もうこんな歳(どんな歳?)

30代半ばで化学物質過敏症を自覚。以来、過敏症の症状はありつつも、病院には行かず、普通に生活できています。

父と義父の戦争体験

2018-08-15 11:26:59 | 日記
戦争中、父は家の事情で中学校に行けなかった事から、満州へ渡り、仕事をしながら勉強をしていました。

戦局が悪くなると、ロシア軍が攻めてくるという噂で、みんなで一斉に日本に戻ってきたそうです。

一番に女子が連れ去られるらしいという事で、女子はみんな髪を切り、男の恰好をし、顔に炭を塗り、男達が守るようにして、父達のグループは難を逃れて日本に戻れたそうです。

一旦、日本に帰ってきた父は、戦争に志願し、通信隊として戦地に行く事が決まり赤紙が届いた所で終戦を迎えたそうです。

父から聞いた戦争の話は恨みつらみばかりでした。



義父も家の事情で中学校に行けなかった事から、職業軍人となりました。

戦争中は、いろいろな戦地に赴いていたようです。

嫁の私が聞いた話です(うろ覚えですが)。

戦地で、上の部隊に一人乗りの潜水艦に乗って戦局を報告に行かなければいけなくなりました。
潜水艦に乗った所で、無事に上の部隊に行ける可能性も少なく、また敵に見つかり攻撃を受ける可能性もある事から危険です。

それで、一番若い義父が選ばれました。

死を覚悟して潜水艦に乗り、何とか元の部隊に戻った所、自分のいた部隊は全滅していて、義父一人が助かったという事があったそうです。


熱帯の森林を1カ月程、さまよった事もあったそうです。

軍服はボロボロとなり、食べれる物は何でも食べたそうです。

亡くなる直前には、その時の事を良く話していました。

あの時の事を思えば、どんな事でも辛抱できると。。


お盆に帰省すると、義父は、いつもテレビの戦争特集を見ていて、「そんなもんじゃない」「そんなきれいごとじゃない」とつぶやいていました。

お盆になると、テレビを見ていた義父の姿を思い出します。


父も義父も無事に日本に帰ってこれましたが、異国の地で亡くなった沢山の方がいます。


父と義父が経験した不幸な事を、子供達にさせたくないです。


NO WAR
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今日無事

2018-08-15 10:46:46 | 化学物質に過敏な事
先日、高野山で柔軟剤・除菌剤の成分を沢山食らい、下る頃からずっと「目痛い」「眠い」の連発で、親戚のお家に行っても、眠くて仕方なく、車の中では助手席でずっと寝ていました(配偶者ゴメン)

帰ってきてからも、眠くて眠くて、夕食食べて寝て、お風呂入って寝て、翌朝も用事を済ませてストレッチしようと思って座ったらそのまま寝てて、起きて用事したらまた倒れこむように寝て、夜も寝てと、体が重くグダグダが続いていました。

昨日、施術していただいたおかげか、今朝はスッキリ。

調子が良いので、このまま、あれもしたい、これもしたいと考えましたが、調子に乗ってしまってまたしんどくなったりしますので、今日は、あまり体を動かさないで出来る事をしようと思います。

なんぎやわぁ~~~~

コメント (2)
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