加藤敏春ブログ:21世紀の経済評論を語る!

2000年度東洋経済・高橋亀吉最優秀賞等を受賞。地域通貨「エコマネー」提唱者。

「コパクト・シティ」に関する考察(その12):「日本型コンパクトシティ」と市民社会

2005-11-28 00:31:29 | Weblog
 ここ10年ばかりの間、「ネオ・トクヴィリアン」と呼ばれる人々の論説を中心いして、市民社会と民主主義を巡っての議論が世界中に隆盛となっています。
 1830年代にアメリカを訪れたフランス人のトクヴィルは、アメリカ人の間で地域社会における様々な市民的連来活動が極めて活発であることに強く印象付けられ、アメリカ人は民主主義が根付き栄えるために必要な公共心に富む「心の習慣」(habitts of heart)を持ち合わせていると結論しました。このトクヴィルの見解を20世紀末から再び強調するのが、「ネオ・トクヴィリアン」と呼ばれる人々です。
 その立場を象徴する代表的な論文が、ロバート・パットナム(ハーバード大教授)の”Bowling Alone”(1995)であり、その中でパットナムは、20世紀後半に多くの学者によって形成されたソーシャル・キャピタル(社会的資本)の概念をよりどころにして、社会的相互作用の緊密なネットワークが社会の人々の信頼を醸成し、ソーシャル・キャピタルを豊かにし、それが「良い社会」につながると指摘しました。
 そして仲間と一緒ではなく「一人でボーリングする」アメリカ人が増加していることは、アメリカ社会においてソーシャル・キャピタルが減退している証左ではないかと主張し、アメリカの市民社会の劣化について警告を発したのです。
 この論文のインパクトは非常に大きく、それ以来市場でも国家でもない、この2つを補完する第3のものを模索する動きとして「市民社会論」が展開されるようになりました。
 現在さまざまな「市民社会論」が展開されていますが、結論を言えば、私はパットナムが指摘したような信頼が醸成された「良い社会」だけではなく、市民が連帯や協働していく「連帯的市民社会」、さらには『新しい公共』作りを目指す「公共圏としての市民社会」の3つのアプローチを統合したホリスティック(全体論的)な「市民社会」を「日本型コンパクトシティ」において目指すべきであると考えています。

「コパクト・シティ」に関する考察(その11):「日本型コンパクトシティ」と地方自治の変革

2005-11-26 00:03:18 | Weblog
 今までは「まちづくり三法」の見直しを中心として「日本型コンパクトシティ」のあり方を考えてきましたが、ここで忘れてはならないのは、地方自治を20世紀型から21世紀型へと変革しようとして進められている「地方自治構造改革」の動きとの関係です。
 「市町村合併特例法」による「平成の大合併」により、市町村の数は3,200から2006年3月で1,822へと減少することとなっています。さらに、その後制定された合併新法により、総務大臣が2005年5月に公表した合併指針に基づいて、都道府県知事が人口1万人以下の町村等を対象にして、市町村の合併の勧告ができることとされています。勧告がなされた場合は、関係町村は法廷合併協議会を作るか、議会に付議しなければなりません。
 さらに地方自治法が改正され、都道府県の合併を法律によらずに行えるようにもなりました。府県合併の先には「道州制」が控えています。地方制度調査会は、道州制に関して「法律により全国をいくつかのブロックに区分」する方向で検討が必要であると述べています。
 また、いわゆる2004年度予算から06年度予算にかけて「三位一体改革」(補助金の削減、税源移譲、地方交付税の改革)が行われており、2004年度と2005年度の予算を通じて、国庫補助負担金と地方交付税の削減は7.4兆円、税源移譲は3兆円となっています。ネットで見ると4~5兆円のマイナスとなっています。「三位一体改革」の仕上げは2006年度予算であり、その結果は12月にまとめられることになっています。
 いずれにしても、2003年6月の閣議決定においては、「3年間で国の補助金の4兆円程度の削減、代わりに行われる税源移譲に関しては、義務的経費に関しては全額を移譲するが、それ以外は8割を移譲。地方交付税に関しては、その財源保証機能を縮小する」となっていることから、地方自治体にとっては、総体としては厳しい財政運営を行っていかなければなりません。
 このために従来各自治体により推進されてきた「ニュー・パブリック・マネージメント」(NPM)により、自治体の行財政のスリム化とアウトソーシングなどによる効率化を強化していく必要があります。NPMの先にあるのは、PPP(Public Private partnership)です。この点に関して、2005年3月に総務省より出された「地方行革推進の新指針」は、「これまで行政が主として提供してきた公共サービスについても、今後は、地域においては、住民団体はじめNPOや企業等の多様な主体が提供する多元的な仕組みを整えていく必要がある。これからの地方公共団体は、地域の様々な力を結集し、『新しい公共空間』を形成するための戦略本部とな」る必要があると指摘しています。
 総括すると、「地方自治構造改革」の目指す基本方向は、三位一体改革やNPM・PPPを推進しつつ、小規模町村と府県を廃止して基礎自治体と道州の2層構造に自治体のあり方を編成することといえます。
 この場合肝心なことは、しっかりとした「一階」を持った二階建て構造をつくることであり、この面からもしっかりとした「一階」として「日本型コンパクトシティ」を実現することが求められているのです。

「コパクト・シティ」に関する考察(その10):「日本型コンパクトシティ」を構成する原則

2005-11-24 00:42:01 | Weblog
 今回のテーマは、「日本型コンパクトシティ」に共通して適用されるべき原則についてです。私は、次の10の原則が考えられると思っています。
①近隣生活圏(アーバン・ビレッジ)を基礎単位として都市を再構成する
 歩ける範囲で、生活に必要な商品、サービス、居住空間、就業の場などが配置される
②段階的な構成で都市を再構成する
 近隣生活圏(アーバン・ビレッジ)→町(タウン)→都市(シティ)→広域圏(リージョン)で仮想から都市を再構成する。そのときの交通手段としては、公共交通機関が重要になる。
③交通計画と土地利用を結合する
 自動車交通に依存した都市構造を改め、生活交通の移動距離をできるだけ短くするように、土地を計画的に利用し、施設を配置する。
④昔からの町割りを活かす
 日本に歴史的に存在する町割り(街路の構造とその配置、寺社や水路、自然などが組み合わされた歴史的な町割り)を復活させ、建物を必要に応じて更新することにより空間ストックの質を高める。
⑤様々な用途、機能、タイプの空間を共存させる
 多様な空間、複合的な空間が提供され、生活者にとって「楽しさ」を演出する。
⑥アーバンデザインを重視する
 都市計画のみならず街路や町並み、景観にわたるデザインを重視する
⑦都市の成長をコントロールし、環境と共生した都市とする
 都市の郊外への分散的、拡散的な開発を抑制して、自然環境の改変を最小限にとどめ、都市と環境との共生空間を生み出す。
⑧都市の機能を強化する
 都市は常に変化するものであり、生活者のニーズに応じて中心市街地が持つべき機能を見直し、強化していく。
⑨都市経営を進める
 自治体の都市経営という発想により、企業経営などで発展してきたマネージメント手法を積極的に取り入れる。
 そして、最後に重要なのは
⑩商業機能を核として多様な価値を提供する中心市街地を再生、持続化させる。
 この10番目の原則については、別のテーマとしてまとめて、より掘り下げて考察してみたいと思います。 

「コパクト・シティ」に関する考察(その9):「日本型コンパクトシティ」のモデル

2005-11-22 00:35:22 | Weblog
 今回のテーマは、「日本型コンパクトシティ」のモデルです。
 この点に関しては、私は次の3つの都市モデルが提示される必要があると考えています。
①小都市モデル:環境共生型コンパクトシティ
 恵まれた自然条件を生かし、多様な機能が縦糸と横糸のように織り成す都市で、人口10万人程度までの都市
②中都市モデル:多層重層型コンパクトシティ
 密度の高い中心市街地と、周辺圏域の交流拠点を有し、まとまりのある近隣生活圏(アーバン・ビレッジ)と再構成された郊外からなる人口数十万人の都市
③大都市モデル:多芯連携型コンパクトシティ
 公共交通に支えられ、特色のある近隣生活圏(アーバン・ビレッジ)→町(タウン)→都市(シティ)→広域圏(リージョン)という段階的構成よりなるコンパクトシティ
 次回は、このような3つのタイプの「日本型コンパクトシティ」に共通する原則について考察してみたいと思います。

「コパクト・シティ」に関する考察(その8):「日本型コンパクトシティ」の意味するもの

2005-11-20 00:42:21 | Weblog
 今までの「コンパクトシティ」論を参考にして、21世紀の日本の都市像を考えてみましょう。「日本型コンパクトシティ」とは何かということです。
 21世紀の日本の社会は歴史的転換期を迎えています。人口減少、少子高齢化、経済構造の転換、中心市街地の衰退が基調としてあり、地球規模の環境問題への対応能力を高めるために、持続可能な成熟した都市型社会に移行しなければならない時期に来ています。
 では、持続可能な成熟した都市型社会とは何なのでしょうか。まず、成熟社会とは、量的な拡大の社会から、多様性と個性、歴史性と文化、貨幣的な価値だけではなく非貨幣的な価値やより広い人間的な価値が大事にされる社会のことであると思います。
 次に都市型社会とは、都市を中心とした社会です。このことは農村や山村や多くの自然的な地域を無視するということではなく、都市がそれらの地域とお互いに支えあう構造になっていることが必要です。このことは、都市が環境、資源、経済などを一方的に消費するのではなく、都市が農村や山村などとの共生の関係の中で独自の文化を持っていくということです。
 そして何よりも、21世紀の日本の都市には持続可能性が求められます。ここでいう持続可能性とは、地球環境のみならず、人口構造、経済、社会、文化などいずれの側面においても持続可能性が求められていると、私は考えています。
 幸いにして、このような21世紀の都市像を実現しうる積極的な動きも各地で見られるようになって来ました。上からの動きでは、地方分権、まちづくり条例、まちづくりセンターなどの動きです。また、各自治体がPI(パブリック・インボルブメント)=市民参加を勧めるようになっています。下からの動きとしては、これまで見られなかった多様な市民組織、NPOなどが各地域で誕生し、上からの動きと下からの動きが相呼応して、「協働によるまちづくり」が進展しています。
 次回はこのような動きの中で、「日本型コンパクトシティ」の具体像を提示してみたいと思います。

「コパクト・シティ」に関する考察(その7):欧米の理論と手法から学ぶもの

2005-11-18 00:40:43 | Weblog
 ここで欧米で展開されている「コンパクト・シティ」論をまとめてみましょう。様々な論調を整理すると、以下の9つに集約されると思います。
①高い居住と就業などの密度
②複合的な土地利用の生活圏
③自動車だけに依存しない交通
④多様な居住者と多様な空間
⑤独自な地域空間
⑥明確な境界
⑦社会的な公平さ
⑧日常生活の自足性
⑨地域運営の自律性
 欧米から学ぶべきは、このような「コンパクト・シティ」を実現する次のような手法に関してでしょう。
①密度コントロール:人口、住宅その他の都市機能が高密度に集積した都市空間の形成、低密度開発の規制、高密度住宅の開発
②機能配置:複合機能建築、再開発ないし混合用途の土地利用の促進
③土地利用計画:住宅・雇用・都市施設の地域的バランス、厳格な計画あるいは民主的な手続きを経た計画に基づく開発許可、土地所有者の自由な開発の抑制、都市部と農村部を一体的にコントロールする自治体総合計画、環境計画における土地利用計画の重視
④住宅対策:多様な住宅の供給による多様な住民構成、市街地での住宅供給、特にアフォーダブル住宅の供給
⑤交通対策:自動車交通の抑制と徒歩・自転車利用の促進、歩行者モールや自転車道の整備、住宅地内の自動車交通の静穏化、新規の道路整備や市街地での駐車場整備の抑制、公共交通への投資や補助の拡大、LRTなどの整備・延長、ミニバスやコミュニティバスの運行、パークアンドライド,カーシェアリング、ロードプライシングなどの自動車交通抑制政策、カーフリーシティなど自動車に依存しない住宅地整備
⑥開発コントロール:郊外での住宅、商業その他の施設の立地抑制、市街地の無定形長い演歌の抑制、分散的な郊外居住地の再構成、開発が環境に影響を与える影響を考慮した用途地域、グリーンベルトによる外延化防止、都市の成長管理、農地・田園・自然の保全のための法的規制、交通条件による立地評価と規制
⑦既成市街地開発:既成市街地内の空地開発、建物の際しよう・再生・再開発、特に複合機能開発、駅周辺の高密度複合機能開発を指向するトランジットビレッジ、中心市街地のモールかと公共交通や駐車場政策との連携、修復的利用などによるタウンセンターの活性化、都市地域への投資の集中
⑧アーバンビレッジ:徒歩などの日常生活でのアクセシビリティの改善、近隣計画の作成と実施、公共交通と一体になったTOD、伝統的近隣の良さを生かしたTND、居住地の修復的再生
⑨アーバン・デザイン:優れたデザインによる市街地環境の改善・向上
⑩推進主体の形成:計画作成・開発コントロールにおける市民参加、地域住民自治に基づくコミュニティ活動の強化、パートナーシップによる実施と促進、多様な主体による推進グループの組織化、自治体の連携による広域計画

「コパクト・シティ」に関する考察(その6):アメリカの「スマート・グロース」

2005-11-16 00:04:43 | Weblog
 前回紹介した「ニュー・アバニズム」の動きの結晶として、94年アメリカ計画協会(APA)は「スマート・グロース」(賢明な成長)の考え方をまとめ、提示しました。
 その典型は、オレゴン州シアトル市(人口53万人)の「アーバンビレッジ戦略」に見ることができます。94年に策定されたシアトル総合計画では、成長管理政策と近隣計画を結びつけ、市街地内にタイプの異なる「アーバンビレッジ」と呼ばれる重点開発拠点を設定しています。「アーバンビレッジ」とは、複合機能を有するコンパクトな地区であり、一定のエリアを指定して住宅と雇用を優先的に集中させて密度を高める戦略です。
 これにより、そのエリア内の徒歩圏での生活サービスを充実させ、都市圏域での公共交通利用を促進させることを狙っています。

「コパクト・シティ」に関する考察(その5):アメリカの「ニュー・アーバニズム」

2005-11-14 00:51:40 | Weblog
 「コンパクト・シティ」論に関するアメリカでの展開は、「ニュー・アーバニズム」という郊外化の流れを食い止め、インナーシティを再生、活性化させる運動として90年代から展開されています。
 その先陣を切ったのがピーター・カルソープ、ドゥアーニ、ザイバークなどが中心となって91年に打ち出した「アワニー原則」です。「アワニー原則」は、91年秋に、カリフォルニア州の市長、議会関係者など約100人が参加して、ヨセミテ国立公園内にあるアワニーホテルでかい際された会議における討議の結果を原則としてまとめたもので、公共交通重視、地域重視、エコロジカルな視点の重視が特徴です。エベニーザ・ハワードの「ガーデン・シティ」(田園都市)の考え方に強く影響を受けた考え方で、その後多くの自治体の計画などに活用されるようになりました。
 ピーター・カルソープ、ドゥアーニ、ザイバークなどは、94年に「ニュー・アーバニズム会議」(CNC)を開催し、96年の第4回会議で次のような『ニュー・アーバニズム憲章』を採択しています。ちなみに私は、92年から95年までカリフォルニア州に勤務しましたが、そのときピーター・カルソープ、ドゥアーニ、ザイバークなどと親交を結び、日本に帰国後は彼らの「ニュー・アーバニズム会議」(CNC)の動きを日本に紹介するなどの活動を行いました。
①大都市地域は、地形条件でその境界が区切られる。大都市は、都市、町、村それぞれが独自のセンターを持つ多核構造である。
②大都市地域は、世界の基本的な経済中心であることを、統治組織、公共政策、物的計画、経済戦略で明確にする。
③大都市は、周辺の自然や農地と、経済的、生態学的、文化的に密接な関係にある。
④開発は、大都市の境界をかく乱してはいけない。市街地内部の開発は、環境資源、経済投資、社会資源を保全する。
⑤都市の境界に隣接した新規開発は、既存の都市パターンと一体となって近隣を形成しなければならない。境界から離れた新規開発は、単なるベッドタウンではなく、村や町を形成するように就業と居住のバランスを図らなければならない。
⑥開発、再開発は、地域の歴史パターン、先例、境界を守らなければならない。
⑦開発、再開発は、様々な所得の人々が公共、民間の領域でも使いや少なければならず、入手可能は住宅(アフォーダブル住宅)を用意し、貧困層が集中しないようにしなければならない。
⑧自動車への依存を減らすために、徒歩、自転車、公共交通が最大限利用できるように空間が構成されなければならない。
⑨歳入や資源を都市の間で奪い合わないように、レクリエーション、公共交通サービス、住宅、コミュニティ使節などの共同利用を図り、いたずらな競争を避ける。

「コパクト・シティ」に関する考察(その4):ヨーロッパにおけるコンパクト・シティ論とエコミュニティ論

2005-11-12 06:43:14 | Weblog
 欧州における「コンパクト・シティ」論に決定的な影響を与えたのは、90年代末から認識が一般化した地球環境問題への対応です。この時期にEUや各国政府の都市政策、地域政策において環境政策とのリンクが重要視されるようになりました。
 EUは、環境政策の一環として、「持続可能な都市」(sustainable city)を目指しており、今日における欧州、特に英国の都市計画のキーコンセプトは、「持続可能な発展」(sustainable development)です。そして、「コンパクト・シティ」は持続可能な都市の空間形態として提起された都市政策のモデルなのです。その意味で 20世紀に展開された主要な都市論であるエベニーザ・ハワードの「ガーデンシティ」、ル・コルビジェの「輝ける都市」、ジェーン・ジェイコブスの「大都市像」などに匹敵するものといえます。
 EU委員会は、96年『サステイナブル・シティ報告書』を発表し、次のような持続可能な発展のための4つの条件を明らかにしました。
 ①都市経営
 ②政策統合
 ③エコシステムへの配慮
 ④資源、交通、土地利用、市街地地再生、観光レジャー、文化遺産分野での協力 とパートナーシップ
 これを発展させた議論を展開し、実践に移しているのが世界的に有名な英国の建築家であるリチャード・ロジャーズです。彼は「コンパクト・シティ」論の熱烈な支持者であり、中国上海市のほとう地区の開発を「持続可能な都市」(sustainable city)を指導理念として設計した建築家ですが、彼の「持続可能な都市」(sustainable city)論は、文化的要素を強調し、教育、情報、参加、技術の活用を主張しているところに、従来より私が主唱している「エコミュニティ」論と共通した特徴があります。
 ロジャーズは1998年に表した『小さな衛星のための都市』の中で、「持続可能な都市」(sustainable city)の特性として次の7点を挙げています。
 ①正義の都市:食物、教育、保険、希望がフェアに配分されている
 ②美の都市:芸術、建築、景観がイメージを書き立てる
 ③創造的な都市:開かれた心と経験が人的資源のポテンシャルを高めて、変化にすばやく反応できる
 ④エコロジカルな都市:生態への影響を最小限にし、景観と市街地形態がバランスし、建物とインフラが安全で資源が効率的に使われる
 ⑤到達のしやすさと移動性が高い都市:フェイス・ツー・フェイスでも、通信手段でも情報がやり取りしやすい
 ⑥コンパクトで多中心(ポリセントリック)な都市:農村地域を保全し、近隣コミュニティが結ばれ、交流が高められる
 ⑦多様な都市:幅の広い重層的な活動が活力を生み、活気のある市民生活を促す
 
 1998年『エコマネー』の刊行以来私が展開してきた「エコミュニティ」論は、これに8番目の要素として次のものを追加したものだということができるでしょう。
 ⑧金融・通貨の民主化が行われる都市:「市民起業家」(Civic
Entrepreneur) が一方でエコマネー、エコポイントなど自分たちが創造したお金を活用し、他方でPPP(Public Private Partnership)により地域再生ビジネスを展開している

「コパクト・シティ」に関する考察(その3):ヨーロッパにおけるコンパクト・シティ論

2005-11-10 00:49:46 | Weblog
 ここで「コンパクト・シティ」に関する欧米の論調を振り返ってみたいと思います。今回取り上げるのはヨーロッパです。
 ヨーロッパの「コンパクト・シティ」論は、1960年から70年代にかけて起こった経済至上主義からポスト・マテリアリズムへの思想あるいは思潮の転換とともに議論されるようになりました。
 ただ「コンパクト・シティ」論がまとまった形で展開されるようになったのは、90年代後半からです。これは、サッチャーリスムに象徴されるように、1980年代から90年代の前半にかけて起こった市場自由化の流れと無縁ではないと私は考えています。
 90年代後半に入って経済が成熟過程を迎えるとともに、人口減少や世界的規模の環境制約の顕在化など経済社会システムの根本的転換を迫る事態が本格的に出現することとなり、都市の成長ではなく縮小を前提とした理論の形成と実践が必要となったのです。それが「コンパクト・シティ」論にほかなりません。
 90年代後半から「コンパクト・シティ」論のとりまとめを図ったのが、オックスフォード大学のマイク・ジェンキンクス教授などです。ジェンキンクス教授らは1996年に「コンパクト・シティ」論に関する様々な論文・論考を集約した第1論集『コンパクト・シティ:持続可能な都市形態か』を取りまとめ、その4年後の2000年に第2論集『持続可能な都市形態の達成』を発表しました。
 これらの論文・論考に共通する立場は、「都市形態は都市の持続可能性に大きな影響を与える基本的な要素である」というものです。ここでは持続可能性()が明確に基本的価値尺度として掲げられるようになったことが大きな特徴です。
 その上でジェンキンクス教授らは、①都市形態のコンパクトさ、②混合用途と適切な街路の配置、③強力な交通ネットワーク、④環境のコントロール、⑤水準の高い都市経営の5つの原則が「コンパクト・シティ」においては必要であるとしています。

「コパクト・シティ」に関する考察(その2):エコミュニティが究極の姿

2005-11-08 00:43:38 | Weblog
 「コンパクト・シティ」が目指す究極の姿は、結論から先に言うと、商業・ビジネス機能(economy)、生活・コミュニティ機能(community)、環境保全機能(ecology)の融合化であり(=エコミュニティ(ecommunity))、それを持続可能にするスキームを構築すること(sustainable development)であると私は解釈しています。
 その意味で、NPO「エコミュニティ・ネットワーク」が目指してきた「エコミュニティ」は、現在「まちづくり三法」の見直しのキーコンセプトとされている「コンパクト・シティ」と同じものなのです。このことを①目指すべき都市像、②目指すべき商業・ビジネス機能の2つの面から考察してみたいと思います。まず今回は、目指すべき都市像に関する考察です。
 都市像という点から見ると、これは都市の縮小期における都市のあり方を提示するものです。この点で先陣を切ったのはドイツであり、1980年代から「進歩のための縮小」という考え方が議論され始めました。ドイツ建設法典は、この考え方を取り入れたといわれており、「ポスト成長主義型都市建設」を指向しているとされています。
 日本の都市計画法の変遷を見ると、ほぼ同様な軌跡をたどってきています。まず、現在の都市計画法の基本となっている68年改正は、都市の急速な拡大への対応を大きな狙いとしていました。それ以来の都市計画法は、都市の成長を抑制することを狙いとするものではありませんでした。
 転機となったのは、2000年2月都市計画中央審議会の答申「今後の都市政策はいかにあるべきか」です。そこでは、わが国の都市は歴史的な転換期に立っており、量的な拡大を続けてきた「都市化社会」から「都市型社会」を迎えようとしていると述べています。そして都市計画制度の課題として、目指すべき都市像の明確化、前引き制度・開発許可制度の見直し、既成市街地の土地の有効高度利用、質の高い都市環境の確保などを示しています。
 2000年5月に改正された都市計画法と建築基準法は、不十分ながら新しい方向を示そうとしたものでした。都市マスタープランの地位を高め、既成市街地に開発を誘導しようとしました。2000年6月の住宅宅地審議会答申「21世紀の豊かな生活を支える住宅・宅地政策はいかにあるべきか」では「これまでは住宅宅地が都市の外延部に供給されるのが当然とされてきたが、21世紀においては大都市圏・地方部を問わずコンパクトな都市構造の(再)形成が不可避となる」と述べています。そして今、社会資本整備審議会で「コンパクト・シティ」の実現策が検討されているのです。ドイツから遅れること10年から20年で日本の都市計画法も、「ポスト成長主義型都市建設」を指向しているのです。答申は本年末に出される予定です。
 目指すべき都市像に関してキーワードだけ並べれば、私は「自治体主権」、「市民主体」、「伝統的な価値の継承」、「アーバンデザインの活用」、「自動車偏重の交通システムからの脱却」、「環境との共生」、「持続可能な地域社会の実現」などがポイントになると考えています。 

「コパクト・シティ」に関する考察(その1):エコポイント導入事業はその内実を作る

2005-11-06 00:43:56 | Weblog
 現在まちづくり三法の見直しに関する議論が政府のみならず自民党・公明党でも行われていますが、いずれの場でも今後のまちづくりの概念として語られているキーコンセプトが「コンパクトシティ」です。
 そこで、これから数回にわたり、「コンパクトシティ」について様々な側面から考察してみたいと思います。
 その基本的な考えは、地域コミュニティを重視し、中心市街地を中心にこれまで整備された社会的インフラを効率よく活用した都市・まちづくりということを意味しています。
 中心市街地には下水道、歩道、街路灯なども整っています。多くの自治体関係者が「これを生かさないのはもったいない」というように、都市機能の郊外への分散を防ぎ、公共投資や行政コストを抑えようという狙いも込められています。
 このように「コンパクトシティ」の概念は広いものです。商業だけではなく交通、住宅、文化、教育、医療、福祉、環境、景観、防犯など、都市・まちづくりのあらゆる課題が含まれます。ある意味では「何でもあり」の世界なので、地方自治体も飛びつきやすい概念です。 すでに「コンパクトシティ」宣言をする都市も出てきています。
 青森市、諫早市(長崎県)、都城市(宮崎県)など、いずれも文化や教育、福祉などを考えながら商業機能の拡散を防ごうとしてきました。まちづくりを真剣に考えると、図書館や学校、病院など、都市の公的機能との連携は自然な流れだったのです。
 しかし、ここで大いに考えなければならない大きな問題があります。それは、「コンパクトシティ」を語るとき、改めて商業に焦点を当てて考えないと、議論がぼけてしまうことです。「コンパクトシティ」の商業的課題は「にぎわい回復」です。しかしこの「にぎわい」は、週末だけ、イベント開催時だけのにぎわいだけでは意味がありません。日常生活をサポートする良質の商品・サービスをきちんと提供できるお店が機能したにぎわいでなければならないのです。
 言ってみれば、「コンパクトシティ」の言葉の響きはいいのですが、そこにおける商業のあり方が見えないという状況にあるのです。少なくとも、手探り状態にあるということでしょう。
 「エコポイント導入推進事業」は住民に対して交付されるエコポイントを登場させるのみならず、ポイントなどとの相互交換を進めることにより、この大事な課題に回答を与えようというものです。 

京都の昼、木屋町通で休憩し幕末に思いをはせる

2005-11-04 00:32:32 | Weblog
 21日の午前京都市役所での会議が終わり、昼休みにその隣にある京都ホテルで昼食を取りながら休憩しました。京都ホテルは、幕末佐久間象山と大村益次郎が暗殺された場所です。
 佐久間象山は幕末の兵学者であり、弟子には勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬などがいます。公武合体論者であったため尊王攘夷派から疎まれ、元治元年(1864年)7月11日夕刻、二人の刺客に命を奪われました。そのとき象山が叫んだという「お前は日本一の大馬鹿野郎だ」という言葉は、大事を前にして死んでも死に切れなかった象山の気持ちを物語っています。享年54歳。
 大村益次郎は明治維新以降、徴兵令や廃刀令などを敢行して近代兵制の確立に尽力しましたが、明治二年(1869年)9月、反対派に襲われ命を落としました。享年46歳でした。
 三条通の北側には、新撰組が勤王浪士を襲った池田屋騒動の跡があります。また、三条通を下がったところに、坂本龍馬寓居の跡があります。ここは海援隊の京都本部として日夜新しい国づくりの作戦が練られたところです。その前の通りは今でも「龍馬通」と呼ばれています。
 京都は、アイコンを押すと幕末に思いをはせる場所でもあるのです。

祇園小路、建仁寺、八坂神社を経て円山公園と知恩院を散策する

2005-11-02 00:02:03 | Weblog
 21日の早朝、高瀬川のふち瀬を散策したのち、祇園小路(赤穂浪士の大石蔵之助が遊んだことで有名な「一力茶屋」などがある歴史的風致地区)、建仁寺(栄西が開いた日本最古の禅寺、「双龍図」で有名)、八坂神社(祇園さんの名前で京都市民から慕われている神社、毎年7月日本三大祭の一つである祇園祭が開かれる)を経て、円山公園(昔は真葛や薄などが生い茂っていたところですが、今は八坂神社の裏口で端正な日本庭園として整備されています)から知恩院にまで足を延ばし、浄土宗の開祖である法然上人の御廟と「勢至堂」に詣でてきました。
 円山公園では、鎌倉時代に慈円僧正が詠んだ次の歌を思い出し、日本のエロティシズの一端に触れるような感がしました。

 「わが恋は松を時雨と染めかねて真葛ヶ原に風さわぐなり」(新古今和歌集)

 その後山道を登り法然上人の知恩院に詣でました。知恩院はほぼ25年前に庭園と鶯廊下を拝観したことがありましたが、今回は早朝ゆえに、庭園ではなく法然上人の御廟と「勢至堂」に詣でた次第です。
 法然上人の浄土宗は「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで極楽浄土におけると説いた仏教の宗派ですが、御廟に至る石の階段の登り口に、弟子の源空が書いた次のような起請文がありました。

 「・・・智者のふるまいせずしてただ一向に念仏して
   皆の為に両手印(りょうしゅいん)をもってす
  浄土宗の安心起行(あんじんきぎょう)この一紙の至極なり
  源空が所存この外に全く別義を存ぜず
  滅後の邪義をふせんがために所存を記し畢んぬ」

 幸いにして、「勢至堂」では私一人しかいなかったため、法然上人に手を合わせつつ、ゆっくりと時間を費やして、この起請文の一節を何回も心の中で読み上げてみました。
 日本のエロティシズと「南無阿弥陀仏」による安心起行という一見奇妙に見える取り合わせが、不思議としっくりと心の中で融合したひと時でした。