花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

知って下さい天河神社。行って見ようよ天川村へ。8 再掲載

2019年03月22日 18時44分00秒 | 美しき水の国

こんにちは。エメラルドグリーンに輝く天川村の天ノ川です。ちょうど撮影しているとき,野生の鹿と出会いました。

天川村と天河大弁財天社「通称:天河神社」をテーマにした記事も今日で「その8」になりましたので,末広がりと云う意味でも今日で結びにしたいと思います(笑)。そして,その1からその7まで長々とダラダラと書いてしまったのでその内容を少しだけ整理しながら今日も書かせて戴きたいと思っております。インターネットなどで天河神社を検索するとさまざまな情報を入手できますが,難しいことはさて置き天川村一帯と天河神社は古神道の神域中の神域であると云うことです。参拝すれば何か良いことがあると云った次元ではありません。私はむしろそう云った所謂,願掛け信仰では参拝されない方が良いのではないかとさえ感じています。

南朝の天皇家が吉野を本拠地とした理由もここに在るのかも知れません。

そして,役行者さんや空海さん,日蓮さんの最大の修行の場となったのも解かるような気がします。

大自然や自然のエネルギーが強いところほど本来,易々と人間が立ち入って良い場所とは限らないのです。このブログでもこれまで書かせて戴いて来た御神体への入山にしてもそうです。その証拠に天川村一帯からは平安時代以前の遺跡物が見つからないと言われている所以なのです。流行りのスピ云々,霊能云々と云った御一行での興味本位の参拝はくれぐれもご注意された方がご自身の身の為です。さわらぬ神に何とやらと云う言葉もありますから。願いを掛けるという「願掛け」の言葉を一旦,ぜんぶ「ひらがな」にして,ご自身で別の漢字を当て嵌めて見て下さい。漢字を当て嵌めると本来の言葉の意味とは全く違うものとなることもあるのです。

それでは,その1からその7までの記事を整理しながら書かせて戴きます。

その1では,奈良県吉野郡に天川村と云う自然に恵まれ,水の聖地があると云うことを書かせて戴き,その水の聖地には太古から水の神さまをお祀りしている天河大弁財天社「通称:天河神社」と言う古神道系の神社が今も御鎮座されていることをご紹介させて頂きました。又,たくさんの芸能人や芸能関係者,企業経営者の参拝者も多く,神社を運営する為に必要な資金が不足しているようにも感じていましたので,神社を運営するには護持を司る総代会の組織を改革し,崇敬者さんの中から総代会に参加してもらい一般の参拝者とともに古神道の成り立ちや歴史,国家神道と神社神道の違いを学べる機会を設けることを強調させていただきました。

その2は,無視して頂いて結構です。つい,私事を書いてしまったので,あまり面白い話でもありませんので(笑)。

その3では,天河神社だけに限った事ではなく,現在,神社の運営は実に厳しい環境下に置かれていて,これからも人口の急激な減少も相まって増々,神社を運営して行く環境は厳しい状況下におかれて行くということを書かせて戴き,記事の最後に神社を運営・護持して行く上でもっとも資金が必要になるものが神社の祭祀施設「建築物」に在るのだと云うことも書かせて戴きました。

その4では,上記,その3の内容に基づき,特に自然災害のような場合になると突発的な資金的困難に陥ることがあるので,そういった困難な事柄に直面した場合,はたして氏子さんだけで神社を護持「御守り」することが出来るか否かと云ったことを問題提起させて頂きました。その為には,やはり全国に存在する崇敬者さんの力添えがなければ難しいと云うことも書かせて戴きました。

その5では,あらためて天川村と云う場所の素晴らしさを伝えさせていただきました。星々の輝く光がとても強く,わたし達の祖先は,天空に光り輝く星々で水の聖地であることを感知していたのではないかと云う私なりの感想も書かせて戴きました。天川村は世界に誇る水の聖地であります。そして,神社の護持には3つの役割「柱」があることをご紹介させて頂きもしました。3つの護持とは「神社本体の運営」と「祭祀施設でもある建築物」そして何よりも大切な「氏子崇敬者と一般参拝者」の3つの護持でした。

その6では,上記の3つの護持をバランスよく意識して神社の運営に役立てて行くことが大切なことであり,さらに,人の護持をより具体的に具現的にするために法律家などの専門家と提携して,予め氏子さんや崇敬者さんの生活に万が一の不測の事態が起きた場合も事前に想定し対処できる仕組みを書かせて戴きました。そして,不定期ですが法律家による無料法律相談会を開催することを提起させて頂きました。これはとても大切なことで,わたしも実際にお寺ですが実例が幾つか御座います。最後の方で少し,神社が護持を司るようなことはせずにあくまでも神社の護持の主体となるのは氏子崇敬者さんであると云うことも書かせて戴きました。

その7では,護持の話をメインに,天河神社の祭祀行事に日本古来から伝わる重要な祭祀の一つでもある祖霊祭祀を神道に復活させてはどうかと云うことを書かせて戴きました。祖霊祭祀「先祖供養」は,本来お寺の役割ではなく,神道の役割であったと云うこともお伝えさせて頂きました。そして,祭祀の祭は氏子さんや崇敬者さんが担う護持にあり,祭祀の祀は神社の宮司さんや神職さんの役割であると書かせて戴きました。つまり,祭祀には祭と祀と云うそれぞれ別々の役割があるということをお伝えいたしました。

ざっと,その1から昨日のその7までを少しだけ整理しながら再度,書かせて戴きましたが,やはり,今の神社神道に必要なのは温故知新であります。神社本庁を頂点として全国に都道府県神社庁を傘下に置いて,各地域の神社を統括して行くような組織形態の意味はどこにあるのでしょうか?神社庁に所属している地域の神社の宮司さんは神社本庁や所属する神社庁の顔色ばかり窺いっているのではないでしょうか?ましてや,政体「統治」を司る政治に口を出したり,一方,政治家が祭祀に口を出すような姿勢は,日本本来のまつりごとではありません。宗教団体が政治政党を結成し,国政に関与すると云うことがどう言ったことであるのか?

以前にもこのブログで天皇陛下の国体論と政治家の政体論を書きましたので宜しければ参考にお読みください。国体とは「祭祀」であり政体とは「統治」を意味します。この2つが合わさって結びとなります。なにか国体と政体と云うと概念が大きいですが,たとえば神社「祭祀」と氏子崇敬者さん「統治」の関係も同じであります。祭祀を執り行う国体には国体としての務めがあります。統治を行う政体にも政体としての役割がちゃんとあります。何かその大切なことを忘れてしまっているように思えてならないのです。

声を大にして言いたいのですが「統治は祭祀に付き従い,祭祀は君臨すれども統治せず」これが日本と云う国家です。

これまで天河大弁財天社には,何度か参拝をさせて戴きましたがとても優しい波動をいつも感じています。まるで自分の母親のような波動です。京都にも天河大弁財天にとてもよく似た波動を感じる神社が御座います。それは京都に御鎮座される貴船神社であります。貴船神社の奥宮と天河大弁財天社の波動は本当に良く似ています。貴船神社も天河神社も共に水の神さまをお祀りしております。以前から,このブログでも何度か天川村の秘水でもある「ごろごろ水」をご紹介して来ました。我が家の神棚の神さまへ天川村のごろごろ水をはじめて奉納できた時の感動は未だに忘れることが出来ません。御水マニアの私としては,ここ天川村の秘水は唸るほどの名水であります。水そのものから発している波動がもの凄いのです。満天の星々がキラキラと輝き恋するほどの御水です。

近年は,山道の整備も実行されて天川村へ行きやすくなっています。

春を迎え,温かくなって来ましたのでこの機会に奈良県へ旅行などに行かれる方には是非ともおススメしたい場所であります。

水の神さまへ。感謝。

  

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝