花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

観世音菩薩

2021年08月04日 19時22分34秒 | 勇気の心柱

だいぶ前に書いた,過去記事です。

こんにちは。

先日,動画サイトにて宗教団体なのか宗教サークルなのか解りませんが「観音様に呼ばれる人」と云うことをテーマにした勉強会のような動画サイトがありました。動画でしたが映像はなく音声のみでしたが,私の思い考えることと相違があるなと云う意味で興味深いものでした。

観音様はどんな存在ですか?と聞かれると,多くの人が困っている人を救ってくれる存在であり,願い事を叶えてくれる存在とお答えになると思います。

確かに,仏教寺院の僧侶もその様に観音様の存在を伝えていますし,観音経と云う経典の一部にもその様に書かれております。今日は,私たちにとても身近な観音様の存在を少し書かせて頂きたいと思います。

まず観音様と云っても観音様には○○観音と云うようにたくさんの観音様がいらっしゃいます。たとえば,仏教の六道思想に観るように天界を担当する如意輪観音,人間界を担当する准胝観音,修羅道を担当する十一面観音,畜生道を担当する馬頭観音,餓鬼道を担当する千手観音,そして,地獄道を担当する聖観音を六観音と申します。その六観音の内,今日は,地獄の世界で人々を救済される聖観世音菩薩についてです。私たちが一般的に呼ぶ観音さまとは,この聖観世音菩薩を観音様と呼んでいます。仏教の経典の般若心経や観音経で唱える観音様も聖観世音菩薩です。

つまり,仏教界のスーパーヒーローと云ったところでしょうか。

観音様は,困っている人や弱い立場にある人を救済することを唯一の任務とされております。つまり,困っている人や弱い立場にある人を救済できるだけ強いとも言い換えることが出来ます。さらに,地獄の淵まで降りて行くことが出来る存在です。したがいまして,本当の観音様と云うのは,観音様自ら地獄まで降りて行って困っている人や弱い立場にある人の元へ行き救済するのです。

決して高い場所から声を掛けて叫び続けることではありません。

まさに,着の身着のまま裸足で飛び出して行くのが,私たちが祈りを捧げる観世音菩薩の真の御姿です。いろいろと諸説ありますが,私個人的には,聖観世音菩薩は,神界のスーパーヒーローが人々を救済する際に用いる御姿だと思っています。蒼き神の素戔嗚大神様で御座います。

黄泉の国を統治する神は,素戔嗚大神様です。

その動画サイトで話されていた内容は「普通の人は観音様のところで厄を落としに行くんだ」しかしながら「私たちは役を貰いに行くんだ」と云う内容でした。つまり,自分たちが観世音菩薩のように菩薩行をする人になるのだと云う趣旨の話でした。ここまでの話は,私たちもいろいろなところでよく聞く話です。新興宗教でも何かと多く引き合いに出されるのが観音様です。

しかし,私が思い感じたことは,何故,そこで話を止めるのか?その奥の話をされないのか?が疑問でした。なぜならば,ここまでの話を聴いて実際に人の厄を貰い,人の役に立てると信じて菩薩行を実践しても実感が感じられないどころかこの世では厳しい立場つまり,環境に立たされることが多いのです。

その主な理由は2つあります。

1つ目は,

物質世界に人の価値観を見出すことではなく,生き方や道徳,精神世界に真の価値を見出すからです。

2つ目は,

私たちは常に見返りを期待してしまう様になってしまっているからです。

先にも申したように,観音様は困っている人や立場の弱い人を救う尊い存在です。しかし,ここだけに着目してもその先にある本当の姿を観ることは出来ません。たとえば,細かい日常的な事柄ですが,自分から人に挨拶をして,相手から挨拶がなければ嫌な気持ちになります。何か人に良い事をして,相手から何も感謝もされない。ありがとうも言ってもらえないと寂しい気持ちになります。中には,人に良くしてもらったら感謝するのは当たり前だ。こんなに自分はしてあげてるのにと怒り出す人も居るかも知れません。

それは何故か?です。日常生活によく在りがちな話でもあります。

どうして,私たちは,その様に感じてしまうのでしょうか。もし,その様な不平や不満を抱くのであれば,それは菩薩行とはかけ離れたものです。

その様な気持ちはやがて,人を恨み心を穢すことになってしまいます。

菩薩行には,感謝されること。ありがとうと言ってもらえることは,はじめから予定されていないことです。つまり,一方的な行為が観音様の菩薩行ですから,相手に感謝されるとか有難うと云ってもらうとか言う話にはならないのであります。物質的な見返りがないのが菩薩行であると考えていた方が,逆に,何ら見返りを期待せず,執着することなく済みます。

花咲あさひ 拝



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