加藤敏春ブログ:21世紀の経済評論を語る!

2000年度東洋経済・高橋亀吉最優秀賞等を受賞。地域通貨「エコマネー」提唱者。

「愛・地球博」のテーマ「自然の叡智」の真の意味を考える(その2):エコマネーの原風景

2005-08-27 01:31:37 | Weblog
 実は、エコマネーの原風景は芭蕉が「一つ家に遊女も寝たり萩と月」の句を詠んだ私の故郷にあります。このことを、私のことを特集した朝日新聞2000年4月22日朝刊2面『ひと』の欄を引用しながら、ご紹介したいと思います。
 『ひと』の欄は、次のように書いています。

 特定地域で通用する「エコマネー」の導入を提唱している。住民のボランティアや環境保全活動などを主宰者が評価し、「金券」に換えて相互交流を図る。昨夏講演して回った北海道栗山町は、今冬、全国で初めて本格的な試験導入をした。滋賀県草津市の民間グループをはじめ、約30の環境や福祉団体が、各地で導入を検討中だ。
 本職は、通商産業省サービス産業課長。約10年前、大型店と地元商店街の共存を図る特定商業集積法を立案。説明のため年間35都道府県を訪れた。地域の人たちと接する中で、街づくりをライフワークにしたいと思うようになった。
 出向で1992年から3年間、外務省へ。サンフランシスコ総領事館に勤めた。現地のシリコンバレーでは、地域づくり運動が非営利組織(NPO)の手で始まっていた。地区の学校をインターネットで結ぶ工事に、保護者と企業の従業員ら何千人ものボランティアが集まってきた。
 「企業人がNPOの活動に参加するなんて、私の常識では考えられなかった。住民が中心となり、営利企業がその周辺で動く。21世紀の地域づくりの姿だと思った」
 その後、金融監督庁の設立準備室に出向。北海道拓殖銀行や山一証券の破綻に遭遇したことが、エコマネーの発想につながった。「別の価値体系の『お金』もつくらないと、人がつくったマネーの世界に人とが飲み込まれてしまう」
 親不知・子不知で知られる新潟県青海町の出身。目指す社会をエコミュニティと表現するが、人々が助け合い、自然の豊かに残る故郷が、イメージにある。
 昨年5月、連絡団体「エコマネー・ネットワーク」を設立し、間もなく1年。手応えは格段に違ってきたが、「ムードだけで終わらせたくない。根付かせるため、これからが正念場です。

 またエコマネーの着想について、私は拙著『エコマネー』(1998)の中で次のように述べています。

 「私は96年末から約1年半の期間、金融監督庁設立準備室に出向し金融の大変革を垣間みる機会を得た。おりしも不良債権問題、山一證券・北海道拓殖銀行の破綻、アジア通貨危機などの大きな波乱が起こる中で、98年4月外国為替の完全自由化により「日本版金融ビッグバン」がスタートし、日本は金融の荒海の中に漕ぎ出した。この間私が感じたのは、金融のダイナミズムとともにその先にどのような世界があるのかという不安であった。変化の激しいときにこそ、21世紀の日本のビジョンが必要ではないか、それは現在グローバル・スタンダード化しているアングロサクソン・モデルを基盤としつつも、欲望だけではなく理性や感情もあわせ持った、画一性だけではなく多様性も追求したもう少し“人間臭い”ものではないのではないか、そう考えた。
このような問題意識が、従来私が関心として持ってきた情報ネットワーク社会のあり方、まちづくり、サステイナブル・コミュニティ、地球環境問題等と結合して、いつしか金融とこれらを総合化させたトータルなビジョンをつくりたいと思うようになった。金融ビッグバンに象徴される「マネー経済化」の流れと、地球環境問題に代表される“環境主義”の流れという矛盾する(?)両者のトレンドを調和し、21世紀の全体像を示そうと考えた。“エコマネー”という新しい世界を提示したのは、そのためである」