ゆりの日記

自然が大好き
自然の中を歩いたり、季節の花を見に出かけています

旭徐々に復興

2011-03-29 09:46:39 | 日記
インターネットの動画で旭の津波被害をみて悲痛な想いでいました。
先日美容院に行った時
お父さんが「山中のあられ」にお勤めで津波の時の様子をお聞きしました。
地震の後、津波が来るというので皆さんで2階に避難したそうです。
一波の津波で一階が浸水して車が全部流されたそうです。
危険を感じ一波の津波が退いたあと胸まで水につかりながら(山中のあられは浜道路より低くなっています)避難したという話でした。
二波、三波の津波の方が大きく亡くなった人は一波のあと戻った方が多かったようです。
どんなにか恐ろしかった事でしょう。
津波に遭われて、廃業するところも多数あるようで、「山中のあられ」も廃業するとの事です。

ボランティアの情報も旭のHPでみていました。
28日まででのべ6885名の方が参加され、31日まででボランティアも終了だそうです。
当院の患者さんのボランティアに参加された方がいます。
でもまだ避難されている方が322名おります。
全壊、半壊で住める状態でない家が762棟あります。
田舎はお子さん、親戚が近隣に多いので、そちらに身を寄せているご家族も多数あるのでしょう。
仮設住宅や賃貸住宅の無料での準備もはじまりました。

先日の日曜日に私が運動に行っていた健康福祉センターを見に行ってきました。
すぐ海が目の前ですので、建物があるかと心配していましたが、なんとなんと奇跡的に無事でした。
施設と海岸の間が松林になっていて、すぐ近くまで津波は来たそうです。
職員の方お話ですと、今は避難している方のみお風呂を利用されているとの事です。
会員には利用できるようになったら、電話で連絡して下さるとのお話でした。
となりのパークゴルフ場は壊滅的に被害を受けたらしいです。

地形の関係なのか、何が要因になったのかわかりませんが、すぐ海の近くでも被害が無かったところもあるのに浜道路よりかなり入った旧国道でもかなり被害にあっています。
早くもとの生活に戻れますように願っています。

小学校の卒業式

2011-03-19 11:40:06 | 日記
息子の長男が昨日卒業式でした。
ママから写メールが届きました。
小学校の卒業式は中学の制服で行ないます。
まだダブダブの制服姿の孫に感動です。

息子の卒業式を思い出しました。
式のあと 教室で担任の先生が生徒に言葉ではなく
ちょうど金八先生がテレビでやってた頃だったので
「贈る言葉」を歌ってくださいました。
生徒の間を歩き、泣きながら歌った先生。
みんな泣いてしまいました。
いちばん印象に残っている卒業式です。

食パンがない

2011-03-18 10:20:33 | 日記
ガソリンが入らない。
灯油が買えない。
お米が売り切れた。
とんでもない事になっていますネ。
買占めしないで、ゆずりあいたいものですね。

我が家はお米は秋に1年分買ってあるので困る事はありません。
ガソリンも軽自動車で通勤も無いので、外出を最小限に控えています。
ですから、地震まえにいれたままです。
灯油も節約して、しばらく大丈夫のようです。
電池もあったし、ラジオ、懐中電気も不自由しませんでした。
お水も2リットルのペットボトルの買い置きがあり、それも十分。
ガスはプロパンで、野菜はある(近所からもいただきました)ので食事は困りません。
特別あわてた事はなく、なる事はなる、ならない事はならないと無理なことはしないでいます。

ただひとつ困っていることといえば
おばあちゃんの朝食の食パンが買えない事です。
食パンが無いのでと朝食にご飯を出したら、お昼はほとんど手付かずで、
そのあとも余り食べなくなってしまいました。
動かないので、消化器の働きが低下しているからでしょう。
スーパーも何件か回りました。
近くのコンビニにも朝早く買いにいきました。
食パンは入荷されず菓子パンを1コかってきましたが、
「食パンだけ買うためにスーパーの開店を待たなくてはいけないのかな~。」
と主人は言っています。
主人は「わがままだよ」と言ってますが、主人は息子なので言う言葉。
嫁である私は、それで具合が悪くなったらと、わがままの一言でかたずける事もできません。
我が家で一番困っているのは、おばあちゃんの8枚切りの食パンです。


宮城の友人

2011-03-15 08:50:36 | 日記
昨夜9時ごろ電話が鳴りました。
その少し前にテレビで旭の被害の映像が映ったのでと、大宮の従姉が心配して電話をしてくださったので、又誰かが心配して・・・・。
そう思って電話にでました。

なんと
地震発生当初から心配していた
主人と1年寝食をともにし、バラの研修をした友人。
仙台のとなり名取の渡辺さんからでした。

電話を受けた瞬間、(あっ 無事だった)と胸が熱くなりました。
やっと電気がきて、心配していると思い電話をかけてくれたそうです。
ウチでも何度も電話をしましたが、かかるはずがありませんでした。
津波もギリギリのところで免れたということです。
渡辺さんは何度もこちらに来てくださったことがあるし、私たちも渡辺さんのお宅に泊めていただき、蔵王、松島など案内していただいた思い出があります。

兄弟のような付き合いをしていた友人の無事に
夫婦で喜びました。


でも亘理に住んでいる同じ研修先の後輩にあたる斉藤さんの自宅が
テレビの映像で電車が津波で横倒しになっていた、その線路より海側だと聞きました。
斉藤さん、避難して無事でいることを祈っています。


旭が津波のために、甚大な被害を受けました。
テレビや報道等をみて、ご心配の電話、メール、コメントをたくさんの方からいただきホントにありがとうございました。
ウチは浜から1キロほど離れており、津波の被害を免れることができました。
でも、当院の患者さんの中で被害を受けた方が何人もいらっしゃいます。
今朝の新聞で死亡者の名前に当院の患者さんのご主人の名前がありました。
なんともやりばの無い思いです。
心からお見舞い申し上げます。

巨大地震発生

2011-03-12 15:51:07 | 日記
今やっと電気がきた。
朝刊も今届いた。
我が家の被害は瓦、欄間のガラス、玄関の壁の亀裂くらいで済みました。

昨日の地震発生時は患者さんの施術中でした。
「あっ!地震」
パソコンが倒れ机の上のものが落ちて散らばる、額がおちたそして停電になる。
立ってられない。
「入り口あけなくちゃあ」と患者さん。
ガラガラと瓦が落ちてきた。
患者さんと手をにぎり、震えが止まらなかった。
おさまったかなと思ったら、また地震。
さっきのより大きい。
ちょっと外をみたら、前の畑も道路も大雨が降った後のように水びだしだ。
液状化現象で地下水が吹き上げられたようです。
防災無線が
「津波が来るので非難するように」と言っている。
浜の方から車が走ってくる。
近所の人たちが集まり
「津波が来るらしいけど、こっちは大丈夫でだろう」
「小学校はもういっぱいだ」
「道路が陥没したところがある」
「ハウスがこわれた」
「停電だから早く寝た方がいい」とか情報がはいる。
水道も断水した。
懐中電気とラジオを用意、でも電気も水も無い生活はほんとに不便。

今日になり又いろいろと情報がはいった。
浜は津波がすごかったそうで
簡保の宿は2階のガラスが津波で壊れたとか
道路を走っていた車が流されて民家に飛び込んでいるとか
自動車修理やさんの車が折り重なっているとか
道路が沈んでなくなったとか
家が傾いていたり、道路の亀裂、段差、波打っているのは結構あるようです。
小学校に避難した人たちは、暖房もなく毛布だけで体育館で一夜を過ごしたそうです。
家がなくなっている人いるようです。
一度避難し、家にもどって津波に流された人もいる。

息子が停電にならなかったところで、地下水の水道を「ご自由にお持ち下さい」と書いてあるところがあるよ。と電話をくれた。
ウチは全部水道水なので、電気がくるのを待って近所にもらいに行った。
飲み水はペットボトルがあるが、トイレが困っていた。
さっき主人の弟が水を持ってきてくれた。
水道は何時復旧するかわからないようです。

生きてる時にまさかこんな大きな地震がなんて、想像もしていなかった。
思い出すと震えがくる。
被害にあわれた皆様、心よりお見舞い申し上げます。


他人に影響を与える女

2011-03-08 17:00:25 | 日記
健康福祉センターに運動に行き、年の近い利用者さんとのお話の中で
「ここに通い始めたのは、加瀬さんを見て若くっても抵抗無く通えそうに思えた」と言われました。
その方のご主人は以前から利用されていて、奥さんを誘ったそうですが年の離れている奥さんにしては、年をとってから利用する所っていうイメージを持っていたそうです。
私って良い意味で他人を変える女です。

若い時のことですが、私が自動車免許をとったあと近所の人や、友達が私に刺激をうけ何人も免許を取りました。
又、田んぼの草刈を機械を使って刈り始めたのも、知る限り女性では私が最初でした。
それまで機械を使うのは男性、女性は鎌で刈っていました。
きっとみんな
「あの人ができるのだから、私だってできる」とおもったのでしょう。

整体院もそうです。
私がスクールに顔をだすと、きっと多くのスクール生は
「かせさんが開業できたのだから、絶対に私だって開業できる」と思う事でしょう。
ホント良い意味で影響を与える女であるように思えます。

私は、希望と勇気と努力、で生きてきた。
これからも自分らしく生きて、他人に影響を与えられたらいいかなと思う。