義母の一周忌が終わりました。
昨年、七夕の夜中電話がかかり、嵐のような大雨の中、二人で右往左往しながら初めて行く病院へ車を飛ばしたのがついこの間のように思います。
義父が亡くなってからは「はよ迎えにきて」と言いながらお薬を飲んでいた義母に対し、「(義父が)来て欲しくないんや」「まだ(この世に)居れという事やね」「寿命やから」とか言って励まして(?)いました。
随分と足も弱り、認知もすすみ、施設からはあまり良い待遇を受けてなかったような感じもしていました。
コロナが大変な時、義母も大変な事が何度も重なり、唯一すぐにかけつけられる家族である配偶者は大変な思いを何度もしました。
病院から「もうアカンかもしれないから」と二人で夜中救急にかけつけた時です。
管を沢山つけて意識も半分なく息苦しそうにしている義母に「義母さん頑張って」と声をかけたものの、義母の苦しみを思うと頑張ったほうがいいのかどうか、私自身もわかりませんでした。
その時は、3か月程の入院で奇跡的に回復しました。
その後施設を替わり、本人もですが家族にも、とてもよくしていただきました。
病院の定期健診には配偶者の替わりに私が付いていきました。
「新たに何の問題はない。よく食べて、来年また来てください」と言われました。
その1週間後くらいに突然逝ってしまいました。
最期の時、哀しみはありましたが「義母さん、良かったね」という言葉しか出ませんでした。
ようやく彦星様のような義父が迎えに来てくれたのだと思いました。
七夕飾りを見ると、義父母を偲び、寂しくなります。
でも悲しくはないです。
遺影に向かって「義母さん、良かったね」と笑顔で言えます。
昨年、七夕の夜中電話がかかり、嵐のような大雨の中、二人で右往左往しながら初めて行く病院へ車を飛ばしたのがついこの間のように思います。
義父が亡くなってからは「はよ迎えにきて」と言いながらお薬を飲んでいた義母に対し、「(義父が)来て欲しくないんや」「まだ(この世に)居れという事やね」「寿命やから」とか言って励まして(?)いました。
随分と足も弱り、認知もすすみ、施設からはあまり良い待遇を受けてなかったような感じもしていました。
コロナが大変な時、義母も大変な事が何度も重なり、唯一すぐにかけつけられる家族である配偶者は大変な思いを何度もしました。
病院から「もうアカンかもしれないから」と二人で夜中救急にかけつけた時です。
管を沢山つけて意識も半分なく息苦しそうにしている義母に「義母さん頑張って」と声をかけたものの、義母の苦しみを思うと頑張ったほうがいいのかどうか、私自身もわかりませんでした。
その時は、3か月程の入院で奇跡的に回復しました。
その後施設を替わり、本人もですが家族にも、とてもよくしていただきました。
病院の定期健診には配偶者の替わりに私が付いていきました。
「新たに何の問題はない。よく食べて、来年また来てください」と言われました。
その1週間後くらいに突然逝ってしまいました。
最期の時、哀しみはありましたが「義母さん、良かったね」という言葉しか出ませんでした。
ようやく彦星様のような義父が迎えに来てくれたのだと思いました。
七夕飾りを見ると、義父母を偲び、寂しくなります。
でも悲しくはないです。
遺影に向かって「義母さん、良かったね」と笑顔で言えます。
七夕は実母の命日です。
亡くなって2年になります。
一人暮らしの父のお世話もあり、あっという間で実感がありません。
88才の父親は認知機能も低下気味ですが、
無理せずにできる限りの事はしてあげたいと思っています。
父とたくさんの事を思い出して語ろうと思っています。
お互いにまだまだ元気でいましょう!
高齢者の一人暮らしは心配がつきませんね。
出来るだけ一人の時間を減らすよう、いろんな人の力を借りて乗り切りましょう。
そして、お互い元気で親を見守りましょう(^^)