吾輩はシカである

歯を抜かない矯正、ほとんど痛みのない治療、簡単オペのインプラント、ハイレベルの歯科治療のかしば歯科の一言。

質の高い歯科治療をインプラントと矯正で

2011-08-25 22:57:36 | Weblog

歯の治療においては〝歯を抜かない〟ということが大原則です。
 いつも言っていることですが、どうしても抜かないといけないケースに限って最小限に抜くことはあっても、健全な歯を平気で抜いてはいけません。
 

 健全な歯を4本も抜くという矯正治療法が現在も行われていますが、とんでもない方法に思えます。
 それというのも、4本抜歯の基本ができたのは今から70年も前のことで、アメリカのツイードという人が始めました。

 その時代は、ブラケット(矯正用固定器具)を直接歯にくっつける接着剤も技術もありませんでしたから、金属製の帯のバンドを使用し、それにブラケットをハンダ付けしていました。
 そのため、歯と歯の間に1㎜のスペースが必要で、その合計が12㎜にもなったそうです。
 4㎜不足すると抜歯する理由は、4本で合計16㎜になり、2本抜けばちょうど一致する数字になるからです。
 
 しかし、現在はバンドを使用せず歯に直接的にブラケットを接着しますから、抜かなくても治せるのです。
 それなのに、現在でも70年前と同じ考え方で抜歯しているのです。
 「健全な歯を抜く」と言われたら一度、抜かない矯正治療を提案する当院にご相談下さい。

 歯を抜くどころか、年齢の高い患者さんは1本の歯でも残して欲しいと言われます。
 そうした中で注目はやはりインプラントです。
 個人差はありますが、痛くなく、出血もなく、手術時間は1本15分前後。
 「とても簡単で痛くなかった」と喜ばれる患者さんもいます。
 自分の歯のように使用できるインプラントは、歯を増やす方法です。
 クオリティーの高い健康的な生活は、まず歯を大切にすることから始めたいものです。

かしば歯科ご予約、ご相談コーナーはこちらまでどうぞ!
http://8822818.com/appointment.html


無出血、無痛のインプラント

2011-08-20 11:53:52 | Weblog
大切な歯を失ってしまったら、インプラント治療で自分の歯のようによみがえらせたいものです。
 インプラント治療はかなり普及してきました。
 これは「入れ歯」や「ブリッジ」、あるいは「差し歯」に変わる新しい治療法として開発されたものです。
 
 この治療法では、抜けた歯のところに、自然の歯と同じように使えたり、見えたりする人工歯を、自然に近い状態で入れられます。
 これによって、美しい口元と機能を取り戻し、自然の歯と同じように噛め、おいしく物を食べられます。
 健康と美容と若さを取り戻すためにも、インプラント治療を考えてみてはいかがでしょうか。
 
 でも、手術って恐ろしいと考えるかも分かりません。
 ご安心下さい。
 インプラント手術の方法の進歩はすごいものです。
 
 親知らずを抜くのよりも簡単な手術と考えていただいても良いと思います。
 麻酔と言ってもインプラントの部分の周辺にするだけです。
 全身麻酔や静脈麻酔などをする必要はありません。
 
 従来は、歯肉を大きく切開していましたが、新しい方法では切開は必要ではなくなりました。
 手術中は出血もほとんどなく、そのため、痛みも腫れもありません。
 手術の後、「何をしたのかな」というぐらいの感じです。
 
 手術時間についても、患者さんによって差はありますが、インプラント1本が15分から20分ぐらいで終わります。
  手術後は、食事も普通にできます。
 こんなに進歩していますから安心です。
 QOL(生活の質)を高めるためにも、インプラントの治療は、非常に有効と言えるでしょう。
 
 かかる費用もだんだんと安くなってきました。
 参考までに、かしば歯科のインプラントの費用はすべで合計で1本25万円です。
 
  ご予約、ご相談はこちらにどうぞ。

この子は顎が小さいと何故分かりますか?

2011-08-15 22:51:45 | Weblog

一般的に子供は小さい。当たり前のことだが、どうもよく分かっていないのではないか?

特に、歯や口腔の事に関しては、人間の身体の一部であるとの認識が薄いののだと思う。
普通の体格の小学生に「この子は大人より背が低いので、何とかなりませんか」などと病院に行く親がいるだろうか?
 
 ところが、口腔に関する事になるとそれが分からないので、「顎が小さいので永久歯が生えてこない」などと言って、顎を広げようとする。
 永久歯は大きいまま生えてくるので、まだ受け皿である顎は未発達の場合が100%である。
 永久歯に比べて顎が小さく見えるのは当然だし、逆に充分隙間があればその永久歯が小さい可能性もある。
 
 成長に関して、はっきりとした理論もない上に、取り外し式の拡大装置を入れるのはおかしい。そういう装置は成長の邪魔をするだけのものであり、百害あって一利もない。
  
 歯科は命には直接関係がないから、何をやっても良いとは思わない。小児科とか一般の病院で、骨の成長を促す装置とか、骨格が格好良くなるギブスとかを装着しているだろうか?
 
 歯も口腔も身体の一部です。歯列が悪くなるのは色々な原因があるのですが、そういう拡大装置でなんとかなるものではありません。生えてくる時にすでにねじれている場合もあるのです。その装置では治るはずがありません。
 ブラケットとワイヤーによる歯列矯正で小学生ならば6ヶ月くらいで綺麗に並びます。そしてその並びは一生ものです。
 成長の妨げをする、しかも治らない取り外し式の装置は入れるべきではありません。
 

TUTAYAにて

2011-08-14 21:35:54 | Weblog
 夏風邪を引いていて、ようやくマシになってきた。もう10日以上になるが、最初は風邪かどうか分からなかった。
少しだるい、鼻水が出る。冷房にやられたのかなと思っていたが、セキが出るようになって気がついた。暑いから冷たい物ばかり食べるので余計に治りが遅いのだろう。
 お盆休みもセキが出るし、暑いし、車も混んでいるだろうから何処にも出かけずに、近場をウロウロしている。
同窓会もあったが、咳止めを飲んでいるのでアルコールはそんなには飲めなかった。2次会はキャンセルして早目も引き上げてきた。
 同窓会のせいか、ふと、何十年ぶりかにギターでも弾こうと思った。コードが分からないとギターが弾けないので、TUTAYAに歌の本を探しに出かけた。そういう本があるかどうかも分からなかったが、それらしきところを見つけた。
しかし、そこには太ったおばさん2人が占領していて、何やら立ち読みをしている。本屋には似つかわしくない風貌だが、一体何を見ているのか?と思ったら、韓国のスターの雑誌を見ていた。
 この2人は絶対に買わないと思ったが、あれこれ韓流スターの写真を見て話し込んでいる。普通の体型ならチョッと失礼と言いながら、割り込めそうだが、2人とも巨大(失礼!)な体型だけに無理だった。
 仕方がないので、時間つぶしにCDのコーナーで「寺内タケシ」と「ベンチャーズ」を探し回ってレンタルした。宝探しのように少なかった。「寺内タケシ」は1枚、「ベンチャーズ」は2枚しかなかったので、すべてレンタル完了して、本のコーナーに戻ったら、まだ2人が占領している。
 店の外で大きな音がして、誰かの生ライブが始まったらしく、ようやく2人が移動してくれた。やっぱり暇つぶしだったようだ。
 家の物置からボロボロのギターを取り出したが、ネックが一部壊れている。音合わせをしても不協和音だ。
それもそのはず、このギターが私が20歳の時に大阪で買ったものだ。
 40年の時代を経て、今!甦る!というか、思い出だけで捨てないで置いていただけのものだから、音が出るだけでも大したものだ。
 一応簡単なコードだけは覚えていた。少し練習すれば昔のように弾けると感じた。
 
 詩人サミュエル・ウルマンは
「青春とは人生のある時期ではなく、心の持ち方をいう。時には20歳の青年よりも、
60歳の人に青春がある。年を重ねるだけで人は老いない。理想を失う時初めて老いる。
挑戦しつづける限り、夢を持ちつづける限り、その人には青春がある。」
  と詠っている。
 
 それほど大袈裟なものではないが、新しいギターでも買ってみようかと思う。
 
 

戦争とは何だったのだろう

2011-08-13 01:42:46 | Weblog

中学校の修学旅行で長崎に行ったとき、平和公園の像の前で記念写真を撮った。特に何の思いもなく、平和公園を散策しただけだった。

 戦後に生まれ、団塊の世代に次ぐ世代として育った私には戦争などあまり興味も関心もなかった。時々父親が話していた断片的な思い出話以外に戦争に対する知識もなかった。
 
 しかし、毎年原爆記念日、終戦記念日がテレビなどで報道されたり、太平洋戦争の映画や番組、書物などに触れて、戦争の概要がおぼろげながらも見えてきたような気がする。
 
 66年という月日は長いけれども、この戦争が現代の日本に及ぼす影響は依然として大きい。駐留する米軍、戦争責任問題、中国や韓国、朝鮮などとの関係など、いまだに戦後は続いているのだと感じる。
 
 敗戦という結果で、多くの犠牲を出したということで、だから戦争はいけない、戦争反対だという意見も無理からぬものではあるが、しかしそれだけの理由でこの戦争を語るにはあまりに薄っぺらいと思わざるを得ない。
 
 一億火の玉だ、天皇陛下万歳と叫びながら、戦争で散っていった我々日本人の霊がある。少なくても日本のために、自分の命を捧げた先人に対して、戦争が間違っていたとか、無謀だったとか、結果論で語るべきではないと思う。
 戦争の話になると、何故か右翼思想とか、左翼思想の問題があり、どちらかの立場で論じるということが多いように思うが、私は右でも左でもなく、いやむしろどちらの考え方も私にはなじまない。
 
 戦争を語るには未熟であるが、今年還暦という節目を迎える年になって、ふと戦争とは、敗戦とは何だったのだろうかと考えるようになった。
 戦争犯罪というもので裁かれたのは、敗戦国だけであり、戦勝国はすべて正しいことになっている。それならば、終戦間際、もはや立ち向かう戦力も体力も失っていた日本主要都市に、空襲で爆弾の雨を降らし、兵士以外の一般人を無差別に殺戮したのはどうだろうか。
 原爆という大量殺戮兵器を一度ならず、二度までも使用した、生体実験的残虐行為は正しいことだったのだろうか。
 アメリカの大リーグでは点差の大きく開いたゲームで、バントとか、盗塁など姑息なことまでしてさらに点を取るような事は恥ずべきだとされている。そしてそういうことをするとブーイングが起きるのである。ボクシングでも倒れた相手にパンチは浴びせない。
 戦争はスポーツではないので、同様に論じることはできないが、特に原爆に関しては、それは正しいとは言えないと感じている。
 それもこれもすべて戦争を引き起こした戦争犯罪者に擦り付ければよいのだろうか。
私は戦争に犯罪ということはなじまないと考えている。何故戦争が起きたのか、それは有史以来続いて来ているものであるから、本当の原因はどうであれ本質までは分からない。
 真珠湾を先制攻撃したから起きたわけでもない。日本がその国益のために戦ったことを侵略というならそれも間違いではないだろう。
 しかし、戦争はあくまでも戦争であって、間違いでも侵略でもないと思う。負けたから間違いであり、侵略であったのだ。田母神氏みたいな論調になったが、あの人は原因論からして違うと言っているので同じではない。
 しかしながら、そのために国歌を歌うのをためらい、国旗を掲げることをためらうことはどうかと思う。
 
 その戦勝国アメリカも現在、経済的に行き詰まっている。借金を踏み倒しにかかってくるかも知れない。。中国と日本がアメリカ国債を買っている。中国は発展途上だからまだ良いが、日本は円高もあるし、ピークを過ぎているので苦しい。今までのような輸出中心型の経済構造は大きく変わらざるを得ないだろう。
 大震災、原発事故が重なり、これから厳しい時代が到来するのではないかと思う。