花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

水の神への感謝参詣 女人高野室生寺 編

2016年10月01日 21時16分00秒 | 感謝の心柱

こんにちは。水の神への感謝参詣も残すところ今日の女人高野の室生寺と伊勢神宮のみとなりました。そして今月10月24日は,私も崇敬させて頂いている一社でもあります玉置神社の例大祭が斎行されます。玉置神社は,縄文以前から祭祀場として存在していた古神道の聖地中の聖地です。神社神道としての玉置神社は,今から2000年ちょっと前の創建ですからまだ若いと云えます。しかし,祭祀と云う視点からですと1万年・2万年以上も前からの超古神道の祭祀場であります。私がブツブツと申し上げるよりも機会があれば一度,玉置神社さんへ参拝されて見て下さい。御神木や古神道の形式が残る白山社も御鎮座されております。

さて,室生龍穴神社での参詣を終えて,次に向かった先が女人高野で名高い室生寺です。ここ室生寺にはもう数えきれないほど参拝させて頂いておりますが,いつ来ても良い気が充満しているところです。思えば,初めて室生寺さんへ参拝させて頂いたきっかけは,以前にも記事で書かせて頂いた「女人高野 室生寺と十一面観世音菩薩」ことからですが,本当に縁と云うものは不思議で言葉では説明が出来ないほどの実情や影響をもたらすものだなと思っています。これも原因と結果と云う因果応報なのでしょう。ならば,やはり善良な因果を積んだ方が自分にとっては最善です。たとえば,悪いことをすると罰が当たる。言葉では誰でも理解が出来ることだろうと思います。しかし,その悪いことの罰がいつ・どこで・どうなるのかを理解できる人はいないのではないでしょうか。つまり,内容と時間差があるが故に,関係付けることが出来ないのです。

生きていると何が善良なのかが難しく感じることも確かに多く存在しますが,ひとつの判断としては良心に付き従うことだはないかと感じています。この良心については,いろいろな方がいろいろな所で御考えを述べられていたりしていますから,自分との価値判断が違うと感じるかもしれません。しかし,考えて見れば,生まれた場所も育った環境も全く違うのですから良心の価値判断が人それぞれ違うのも当然と云えば当然のような気もします。つまり,正解を探そうとするような価値判断は,相手と思想上で競い合っているに過ぎないのではないかと云うことです。正しい良心,誤っている良心だと決めつけると結局は社会と云う集合体の中では窮屈な思いを自分がしてしまいます。ましてや,自分の良心は正しいと断言できる人ほど何か怪しい気配すら感じてしまいます。

室生寺に参拝させて頂くたびに毎回,心底感心することがあります。それは,室生寺で奉仕されている方々の参拝者に対する態度です。本当に素晴らしいものがあります。どうすれば参拝者に喜んでもらえるか。室生寺に来て良かったと感じて貰う為にはどうすれば良いかを良心に基づいて奉仕されている感じが毎回参拝させて頂いて感じることができます。いつでも私たち参拝者をとても温かく迎えてくれます。「おかえりなさい。」「また帰ってきたや。約束やで。」この言葉は,室生寺に奉仕されている職員の方が参拝に来られる人に掛けられる行きと帰りの挨拶です。上の写真は,本堂から五重塔に続く参道を撮影させて頂いたものです。拝

女人高野 室生寺 公式ホームページ:http://www.murouji.or.jp/


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