「環境」という言葉の流布は、大阪万博に集合した美術家や建築家に多大な影響を及ぼした一人の人物に多くを負っています。もと丹下健三の右腕であった浅田孝がその人です。戦中海軍に属していた浅田は、広島に原爆が投下された直後に調査のために爆心地に入り、救助活動に当たった経験を持っています。
そこで浅田が目にしたものは何であぅたでしょうか。都市や建築物はおろか、人命の痕跡に至るまで一瞬にして焼き尽くす、一種の人類史の終焉であったことは確かだと思います。その浅田が「環境開発」というとき、それは根本的に焼け跡からの復興と、いつ全面的な破壊がもたらされるかもしれない核への恐怖と隣りあわせであったことは容易に推測されます。
浅田に影響された建築家や美術かが、今ある「環境の保全」よりも「環境の開発」を第一義とし、そのために抜本的で実験主義的なプランの数々を提出したのは、ある意味で当然でした。環境が丸ごと喪失しまえば、保全も何もないのです。
大阪万博では潜伏していた「環境」という概念の背景には、ずっと大きな危機感に根ざした出自を持っていました。さらに遡れば、この「環境」という言葉は、戦時中に日本が南方に進出する際、生態系の異なる「内地」と「外地」を統合するための新たな建築様式の概念として見出されたという経緯があります。西洋の建築概念の根底にあるのが石組みに象徴される「人口構造物」だとしたら、「内地」と「外地」を統合するための建築は、人口構造物ではなく、形なき「場」として存在するというのが基本理念でした。
実は、そこには大阪万博を主導した建築家、丹下健三も深くかかわっていました。環境を統合的な「場」として考えるこの方向性が、後の「お祭り広場」に引き継がれ、大阪万博の核となる部分をなしたことは言うまでもありません。今回「愛・地球博」の総合プロデューサーをつとめる泉真也は、大阪万博に参加した経験を持つだけではなく、もともと、浅田孝が仕掛け、後に大阪万博を主導することになる建築家、デザイナーのグループ「メタボリズム」の一員であり、浅田の薫陶を直接受けた人物です。また浅田自身は、1987年から1990年までトヨタ財団の専務理事をつとめ、環境問題に関する積極的な提言を行ってきました。
「愛・地球博」には、環境を巡って対症療法的な「保全」に終始せず、一歩踏み出して、「場」の「形成」としての観点から、抜本的な環境の再構築をして欲しかったというところが、私の偽らざる心境です。
私は、今からでも遅くないと考えています。前々回ご紹介した8月23日のシンポジウムのテーマを、「『市民力』を『環境力』・『文化力』へと発展させて、いかに国際的ムーブメントを創造するか」としたのも、今回「市民参加」という要素をはじめて取り入れた「愛・地球博」が閉会後も会場外の各地域の市民、企業、行政などと連携した活動を展開したとき、新たな希望が生まれてくると確信しています。
その意味でも、皆様にはできる限り多くの人が参加していただきたいと念じております。
そこで浅田が目にしたものは何であぅたでしょうか。都市や建築物はおろか、人命の痕跡に至るまで一瞬にして焼き尽くす、一種の人類史の終焉であったことは確かだと思います。その浅田が「環境開発」というとき、それは根本的に焼け跡からの復興と、いつ全面的な破壊がもたらされるかもしれない核への恐怖と隣りあわせであったことは容易に推測されます。
浅田に影響された建築家や美術かが、今ある「環境の保全」よりも「環境の開発」を第一義とし、そのために抜本的で実験主義的なプランの数々を提出したのは、ある意味で当然でした。環境が丸ごと喪失しまえば、保全も何もないのです。
大阪万博では潜伏していた「環境」という概念の背景には、ずっと大きな危機感に根ざした出自を持っていました。さらに遡れば、この「環境」という言葉は、戦時中に日本が南方に進出する際、生態系の異なる「内地」と「外地」を統合するための新たな建築様式の概念として見出されたという経緯があります。西洋の建築概念の根底にあるのが石組みに象徴される「人口構造物」だとしたら、「内地」と「外地」を統合するための建築は、人口構造物ではなく、形なき「場」として存在するというのが基本理念でした。
実は、そこには大阪万博を主導した建築家、丹下健三も深くかかわっていました。環境を統合的な「場」として考えるこの方向性が、後の「お祭り広場」に引き継がれ、大阪万博の核となる部分をなしたことは言うまでもありません。今回「愛・地球博」の総合プロデューサーをつとめる泉真也は、大阪万博に参加した経験を持つだけではなく、もともと、浅田孝が仕掛け、後に大阪万博を主導することになる建築家、デザイナーのグループ「メタボリズム」の一員であり、浅田の薫陶を直接受けた人物です。また浅田自身は、1987年から1990年までトヨタ財団の専務理事をつとめ、環境問題に関する積極的な提言を行ってきました。
「愛・地球博」には、環境を巡って対症療法的な「保全」に終始せず、一歩踏み出して、「場」の「形成」としての観点から、抜本的な環境の再構築をして欲しかったというところが、私の偽らざる心境です。
私は、今からでも遅くないと考えています。前々回ご紹介した8月23日のシンポジウムのテーマを、「『市民力』を『環境力』・『文化力』へと発展させて、いかに国際的ムーブメントを創造するか」としたのも、今回「市民参加」という要素をはじめて取り入れた「愛・地球博」が閉会後も会場外の各地域の市民、企業、行政などと連携した活動を展開したとき、新たな希望が生まれてくると確信しています。
その意味でも、皆様にはできる限り多くの人が参加していただきたいと念じております。