加藤敏春ブログ:21世紀の経済評論を語る!

2000年度東洋経済・高橋亀吉最優秀賞等を受賞。地域通貨「エコマネー」提唱者。

「愛・地球博」は歴史に新しいページを残せるか?(その4):「新しい文化」の創造」はできるか①

2005-08-16 01:13:42 | Weblog
 「愛・地球博」が歴史に新しいページを残せるかの鍵は、これで世界に21世紀のメッセージを発信し、「新しい文化」の創造ができるのかにかかっています。前者については、「愛・地球博のテーマ『自然の叡智』の真の意味を考える」をテーマとして何回かのシリーズで取り上げてみたいと思っていますので、ここでは後者の「新しい文化」の創造ができるかについて考察してみたいと思います。
 この点に関して1970年大阪万博のプロデューサーであり、「愛・地球博」に関しても一時最高顧問をつとめた作家の堺屋太一氏は、以下のような辛らつな指摘をしています(週刊ポスト4月29日号)。

ー現在の愛知万博の状況をどう見るか。
「『万国博』とはいえ、内容的には大きな『地方博』、つまり地域おこしの行事としては成功するだろう。万博というものは文化運動。いかに新しい文化を生み出す刊行事なんです。大阪万博が変えた日本の文化はたくさんあった・・・・・・
それに対し、『地方博』は地域の人に満遍なく楽しんでもらえばいい。だから文化を創造するなんてハイリスクなこととする必要がない。特徴と創造よりも、確実に平均的な楽しみを手続き的にも人脈的にも摩擦なくやり遂げる。愛知万博はその方向ですね」
ー(最高顧問)辞任の最大の理由はなんだったのか。
「博覧会協会会長であるトヨタ自動車の豊田章一郎名誉会長のように、万博に大きなビジョンを持った方もいたが、地元にも”愛知万博はオリンピックを誘致できなかった代わりのイベント”くらいにしか考えていない人が多かった。『万国博』はオリンピックの10倍の規模なんですがね。つまり愛知県が地域経済的に潤うのが第一という公共事業的な考え方だった。これは世界を相手にする『万国博』の発想じゃない。地元が盛り上がればいいという『地方博』の発想。
 この行事は『文化運動』なのか、『公共事業』なのかという認識の食い違いを埋められなかった。『世界への情報発信』、『文化の創造』といったグローバルな視点での”万国博プラン”を私自身は少なくとも100回は担当や周囲の関係者に語ったが、”地方博プラン”しか頭になかった人たちには理解しようという意識が乏しかった。彼らは官公庁や特定の運動家と摩擦なくやることを重視していた。特に反対運動を恐れて戦う姿勢がなかった。
 それに万国博についての認識が違って、19世紀的な『技術と珍品の博覧会』が頭にこびりついていたようです。そのため何か珍品が必要だと、大阪万博の『月の石』(月面に着陸した宇宙飛行士が地球に持ち帰った石)に当たるものを探し回っていた。『月の石』にしても、じつは開催前から目玉として位置づけたものではなかった。万博を振り返る報道でクローズアップされたので、その印象が強くなっただけのこと。中心的な話題ではなかったんです。そのことも担当者に30回以上は話して聞かせたが、理解してもらえなかった・・・・・
 万博を成功させるためには十分な運営費が必要だ。建設費と運営費の割合は、6対4が理想とされているが、愛知万博は7対3になっている」
ー大阪万博に比べると、愛知博に足りないものとは何か。
「『万国博』は一種の文化運動だから、何らかの『文化の発信』がなければ意味がない。いかに文化を生み出すのかが『万国博』の役割なのだが、愛知万博にはそれが感じられない」

 このように考えると、「愛・地球博」の真価は、それが「新しい文化」の創造ができるのかにかかっていると言えますが、では、本当に21世紀における「新しい文化」の創造ができていないのでしょうか。堺屋太一氏の指摘は、単純化すると19世紀の文化は「技術と珍品の博覧会」であり、「愛・地球博」で陳列されているシベリアの永久凍土から出土したマンモス(グローバルハウス)、音楽を演奏するロボット(トヨタ館など)、ギネスブックに載った世界最大の万華鏡(名古屋市の「太陽の塔」)、360度の映像スペクタクル(長久手日本館)、超伝導のリニモなどはその延長といえるものであり、それでは「新しい文化」の創造ができないことは明らかでしょう。
 では、堺屋太一氏が言っている文化の創造とは何なのでしょうか。本当に「愛・地球博」においては「新しい文化」の創造が起こっていないのでしょうか。そのことを次回に考えてみたいと思います。