私は香北町の朴の木という所で生まれた。母の実家である。小学校1年まではそのとなりの永野という場所で子供時代を過ごした。
裕福ではなかったが、楽しい思い出しか残っていない。夏はきれいな小川で水遊びをした。ある日、父に裏山にある澄んだ川のたまり場のようなところに連れていってもらった記憶がある。初めて水の中に顔をつけた。
水の中は透明度100%で、飲んでも大丈夫と思われる水の中だった。小さな魚が泳いでいるのがハッキリと見えた。水族館のような水の世界に感動した。
冬は時々雪が積もって、そりを引いてもらって遊んだ。春はレンゲの花が一面に咲き、その中で寝転んだ。
赤とんぼを追い、野原をかけめぐって遊んだ。
さらに感動したのが、幼稚園の遠足で桂浜まで遊びにきたことだった。田舎のバスは道路事情が悪く、ボコボコ道を揺れながら、生まれて初めての車酔いをしてしまったが、川と違って海の景色は素晴らしかった。
桂浜は今は遊泳禁止になっているが、昔は海水浴場だった。泳げないが、絵本でしか見たことのなかったイソギンチャクや、ヒトデ、熱帯魚のような小魚が澄んだ海面から底まで見えた。なんという美しいところがあるんだと見飽きなかった。
透明度100%の川と、宝石箱のような場所は残念ながらもうない。
高度成長と生活の利便のための自然破壊と引き換えに、この美しい宝物は無くなってしまった。
沖縄や南洋の島にわざわざ飛行機で行かなくても、高知の海や川はそれ以上の楽園だったのだ。
24時間営業の店など、ついこの前まで高知には無かった。パチンコ屋も中心街だけで、週一の休みもあり、営業時間も短かった。
少し前に戻るだけでも良い。それだけでも原子力発電の力を借りなくても良いのではないか。素人考えだけに詳しい電力需要については分からないが、夏は冷房、冬は暖房、いや、秋や春でも気温によりフル稼働の時代である。
パソコンを使いながらでは説得力がないが、今日はそんなに寒くないので暖房は切ってある。
放射能、放射線量は100年200年経過しても消えない。失ったものは取り返しがつかないのである。