前回は「近代」の目で現実を直視してアジアの安全保障を考え、来るべき「新しい中世」の時代のアジアを作り上げるという「したたかな」戦略が必要なことを指摘しました。
今回は、では「近代」の目で現実を直視してアジアの安全保障を考えた場合、小泉総理は靖国神社を参拝すべきか?ということに関して、私見を述べたいと思います。
歴史を振り返ると、日本は幕末から今日までの150年余りの間に3度、国の将来を賭けた運命に選択を行い、そして今、4度目の歴史的選択に直面しています。
第1の選択は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、英米の支持を背景に大陸と対峙し、清帝国とロシア帝国の脅威に対処することでした。その結果日本はまず日清戦争に勝利を収め、近代化・産業化の礎を築きました。
そして次に、日露戦争で極東におけるロシア帝国の勢力をくじき、世界の列強に並ぶことを得ました。
第2の選択は1930年代初頭から第2次世界大戦にいたる時期になされました。日本の生命線を満州と定め、中国とは宥和しつつ太平洋を挟んで米国と対峙するという図式でした。しかし、満州国の建設は日中戦争の勃発と泥沼化、三国同盟の締結、日米関係の険悪化という悪循環をもたらし、国を滅亡へと導きました。
第3は、1952年のサンフランシスコ講和条約による主権回復と60年の安保条約改定であり、米ソ冷戦体制にあって、日本が自由主義、民主主義の側、すなわちアメリカ陣営の一員になるという国策の基本が決まったという選択です。
当時は、野党のみならず、多数の知識人、有力新聞社がそれを含めた全方位・等距離外交を主張する中で推進されたこの選択が、平和で自由で民主的な今日の日本を実現し、経済的繁栄をもたらしたことについて、現在異を唱える人はいません。
過去における選択のうち1回目と3回目は正しく、2回目は誤っていました。それらの正否を分けた共通項は何でしょうか。その一つは自由主義、民主主義の側に立つこと、その二つは太平洋の側に立ち大陸と向かい合う姿勢をとることです(ただし、同時テロ多発事件以降のアメリカの変質については、別の機会に触れます)。
そして21世紀の初頭、日本は4度目の岐路に立っています。中国との連携を強化し、米国と一定の距離を保とうとする考えが政・官・財各界の一部に新たな選択肢として浮上しています。
これは中国市場の将来性にかけようとする点で第2回目の選択に類似し、日米中の距離を大陸よりに変更しようとする点では、米ソ冷戦体制における社会主義系の進歩的知識人が主張した全方位・等距離外交の流れを汲むものといってよいでしょう。
これは戦後60年間一貫して国策の基本とされてきた原則を転換することです。しかしその重大性については、政・官・財の指導者の認識は薄いといわざるを得ません。特に、拡大する中国市場を当て込んで多額の投資をした企業は、中国との宥和を最優先課題と考えています。
しかしわれわれは、「近代」の目においては現実を正確に認識しなければなりません。中国は依然として共産主義国家であり、過去60年の歴史はベトナムをはじめとする侵略と内紛の連続でした。チベットなどでは少数民族の虐待も行っています。ダライ・ラマは今難を逃れて亡命中の身です。
しかもすでに世界第3位の各軍事大国化を果たし、アメリカが強い意懸念を表明しているように、毎年5兆円とも7兆円とも推定される膨大な軍事費(最近のアメリカの報告では10兆円と言われています)を投入してさらなる武器の近代化、増強に努めています。すでに数百期を保有する核弾道ミサイルの多くは、日本全国を射程範囲に治める性能を有しています。このような中国といかにしたら平和的、安定的で、かつ、理性的に共存できるのか、考えなかければなりません。
唯一の解は、日米同盟による抑止力です。十分な備えと決意を持ち、それを相手に認識させることにより始めて持続的な均衡が形成されます。その上で、環境を含めた真の相互交流が可能となります。
靖国問題は歴史認識の問題、戦争責任の問題として提起された形となっていますが、実はどれだけ米国から離れ中国寄りになるかの踏み絵として提起されていることを見誤ってはなりません。
一部の知識人の間には、中国は靖国問題をA級戦犯の合祀問題や首相の「公式」参拝に限定しているからA級戦犯を分祀べきだとか、小泉首相の靖国神社参拝は中止すべきだと主張しているいる人がいますが、そのようなナイーブさでは「したたかな」中国とは真の友好関係を発展させ、将来パートナーシップを発展させていくことはできません。これらの知識人は、中国の国歌は抗日歌であることを知っているのでしょうか。
人間社会でも、真の友人関係を構築すること、仮に殴りあってもその後にお互いに腹を割って打ち解けられる関係になるかにかかっています。
参拝中止はかえって中国と真の友人関係を発展させることの妨げになるものと私は考えています。
今回は、では「近代」の目で現実を直視してアジアの安全保障を考えた場合、小泉総理は靖国神社を参拝すべきか?ということに関して、私見を述べたいと思います。
歴史を振り返ると、日本は幕末から今日までの150年余りの間に3度、国の将来を賭けた運命に選択を行い、そして今、4度目の歴史的選択に直面しています。
第1の選択は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、英米の支持を背景に大陸と対峙し、清帝国とロシア帝国の脅威に対処することでした。その結果日本はまず日清戦争に勝利を収め、近代化・産業化の礎を築きました。
そして次に、日露戦争で極東におけるロシア帝国の勢力をくじき、世界の列強に並ぶことを得ました。
第2の選択は1930年代初頭から第2次世界大戦にいたる時期になされました。日本の生命線を満州と定め、中国とは宥和しつつ太平洋を挟んで米国と対峙するという図式でした。しかし、満州国の建設は日中戦争の勃発と泥沼化、三国同盟の締結、日米関係の険悪化という悪循環をもたらし、国を滅亡へと導きました。
第3は、1952年のサンフランシスコ講和条約による主権回復と60年の安保条約改定であり、米ソ冷戦体制にあって、日本が自由主義、民主主義の側、すなわちアメリカ陣営の一員になるという国策の基本が決まったという選択です。
当時は、野党のみならず、多数の知識人、有力新聞社がそれを含めた全方位・等距離外交を主張する中で推進されたこの選択が、平和で自由で民主的な今日の日本を実現し、経済的繁栄をもたらしたことについて、現在異を唱える人はいません。
過去における選択のうち1回目と3回目は正しく、2回目は誤っていました。それらの正否を分けた共通項は何でしょうか。その一つは自由主義、民主主義の側に立つこと、その二つは太平洋の側に立ち大陸と向かい合う姿勢をとることです(ただし、同時テロ多発事件以降のアメリカの変質については、別の機会に触れます)。
そして21世紀の初頭、日本は4度目の岐路に立っています。中国との連携を強化し、米国と一定の距離を保とうとする考えが政・官・財各界の一部に新たな選択肢として浮上しています。
これは中国市場の将来性にかけようとする点で第2回目の選択に類似し、日米中の距離を大陸よりに変更しようとする点では、米ソ冷戦体制における社会主義系の進歩的知識人が主張した全方位・等距離外交の流れを汲むものといってよいでしょう。
これは戦後60年間一貫して国策の基本とされてきた原則を転換することです。しかしその重大性については、政・官・財の指導者の認識は薄いといわざるを得ません。特に、拡大する中国市場を当て込んで多額の投資をした企業は、中国との宥和を最優先課題と考えています。
しかしわれわれは、「近代」の目においては現実を正確に認識しなければなりません。中国は依然として共産主義国家であり、過去60年の歴史はベトナムをはじめとする侵略と内紛の連続でした。チベットなどでは少数民族の虐待も行っています。ダライ・ラマは今難を逃れて亡命中の身です。
しかもすでに世界第3位の各軍事大国化を果たし、アメリカが強い意懸念を表明しているように、毎年5兆円とも7兆円とも推定される膨大な軍事費(最近のアメリカの報告では10兆円と言われています)を投入してさらなる武器の近代化、増強に努めています。すでに数百期を保有する核弾道ミサイルの多くは、日本全国を射程範囲に治める性能を有しています。このような中国といかにしたら平和的、安定的で、かつ、理性的に共存できるのか、考えなかければなりません。
唯一の解は、日米同盟による抑止力です。十分な備えと決意を持ち、それを相手に認識させることにより始めて持続的な均衡が形成されます。その上で、環境を含めた真の相互交流が可能となります。
靖国問題は歴史認識の問題、戦争責任の問題として提起された形となっていますが、実はどれだけ米国から離れ中国寄りになるかの踏み絵として提起されていることを見誤ってはなりません。
一部の知識人の間には、中国は靖国問題をA級戦犯の合祀問題や首相の「公式」参拝に限定しているからA級戦犯を分祀べきだとか、小泉首相の靖国神社参拝は中止すべきだと主張しているいる人がいますが、そのようなナイーブさでは「したたかな」中国とは真の友好関係を発展させ、将来パートナーシップを発展させていくことはできません。これらの知識人は、中国の国歌は抗日歌であることを知っているのでしょうか。
人間社会でも、真の友人関係を構築すること、仮に殴りあってもその後にお互いに腹を割って打ち解けられる関係になるかにかかっています。
参拝中止はかえって中国と真の友人関係を発展させることの妨げになるものと私は考えています。