加藤敏春ブログ:21世紀の経済評論を語る!

2000年度東洋経済・高橋亀吉最優秀賞等を受賞。地域通貨「エコマネー」提唱者。

「クール・ビズ」に物申す④:小泉総理の靖国神社参拝は「クール・ビズ」で?

2005-06-29 21:27:39 | Weblog
 「『クール・ビス』はご存知ですか?:96年『カジュアル・ディ論争』の示唆するもの」の3回シリーズでの結論は、①結局はわれわれ一人一人のライフスタイルの変革なしにはCO2削減効果は期待できないということ、②服装は文化と密接にかかわっており、内面からの変革や場に応じた対応(TPO)が大事であるということでした。
 TPOというと、今年は女性が水着を使い分ける傾向を強めているとのことです。海やプールサイドで切るファッション用のほかに、スパやスポーツクラブなどで使う機能重視の水着を買い求めている。メーカーも水から出た後の速乾性などを強化した商品を相次いで発売し、猛暑だった昨年を上回る販売を見通しているということです(6月21日付日本経済新聞朝刊31面)。
 このようなTPOの感覚を持った「クール・ビズ」運動でないと、単なる「ノーネクタイ・ノー上着」となり、結局は失敗に終わることになるでしょう。6月26日(日)付け読売新聞朝刊9面は、「クールビズ まもなく1ヶ月」と題する特集記事と取り上げています。
 そこで紹介されているエピソードをご紹介しましょう。
 日本経団連の奥田硯会長ら首脳は、導入翌日の6月2日、インドネシアのユドヨノ大統領との朝食会ではネクタイと上着を着用した。奥田会長は「ネクタイを締めたりはずしたりが面倒だ」と本音を漏らす。
 日本のビジネス習慣の中では、ネクタイと上着が必要な場面も多く、完全「クール・ビズ」はほど遠いのが現状です。ソフトバンクですら、役員の服装は常識に範囲内ということとしており、人と合うことが多いのでスーツ姿が多いとのことです。
 
 一方、「クール・ビズ」に関しては、ブラックユーモアともとれる発言もあります。
 6月21日付毎日新聞朝刊2面によると、日本経済同友会の北城挌太郎代表幹事(日本IBM会長)は、20日東京都内で開かれた講演会で、小泉総理の靖国神社参拝に触れ、
 「小泉総理のお考えは尊重すべきだが、個人的に参拝される形のほうがいい」と述べ、
 「近隣諸国に理解を得るためには、どういう形で参拝するかを是非お考えいただきたい」とした上で
 「羽織袴で神社で行くのは見た感じからして軍国主義。クール・ビズで行かれたらどうか」と述べた、ということです。
 ご本人としては真剣に発言されたものでしょうが、私の感じでは、ブラックユーモアともとれる発言です。TPOの感覚から言うと、神社に行くのは羽織袴でないと”さま”になりません。靖国神社問題については、別途取り上げたいと思いますが、「クール・ビズ」で行ったからといって、問題の本質的解決にはならないと思っています。 

「クール・ビズ」に物申す③:サマータイムのほうが効果がある?

2005-06-28 19:53:19 | Weblog
 「クール・ビズ」によるCO2削減効果や経済効果ははっきりしませんが、これらの点では、サマータイムのほうが効果が上がるようです。
 6月20日、職場の出社・退社時間を1時間早め、昼間の明るい時間を有効活用する札幌商工会議所提唱のサマータイム導入実験が始まりました。この方式は、欧米のように時計を1時間早めることはせず、参加企業・団体が出社・退社時間を1時間早めて対応するものです。
 2年目の今年は、初日から札幌市役所や金融機関など約300の企業・団体が参加。7月初旬からは北海道庁や法華異動経済産業局なども加わり、7月31日までの42日間に昨年の倍の計479企業・団体、約1万2千人が参加します。
 省エネによるCO2削減効果のほか、経済効果もあります。昨年の実験後のアンケート調査では、夕方早めに退社し余暇活動をした一般職員の32%が、普段より使った額が月に1万円以上と答えた。
 サマータイムは、日本でも連合国軍総司令部(GHQ)の指令で実施された歴史があります。今国会でも超党派の「サマータイム制度推進議員連盟」(会長=平沼赳夫・前経済産業大臣)が法案を提出する方針でしたが、郵政民営化法案の審議の影響などで不透明な状況となっています。それだけにこの北海道の実験で効果が実証されれば、強い追風となると関係者は期待を寄せています。
 私は1992から95年アメリカのサンフランシスコに赴任し、家族とともに暮らした経験がありますが、仕事を終えた後はゴルフをしたり、ゆっくりとした時間をすごしました。平日夕方の自宅の庭でのバーベキューも楽しみの一つでした。
 「クール・ビズ」には、政策の優先順位という問題もあるようです。

「クール・ビズ」に物申す②:経済効果はない?

2005-06-27 08:11:25 | Weblog
 前回は、「クール・ビズ」によるCO2削減効果ははっきりしないと指摘しましたが、では、経済効果は上がるのでしょうか。
 結論を先に言うと、「クール・ビズ」による経済効果についてもプラス面とマイナス面があり、総合的に考えてはっきりしないということになるようです。
 この点に関する内閣府の試算は、プラス面だけの試算をしています。それによると、「ノーネクタイ、ノー上着」に合わせてシャツやスラックス、靴などを新調すると13万円かかる。一方、家計調査によると、夏物スーツや関連商品の平均支出は9万円のため、軽装化による出費増は4万円。警察官など制服のある職務を除いた国家公務員の男性職員が一式購入すれば、100億円の支出増になると試算しています。さらに、地方公務員や民間企業を含めたホワイトカラーの男性(1,500万人)にまで普及すれば、6,100億円の支出増になるとしています。
 しかし、「クール・ビズ」による経済効果には、ネクタイ業界の減収、電力会社の減収などマイナス面も考慮しなければなりません。
 この点に関し、第一生命経済研究所の永浜利広主任エコノミストの試算によると、以下のようです(6月17日付け朝日新聞朝刊11面)。
ープラス面
 -ホワイトカラーのシャツ新調など 619億円
 -店舗改装などへの波及効果 389億円
 -企業のイメージアップ ?
ーマイナス面
 -ネクタイ業界減収 600億円
 -冷房1度上げによる電力会社の減収 500億円
 -衣服の買い替え費用減 ?

 マイナス面では、ネクタイ業界に与える影響は深刻です。従来ネクタイ業界は地盤沈下に悩んできました。2004年の国内販売量は輸入品も含め年間4千4百万ー4千5百万本。ピークだった91年の5千6百万本から約2割減少しています。これはバブル崩壊後の景気後退で、贈答用も含め販売低迷が続いたからです。
 加えて、中国などから低価格の輸入品が国内市場の約7割を占めるまでに増え、国内メーカーを追い込んでいます。
 今後「2007年問題」による影響も心配材料です。同年以降団塊の世代の退職が続けば、需要減少が加速するからです。
 業界各社が警戒していたのが6月19日の「父の日」商戦。伊勢丹本店メンズ館(東京・新宿)で6月には入ってからのネクタイの販売額は全円同期比12%になる一方、近鉄百貨店阿倍野店(大阪市)では16%減、京王百貨店新宿店は10%減と影響ははっきりしていません。「父の日」商戦の結果がはっきりするのが7月中旬。さて結果はどうなっているでしょうか。

追記
 7月6日付の日経流津新聞9面によると、「父の日」向けとして出荷する5月、6月の販売が約1割の減少。主要百貨店では、6月17日ー19日の商戦ピーク時に業界全体で7%程度の減収(店頭販売ベース)になった模様ということです。ただ、7月のセールが終わった後の返品を考えると、その割合はさらい増加するとのことです。

「クール・ビズ」に物申す①:CO2削減効果はない?

2005-06-26 16:24:51 | Weblog
「クール・ビス」について何回か取り上げましたが、服装論、文化論はさておくとして、果たして「クール・ビス」はCO2削減にどの程度の効果があるものなのでしょうか。
 冷房温度を28度にして地球温暖化防止につなげるのが、「クール・ビス」の本来の目標。(財)省エネルギーセンターの分析によると、全国のオフィスビルの冷房の設定温度は平均26.2度。これを28度まで、外気温35度、1日9時間112日使う条件で計算すると、CO2の国内排出量を160~290万トン削減できるとしています。ただ、これは全排出量の0.1%~0.2%にすぎません。数字で見ると「クール・ビス」の効果はわずかなのです。
 環境省は「クール・ビスで地球温暖化防止について関心を持ってもらい、生活様式を変えるきっかけになってくれるれれば」と期待している(7月3日付読売新聞34面)、とのことですが、本当にそうなるでしょうか。
 第一生命経済研究所の永浜利広主任エコノミストの試算では、発電所のCO2排出削減量は室温1度下がったとして0.3%削減されますが、エアコンなどの電気機器の普及の伸びが省エネ効果を上回り、電力10社の今夏の最大電力は記録的な猛暑だった2004年を2%上回る見通しだそうです(6月17日付け朝日新聞朝刊11面)。
 細田官房長官は、「もう少し暑くならないと判明しないが、本格的な夏を迎えて多くの事務所が28度にすれば非常に効果がある」と説明していますが(6月17日付け朝日新聞朝刊11面)、オフィスで「クール・ビス」をしてて、家庭ではエアコンをがんがん効かせるでは、意味がありません。
 怖いのは「温暖化防止をした気になる油断」です。形だけの「クール・ビス」では、このような気持ちを助長する可能性があります。また、皆がしているのだから自分もするというのでは、持続可能な効果は期待できません。
 結局は、われわれのライフスタイル全体をどう変えるかがポイントであり、肝心の温暖化防止効果は、はっきりしないのです。
 今政府は、「クール・ビズ」を含む「チーム・マイナス6%」(http://www.team-6.jp/)に27億円もの予算をかけて運動を展開しています。果たして所期の効果が上がるのか、タックス・ペイヤーの立場から注視していく必要があります。

ポイントカード(地域通貨)とマネーの攻防(その1):ヤマダ電機の動向が示唆するもの

2005-06-25 15:39:01 | Weblog
 私はエコマネー、地域通貨の「第2の波」が始まっていると主張していますが、「第2の波」の議論の射程範囲には、従来指摘したように、消費社会でのエコマネー、地域通貨が入っています。
 もともとポイントカードは消費者に対する割引きやサービスという位置づけで始められたものですが、現在では、むしろ消費者の持つマネーを囲い込む手段として機能するようになっています。これを消費者のサイドから見れば、商品・サービスを購入するたびに支払い代金の一部をポイントとして企業に”預金”していることになります。
 この意味で、ポイントカードは企業が消費者に対して発行するいわば預金証書ということになります。企業はポイントカードを発行する際に消費者から預金を集めているという形態になっているわけで、この点では銀行に類した機能を果たしていることになります。
 この関係で、ポイントカード(地域通貨)とマネーとの攻防をうかがわせる面白い記事が、6月24日(金)付の日刊工業新聞(16面)に出ていました。概要をご紹介すると、以下のようです。
 「ヤマダ電機は段階的に”脱ポイント化”を進めている。その理由はポイント還元競争による収益率の悪化を避けるため。ヨドバシカメラやビックカメラなど一部の家電量販店では20%といった高い還元率の差別化を進めている。ポイントの引当金は企業収益を下げる要因となるため、ポイント還元率のエスカレート競争は体力勝負に陥る危険がある。
 ヤマダ電機はこうした事態を避けるため、客のニーズに添った形で商品ごとにポイントと現金値引きを使い分ける戦略をとっている。パソコンやデジタルカメラなどのデジタル家電では高いポイント還元率が好まれるため、ポイント還元率を引き上げる一方、白物家電では現金値引きが好まれるため、ポイントと現金値引きを選択できる形にしている。
 そのヤマダ電機が、6月10日ごろそれまで数%-10%をポイント還元していた1万円以下のCDメディアや電池、電球など家電小物をポイント対象外にしたが、22日には再び3%の還元対象に戻した。これは5月の既存店売上高伸び率が前年を割ったことや、急にポイント還元をやめて利用者が戸惑ったことから、サービス維持を理由にポイント対象に戻したようだ」というものです。
 ここで示唆されているのは、消費社会における地域通貨であるポイントとマネーとの攻防です。そしてそこで描かれているのは、ヤマダ電気が引当金の負担に耐えかねてマネにシフトしようとするのを消費者が引きとめているという構図です。その中でも、ポイント(地域通貨)を指向する消費者の意向を無視できなくなってきており、次第に消費者が鍵を握ってきているということです。
 エコマネー、地域通貨の本質は、生活者が通貨発行権を自らの手に取り戻すこと、中央銀行が独占している通貨発効益(シニオリッジ)を生活者一人一人に開放することにありますが、このことがポイント(地域通貨)とマネーの世界で起きているのです。皆さん、面白いと思いませんか。
 今後とも、このような動向を注視していきたいと思います。

欧州市場の二酸化炭素排出権価格が急上昇中:日本もファンドをつくって投機マネーに翻弄されるのか?

2005-06-21 22:34:47 | Weblog
 以前「ロンドン市場の二酸化炭素排出権価格上昇は排出権取引制度”破綻”の予兆?」というテーマを取り上げましたが、このことを現実化させる動きが出てきました。
 ドイツのライプチヒにある「欧州エネルギー取引所」(EEX)が算出するCO2排出権指数は、6月13日現在、排出権1トン当たり19.51ユーロ。昨年10月に指数算出が始まった段階では、1トン=8.72ユーロだったから2倍上に跳ね上がったことになります。今年3月にスポット取引が始まって以降上昇傾向となって、10ユーロを突破。その後も上昇を続けて20ユーロ台乗せが視野に入ってきました。
 欧州では今年1月から排出権取引制度(ETS)がスタートし、2007年末までに工場などから排出されるCO2の量を一定量まで削減しなければならなくなっています。すでに各国別に削減目標が定められ、発電所や工場などに排出許容量が割り当てられています。目標以上に削減した企業は排出枠を市場で売却し、逆に目標までに削減できない企業は、2007年までに排出枠を購入するという状況になっています。
 価格が上昇している要因は、極端な買い手市場になっていること。売り手が少ない状況の下で投機マネーの流入がうかがわれます。
 このため各国では、政府機関などが中心となって排出枠の買取ファンドを作っています。ドイツの場合、「復興金融公庫」(KfW)がファンドを運営しているほか、オランダやオーストリア、デンマークなどがファンドを持っています。国際機関も熱心で、東欧ロシア圏の市場促進化を支援する「欧州復興開発銀行」(EBRD)や世界銀行が同様の買取ファンドを有しています。
 欧州のETSでは、2007年末までに許容量を減らせなかった場合、1トンにつき40ユーロの罰金が科せられることになっています。このことは、論理的には価格はその水準まで上昇する可能性があるということになります。さらに2008年から2010年までの第2期においては、罰金は100ユーロまでになることになっています。
 これは、投機マネーにとって格好の標的です。この価格シーリングの下で相場を上下させ、利ざやを稼ぐことがいとも簡単になるからです。これは、欧州のCO2排出権取引関係者が余りにも市場に対してナイーブであることによります。シーリングとしての罰金は、企業にCO2排出抑制にプレッシャーをかけることをねらったものでしょうが、結果的には、投機マネーの大量流入を許す隙間を開けたことになっているのです。
 今や投機マネーは原油市場で猛威を奮っています。6月19日のニューヨーク商業取引所の原油市場は、WTI原油の先物価格(7月受け渡し分)が夜間の時間外取引で一時、1バレル=59.60となり、83年の取引開始以来の最高値を更新しました。私は、投機マネーが荒れ狂う原油市場からCO2排出権取引市場に投機マネーが本格的に流入してくることは時間の問題であると見ています。
 京都議定書が本年2月16日に発効し、日本も2008年から12年までの第1約束期間において1990年比で6%(すでに8.3%上昇していますので、実質14.3%)の削減義務を負うこととなりました。こうした状況の下で、日本でも関係企業が出資して、買取ファンドとして「日本温暖化ガス削減ファンド」(約150億円)が日本政策投資銀行と国際協力銀行により設立されました。日本政策投資銀行は、運営会社として「ジャパン・カーボン・ファイナンス」(JCF)も発足させています。
 日本の削減目標達成は厳しいと見られるだけに、日本は先進国最大の「買い手」になるとの見方が強くなっています。そうなると、一番投機マネーに翻弄されるのも日本ということになるでしょう。

「クール・ビス」はご存知ですか?:96年「カジュアル・ディ論争」の示唆するもの③

2005-06-20 00:09:02 | Weblog
 さて、今回はこのシリーズの締めくくりです。
 私と板坂さんの紙上での『対立討論』を踏まえ、読売新聞の小泉記者は『寸言』の欄で以下のようにコメントしています。タイトルは「生き方にかかわる」となっています。
 加藤さんは米西部のシリコンバレーに近いサンフランシスコに約3年駐在した。ネクタイなどあまり使わないカジュアルな文化が隆盛を極め、それがパソコンやコンピューター・グラフィックスなどの情報産業と結びついて経済が活性化しているのを目の当たりにした。
 板坂さんは東部のハーバード大で長い間、日本文学、日本語の講師を務めた。同大は言うまでもなく、東部エスタブリッシュメントを代表するエリート校だ。板坂さんは、男のオシャレ服装史にも造詣が深く、関連の著作も多く、ダンディズムの見本のような先生だ。
 二人の議論は期せずして米国の東部体制部の文化論対決にもなった。両方の意見をじっくり聞いていると、「何を着るか」というのはささいなことではなく、「どう生きるか」と結びついた重要なことであるような気がしてきた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 このような感覚は、「クール・ビズ」に対して甲論乙駁を戦わせるときにも必要な視点だと思います。われわれは「クール・ビズ」においても、このような生き方に関する議論をしているのかもしれません。
 ただ、96年の「カジュアル・ディ」と2005年の「クール・ビズ」の決定的な違いは、京都議定書の発効によって日本が明確なCO2削減義務を負ったということです。では、「クール・ビズ」は本当にCO2削減効果があるのでしょうか。あるとすればどのような効果なのでしょうか。次回は、そのことを問題にしたいと思います。

「クール・ビス」はご存知ですか?:96年「カジュアル・ディ論争」の示唆するもの②

2005-06-19 00:05:21 | Weblog
 今回は、「カジュアル・ディ」に関する私の意見です。新聞紙上では、「自由な発想生む象徴」というタイトルがついています。

ーなぜ、「カジュアル・ディ」なのか
 (加藤)単に服装だけを問題にしているわけではない。ライフスタイルを変えませんかという呼びかけの一部と思っている。今まで日本は、欧米に追いつき追い越せのキャッチアップ型でやってきたが、行き詰っている。これからは先頭を走るフロンとランナー型になり「起業立国」を目指さなくてはならない。
 知的イノベーション(技術革新)と豊かなコミュニティを同時に実現するような経済社会モデルを作っていかなくてはならない。
ーそれと服装はどう結びつくのか。
 (加藤)今後の日本に何が必要か。情報化社会のインパクトをにらんだ戦略が重要だ。それには今までの、周囲の人がやっているから適当に真似をしておくといったライフスタイルや発想では対応できない。
 個人がお仕着せや週刊ではなく、やりたい事をやり、着たいものを着るというカジュアルなライフスタイルでないと、どうしても生活が画一的になり多様性のある社会が生まれない。
 生活者の一人一人が自分の問題として意識しないと、そういう社会は実現しないじゃないか。カジュアル・ディというのも、カジュアルな発想、カジュアルなライフスタイルというものの象徴として呼びかけている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
ー着るものを変えただけで発想も変わるだろうか。
 (加藤)着るものを変えれば気分も変わるし、ネクタイひとつとっただけでも、ライフスタイルを変える第一歩につながると思う。ただ、いつもカジュアルでといっているわけではない。公式の会合のときはきちんとした格好で出るべきだ。状況に応じてという基本(TPO)は守るべきだ。
ー霞ヶ関から呼びかけても、昔の省エネルックと同じで、根付かないのではないか。
 (加藤)私はあくまでも個人として呼びかけている。・・・・・個人が自分のライフスタイルを確立し、着るものを変えようとする、下からのボトムアップ型の動きが必要だと思う。
ーどこかに見本はあるのか。
 (加藤)米西海岸のシリコンバレーは世界の中でももっともカジュアルな文化が育っているところだ。企業のトップやスタンフォード大学のノーベル賞受賞者でも普段からポロシャツだ。これは、東海岸の既存の経済社会に対するアンチテーゼとして、オープンな形で意図的に作られてきた文化だ。
 これが、10年、20年かかって情報化社会の中で花開き、技術革新を生み続けるコミュニティを実現したというわけだ。日本の存立基盤である文化は大事にするが、「起業立国」としての日本社会が目指すべき方向は、各地域にこうしたコミュニティができることだ。
ー将来の展望は。
 (加藤)今後の経済社会の方向として「シリコンバレー・モデル」を提唱し、地方でも講演しているが、上からの改革では表面的に終わってしまう恐れがある。影響力のある改革にするためには、最終的には個人がカジュアルなライフスタイルを持たなければと痛感している。
 だから一律で「カジュアル・ディ」をやろうという気はまったくない。それでは帰って個人を重視する姿勢に反するわけだ。私の呼びかけに賛同した個人がこのときの状況に応じて好きなものを着ていけばいいのだと思う。

 以上が私の論旨ですが、その特徴は「カジュアル・ディ」を単に服装の問題と捉えるのではなく、ライフスタイルの確立、自由な発想の象徴と捉えたものとなっていることだと思っています。奇しくも、「クール・ビス」をご存知ですか?:「クール・ビス」を巡る甲論乙駁でご紹介した条件付賛成派のドン・小西氏(ファッションデザイナー)や反対派の成美弘至氏(京都造形芸術大学教授)の議論を統合したものとなっていることを発見して自分でも少し驚いた次第です。
 次回は、司会役を務めた小泉記者(当時)の「寸言」と題するコメントです。ご期待ください。

「クール・ビス」はご存知ですか?:96年「カジュアル・ディ論争」の示唆するもの①

2005-06-18 12:27:14 | Weblog
 今回は、1996年4月30日付け読売新聞朝刊の紙上『対立討論』で繰り広げられた私(当時42歳)と板坂元氏(当時74歳)の「カジュアル・ディ論争」をご紹介しましょう。
 『対立討論』は、「これから暑くなってくるとネクタイがうっとおしいが、簡単な服装で出勤してみてもよいというカジュアル・ディが徐々に企業や自治体に浸透している。経済の活性化のためにもっと進めるべきだという意見と、洋服を着こなしていないのに早すぎるという声もある」という書き出しで始まって、2人による論争と言う形をとっています。
 まずは、反対論の板坂元(創価女子短期大学教授)氏です。質問者は、読売新聞記者(当時)の小泉さんです。「着こなし学んでから」というタイトルがついています。
ーカジュアル・フライディに反対だそうだが。
 (板坂)最初に結論を言ってしまえば、日本人はまだ本当の洋服のオシャレができていないのに、カジュアルなんてまだ早いということだ。
ービジネス界でもカジュアル化傾向が強いが。
 (板坂)いくらカジュアルが時代の流れだといったって、米国でもニューヨークの財界、ワシントンの政界では、今だって背広を着てネクタイを締めていなければ信用を得られないのだ。
ー西海岸はかなりカジュアルですが。
 (板坂)あっちはもともと田舎だから。
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ーカジュアルにも伝統と意味があるわけだ。
 (板坂)服装にしろ小道具にしろ、正式なものに対する知識があるから、それを崩すカジュアルに意味があるので、ただ崩しただけではダサイだけだ。いきなり色物シャツを着ただけではカジュアルにはならない。
ー日本人が洋服の基本ルールを学ぶのはまだ時間がかかる。
 (板坂)ところが明治の人間、森鷗外や夏目漱石などは非常によく知っていた。・・・・この伝統は昭和の初期まで受け継がれるが、おかしくなるのが第2次大戦からだ。軍服まがいや国民服といったわけのわからないのが出てきた。・・・・伝統が切れたままなんだ。
 ことに団塊の世代は、親からはちゃんとした着こなしを教えてもらえず、女房や子供にセンスを笑われえてかわいそうなんだ。カジュアルが身につくにはまだまだ時間がかかるだろう。

 さあ、これに対して私(団塊の世代よりも少し若い)はどのような反論をしたでしょうか。次回に期待ください。

持続可能な中心市街地のまちづくりに必要なもの(その1):エコポイント

2005-06-17 00:57:29 | Weblog
 今日は皆さんの予測に反して、「クール・ビス」第2弾ではなく「持続可能な中心市街地に必要なものとは何か?」をテーマとして取り上げたいと思います。
 私は1989年以来「まちづくり」を自分のライフワークの一つとしています。それは、89年から91年にかねて「日米構造問題協議」(Structural Impediments Initiative)が行われ、大店法による規制と日本のバランスが日本市場の閉鎖性の象徴と捉えられ、精神的にも肉体的にも(この3年間は帰宅時間は午前3時前というのはほとんどなかったように記憶しています。もちろん、土曜日、日曜日の休みもほとんどありませんでした)人生で最も苦しい時期を過ごしたとき、長く続いたアメリカとの交渉が終わった直後から「商業集積法」という法律の企画立案、関係省庁との調整、5ヶ月にも及んだ国会審議、その後の法律の施行、市町村の計画策定をソフト面から支援するための(株)商業ソフトクリエーション(当初は資本金の構成として、国5億円、民間5億円の予定でしたが、結果的に民間から集めすぎて、国5億円、民間7億円、計12億円の資本金の会社になりました)の設立などを通じ、不思議と「まちづくり」の魅力に引き込まれていったことが契機となっています。
この5月27日、「愛・地球博」のEXPOドームで中小企業庁などが主催したシンポジウム『考えよう!環境と人に優しいまちづくり:持続可能な中心市街地のまちづくりに向けて』が開催されました。イギリスから招聘したジェニー・イングルズさん(バーミンガム市TMC(中心市街地マネージメント)最高責任者)、ディビッド・サットンさん(レディング市議会リーダー)が基調講演し、お二人にマリ・クリスティーヌさん(都市計画・まちづくりコンサルタント・愛・地球博広報プロデューサー)加藤博さん(青森新町商店街振興組合常務理事)が加わって、村木美貴さん(千葉大学助教授)のもとにパネルディスカッションが行われました。
 この基調講演そしてパネルディスカッションを通じて私が記憶に残ったのは、以下の点です。
ーバーミンガム市のまちづくりの運営・管理は、「バーミンガム・シティセンター・パートナーシップ」という公民の協力で行っていること。まちづくりで重要なことは、昼間、夜間を問わず、様々な人がおとづれるのを促進するようなまちにすることだ(ディビッド・サットンさん)
ーレディング市のまちづくりの成功の秘訣は、事業体、地方政府、市民、金融機関、商工会議所そして中央政府を広く巻き込んだことと(レディング市議会リーダー)
ー日本のまちづくりに欠けているのはボランティア精神。日本には昔から「結い」とか「手間返し」というものがあった。それが日本人のボランティア精神の原点だと思う。まちづくりをみんなが一緒に支え、みんなでまちづくりしていくような社会になってほしい(マリ・クリスティーヌ)
ー青森市では16年前から政策理念を持つことを商店街で話し合ってきた。その結果、連携を結ばないと中心市街地の活性化はできないことに気づいた。福祉対応型商店街作りを進めているが、そのために周辺の7つの商店街を巻き込んだ組織を作った(加藤博さん)
ーイギリスでは、常にまちづくり事業に対して、評価を行っている(村木美貴さん)ということでした(詳細は16日付の読売新聞夕刊5面に掲載されています)。

 この5人の発言に共通している要素は「協働のまちづくり」です。ここに真の「パブリップ・プライベート・パートナーシップ」(Public Private Partnership)が登場してきます。奇しくも、これは私が目指してきた真のまちづくり、エコマネー、地域通貨、コミュニティビジネスの「第2の波」に合致するのです。
 問題となるのは、ここで提起された協働を実現するツール、皆のボランティア精神に支えられたまちづくりの活動を持続させるメカニズムをいかにつくるかだと思います。そこで私が提案しているのが「エコポイント」のまちづくりへの適用です。
 エコポイントの発行の対処になるのは、住民の次のような行為です。
・地域メディアの支援、ホームページの更新、地場産品のPRの推進
・環境美化・保全・修復活動の推進
・祭礼行事・イベント等の運営
・地域農業との交流の促進(害虫の駆除や施肥などへの参加の対価として)
・市街地の安全の確保
・買い物の手伝い、相談、送迎、宅配等のサービス提供
・コミュニティバスの利用促進、交通問題の解決
 これらの行為をした人にエコポイントを発行し、通常商店街やスーパー、コンビに、薬局などで活用されているスタンプやポイントと互換性を持たせるクリアリングハウスを設置するのです。そうすると、エコポイントは人と人との相互扶助の過程で交換され、最終的には商店などで割り引かれたり、公共施設の手数料などの割引きが行われることになります。商店街なども通常は「マネー」で負担していたコストを原資として回せばよいので追加的な負担はなく、来店者数を増やすこともできます。
 そしてエコポイトの流通量をまちづくりの評価指標とするのです。そうすれば、エコポイントは、一石二鳥どころか、一石三鳥にも一石四鳥にもなるのです。 

「クール・ビス」はご存知ですか?:「クール・ビズ」を巡る甲論乙駁

2005-06-16 00:10:21 | Weblog
 今まで数回にわたり硬い話題が続きましたので、今日はがらりと話題を変えて「クール・ビス」を取り上げてみたいと思います。皆さん、「クール・ビス」はご存知ですか。
 これは、蒸し暑い夏にノーネクタイなどの涼しい装いをしようという運動で、服飾デザイナーのコシノ・ヨウコさんがデザインし、小泉総理、小池環境大臣、中川経済産業大臣などが率先して推進している運動です。「クール・ビス」の「クール」とは、”涼しい”という意味のほかに”かっこいい”という意味があります。若者でも”かっこいい”という感覚を持った服装の運動として盛り上げようというものなのです。
 5月6日の「国連環境ディ」においては、「愛・地球博」のEXPOドームで日本経団連会長の奥田硯さん、プロ野球解説者の星野仙一さんなどが登壇してファッションショーが開かれました。今、郵政民営化関連法案が国会審議中ですが、質問者の国会議員も答弁者の閣僚もノーネクタイの「クール・ビス」で質問と答弁と繰り広げています。
 2005年2月16日に京都議定書が発効したことに伴い、日本として2008年から12年までの期間に、1990年比ー6%の(今まで8.3%が増えていますので、実質は14.3%)削減する義務を負ったことに由来しています。 政府はこれを受けて地球温暖化防止法を改正するとともに、4月28日「京都議定書目標達成計画」を閣議決定しました。この中で推進されているのが国民のライフスタイルの変更による省エネルギーであり、「チーム・マイナス6%」という運動の一環なのです。
 ちなみに私もいち早く、「チーム・マイナス6%」(http://www.team-6.jp/)の会員となりましたが、「チーム・マイナス6%」は、CO2削減を①温度調節で減らそう、②水道の使い方で減らそう、③自動車の使い方で減らそう、④商品の選び方で減らそう、⑤買い物とごみで減らそう、⑥電気の使い方で減らそう、の6つのアクションからなっていますが、、「クール・ビス」はこのうち①に関係したものです。
 ノーネクタイですと、体感温度は2度下がった感覚となるので、それだけ冷房温度を上げても(具体的には26度から28度に)仕事の能率や日常の活動にマイナスの影響を与えることなくCO2を削減できるというわけです。
 今、この「クール・ビス」が定着するかどうかを巡ってさまざまな人により論争が繰り広げられています。6月10日付の朝日新聞(15面)では、この点を巡って賛否両論が交わされた特集が掲載されました。
 賛成派の長尾卯氏(びわこ銀行頭取)は、「夏場はノーネクタイでも非礼ではないという新しい日本の文化が出来上がればすばらしい」
 条件付賛成派のドン・小西氏(ファッションデザイナー)は、「定着するには、新しい時代にマッチし、国民が好感を持ち、誰もが納得をして真似をしたくなる、といったヒット商品の要素が必須だ。野暮ったい省エネルックの二の舞にならぬよう、継続して開発する心構えがいる」
 反対派の成美弘至氏(京都造形芸術大学教授)は、「そもそも発想が短絡だ。服装文化をあまりにも軽く見すぎていないか。服装は、単に快適さや合理性、経済性といった要素だけではない。スポーツにしても創だが、服装は歴史や文化と深く結びつき、人々の生活感情や美意識、世界観とともに築かれるもの。服装の背後には、きちんとした「思想」がある」とそれぞれコメントしています。
 さて、皆さんはどの立場でしょうか。
 私は、この「クール・ビス」論争を見て、96年に「カジュアル・ディ」を推進した自分のことが思い出されました。「カジュアル・ディ」とは、当時毎週金曜日に簡単な服装で出勤してもよいということを推進した運動で、「クール・ビス」と一脈通じるところがあります。
 95年アメリカのシリコンバレーから帰国した私は、新しいベンチャービジネスの推進モデルとして「シリコンバレー・モデル」を提唱しており、堅苦しい発想ではよいアイデアが生まれたり、それが起業につながらないとして「カジュアル・ディ」の推進役の一人でした。
 その私が、96年4月30日付けの読売新聞の『対立討論』で大きく取り上げえられ、日本文学者である板坂元氏(創価女子短大教授)と論争に及んだのです。
 さて、私と板坂氏の論争はどのような内容だったのでしょうか。また、司会役を務めた読売新聞社の小泉記者はどうコメントしたのでしょうか。

二酸化炭素排出権のみならず「エコシステム」までが市場化されることをどう考えるべきか?(その3)

2005-06-15 23:47:10 | Weblog
私は「本当の民主主義」を実現するために必要なのは、人間の活動を「利得のゲーム」としてみなす偏狭な考え方から、「共感と使命感のゲーム」としても見る根本的な価値観の転換が必要であると考えています。そこで必要となるのが、前回その一端をご紹介したアマーティア・センの理論です。
 アマーティア・センの厚生経済学の理論は一般の人々にとっては(あるいは研究者にとっても?)難解で知られているのですが、簡単に説明すると、それまでの「豊かさアプローチ」や1870年代以降とられてきた「効用主義的アプローチ」、そして1970年代アメリカの哲学者であるロールズに代表される分配的正義を組み込んだ「リバタリアン・アプローチ」に代えて、人間の多様性を前提とした「潜在能力アプローチ」に基づく新しい厚生経済学を提唱したことが画期的なのです。
といっても、極めて抽象的に聞こえるでしょうから、経済学の発展の軌跡を概観してみます。これまでの経済学は、経済社会の運営が何を目的として行われるべきかという基本的な観点から、上記の4つのアプローチに分けることができます。
 経済学の発展史を概観すると、まずモノの所有=厚生と考える「豊かさアプローチ」(GDPイコール厚生の発想といえます)からモノからその効用を導き出し厚生に結びつける「効用主義アプローチ」(現在の経済学の主流である新古典派経済学もこの考え方によっています)へと発展してきました。いずれもモノやモノから得られる効用の最大化が経済政策の最終的目標とされたのです。
 その後70年代以降にロールズの『正義論』などによって唱えられた「リバタリアン・アプローチ」が登場しました。「リバタリアン・アプローチ」は、従来の「豊かさアプローチ」や「効用主義アプローチ」を痛烈に批判して、人間は基本的な自由への平等な権利をもつべきだと主張するとともに、「基本財」という概念を導入して、よく生きるために保有すべき財・サービスである「基本財」を人間が平等に保有する状態を実現すべしと説いたのです。ロールズによれば、「基本財」のうち最も重要なものは自尊心であり、ロールズは自尊心を人格への尊厳へと結びつけようとしました。
 この点では、モノそのものやモノによる効用の実現を最終的目標としてきた「豊かさアプローチ」や「効用主義的アプローチ」から脱皮して、人間の尊厳にまで突っ込んで経済政策の最終的目標としようとした「リバタリアン・アプローチ」の基本的立場は評価されます。
 しかし、ロールズなどの「リバタリアン・アプローチ」における「基本財」の考え方も人間の多様性を考慮していない点では従来のアプローチと同じなのです。ロールズの「基本財」がモノあるいはモノから得られる効用という“成果”(アウトプット)から、よく生きるために必要となる財・サービスという“資源”へと視点を変えた点は評価できるのですが、基本財を活用する能力が人によって多様であることをロールズは無視しているのです。
これに対し、センの厚生経済学は、さらにモノの特性、そして利用者の平均寿命などの条件を考慮に入れたモノの「機能」、さらに利用者の評価や選択肢の豊富さ(自由度)までに至る理論を展開しています。センによれば、最終的な目標は、効用でも正義でもなく、「人が価値を認める生き方をすることが出来る自由」=「潜在能力」であるとされます。
「機能」に焦点を当てることによって所得では明らかにできなかった不平等や、社会的差別の意味を明らかにすることができます。さらに、人々が選択できる機能の集合である「潜在能力」をみることによって、人々が達成できる機能の幅(すなわち「自由」)を知ることができるようになるのです。センは、経済政策の目標は人間の自由であり、主体的に選択できる「生き方の幅」(すなわち「潜在能力」)を広げることであると主張しているのです。
 21世紀はインターネットをはじめとする情報ネットワークが生活の隅々にまで浸透していく情報社会ですが、情報技術は一人一人の人間の潜在能力を多様な形で発揮させる場を用意しなければなりません。障害者でも、高齢者でも、その潜在能力を活用して社会に積極的に参加することが可能とならなければならないのです。日本社会は、バブル崩壊後の経済の低迷の中にあって、ともすればGDPで計った「豊かさ」を追求し、所得の向上や消費の拡大に関心を向けがちになるのですが、われわれが持っている将来への不安は、「潜在能力」を発揮できる場が提供されていないことに対して「幸せ」を感じられないことに由来していると考えられます。センの「潜在能力」アプローチこそ、これからわれわれが経済社会の運営を進める際の基本的方向を示しているのです。

二酸化炭素排出権のみならず「エコシステム」までが市場化されることをどう考えるべきか?(その2)

2005-06-14 23:25:09 | Weblog
 前回は、投機しうる「マネー」に対するナイーブな市場観に基づいた「エコシステムの市場化」でもなく、抽象的な「社会的共通資本の理論」の提示でもない、「第3の道」として「エコマネー」による解決という方法論を提示しました。
 そこで具体的に指摘したのは、①市場とコミュニティを統合する空間で流通するエコマネーにより「公」・「共」・「私」の資源配分を行う統一的な尺度を登場させる必要があること、②統一的な尺度の候補としては、新しく投機マネー化する恐れのない二酸化炭素(CO2)が有力なものとして登場してきていること、③エコマネーは貨幣部門である経済に関する価値ばかりではなく、非貨幣部門であるコミュニティ、自然、文化などに関する情報も価値付けがなされることなどでした。
 ただし、前回も指摘したように、これだけではすべての回答を提示したことにはなりません。「私」への資源配分が「公」や「共」への資源配分よりも過大にならないように、またその逆が起こらないように、バランスの取れた資源配分を保証するための市場設定のルールがもうひとつ必要なのです。
 今回は、この「バランスの取れた資源配分を保証するための市場設定のルール」はどのように設定することができるのかについて考えてみたいと思います。これは一言で言えば、本当の民主主義の下で決められるルールのことですが、では「本当の民主主義」とはどのような状態を言うのでしょうか。
 ここで必要となるのは、人間の経済活動を「利得のゲーム」から「共感と使命感のゲーム」へと転換することであり、その根底にあるのは98年度のノーベル経済学賞受賞者であるアマーティア・セン(ケンブリッジ大学教授、アジア初のノーベル経済学賞受賞者)の理論です。
 センは、20世紀のゲームのルールは「利得のゲーム」であり、人間は常に経済的な利得のみを目指して計算づくで行動するものと説明してきたとしています。しかし、センによればそうした経済合理性のみを追求する人間像は、本来の人間の一面のみを捉えるものに過ぎず、センはそうした人間像を「合理的な愚か者」(rational fools)と呼んで痛烈に批判しています。
 センによれば人間の行動規範には、効用や利潤の最大化と並んで「共感」(sympathy)や「使命感」(commitment)という別の行動原理、「共感や使命感のゲーム」があり、21世紀において地球環境を守り人類の福利厚生を高めていくのは、この「共感や使命感のゲーム」であるとしています。
 「共感や使命感のゲーム」が21世紀において地球環境を守り人類の福利厚生を高めていくことに関しては、少しわかりずらいところがあるかもしれませんので、具体的な例として、2004年12月26日午前8時(現地時間)インドネシアのスマトラ島北端沖で発生したスマトラ大地震(マグニチュード9.0)およびインド洋津波により、スリランカ、インドネシア、タイ、インドなどで多くの犠牲者(死者と行方不明で18万人以上)と被害が発生したことに対し、国際社会から多くの義捐金、専門家の派遣、技術的協力の手が差し伸べられていることをあげてみたいと思います。
これに対してアマーティア・センは、インタビューを受けて次のように答えています。
―国際社会の支援振りをどう評価しますか。
「大いに勇気づけられた。遠い国でも支援の声が上がった。米国では国民の3人に1人が献金しているという。人間がお互いに共感し、経済活動や組織の連携異常に関係を深める能力を、私は信じてきた。それが示された」
また、
―地域にどんな影響を残すでしょうか、という質問に対しては、
「・・・・国際社会が強い同情を示したことは、前向きの影響をもたらすはずだ。インドネシアやスリランカの紛争地域で、立場や社会階層にかかわらず、人間として他者を思いやる感情につながるからだ。国際社会の温かい支援が生んだ連帯感が、和平に向けてどう働くか、見守る必要がある・・・・」と答えています。
(2005年1月20日読売新聞朝刊より)
 次回は、アマーティア・センの厚生経済学の理論がいかに画期的なものであるかを考ええてみたいと思います。

二酸化炭素排出権のみならず「エコシステム」までが市場化されることをどう考えるべきか?(その1)

2005-06-12 10:33:26 | Weblog
 CO2排出権が「マネー」により売買されることに対する危険性(=投機マネーによるアタック)は、この前指摘したところですが、ウェブを見ると、アメリカではこの2005年4月にエコシステム自体も市場で取引する「エコシステム市場」が開設されたようです(http://www.guardian.co.uk/print/0,3858,5160588-110970,00.html)。
 詳細はウェブ情報からは不明ですが、アメリカの雑誌「ニューズウィーク」最新号からすると、売買されるのはCO2排出権のみならず、絶滅に危機に瀕する動植物も対象になっているとのこと。たとえば、ホオジロシマアカゲラの生息地を開発する場合、開発事業者は開発によって生ずる悪影響を補填するために土地に生息するアカゲラを「買う」仕組みのようです。先日はアカゲラのつがいに10万ドルの値段がついたそうです(News Week,June 15,2005)。
 「ニューズウィーク」最新号には、生物学者G・デイリーがこの「エコシステム」の市場化を歓迎するようなコメントを載せていますが、彼女も今の市場に関してはあまりにもナイーブです。私の市場観(これが最も市場の実態を踏まえたものと自負しています。ノーベル賞を受賞したJスティグリッツなども私と同様の見解です。この点に関しては、拙著『エコマネーはマネーを駆逐する』(2002年、2003年毎日新聞社「フジタ経営未来賞」受賞)を参照してください)によれば、ここでも環境に「投機マネー」が入り込むすき間を作ろうとしていることになります。
 この情報に接し、私は98年の拙著『エコマネー』で指摘したことがついに現実化したこと、しかも必ずしも歓迎されない形で登場したことについて、深く考え込まざるを得ませんでした。
 「エコシステム」の市場化に真っ向から対立する議論を提示しているのが、東京大学名誉教授の宇沢弘文さんの「社会的共通資本」の議論です。 
 社会的共通資本は、具体的には、自然環境(森林、河川、湖沼、海洋、水、土壌、大気など、人間の生存のみならず人々の社会的、経済的、文化的活動のために重要な機能を果たしている自然)、社会的インフラストラクチャー(道路、橋、鉄道、上下水道、電力ガスなど)および制度資本(教育、医療、金融、司法、行政などの制度)の3つに類型化されています。
 宇沢教授が、このように私的資本のみならず社会的共通資本を独立させたカテゴリーとしてとらえ、社会的共通資本の配分を私的資本とは異なった基準によって行うことを提唱しているのは、社会の富が私的資本だけの関数ではなく(社会の富=F(私的資本))、私的資本と社会的共通資本の関数である(社会の富=F(私的資本、社会的共通資本))という基本となる視座を提供しようとするもので、私は大いに評価しています。
 しかしながら、同時に宇沢理論にも物足りなさを感じています。それは、「では、その出発点に立ってどのようなアクションをとればいいのか?」という疑問については、まったく明確な答えを提示していないからなのです。
 宇沢名誉教授自身、「(社会的)共通資本の建設、蓄積はあくまでもある社会的基準にしたがって、社会的に決定されるものである。また、(社会的)共通資本から生み出されるサービスについても、市場的基準ではなく、あくまでも社会的基準にしたがって配分され、あるいは価格づけがなされる」とか、「社会的共通資本を管理する社会的組織に対して第1に要請される行動原理は、専門的、職業倫理にもとづいて行われ、決して利潤的ないしは営利的動機によって支配されることがあってはならない」とするだけで、具体的に社会的共通資本の構築やその配分をどのような形で行っていったらよいのかについては、何も触れていません。
 私は、今われわれは21世紀型社会システムの構築にあたって、「公」・「私」・「共」のあり方も再編成すべき時期にきていると考えてています。アメリカにおける「エコシステム」市場化の動きは、「社会的共通資本」の考え方の前提に立って、社会を再編成する具体的な方法論の提示が待ったなしになっている状況になったと受け止めています。
 私の方法論は、「エコシステム」の「マネー」による市場化でも抽象的な「社会的共通資本」の議論の展開でもない、「エコマネー」という新しい尺度を持った貨幣の登場による資源の合理的配分、投機から免れた価格形成という”第3の道”です。
 このことを考えるために、まず貨幣部門と非貨幣部門よりなる経済を前提として生産可能性フロンティアと無差別曲線を描いてみましょう。この場合、従来の経済学が教えるところでは、貨幣部門と非貨幣部門の均衡は、生産可能性フロンティアと無差別曲線の接点において達成されることになります。
 しかし、貨幣部門と非貨幣部門とに共通した尺度がないときに、両部門を比較してどのようにして均衡点を実現できるのでしょうか?。また、貨幣部門優位の選択ではなく均衡点が望ましいという判断をどのようにすればいいのでしょうか?。いずれの問いかけに対しても、このような貨幣部門と非貨幣部門よりなる生産可能性フロンティアと無差別曲線のモデルを描いただけでは、具体的回答を得ることはできません。
 ここで、われわれにとって必要になるのは、「公」・「私」・「共」の資源配分を行う統一的な尺度であり、「私」への資源配分が「公」や「共」への資源配分よりも過大にならないように、またその逆が起こらないように、バランスのとれた資源配分を保障するための市場設定のルールなのです。前者が市場とコミュニティを統合する新しい空間で流通する「エコマネー」であり、貨幣部門である「経済」に関するものばかりではなく、非貨幣部門である“コミュニティ”、“自然”、“文化”などに関する情報も価値づけがなされます。
  この場合の「エコマネー」は、「公」・「私」・「共」にわたるエコマーケットで通用する新しいタイプの21世紀の貨幣であり、「減価」や「マイナスの利子率」により、投機マネーと化することのない新しい”貨幣”なのです。尺度は『エコマネーの新世紀』(2001年、日経BP賞受賞)では「時間」を考えていましたが、京都議定書が発効し、明確な数値目標が決められた2005年以降は、「二酸化炭素」が確固たる尺度として登場してくると考えるに至っています。
 また、後者が民主的なルールの下で決められるルールであり、次回に述べる98年度のノーベル経済学賞を受賞したアマーティア・センの厚生経済学においても重要な構成要素となっているのです。
  このように「エコマネー」は、深遠な、かつ、今の市場の実態を踏まえた具体的な方法論なのです。私は、このような考えに基づき97年2月から「エコマネー」を唱え、思想・理論。実践の三位一体の基に活動を展開してきました。このような私の軸は微動だに動いたことはありません
 その意味では、私の「エコマネー」は欧米や日本で展開されてきた地域通貨やLETSの理論や実践よりも、一歩も二歩も先に行ったものなのです。
  「エコマネー」に関しては、このことを混同し、単純にタイムダラー的なものであるとか、私が最近エコポイントも言っていることにかんがみ(正確に言うと、この点も誤解です。私がエコポイントをいっているのは、97年以来変わりはありません)、自分のほうが近道をしたといっている方がおられますが、どうも、われわれが直面している問題の本質を理解された発言ではないような気がしています(といっても、今の私はこれらの活動をすべて包摂して理論を再構築し、新しい目標を掲げて運動を展開しているので、これらの方々とも連携していくこともやぶさかではありません。また、考えている次元が異なるので、これらの方々を批判する気もありません)。
  私が法的問題をめぐる環境などを踏まえ、構造改革特区などの道も切り開きながら、97年から2005年の現在に足る現在まで、どのような深謀遠慮のもとに運動論を展開してきたかについては、5月初旬にリニューアルした「エコミュニティ・ネットワーク」のホームページ(http://www.ecommunity.or.jp/)に詳しく記載してあります。
  今や竹中大臣や日銀の福井総裁もよき理解者ですが、これも私が注意深くこの運動が反社会的なものというレッテルを貼られないように、行動してきたからだと自負しています。皆さんにも、是非お読みいただきたいと思っています。

「おたく」の世界でないエコマネー、地域通貨を目指して:6月17日「サロン」開催

2005-06-12 00:32:19 | Weblog
愛・地球博「地域通貨サミットin EXPO 2005」(その3)で書いたところですが、今までのエコマネー、地域通貨の「第1の波」においては、一般の人々の認識度は低く、外から見れば、エコマネー、地域通貨は「おたく」の世界であったと見られていたと言っても過言ではない状況でした。
これは、エコマネー、地域通貨の草分けである私にとっても非常に残念なことですが、栗山の「クリン」、宝塚の「ヅカ」、千葉の「ピーナッツ」、草津の「おうみ」、三条の「らて」など、テレビや新聞などで何度も報道されても、地元においてすら認識度が低いのが現実なのです。いずれも、少なくとも、当事者がそう思う謙虚な姿勢がないと今後の発展を期することはできないと、私は思っています。
 これからの「第2の波」においては、決してそうではなく、自然に、楽しく一般の人々が参加できるようなものでないと、再び「ブーム」は起こせても一過性のものに終わり、本当の「ムーブメント」へと発展させることはできないと思っています。
 EXPOエコマネーは、この前のブログでも書いたように、5月24日でセンター来場者が10万人を突破しました。「楽しくて、お得で、しかも、環境に優しいところがいい」。これは、10万人突破の記念式典における中村事務総長のコメントですが、EXPOエコマネーは「おたく」の世界を脱皮する気運を創りあげているものとみることもできます。その意味でも画期的なものなのです。
 これからEXPOエコマネーと各地域の動きを連動する活動を展開することとしています。神奈川県の相模原市では、6月6日に「愛・地球博」や「EXPOエコマネー」と連携する活動を展開し、一般市民の巻き込みに成功しました。
 6月17日には18:30から東京で「エコミュニティ・サロン」を開催し、「愛・地球博」や「EXPOエコマネー」では、パートナーシップ事業という制度があり、どういう手続きをとれば、相模原市のようなパートナーシップ事業を展開できるかについて、相模原市の方々に経験談を語っていただくとともに、今後の手続きを改善しますので、その内容について皆さんに詳しくご説明する予定です。エコミュニティ・ネットワークの理事や会員でない方も参加できますので、奮ってご参加ください。
 詳しい案内は、エコミュニティ・ネットワークのホームページ(http://www.ecommunity.or.jp/に掲載されています。