特殊相対論、ホーキング放射、ダークマター、ブラックホールなど

・時間について特殊相対論からの考察
・プランクスケールの原始ブラックホールがダークマターの正体であるという主張
 

閑話休題・横ドップラーシフトの静止系は誰が決めるのか?

2023-09-15 02:04:01 | 日記

ういき:ドップラー効果: https://archive.md/MNLxG :の「光のドップラー効果」章によれば、

『ν’=ν*sqrt(1-V^2)/(1-V*Cos(Θ))

ここで、ν’:観測者が観測する振動数、ν  : 光源の出す光の振動数、V: 観測者から見た光源の速さ、但しここでは 光速を1とする単位系を採用、Θ  : 観測者から見た光源の動く方向(Θ  =0 :観測者に向かってくる場合)

重要なのは、光の場合には光源が観測者の視線方向に対して垂直に運動しており、視線方向の速度を持っていない場合(Θ  =90°)でも光の振動数が変化して見えることである。これを横ドップラー効果という。』

ここでΘ  =90°とすると諸式はCos(Θ)=0より

ν’=ν*sqrt(1-V^2)/(1-V*Cos(Θ))

=ν*sqrt(1-V^2)/(1-V*0)

=ν*sqrt(1-V^2)

となる。

 

さてここまでは何時もの話です。

そうしてこの式の導出の前提は「観測者が静止していて光源が動いている場合」というものです。

それはつまり「観測者は常に静止系にある」と前提している事になります。(注1)

そうしてこの式によれば「横ドップラー効果を測定すると常に赤方偏移が観測される」となります。

何故かと言えば「静止している観測者の時間に対して動いている光源の時間は常に遅れるから」であります。

そのために「観測者は常に赤方偏移を観測する」と主張しているのです。

さてそれで、ここで小話を一つ。

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”私”の部下である観測者Aがある時、横ドップラー効果を測定した。

そうしてその結果「ういきの式が示す通りの結果が得られた」と報告をしてきた。

そこで”私”は測定のやり直しを指示した。

なんとなれば「”私”と観測者Aは異なる慣性系に暮らしている」。

それでもちろん「上司である”私”こそが静止系である慣性系に住んでいる」のである。

そうして”私の部下”である観測者Aは大抵、私の暮らす慣性系の周りを相対速度V=0.5Cぐらいで時々方向を変えては飛び回っている。

そうであれば「静止系ではない観測者Aが暮らす慣性系で横ドップラーシフトを測定しても、ういきの式が示す通りの結果が得られるはずはない」のである。

従って”私”が「観測者Aが例によって実験をミスった」と判断した事は妥当である。

さてそれで「何故”私”の暮らす慣性系が静止系であると言えるのか」といえばもちろん「上司である”私”の方が部下である観測者Aよりも偉いから」である。

つまりは「上司権限によって静止系は”私が暮らす慣性系である”と決めた」のである。

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アインシュタイン、あるいはミンコフスキーによれば「すべての慣性系に立つ観測者は自分が立っている慣性系を静止系としてよい」という事になっています。

したがって「自分に対して相対速度Vを持つ相手の慣性系の時間はsqrt(1-V^2)の割合で常に遅れる」とされています。

それでこれが「時間の遅れはお互い様」論者が主張する根拠となっています。

 

そうであれば上記小話の観測者Aは「時間の遅れはお互い様」論に従って「自分の慣性系を静止系と見なし、それに対して運動している光源の時間は遅れる、したがって横ドップラーシフトを観測すればういきの式が示す結果が得られると予想し、実際、そのような観測結果を得た」のでした。

しかしながらその上司である”私”は「自分の住んでいる慣性系こそが優先されるべき静止系である」と信じており「自分以外の慣性系は静止系ではない」と主観的に判断しています。

そうではありますがその様な「上司の主観的な判断」に「横ドップラーシフトの測定結果が左右される事はなく」従って2回目の測定でも初回の測定と同じ結果が得られるのです。

さてでは何故、観測者Aの主観的な判断はその上司である”私の主観的な判断”よりも優先しているのでしょうか?

「観測という仕事」はその上司である”私の主観”を否定出来るほどの「権限がある仕事」なのでしょうか?

 

さてここでこの上司である”私”の主張は理不尽ではありましたが唯一見るべきは「この近傍エリアでは静止系となっている慣性系は一つしかない」という主張を含んでいる所にあります。

つまりは「横ドップラーの観測によってういきの式通りの結果が得られた」のであれば「観測者Aが暮らす慣性系が静止系である」という事になり、従って「”私”が暮らす慣性系は静止系ではない」という事になるのです。

 

他方で「時間のおくれはお互い様」論者の主張が正しければ「”私”が暮らす慣性系で横ドップラーシフトを測定してもういきの式が示す通りの結果が得られる」という事になります。

なんとなれば「時間のおくれはお互い様」論によれば「すべての慣性系に立つ観測者は自分が立っている慣性系を静止系としてよい」という事になっているからです。

さてもしそのように「”私”が暮らす慣性系で横ドップラーシフトを測定してもういきの式が示す通りの結果が得られた」とすると、ここで重大なパラドックスが発生します。

それはつまり「時間のおくれはお互い様」論者の主張が正しい、という事になりそれはつまり「すべての慣性系に立つ観測者は自分が立っている慣性系を静止系としてよい」が成立している、という事になるからです。

 

「ん、それのどこが問題か?」ですって。

最初に観測者Aが自分の慣性系で動いている光源の横ドップラーを測定し、それが赤方偏移している事を確認しました。

しかしながらこの時に「動いている光源」は「その速度で動いている慣性系を代表している」のです。

つまりは「動いている光源も一つの、観測者Aの慣性系とは独立の別の慣性系」なのです。

そうしてその「動いている光源も一つの慣性系」であれば「その慣性系は静止系である」となります。

何となれば「すべての慣性系に立つ観測者は自分が立っている慣性系を静止系としてよい」が成立しているからです。(動いている光源の横に立っている観測者にとっては、自分が立っている慣性系を静止系にしてよいのでした。時間の遅れはお互い様論はそういいます。)

従って「静止系にある光源の時間が遅れるハズはなくそうであれば赤方偏移は観測されない」という事になります。

 

さあそうなりますと「観測者Aがういきの式通りの観測結果を得た」ということは、「時間のおくれはお互い様」が成立していない、という事を表している事になります。

加えてその結果は「静止系は唯一の存在」であって「全ての慣性系が静止系となれるのではない」という事も示しています。

さらには「その静止系は観測者、あるいは”私”の主観的判断=自分が立っている慣性系こそが静止系である」とは無関係に独立して存在している、つまりは「静止系は客観的な存在である」という事もしめしています。

 

さて結論です。

横ドップラーシフトの静止系は誰が決めるのか?

それは人間の主観的判断が決めるのではありません。

宇宙それ自体がすでに決めているのです。

 

いや「観測者Aの主観的な判断で静止系を決めて実験したらういきの式通りの結果が得られた」のだろう?

そうであれば「観測者Aの主観的な判断が静止系を決めたのではないのか?」という声が聞こえます。

いえいえそうではありません。

静止系はすでにきまっていて、そこに存在していた。

それで横ドップラーシフトの測定の時にたまたま「観測者Aが立っていた慣性系の、静止系に対する相対速度が観測者Aが行った横ドップラーシフトの測定精度と比較して十分に小さかった」に過ぎないのです。

そのために「横ドップラー測定の測定精度範囲内で観測者Aが暮らす慣性系が静止系と見なせる」という実験結果が得られたという訳です。(注2)

 

注1:ういきの表現方法では「V: 観測者から見た光源の速さ」となっていてあたかも「観測者は静止系にある」という条件は無いように書いていますが、これは読者をミスリードするものです。

それは式の導出の前提となっている条件「観測者が静止していて、光源が動いている」を明示していないからです。

そうして実際はこのういきの式は「観測者が静止系ある場合にしか使えない式」なのです。

注2:横ドップラーシフトがういきの式の通りに観測された、という事が「特殊相対論がいう、時間の遅れの証明になっている」という主張は良く聞きます。

そうして歴史的な経緯もそうなっています。

しかしながらこの時に見落とされてきたのはもう一つの事実、それは「横ドップラーシフトの測定の精度範囲内では、地球は静止系と見なせる」という内容です。

なぜならば「実験室系で測定した光源の相対速度Vで観測データがういきの式の通りに説明出来る為には、実験室系=地球が静止系である事が必要であるから」です。

こうして「横ドップラーシフトの測定がういきの式の予測通りであった」という事は、同時にこの2つの事実、「特殊相対論の時間遅れは成立している」と「地球は(宇宙の中を動いているにもかかわらず)ほぼ静止系と見なせる」を証明している事になるのです。(追記の2)

 

追記:以上の話は「W横ドップラーテストを待たずに、単なる横ドップラーシフトで赤方偏移が確認された」という事実だけで「時間の遅れはお互い様」は否定され、「静止系は客観的な存在である」が立証されている事を示しています。

なんとなれば「赤方偏移が確認された」その時に同時に「移動している光源の横に立つ観測者」にとっては「光源の時間は遅れておらず」、「受光側観測者の時計が遅れている事を見出す」と主張するのが「時間の遅れはお互い様論者の主張であるから」です。

それでもしその主張が成立しているならば「赤方偏移は観測されず青方偏移が観測される事になる」のです。

しかしながら「実際は赤方偏移が観測された」のですから事実は「動いている光源の横に立つ観測者は受光側観測者の時計が光源側の時計よりも早く動いているのを見出す」のです。

というのも「動いている光源側の観測者が見たら、受光側で測定された赤方偏移のデータがその瞬間に青方偏移を示すデータに変わる」などという事は起こらないからです。

つまりは「動いているのはお前の方だ」という「相対論での何時ものクレームは横ドップラーシフトには通用しない」という事です。

そうしてそういう事をドップラーシフトの一般解は教えているのです。

さてそうなりますと「ドップラーシフトはローレンツ不変である」という事になります。

 

追記の2:「 Ives と Stilwellの実験方法によらない横方向ドップラー効果の直接測定」

「相対論的ドップラー効果」 : https://en.wikipedia.org/wiki/Relativistic_Doppler_effect :の「横方向ドップラー効果の直接測定」にまとめられています。

以下、そこからの引用となります。

『横方向ドップラー効果の直接測定
粒子加速器技術の出現により、アイブスとスティルウェルが利用できたものよりもかなり高いエネルギーの粒子ビームの生成が可能になりました。これにより、アインシュタインが最初に想定した方法に沿って、つまり粒子ビームを 90° の角度で直接観察することによって、横ドップラー効果のテストを設計することが可能になりました。

たとえば、ハッセルカンプら。(1979) は、 2.53×10^8  cm/s から 9.28×10^8 cm/sの範囲の速度で移動する水素原子によって放出されるH α 線を観察 し、相対論的近似における 2 次項の係数が 0.52±0.03 であることを発見しました。 理論値 1/2 と見事に一致しています。[10ページ]』

 

PS:相対論・ダークマターの事など 記事一覧

https://archive.md/vObrs