さてういき:ヘンドリック・ローレンツ: https://archive.md/4jRUo :の記述では前のページに記述された年代とずれが生じています。
で、今度はこのういきベースで再度まとめてみます。
『1895年、マイケルソン・モーリーの実験結果を説明しようとしてローレンツは、移動する物体が移動する方向に沿って収縮するという仮説を提案した(ジョージ・フィッツジェラルドも同じ解釈に到達していた。そのためこの長さの収縮をフィッツジェラルド-ローレンツ収縮とも呼ぶ)。
ローレンツは、相対的に移動する基準座標系間の電磁現象(光の伝播)を説明しようとした。
彼はある基準座標系から別の基準座標系への変換を新たな時間変数「局所時間」を導入することで単純化できることを発見した。局所時間は対応する基準座標系の位置と絶対時間に依存する。ローレンツは、物理的関連性の詳細な解釈を与えずに局所時間を使い、これを発表した(1895年と1899年)。
1900年、アンリ・ポアンカレはローレンツの局所時間を「素晴らしい発明」だとし、複数の移動する座標系にある時計が互いに時間合わせするのに光の信号を交換するという例を挙げ、どの座標系から見ても光の速度は同じだと仮定した。』
ここでは「1895年がローレンツ短縮の発表の年である」とされています。(注1)
と同時にその年にすでに新たな時間変数「局所時間」のアイデアを提示していた、とされています。
その1895年の発表からさらに思考を深めたのが1899年の発表でしょう。
注1:前のページでは1892年:ローレンツ短縮を発表:となっていました。
ちなみにMMの干渉計の実験結果をエーテルの仮説と矛盾なく説明するだけならばこの「ローレンツ短縮仮説だけで十分」でした。
そのあたりの経緯については以下の記事を参照ねがいます。
あるいは次のような チャットGPTとの会話もあります。(追記参照)
で、「何を言いたいのか」といいますれば「ローレンツは、相対的に移動する基準座標系間の電磁現象(光の伝播)を説明しようとした。」のです。
これはコトバを変えますれば「マクスウェルの方程式を不変に保つことができる座標変換をさがしていた」という事になります。
そうして到達した結論が『彼はある基準座標系から別の基準座標系への変換を新たな時間変数「局所時間」を導入することで単純化できることを発見した。』のでした。
これがローレンツ変換と呼ばれるものが最初に姿を表した状況です。
そうしてローレンツ変換のキーポイントは「局所時間の導入」であってこれをポアンカレは「素晴らしい発明だ」と称賛したのでした。(1900年)
なんとなればそれまでの物理の歴史の中で「慣性系が変わると時間が変化しても良い」という事を始めて指摘したのがこの「局所時間の導入」であったからですね。
それまでは「どの慣性系に於いても時間は同じように流れる」という「宇宙に唯一存在する時間の流れ」が物理現象を記述するうえでの前提・常識でした。
じっさいにニュートン力学はそのようにして出来ています。
しかしその縛りを最初にほどいたのがローレンツだったのです。
さてそのような「天才的なひらめきを示したローレンツ」でしたが「エーテル概念」からは離れることはありませんでした。
これは今から顧みれば「電磁気学の専門家であったローレンツ」が「その専門性のゆえに超える事が出来なかった壁であった」という事が出来ます。
そのあたりの事は「ローレンツとアインシュタインの違い」: https://archive.md/SL1c0 :にて次のように紹介されています。↓↓↓
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アブラハム・パイスは、次のようにローレンツを紹介している。
『私がローレンツを理解しているところでは、彼は理論物理学における指導者であり、特殊相対性理論のあらゆる物理的、数学的面を完全に把握していたが、それにもかかわらず、最愛の古典的過去にすっかり別れを告げることができたわけではなかった。この態度は自我の葛藤とは何も関係がない。そういうものは彼にとっては異質のものであった。
アインシュタインとポアンカレは常に彼を賞賛し、ローレンツは常に返礼した。そしてまた彼はどこで誤ったかをはっきりさせるのをためらわなかった。
「[特殊相対論の発見にあたって]私の失敗の主な原因は、変数 t だけが真の時間と考えうる量で、私の局所時間 t’は補助的数学量にすぎないとみなさねばならないという考えに、私が執着したことであった」と彼はコロンビア講義の第2版の付記に書いた。』(注2)
「[特殊相対論の発見にあたって]私の失敗の主な原因は、変数 t だけが真の時間と考えうる量で、私の局所時間 t’は補助的数学量にすぎないとみなさねばならないという考えに、私が執着したことであった」。感動的な自己評価だと思う。
これに、アインシュタインの自己評価を対置してみよう。「ローレンツによって導入され、“局所時間”と命名された補助的量が、純粋で単純な“時間”としてはっきり規定される、という洞察が必要なことのすべてであった」。やはり感動的である。
ローレンツとアインシュタイン。二人の違いは、ケプラーとニュートンの違いに対応すると思う。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑↑↑ここまで引用
注2:ローレンツは「局所時間 t’は補助的数学量にすぎない」と見なしていましたがポアンカレは「局所時間には物理的な実体がある」と認識していた模様です。
といいますのも「離れた場所にある2つの時計を同期させるには光を使うしかない」という事に気が付いており、その結果として「局所時間が現れる」という事を理解していました。
ちなみに「補助的数学量にすぎない」という表現はまた「アインシュタインの提唱している静止系の概念」にもそのまま当てはまります。
つまりは「アインシュタインにとっては静止系は物理的な存在ではなく、単なる補助的数学量にすぎない」という事ができます。
それに対して当方の主張している静止系は「物理的な存在」=「物理的な実在」なのであります。
さてアインシュタインは「“局所時間”と命名された補助的量はバーチャルなものではなくてリアルなものである」と見ぬきました。
そのアインシュタインが「静止系というのはバーチャルなものである」と宣言していますが、さてこの宣言は当たっているでしょうか?
もし「アインシュタインの認識は今回はハズレだ」という事になるとそれは少々皮肉な結果と言う事になります。
なんとなればローレンツは静止系に対して「それは物理的な実在である」という立場をとっていたからであります。
追記:「座標変換に「ローレンツ収縮」を導入するだけなら変換後のx座標=変換前のx座標の値にsqrt(1-V^2/C^2)という因子を掛ける、という形の座標変換式を提示するだけでよかったはず。しかしローレンツが提案した座標変換式(ローレンツ変換)はそうなっていないのは何故?」
回答:チャットGPTo曰く
『ローレンツが提案した座標変換式が単に x 座標に収縮因子を掛ける形ではなかった理由は、物理法則(特にマクスウェル方程式)が異なる慣性系でも同じ形を保つようにするためです。単に空間座標に収縮因子を掛けるだけでは、時間座標も含めた4次元時空全体の変換を正しく扱うことができず、これではマクスウェル方程式を保つことができません。
背景
ローレンツは、エーテル理論を仮定して物理法則を考えました。しかし、マイケルソン・モーリーの実験結果は、エーテルの存在を示さず、ローレンツはこれを説明するためにローレンツ収縮を導入しました。最初は、運動する物体の長さが運動方向に収縮することで光速度一定を説明しようとしましたが、これだけでは不十分であることが明らかになりました。
ローレンツ変換の完全な形式
ローレンツ変換の完全な形式は、空間座標だけでなく時間座標も含めた4次元時空の変換です。この変換は次のように表されます:
・ローレンツ変換
ローレンツ変換は、2つの慣性系 S とS ′ 間の座標変換を次のように定義します:
x ′ =γ(x−vt)
t ′ =γ(t−vx/c^2 )
y ′ =y
z ′ =z
ここで、v は S と S ′ の相対速度
c は光速、γはローレンツ因子 1/sqrt(1-v^2/c^2)
なぜ時間座標も変換されるのか
ローレンツ変換が時間座標を含む理由は次の通りです:
1、同時性の相対性:
異なる慣性系における出来事の同時性が相対的であるため、時間も空間と同じように変換する必要があります。同時性の概念が慣性系によって異なることは、空間と時間の結びつきを示しています。
2、マクスウェル方程式の不変性:
マクスウェル方程式が異なる慣性系でも同じ形を保つためには、時間と空間が一緒に変換されなければなりません。単に空間座標だけを収縮させるのでは、時間に関する方程式の形が変わってしまい、マクスウェル方程式の不変性を保つことができません。
3、光速度一定の原理:
光速度がすべての慣性系で一定であることを保つためには、空間と時間の両方を含む変換が必要です。ローレンツ変換は、光速一定の原理をすべての慣性系で成立させるための変換です。
まとめ
ローレンツ変換は、単に空間座標に収縮因子を掛けるだけでは不十分です。時間座標も含めた4次元時空全体の変換を行うことで、物理法則(特にマクスウェル方程式)が異なる慣性系でも同じ形を保つことができます。このようにして、ローレンツ変換は光速度一定の原理をすべての慣性系で維持し、同時に同時性の相対性を考慮に入れた完全な変換式となっています。』
さて再び上記のういき:ヘンドリック・ローレンツ: https://archive.md/4jRUo :から続きを引用します。
『1899年および1904年の論文 "Electromagnetic phenomena in a system moving with any velocity smaller than that of light"(光速未満の速度で運動する系における電磁現象)でローレンツはその変換に「時間の遅れ」を導入し、1905年にポアンカレがこれをローレンツ変換と名付けた。
ローレンツの1904年の論文は電気力学の共変的定式化を含み、うまく定義された変換特性によって異なる基準座標系における電気力学現象を1つの方程式群で記述している。
この論文は電気力学の実験結果が基準座標系の動きに依存しないということを示している。
また、1904年の論文では、光速に近い速度で移動する物体の慣性質量が増加するという点についても詳細に論じている。
1905年、アインシュタインはそれらの概念や数学的手法やローレンツの考察を利用し、"Elektrodynamik"(電気力学)と題した論文を書き、これが後に特殊相対性理論と呼ばれるようになった。アインシュタインの成果はローレンツの成果に基づいているため、もともとは「ローレンツ-アインシュタイン理論」と呼ばれていた。』
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