閑話休題、まあその程度の話ですが特殊相対論についてのいろいろな事。
素人の素直な疑問とそれに答える自称専門家(?)、大学の先生、あるいはしったかの人たち。
ネットを見ていますとこれについては本当に「素人が正しいのか、玄人が正しいのか」というテーマの設定が可能であります。
いや本当に多彩であります。
そうであれば「こんな状況でしたよねえ、あの当時」というのを記録しておくのも一興であります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
相対性理論「時間の遅れはおたがいさま」「同時」理屈:square_pants さん2014/07/19
https://archive.ph/XPLQ4 :あるいは :
https://qa.oshiete.goo.ne.jp/qa/view/8684873?page=2&sort=3
ここでの質問者の疑問は
『概要
光速に近い速度で移動してる宇宙船の中から静止している小惑星にある時計を観測した場合、
遅れて見える。
逆に静止している小惑星から移動してる宇宙船の中の時計をみると遅れて見える。
↑これが分からない理由は、 宇宙船が小惑星におりた場合、
宇宙船側は 「君の時計が遅れている」 と言い
小惑星側も 「いや君の時計の時計が遅れている」
という矛盾にならないか?という事です。』
に集約されています。
まあもちろん当方の立場と言えば「相手の時間が遅れている、と観測できる為にはこちらの時間は相手に対して進んでいる必要がある」というものですから、square_pants さんの疑問に対しては大いに賛同できるのです。
まあしかしながらその疑問に対するuen_sap さんの回答は、といえば
『これは考える問題ではありません。
古典力学は不変、不動の枠組として、空間と時間がありました。
ある時刻は全宇宙共通の時刻として、組み立てられている力学体系です。
それをアインスタインがどう測定しても光速が変わらない、と言う実結果を基準にして、組み立てた力学体系が相対論です。
ここでは、空間と時間は不動の枠組みではありません。不動なのは光速。
その結果として、時間の遅れはお互いさまとなるのです。・・・』
とバッサリ、「考える問題ではない」=「考えてはいけない」のだそうです。
さてこの回答というものは本当にご愁傷様なものでありますねえ、square_pants さんにとっては。
そうして特殊相対論についての素人、あるいは初学者の疑問とそれに答える専門家の方々の答え方の典型的な一つのパターンがここにある(=この様である)と見る事ができます。
ちなみに「考えてはいけない」というのでは「それは教義」であります
それでは物理学は宗教と同レベルのものになってしまいます。
そうして少なくとも当方の物理学では「考えてはいけないもの」という事は存在してはいません。(注1)
注1:当然、「物理学の対象となる物理現象に対しては」という前提条件がつきます。
そうしてまた「考えても答えが見つかる保証はない」という事も認めております。
しかしながら「考えてはいけない」という事柄は認めておりません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
追伸
特殊相対性理論入門
立川 崇之
公開用 第 1 版
2012.8
http://www2.yukawa.kyoto-u.ac.jp/~tatekawa.takayuki/Note/SRelativity-v1.pdf
の
3.7 特殊相対性理論のパラドックス
3.7.1 時計のパラドックス
によれば
『・・・確かにロケットに積まれた時計は,ロケットの外に置かれた時計よりも進み方が遅くなる.ところが相対性原理を考えると,特別な慣性系は存在しないはずである.
つまり,ロケットの乗っている人から見たら,外に置かれた時計の方が速く動いているという事になり,ロケットの外に置かれた時計の方が進みが遅いのではないだろうかという訳である.
この問題は 時計のパラドックス と呼ばれている.果たしてどちらが正しいのだろうか.・・・』
と問題設定され、検討が続きます。
そうしてその結果は
『結論をいうと,「ロケットの外にいる人,ロケットの中にいる人のどちらからでも相手の時計を見ると,進み方が遅くなっている.」という訳である.』
と宣言されています。
さて、この立川さんの結論は本当に正しいのでしょうか?
ちなみにこの立川宣言を確認できる実験結果は今のところは報告されていません。
ーーーーーーーーーーーーーーー
追伸の2
ランダウ、リフシッツ著「場の古典論(増訂新版)」東京図書(1964年刊)1章§3“固有時間”(p9~11): https://archive.ph/I9Y0Z#01-003 :あるいは:http://fnorio.com/0160special_theory_of_relativity/Landau_Lifshitz_classical_field_1-7/Landau_Lifshitz_classical_field_1-7.html#01-003
の
§3 固有時間
での議論
「K系とK'系が相対運動している時には、お互いが相手の時計が遅れている事を確認する」と書かれてあります。
さてあのランダウとリフシッツさえもその様に言うとは!
ま、もっともおおもとのアインシュタインがそう言っている模様ですから、無理もありませんか。
しかしながらここでもこのランダウとリフシッツの宣言を確認できる実験結果は今のところは報告されていないのであります。
そうして、どう考えてみても当方には「100年以上にわたって続く物理学者たちの心理的な思い込み」それを養老孟子さんは「バカの壁」と表現しましたが「そういう心理的な罠に自分から落ち込んでいる」としか思えないのであります。
そうしてまたそれはちょうど「天から石が降ってくることなどありえない」として隕石の存在を認めなかった、かつての科学者と言われる人たちの態度と同じように見えます。
ちなみにガリレオはこういっています。
『ガリレオはその後『天文対話』という書物を書いて、1632年に出版します。
この書物は、三人の登場人物が地動説と天動説のちがいなどについて話し合う、一般の人々にも読みやすいストーリーで書かれています。
ガリレオは、登場人物の一人にこのようなセリフを語らせています。
「他の人の話を一方的に信じてしまって、なぜ君は自分で観察しなかったのですか?
なぜ自分自身の目で見なかったのですか?」
ガリレオは、この書物を通して、自分の眼でものを見て、自分の頭で考えることが一番大切であることを、人々に伝えたかったのでしょう。
たとえ、どんなに立派な望遠鏡があっても、真実を知ろうとする心がなかったら、それはただのレンズと筒の組み合わせにすぎないのですから。(注1)』
↑ : https://archive.ph/N4yZ6 :あるいは :
https://global.canon/ja/technology/kids/history/03_galileo_galilei.html
注1:立派な望遠鏡が目の前にあっても、それを使って宇宙をみないのであれば、その望遠鏡は単に『ただのレンズと筒の組み合わせにすぎない』=見栄えの良い置物=インエリアに過ぎない、と言うのがガリレオの意見ですね。
PS:相対論の事など 記事一覧