花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

龍と追っかけっこして遊んだ日。

2017年12月30日 07時38分17秒 | 歓びの心柱

富士山本宮浅間大社の楼門です。

こんにちは。

上の写真は,昨日も少し記事で書かせて頂いた富士山信仰の中心である浅間大社の楼門です。

わたしは,御本殿を写真に撮ることが出来ないので,これが限界です。神社上空は,雲一つない晴天でした。

富士山に向かっている途中,大空に2躰の龍(雲)が顕れました。夫婦なのか?兄弟姉妹なのか?はたまた友達なのか?は解かりませんでしたが大空で遊んでいるような感じがしたので,浅間大社まで競争を申し込んでみると,何と!わたしの横に並んで並走し,私を追っかけて来ます。しばらく,そんな感じで遊んでいましたが何十キロも離れていた場所だったので,私もすっかり龍と競争しているのを忘れ浅間大社に到着し,フッと龍と競争して来たことを想い出すと既に龍はいませんでした。でも,楽しかったです。

きっと,浜名湖に棲息している龍だと思います。

龍との出会いは他にもたくさんありますが,龍が棲息する場所には共通点があります。

それは,①鎮守の森があること。②綺麗な水が存在すること。③争いのない場所です。

③は意外に思われると思いますが,龍は争いが大っ嫌いなのです。

人が所有の概念を持ちはじめ,争いを繰り返すようになって,龍は鎮守の森の奥深く,湖や池の奥深くに隠れたのです。

ですが,人間による様々な自然破壊,環境破壊が龍の居場所を奪っています。我が家の神棚に龍が水を呑みに来るときがあるので,1日1回は御水を取り替えています。御水を交換する本当の理由は別にありますが,神棚の榊が枯れると龍が御水を呑みに来たことが判るのです。龍の身体(体重)はゼロですから,榊は倒れたりしません。龍が着陸や離陸するのには榊(木)が必要なのです。

以下は「2016.9.3」に掲載した「龍泉洞 そこは龍神が棲息する聖域です。」と云う過去記事です。

上の画像は被災前の龍泉洞内の(御神水)です。ドラゴンブルーと呼ぶ人もいるようです。

こんにちは。今般の台風10号の影響で岩手県岩泉町に御鎮座されております龍神が棲息する「龍泉洞」が水没してしまいました。昨日の夕方,インターネットのニュースで知りましたが,とてもショックです。この龍泉洞は日本三大鍾乳洞ともされていて,東北地方では有数の名水とも知られています。私も龍泉洞の御神水は自宅の神様へ捧げておりましただけに何とも云えない気持ちであります。水は正に私たちの生活に欠かすことの出来ないものですし,縄文神道にとっては神様そのものなのであります。現代の神社神道においても水つまり,御神水は禊やお祓いの際には,神前に捧げられています。その龍泉洞が水没した意味はとても大きなことでもあり,日本でも水の有難さを思い知らされる前兆かもしれません。日本の御水は金の10倍の価値が本当はあります。

これをただの台風の災害や被害と受け止めては絶対にいけないと私は考えています。まさかと思いましたが,龍泉洞の公式ホームページを確認しても「復旧の見通しはたっていない」とされていました。今日からしばらく,御神前の水祀りは龍泉洞の御神水を捧げさせて頂きます。このニュースを拝見した時に,私の頭の中で先日記事にさせて頂いた龍神雲のことを思い出しました。こちらです「龍神と麒麟に歌姫。今日は独り言です。」もし宜しければ読んでみて下さい。あの時の龍神さんかもしれない。事前に避難したのかもしれません。仮にそうだと良いのですが,万が一,未だ龍泉洞の洞窟内にいるかもしれません。龍神は清らかな水に棲息しています。汚れた水では棲息できませんからちょっと心配です。怪我などしていなければ良いのですが・・・。

私にとって龍神さんはとても身近な存在で,過去にもたくさん出会いがありました。「氷川神社の龍神さん」「室生龍穴神社と室生寺の龍神さん」「富士山へ帰還した龍神雲」「とあるお寺の龍神池」などなど。以前には,私の自宅の神棚に御水を飲みに来た時もありました。今日もいつもの様に意味不明で変なことを申し上げておりますが,それで良いのです。この日本には超太古の昔から自然すべてに神が宿り,人間は自然に生かされ,自然と共に共存共栄して来た自然崇拝と云う信仰がありました。その子孫が私たちですから本当は判らないはずがないのであります。もし,判らなければ私たちの方に問題があると思っています。

よく,龍神伝説とか言われる方々がいますが,伝説でもなんでもありません。本当のことです。

私たちの遠い祖先である縄文人はもっとリアルに正確に観えていたに違いありません。現代に生きる私たちが感じない様にしているだけです。今朝は,太陽神に龍泉洞の龍神さんを助けて下さいとお願いしました。一之宮の神様へも報告に行き,池の畔に御鎮座されています弁財天「宗像大社」へ龍泉洞の御神水を奉納されて頂きました。ここの神池にも龍神さんが棲息していますから地下深くで龍泉洞と繋がっていたら良いなと思っています。おとぎ話のようかもしれませんが可能性はあります。

一日も早く,綺麗な御神水に戻られることを祈っております。私たち人間が,龍神や精霊の居場所さえも奪い,身勝手に自分たちの利益だけの為に自然を汚し,破壊する行為は直ちに止めなければなりません。今回の龍泉洞の出来事がそれを教えてくれているように思えます。あの東日本大震災で起きた巨大津波と古から伝わる神社の配置,先祖からの伝承話を興味深くインターネットの動画サイトで拝見させて頂きました。御見事としか云いようがない程の正確性でした。また台風がやって来ています。今度は,九州地方です。くれぐれも事前の備えをお忘れなく用心されて下さい。もう人が亡くなるニュースは勘弁願いたい。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


こころのみはしら「心柱」を成長させる。

2017年12月19日 07時27分34秒 | 歓びの心柱

こんにちは。

こころのみはしら「心柱」これは,このブログを書かせて頂いている趣旨のひとつでもあります。

なぜ私自身が心柱が大切であると感じているのか?それは,この心柱が受信(木)の役割になっていると思うからであります。神社の社殿で云うと千木に相当します。要は,アンテナです。テレビもラジオも電波を受信出来て映像や音声が届くのと同じです。この受信アンテナのようなものが私たち人の心にもあるのです。それが,こころのみはしら「心柱」になります。

 図柄で表すと左のような中央に1柱。そして周りに9柱あります。家紋でも使用されている十曜紋です。

波動と云うエネルギーを私たち人の心柱がキャッチするのですが,私は波動を音としています。

心柱に音が降りると,その人相応の心柱から伸びている枝についている葉に言が伝わります。これが所謂,言の葉。つまり言葉の正体であると私は感じているのです。枝葉に音が伝わると音色(ネイロ)がします。この音色を私たちは音と解釈していますが,実際に耳で聞く・聴く・訊くのは音ではなく音色です。たとえば「ネ」にも「イ」にも「ロ」にも一音一音に霊が宿るとしたのが言霊信仰です。山に出かけて大きな声でヤッホーと叫ぶとやまびこ(山彦)となります。山の精霊です。したがいまして,悪い言葉を発すると悪い言葉が自分自身に跳ね返って来ます。古神道で云う言霊信仰の原点でもあります。

「人の悪口を言わない」と云うのは言霊信仰です。私たちの祖先は,言葉を乱すことを穢れとしたのです。しかし,言葉の元になっているのが心柱ですから心の在り方によって言葉の使い方も自然と変化して来るようです。心が乱れると言葉も乱れるように。

50音すべてに神さまの分魂が宿っていますから,その一言一言を繋げて本来,日本語は出来ています。

よく宗教家やスピリチュアルや新興宗教の信者が神さまは言葉をしゃべると言っていますが,神さまは言葉をしゃべりません。あくまでも言葉に変換しているのは,私たち自身です。同じ風景や景色を見ても言葉は違うようにです。こう言ったことを私たちの遠い祖先は知っていたんです。人はそれぞれに違いがあり,その違いを互いに認め合い,尊重し合うことを和の仕組みとしたのです。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

おっ!今日も相変わらず変なことを言っているなと思われるでしょうが,その通りです(笑)

まぁ~それも1つの楽しみにして下さればと思います。正解や不正解と云ったことなどは,どうでもよいことです。

たとえば,下のイラストを自分自身の心柱に音を降ろすと大切なのは弓(物質)ではなく,弓を支えている人差し指がとても大切なのです。肉眼では見えませんが,心の眼で観ると光線を発しています。その光線に従って矢は飛んで行くのです。光線を発しているのは,もちろん自分自身と云うことになります。つまり,心の持ち方です。よく武道を習っている方が精神を統一させるとか集中させると言う表現をしますが解かるような気がします。きっと,心の乱れが本番に出てしまうからでしょう。

妹のむすびちゃんです。


 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


ほんの一時でも贅沢をさせてあげたい。

2017年12月14日 00時18分31秒 | 歓びの心柱

上の写真は,総本山 長谷寺です。

以下は「2016.9.2」に掲載した神恩感謝に心音感謝。毎朝毎夕祖霊に感謝。記事です。

こんにちは。また台風(12号)が発生し,今度は九州地方・熊本の被災地を直撃しそうな進路を辿っているようです。大難が小難に小難が無難になるよう祈ります。9月と10月は台風に注意したいと思います。これから台風が巨大化して行くと感じていますし,これまでの様な進路以外も想定しておく方が無難かも知れません。9月9日(重陽の節句)には大きな節目のような日になるとも感じています。(これは眼には観えないお話です)白山の太神様への感謝の日と私は個人的に考えております。

さて,先月8月には祖霊感謝祭がありました。そして,今月9月には祖霊感謝祭がのお祀りが御座います。8月つまり,お盆の際の祖霊大感謝祭よりも若干,質素にはなりますが,今から献立を考えたりしながら楽しみにしています。未だ若いのですが,考え方は御老人の様です。先祖供養や祖霊感謝のお祀りは何だかとても楽しくて仕方がないのです。私たちの祖先の中には,飢饉や飢餓,疫病や死産の御霊がたくさんおります。どんな家系であろうとおります。平安時代や鎌倉時代の祖先においてはまさに飢饉や飢餓,疫病の時代でありました。その祖先が,この世に置いて逝った未練も凄いものであったと想像しています。

きっと,やりたい事ももっと沢山あったでしょうし,遊びたいこともあったと思います。勉強も仕事もしたかったでしょうし,女の子であれば今で云うオシャレもしたかったのではないかと感じています。中には,人に奉仕することを夢見ていた先祖もいたはずです。その未練や執着,想いや想念を私たち子孫は受け継いで生きています。万が一,祖先がお盆やお彼岸に子孫の元へ帰還することが神様に許して頂けるのであれば,せめてその短い期間中は贅沢をさせてあげたいといつも思いながら供養させて頂いております。今日,神様へ大祓詞を奏上した時の気持ちはとても気持ちが良いものでした。先祖供養の前の観音経も落ち着いて気持ちよく捧げることが出来ました。気持ちがとても清々しかったです。有難う御座いました。

心柱に音を降ろし,言葉にして観ました。以下の紫色の文字がそうです。

我 子孫 祖霊飲食 祖霊衣服 祖霊住居 祖霊薬薬 祖霊安寧 祖霊平穏 一心観世音菩薩 祈

我 祖先 子孫飲食 子孫衣服 子孫住居 子孫薬薬 子孫安寧 子孫平穏 一心観世音菩薩 祈

子孫は,祖霊の飲食,祖霊の衣服,祖霊の住居,病気の祖霊に薬を祖霊の安寧,祖霊の平穏を一心に観世音菩薩へ祈ります。

祖先は,子孫の飲食,子孫の衣服,子孫の住居,病気の子孫に薬を子孫の安寧,子孫の平穏を一心に観世音菩薩へ祈ります。

神恩感謝に心音感謝。毎朝毎夕祖霊に感謝。花咲 あさひ 拝


  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


観音様に出会ったあの日 ~心の闇を照らしませ~

2017年12月01日 00時00分00秒 | 歓びの心柱

 

こんにちは。

最近は,過去に掲載した記事を再投稿させて頂いております。

自分でも不思議なくらい「こんなことを書いていたんだ」と思ったり,中にはとても勇気付けられたりと感じています。本当に自分で書いていたものなのか,あまり実感もありませんが年内は過去の記事から自分自身も勉強させていただこうと考えております。

以下の記事は「2016.12.4」にhttp://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/1f29eb5695b441662384f85f4f7e6db0掲載したものです。

こんにちは。いきなり,大きな画像を2枚掲載させて頂きました。どちらも聖観世音菩薩様です。私のお客さんでもある寺院さんでもあるのですが,2枚目の写真の観音様正面に何やら光り輝くものが造成してあります。これは,芝桜で今年の4月頃に植えたものです。以前も少し記事にさせて頂いた「音霊は無音に始まり有音に終わる。これ音霊の正体なり。」場所と同じ寺院さんです。

先日,生育観察と清掃のために伺いましたら立派に育っておりました。今年は,秋頃より雨の続く日がとても多く,生育に影響があるのではないかと心配しておりましたが,7月に行ったきりだったのですが大丈夫でした。来年の春には紫色の芝桜を咲かせてくれると思います。年末にまた伺って肥料と清掃をしたいと考えています。実は,この芝桜を植えたきっかけは,ここのお寺で観音様の化身と出会ったからでした。そんな訳ないだろ?と思われることは十分承知です。しかし,本当に本当なことなのです。

しかも,その観音様は一般女性の姿に変身していて,境内にあるお墓の辺りから現れたのでした。それはどう云うことかと申しますと,ある日,いつもの様に住職さんとこれからの寺院の運営や護持について打ち合わせをするためにお寺へ向かいました。そして,手水舎で禊を済ませ,本堂に挨拶,観音堂に挨拶,お地蔵さんへ挨拶をして住職さんのいる寺務所へ行こうとした時でした。お墓の方から一人の女性,年齢にしたら30代後半から40代前半くらいと思われる女性が泣きながら歩いてくるのです。それもメソメソとしたような泣き方ではありません。誰が見ても一目で泣いていると判るような感じです。

私もこれまで,いろいろな寺院を仕事で訪問させて頂いて来ましたが,こんな経験は初めてです。何か声を掛けようにも何と声を掛けてよいのか解らず「こんにちは」とだけ挨拶をさせて頂きました。するとその女性も私の挨拶に対し「こんにちは」と挨拶をして下さいました。何かあったのですか?と声を掛けるべきであったと思いますが,私の方が躊躇してしまい,それ以上の声を掛けることが出来ませんでした。寺務所に着いて直ぐ,その出来事を住職さんへも報告すると,住職さんも,きっと何か辛い事でもあったのかも知れないと話していました。その日は,その程度の話でしかありませんでしたが,私は帰宅した後もどうしてもあの泣いていた女性が気になって気になって仕方がありませんでした。何故,あんなに泣いていたんだろう?あの人は誰なんだろう?

そんなある日,ふと想うことがありました「音霊が言霊に変換できたのです」もしかしたら,泣いていたあの女性は観音様の化身ではないか?きっと,観音様がもっと謙虚になって物事を見極める行をしなさいと言われているように感じたのです。何か困ったことがあったときに自分の先祖がいるお寺に相談できる環境があれば御役に立てるし,お寺の護持にも繋がる。それを観音様は,一般女性に変身して私に見せてくれたのだと感じました。その後,何度もお寺に行っていますが一度もその女性に会っていません。

その後,再び,お寺で打ち合わせのために伺った際に,思い切って住職さんへ「檀信徒さんや参拝者に喜んでもらえるよに芝桜を造成させて下さい」と心願することにしました。それで考えたのが芝桜計画です。参拝に来られる人々が,このお寺に来て良かったと思って頂ければそれで良いと思いますし,現実的な困り事があればいくらでも相談に乗ることや解決することは出来ます。そんな寺院を住職さんとも協議して行きます。芝桜は,まだ畳1畳程の小さなスペースですが,将来的には拡張して観音様と協同して参拝者に喜んで頂けるよう励みます。神様から教えてもらった事があります。それは,神社と寺院の総代を動かせ。と云うことでした。

天に向かって咲けよ咲け。


  

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

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