もうこんな歳(どんな歳?)

30代半ばで化学物質過敏症を自覚。以来、過敏症の症状はありつつも、病院には行かず、普通に生活できています。

激痛の中で

2011-11-02 08:31:14 | 美容・健康
歯の神経を抜いたのですが、抜ききれなくて、歯を溶かす薬を使い、その残骸の掃除をしてきました。

その際に麻酔をしたのですが、その麻酔が切れた時に、えもいわれぬ激痛に襲われました。

痛みどめの薬を飲んでも、効果が現れるのに1時間くらいかかります。

痛みが全身にまわり、どうやっても痛い中、「死」の時が頭をよぎりました(大げさな)



最初に思い出したのが義父の事でした。

末期のガンとうすうす感じつつ、病院にもいかず、これで最期と感じてから病院に行きました。

芯の強いダンディーな義父で、乱れた所など嫁にはひとつも見せた事はありませんでした。

その義父が死ぬ間際には点滴を引き抜いたなど、どれ程苦しかったのだろうと思ったら、自分の痛みと合わさり、涙がポロポロ流れてきました。



その次に自分の父が浮かびました。

手術中に麻酔したまま逝った父は、苦しむ時間が少なくて良かったのかなとか。
(いきなり残された家族の悲しみは言うべくもありませんが)



次に思い出したのは自分が分娩台にいた時。

14時間の陣痛の痛みに耐えた事もあったなぁ~その時の痛みはもう覚えていないけれど。

出産に立ち会うハズで私のそばについていた主人は大変なお産だからと医師から分娩室からの退席を求められました。

帝王切開になるかどうかの瀬戸際で、自分は死んでもこの子だけは無事に生まれてくれと強く強く強く願った瞬間体が軽くなりました。

私も大変な状態だったようですが、顔に青あざを作り、生まれてからしばらくは産声も出ないくらいの状態まで私と一緒に戦ってくれた子供に生きる力を感じました。


そんな13年~26年前の事が頭の中に大きく映像化されその時のシーンが映画を見ているように思いだされていると、痛みも徐々に収まってきました。



神経を抜いたおかげか、かなりこっていた肩もずいぶん楽になりました。

義父も父もまた遠くへ行ってしまったような感じがします。
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