加藤敏春ブログ:21世紀の経済評論を語る!

2000年度東洋経済・高橋亀吉最優秀賞等を受賞。地域通貨「エコマネー」提唱者。

「愛・地球博」のテーマ「自然の叡智」の真の意味を考える(その1):『奥の細道』に相通ずるもの

2005-08-26 00:43:00 | Weblog
 松尾芭蕉の『奥の細道』を通じて「愛・地球博」がテーマとする「自然の叡智」の意味を考えてみたいと思います。
 私は、今まで『奥の細道』を何回も読み返しましたが、『奥の細道』のなかに挿入されている芭蕉の句でも最も秀でていると思う句は、私の故郷である新潟県青海町(現糸魚川市)の市振で呼んだ次の句です。
 「一つ家に遊女も寝たり萩と月」
 この点に関して俳人の山口誓子は、『奥の細道』の秀句として次の3つを選んでいます。
 「閑さや岩にしみいる蝉の声」
 「五月雨をあつめて早し最上川」
 「荒海や佐渡によこたふ天の川」
 そして、その中で最高の秀句は「荒海や・・・」であるとしています。山口誓子の解説を聞いてみましょう。
 「”閑さや”は山形県の立石寺で、”五月雨を”は山形県の最上川で、”荒海や”は新潟県の出雲崎で作られた。いずれも表の太平洋側ではなく、奥羽山脈を横断してから作られた句である。・・・・『奥の細道』の旅が、歌枕を自分の眼で見て、和歌に詠まれた古人の心に触れようとした旅であった・・・・芭蕉の訪れた歌枕は西行の歌が多かった。芭蕉は西行を和歌の代表作家として崇拝していたから、特に西行の歌枕を訪れたかったのだ・・・・ところが奥羽山脈を越えてからは、歌枕が少なくなったので、名所では古人の心を思い出さずに、風景とがっちり取り組んだから、秀句を作れたのだ。そのことに付け加えたいことがある。
 表の太平洋側と浦の日本海側の風景の比較である。その比較を、芭蕉は『奥の細道』の「象潟」の條で発表している。「松島は笑うが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり」、太平洋側の風景は明るく、日本海側の風景は暗い感じがするというのだ」
 芭蕉は鼠の関から越後に入り、越中の国境の市振に至る9日間は暑さと雨に悩まされ、健康を損ねる旅でした。出雲崎はその道程の途中にあり、
 「そこで日本海を見、佐渡の島を見、天の川を見た。芭蕉はこの3つの結合に感動し、推敲した上で、”荒海や”の句を直江津で発表した」と山口誓子は解説しています。
 しかし私に言わせると、その芭蕉の心境がクライマックスに達したのが市振で詠んだ「一つ家に・・・」の句です。『奥の細道』の中に女性が登場するのは、この市振のくだりだけです。
 陰暦7月12日(陽暦8月26日)、難所を越えた安堵の気持ちで寝ていると、若い女の声が聞こえ、女らは遊女で伊勢詣の途中と知ります。翌日遊女たちが同行を頼むのを芭蕉は断ります。行きずりの、悲しい運命に生きる人々との別れです。虚構により別離の情を導き出していますが、私はその前の夜に詠んだこの「一つ家に・・・」の句に日本人のエロチシズムを感ずるとともに、くっきりと咲く「萩」と墨絵を光らせたような「月」を対比させたところに日本人の「もののあわれ」の感性を感じます。