日本的経営を実践し、目覚しい成果を上げている企業が数多くあります。