特殊相対論、ホーキング放射、ダークマター、ブラックホールなど

・時間について特殊相対論からの考察
・プランクスケールの原始ブラックホールがダークマターの正体であるという主張
 

その3・ ミンコフスキー パラドックス

2022-12-05 22:36:17 | 日記
以下「ミンコフスキーの4次元世界」 : https://archive.ph/Cvvyf :を参照します。

それで同上資料の「(7)時計の遅れ」第37図から始めます。それで第37図によってミンコフスキーさんは「相対運動している慣性系同士はお互いに相手の時計が遅れている事を確認する」と説明しています。



さてそれでミンコフスキーさん、点Dにいる観測者はどうやって点Bにある時計の時刻を知る事が出来るのですか?

図から分かりますようにK’系はほぼ光速の半分でK系から離れていき、あなたが言われる「K’系での単位時間、1秒を少し超えた時」には少なくとも30万km割る2=15万km程K系の原点にある時計からは点Dは離れた所にいます。

それであたなたは「K’系での単位時間、1秒を少し超えた時」に15万km程離れた所にあるK系の時計の時刻が点Dにいる観測者に分かる、と言われるのですね。

さてそれはまたどうやって「点Dにいる観測者はその時のK系の原点にある時計(=点Bにある時計)の時刻を知る事ができる」のですか?



方法その1・超光速タキオン通信を使う=点Bから時刻情報を点Dに向かって発信する。直線BDの傾きからすると、ほぼ光速の2倍程度のタキオンを使えばよい。

方法その2・超自然的な力によって点Bにある時計の時刻を読み取る=点Dにいる観測者は超能力者

方法その3・ワープ航法が出来るタイムマシンをつかって時計のある場所(=点B)に瞬時に移動する=点Dにいる観測者はワープ装置をそなえたタイムマシンを所持



方法その1は相対論を論じる方にとっては認める事が困難なものでしょう。

方法その2は「神秘主義者」であれば同意するでしょうが、相対論を論じる者に同意を求めるのは困難でしょう。

方法その3はいまだに実現可能な理論ですら姿がなく、ワープ装置とタイムマシンはSFの世界に留まっています。



さてそれでミンコフスキーさんは「~からみて同時刻である」とさも「見る事によって知りうる」かのような表現をされていますが、「点Dにいる観測者は点Bにある時計の時刻を見る事は出来ない」のであります。

もう少し正確に言いますと「点Bでの時計の時刻の情報はそこから光速でK’系に伝わる事」しかできず、それはMN図上では点Bを通って傾き45度の直線で示される「光の伝達線=光の世界線」で表されます。(そのように考えろ、と言うのがミンコフスキーさんの教えであります。)

そうしてその直線がU’軸と交わる点は点Dよりもずっと時間が経過したところ、点Fとなります。(点Fは読者の皆さんで書き込んで下さい。)

そうであれば「点Dにいる観測者は点Bにある時計の時刻を見る事は出来ない」のです。



従いましてミンコフスキーさんは点Fで知りえた点Bの時計の情報から点Dと点Bのどちらの時計がどれだけ遅れていたのか、あるいは進んでいたのかを算出する事が必要になるのです。

そうして残念な事には「(7)時計の遅れ」第37図について展開されている時間遅れの説明・計算はそのようにはなってはいない様です。



ミンコフスキーさんは数学者でした。(注1)

したがって数学の世界の中でとらえた特殊相対論の姿、あるいは特殊相対論の宇宙としては「(7)時計の遅れ」第37図について展開されている時間遅れの説明・計算で良かったのかもしれません。

いや、たぶんそれで良いのでしょうね、数学としては。



しかしながら特殊相対論は現実の宇宙を記述するものでありますから「時間遅れがある」というならば「観測によって確認される事が必要」であります。

そうして残念ながら点Dにいる観測者についてのミンコフスキーさんの説明に従った時間遅れの現象を確認する為の実験は・観測は実現不可能である、という事は上記で示した通りであります。

ちなみにアインシュタインは物理学者でありましたから「時間遅れ」については今では横ドップラー効果として知られている現象について指摘し「それを観測すれば時間遅れが検証できる」と表明したのでした。(注2)



さてそういうわけで「異なる慣性系にある2つの時計についてその時刻を比較するならば比較対象の2つの時計の間の空間距離は15万kmではなくてゼロでなくてはならない」という事になるのでした。



注1:ヘルマン・ミンコフスキー : https://archive.ph/Fc8y0 

注2:横ドップラー効果 : https://archive.ph/MNLxG

『重要なのは、光の場合には光源が観測者の視線方向に対して垂直に運動しており、視線方向の速度を持っていない場合(cos Θで Θ=90°)でも光の振動数が変化して見えることである。これを横ドップラー効果という。』

アインシュタインは横ドップラーが起きるのは運動による時間の遅れが移動している光源に発生しているからである、としている。



追伸
上記の状況を今度は点Bにいる観測者から考察してみます。

そうしますと、点DはU座標軸でみますと点Bに対して「未来」にあたる所にあります。

そうしてそこから「過去にある点Bに向かって点DからK’系から見た時の同時刻平面が伸びている事」になっています。

そうなりますと点Bの観測者は「未来から来る点Dの時刻情報を捕まえて自分の時計の時刻と比較する事が必要である」となります。

さてミンコフスキーさん、そうしますとあなたは「タイムマシンが可能である」とそう主張している事になります。

あるいは少なくとも「過去に情報を届ける事が出来る」とそう主張していますね。(注3)

しかしそのようにして未来から点Dの時刻情報が点Bの観測者に届いた、としても、その情報を持って「点BがいるK系の時間は点DがいるK’系の時間より遅れている」という主張には点Bにいる観測者は同意しないと思われます。

なんとなれば点Bにいる観測者にとっては「過去は未来よりも時刻は前にある、従って過去にある時計が未来にある時計よりも遅れているのは当然であるから」であります。



ちなみに光で点DからK系のU軸に対して情報を送る場合は点Dを通って傾きがー1(マイナス方向のX軸を45度持ち上げた角度)の直線が光の世界線になります。(これもまたミンコフスキーさんの教えですね。)

その直線とU軸が交差する点をGとしますれば、それは点Bのはるか上方、相当な未来ある、という事になります。

そうしてこの場合に無限大の速度を持つタキオン通信で点Dから時刻情報をU軸側に送った、としてもそのタキオンの世界線は点Dを通ってX軸に対して平行になる直線になるだけであり、決して点Bに到達する事はないのであります。(注3)



さてそういうわけで点Dは点Bを見る事は出来ず、点Bは点Dの時刻を知る事は出来ない、従ってどちらの時計が遅れていたのか判断できない、という事になります。

つまりは「点DがあるK’系からみた時に点BがあるK系の時間が遅れている」という主張は数学的にはいざ知らず、物理的には確認する事ができない事象である、と言えます。

つまり「その主張には物理的な意味があるの?」という事であって、もう少し言うならば、「その主張は物理的には絵に描いた餅に過ぎない」という事にでもなりますか。

と申しますのも、物理学は何と言っても、誰にとっても「観測で実証する学問」でありますから。


注3:過去に情報を送る架空の装置としてのタキオン反電話 : https://archive.ph/tUfuW
: https://en.wikipedia.org/wiki/Tachyonic_antitelephone :については
『これは、1910年にアインシュタインとアーノルドゾンマーフェルトによって「過去に電報を送る」手段として説明されました。 』とされています。

しかしこの話の原型がすでに1908年9月21日にKo¨ln(ケルン)のドイツ自然科学者医師大会で行ったミンコフスキーさんの講演「空間と時間」の中の第37図に示されていました。

それで実際のタキオン反電話の場合には第37図で示されたD’からB’へタキオンで情報を送った後でK’系をY軸としたMN図を描く事によって情報送信の主体をK系からK’系に切り替えます。

そうしておいて今度はK’系の点B’からK系のU軸に向かってタキオンで情報を送ると、情報はK系のU軸上では情報を送り出した点D’よりも過去の時点に戻る様にMN図上では描かれる事になります。

それでこの話のポイントは『話の途中でK’系をY軸としたMN図を描く事=MN図を切り替える事』にあります。

この操作を許すとタキオンによって情報は送り出した時点よりも前に戻す事が可能になります。

しかしながら現実の世界ではそのように「話の途中でMN図を切り替える事」は可能ではなく、禁止されている模様です。

そうしてこの切り替えが禁止されますと上記の説明の様に「無限に早いタキオンを使っても情報は過去には戻せない」という事になります。

そういうわけで、「因果律の破れを生じさせる原因」は「光速を超える通信を許す事にある」のではなくて「話の途中でMN図の主体=Y軸に描かれる系を切り替える事を許す」と言う所にあるのであります。

さてそれで「何故特殊相対論は話の途中でMN図の主体=Y軸に描かれる系を切り替える事を許すのか?」といいますれば「特殊相対論の前提=全ての慣性系は同等である」という主張がそれを許している、とアインシュタイン(とアーノルドゾンマーフェルト)が考えていたからであると思われます。